私の場合はこれをすると、直ちに体重が増える。朝のパン食。
トーストにバターとじジャムたっぷりをつけて食べるのが好きなのだ。困ったものだ。ただし、ここ二か月は控えている。我ながら感心?している。
私の場合はこれをすると、直ちに体重が増える。朝のパン食。
トーストにバターとじジャムたっぷりをつけて食べるのが好きなのだ。困ったものだ。ただし、ここ二か月は控えている。我ながら感心?している。
毎日とはいかないが、約1時間ほどの散歩を始めた。健康とダイエットのためだ。まだ3週間だか目に見えて効果があらわれてはいないが、自分的には少しの効果を感じている。
その一つは、足腰の安定とウエストが2センチほど小さくなっている。私の場合は2センチは誤差の範囲なので、外見に変化はない。
家の周囲を歩くのだが、東京タワー方面が多い。麻布十番から一の橋、芝公園から東京タワーをまわってくると約1時間になる。ミッドタウン方面は六本木の交差点を通るコースで、道がフラットで面白味がないのと途中下車の誘惑が多いので避けている。
夏に買い物を一つした。昨年1月発売のGalaxy Y Duos, S6102である。これは日本では発売されていないので、輸入業者を通してとなる。
購入の理由は三つ。一つは、デュアルSimだということ。すなわち、Simを二つ挿入して、自由に切り替えて使えるということである。一台二役だ。これは、海外に行くときには便利。二つは、サイズが小さいということ。一般的なスマホの3分の2の大きさである。三つめは、安価だったということである。
今は、データ通信用のSimを入れてモバイル・ルーターの代わりに使用している。通話機能は使えないが、スマホの他の機能はいける。インターネット電話を用いれば通話も可能になる。
実は、今までは、SimフリーのiPadminiでテザリングしていたのだが、通信がなぜか不安定というか力不足で代替えを考えていたところだった。バッテリーの持続時間は短くなるが、快適に機能している。
暑さが帰って来た。午後3時、用事があってヒルズに。初めて知ったことが。ヒルズのあの巨大クモがある広場が、人々の涼む場所になっていた。
日陰が多く、なんと、ビル風がさわやかに吹いているのである。ビル風はやっかいな時もあるが、時には役に立つことも。
国立西洋美術館に観た。ルネサンスを代表する画家のひとりで、フィレンツェとローマで活躍した。ラファエロに影響を与えた画家と影響を受けた画家たちの作品に挟まれるようにしてラファエロの作品が展示されていた。
絵を観るのが好きなので楽しかったし、すばらしい作品がいくつもあったが、「エゼキエルの幻視」と「信仰」という作品が印象に残った。とくに後者は初めて接したのだが、聖杯をかかげるマリアがテンペラによって素朴に描かれており、ある種の敬虔を感じた。
それはそれとして、このような展示会に行っていつも思うのだが、作者と作品の説明を読むと、取り上げられていることは美術史というか絵画の技法の推移に関することのみが叙述されており、個々の作品の特徴や、背景となっている文化や信仰については言及がない。物足りなさを感じる。
先月、エル・グレコ展を観たが、そのことを強く感じた。そのとき、「キリスト教のことがわかないから、さっぱりね」と言って会場を後にする人に複数出会った。そうだろうなと思う、もう少し、作品に迫る説明があっても良いのではないか。技法だけが絵画ではないはずだ。
国民栄誉賞を受けるために3日に帰国したと報じられた。
好きな選手だった。大リーグに行かなければ王貞治のホームラン記録を抜いていたのではないかと思う。しかし、大リーグに挑戦してそれ以上の賞賛を得た。記録よりも記憶に残る選手、とは同じ日に国民栄誉賞を受ける、松井の師匠・長嶋茂雄を評する言葉だが、松井は記録を捨てて記憶に残る選手となった。
ヤンキースでの最後のシーズン、ワールド・シリーズで受けたMVPはケガと戦う日々での出来事だっただけにいっそう感動的だった。それは、松井という選手の人間性が開花した瞬間でもあったと思う。
オリンピック誘致に関連してNYTインタビュー発言が問題になりました。いろいろなことを考えさせられます。わたしは牧師ですから、あの発言の背景となっている日本文化寛容論に着目します。日本の知識人と呼ばれる方々でも平気で口にする独りよがりです。
ところで、キリスト教には神学という批判的学が存在します。批判とは事柄の本質に迫るための一つの機能ですが、その神学を不可欠としているということが肝要です。そして、それは聖書の中に最初から見られます。たとえば、福音書に取り上げられているヘトロをはじめとする弟子たちへの批判記事です。あれを辺境のガラテヤという視点でエルサレム教会が批判されているのだということを言って話題になった聖書学者がいましたが、そんな浅薄なものではありません。神学的機能が働いているのです。いずれにせよ、その批判的学にもっと注目して良いと思います。
最初の問題にもどりますが、日本の知識人と呼ばれる方々にも神学に触れてもらいたいと思うのです。イスラムに対しても同様です。無批判に日本文化寛容論を誇る方々は国際的には通用しないでしょう。
それで、書こうか書くまいか迷っていることですが、アベノミクスについてなのです。なんだか飛躍した話だと感じられるかもしれませんが、もしそれが独りよがりの思想を背景としているとしたら厄介なことだなと思うのです。
BINGニュースに、英国王子夫妻がロンドン郊外にある「ハリポタ」スタジオを訪問したという記事が、笑顔の夫妻の写真と一緒に、載っていた。
同じBINGニュースに平壌の「ハリボテ」ホテルのことを紹介していた。ピラミッド型のあの有名なビルディングのこと。ホテル運営に参入予定であった外資が撤退したという話。経済は救いようのない状況だという。
そういえば、中国が朝鮮半島の統一を容認せざるをえないところまできている、という観測を誰かから聞いたがそうなのかもしれないなあと思わされた。
という言葉を聞いた。NHKBS放送のアベノミクスをめぐるグローバル・リベートでのこと。どこの国の人だったか、日本が取り組むべきことは経済成長戦略ではなく生産政略ではないか、と。経済成長には生産戦略が不可欠で、生産の質を高めることが必要だと言っておられた。
わたしは経済のことは良く分からないが、生産戦略がという指摘に共感した。新しい質の高い旺盛な物づくりへと向かう精神と環境が求められる。と、偉そうなことを書いているが、わが業界はどうなのか・・・・・
昨日から飲み始めた。別にこれと言った理由はないが、ビタミン不足を感じていたのだろう。痩せるという効用はなさそう・・・・・
このところ肩こりに悩まされていたが、歩いているうちに解消していった。どうも、デスクワークが多すぎたんだろう。歩くことは大切。
「キリストの体」を取り上げて短い説教を書くようにと依頼され、書いて送った。我ながら難しい文章になってしまった。関西風に言うと、漢字の多い文章、ということになる。自己嫌悪に陥っている。
依頼してこられた方が、聖霊降臨日との関連でキリストの体を、というお話しだったので、教会論との関わりでキリストの体が取り上げられているエフェソ書から学ぶことにした。説教題は「キリストの体、聖なる教会」。教会生活への畏れと、教会にたいする信仰とを分かち合いたいと思った。
テレビ東京の『ソロモン流』で鉄道カメラマンの中井精也氏が取り上げられていた。見入ってしまった。
「ゆる鉄」シリーズで有名で、鉄道の日常の一コマを切り取って「ほんわかと心が温かくなる」作品を発表している。なんとなく、自分も撮れそうだなと思わせる作品で、身近に感じる。さて、中井氏に関心を持っている理由が二つある。一つは、私と体型がよく似ていること。二つは、ニコンのカメラを愛用している、からである。
番組の中で、氏が愛用している撮影用の自動車が映っていた。軽トラを改造したキャンピングカーだ。これに乗って北海道から九州まで撮影行に出向くとか。大きな体で小さなキャンピングカーに乗る姿はユーモラスであったが、なるほど撮影には車は小さいほうが良い。私も一台欲しくなった。
今回、興味深かったことは、ニコンの1シリーズで撮っていたことである。コンデジと紹介されていたが、それはないだろう。で、氏は一眼レフにも劣らない、プロユースに耐えられるカメラだ、と言っていた。どうかな、とも思うが、私も1シリーズを愛用しているので、ますます親しみ深くなった。もちろん、多様なカメラを使っているに違いないし、番組でも一眼を使っている様子も映し出されていた。しかし、それも小さめのカメラが使われていた。氏の撮影スタイルに合致している。面白かったのは、氏から指導を受けていた女子中学生たちが、大きな一眼を使っていたことである。中学生が何十万円もするカメラを使う時代なのだ、なあ。
思い出したことがある。
先日、夕方のソウル地下鉄5号線で見た光景である。ひとりで乗車している人の8割以上、9割に近い人がスマートフォンでなにやらしていた。地下鉄の走行中にもwifiが使えるためだろう。老いも若いも、男も女も、スマホ、スマホ、スマホであった。かくいう私もiPadminiでなにやらやった。車中の暇つぶしには願ってもない道具である。
という言葉がある。K.バルトに由来するようだ。
土の塵で創られ、土と分かちがたい存在である人間が、キリストにある復活の希望のもとに土に帰るとき、それは土の希望となる、そう語ったというのである。心に留めたい言葉である。
土の器(2コリント7章)というパウロの言葉も思い起される。土はラテン語でHumus、人間は英語でhuman、悔いくずおれる用意のある者である。
今日、婦人会でお話したテーマだ。今年の主題が「教会と信仰生活」としたので、その第一回にこのテーマを選んだ。
恵みの手段というと、み言葉と礼典と祈り、をすぐに数え上げることができる。ウェストミンスター小教理問答88にあるように、教会の生命線である。そのことを前提にウェスレーの教えた恵みの手段について取り上げた。
ウェスレーは聖餐を重んじたことが知られている。そのことを確認して、ウェスレーの教えた、a, 敬虔の業としての恵みの手段と、b, 慈愛の業としての恵みの手段、についてお話をしたのである。
前者は、信仰から信仰へとすすむ敬虔を養う手立て、後者は、魂の救いを願ってなされる隣人の身体と魂に対する手だて(奉仕)である。信仰生活の豊かさを分かち合うことができたと思う。
4階の部屋は悪くなかった。前回は3階の部屋に泊まったが内装のせいだろうか落ち着かなかった。今回の部屋はテレビ画面も大きく、ゆったり過ごせた。このモーテルの良いところは、融通がきくということである。チェックアウトも決まりがあるようで無い。交渉次第だ。
なぜか、どの部屋にもPCが置いてあり、ネットも自由に使える。タブレットを持参していたので不要であったが、有るというのは良いことだ。そうそう、ソウルのwifi環境が変化している。わたしの行動範囲内のことだがiptimeというwifiを自由に使うことができた。今後は、ローミングサービスやレンタル機器の必要がなくなるかもしれない。
着いたその日、最後通告なるものが北朝鮮から発せらえたようだ。韓国の超保守派の人たちの行動に対する牽制ではばいかと。
さて、ソウルにはなんら変化がないように見えた。ファイナンスセンターで食事をしようと行ってみたが、週末でもないのに、いつものように混んでいたし、戦争がおきると思っていないのだおう。ただ、海外からの投資が止まりぎみのようで、円安とともに経済への影響が案じられている。
今回は、魚料理を食べる機会が多かった。庶民的な店だったが、サバの専門店で、なぜがマグロを食べた。マグロは赤身よりも脂身が好まれているのだろか、少しきつかった。隣のおば様方が食べていたサバのほうがあっさりしているように見えた。ロッテホテル近くの刺身店では白身の魚と貝の蒸し鍋を腹いっぱい食べた。マッコリと焼酎を飲んで良い気分になった。
いつもと変わらないソウルだった。
駄々っ子のように威嚇を繰り返す北朝鮮だが、何か事を起こさないと、振り上げた手を下せないなだろうなあ。何をするだろう。
大小複数のミサイル発射などが予想されるが、その程度で収まるのだろうか。原子爆弾保有国として認知され、その上で国際社会、ことに米国と交渉したいのであろうが、そのようになるかどうかは別として、自国の交渉価値(値段)を一生懸命に高めようとしているのだろう。その筋でしか前に進めないとしたら、いつになるか分からないが、武力衝突は避けらえないだろう。不幸なことだ。
2002年以降の記録を読み返した。ほとんどが手書き。昔は手書きか、ガリ版、タイプだった、そのことを思い出した。
この委員会は今でも手書きだが、いつ頃からだろう、大方のところでワープロあるいはパソコンで打つようになったのは。1996年、現在の教会に赴任する前まで、週報だが、ワープロで打ちだしたいくつかの断片を一枚の用紙に貼って、それを印刷屋に廻していたようだ。書式が今ほど自由に設定できなかったからだろう。
私はパープロ・ソフト「一太郎」の前身「太郎」の時代から、週報をパソコンで作っている。簡単な週報だから対応できたのである。年ごとに一太郎のバージョンが新しくなりver3になったときに、一応満足のいくものとなった。30年近く前のことである。今でも一太郎を愛用しているが日本語文書は作りやすい。ただ、デスクトップからノートパソコンへ、そしてタブレットの時代になって、その変化に一太郎が対応してくれないので、Wordとの併用になってきた。自分だけの文書は一太郎、他の人たちと共有するものはWordといった具合だ。
さて、手書きの委員会記録だが、PDFにでもして、データおして保管したら取扱い易くなるだろうなあ、とおもっている。
懐かしい名前を聞いた。今日、お話しした方のお祖父さまが努めていた会社である。その方は優れたレンズのコーティング技術をお持ちでニコンでお働きになった後に、トプコンに身を投じたようである。
今でも中古カメラ店に行くと、トプコンの一眼レフカメラを見ることがある。マニアの方に愛用されていた個性的なカメラであった。私はレンズを一本だけ持っている。忘れてはならないカメラとレンズだと思う。
1970年代のオイルショックの頃、カメラ業界はみな苦労し、カメラのトプコンは残念ながら姿を消してしまった。しかし、こんにちこの分野で日本がトップを維持しているのは、それまでの技術の積み重ねによるのだと思う。
わたしは1964年に、中学2年のときだったが、ペンタックスの一眼レフ(SV)を手にして写真を撮る楽しさを知った。もちろん、下手くそな写真ばかり撮っているが、カメラを持って出歩くのが楽しい。トプコンも一度は使ってみたかった。
だそうだ。まだWIN個人利用者の三分の一はXPを使用しているとのこと。ちなみに会社などでは40パーセントらしい。ロングセラーの秘密はビジネスユースにまだまだ耐えられる力を備えているということであろう。MICROSOFT社があと1年でサポートを停止すると言わなければ、三分の一の人、40パーセントの会社は使い続けるに違いない。なにか納得できないところがある。
さて、わたしのPCのうち、XPで走っているものについてはどう対処したら良いだろかと考え始めているのだが、なにか面白い使い道を提案してくれる人はいないだろうか。やっぱりLinuxの導入だろか。
固定観念というものは、日常のささいなことにいたるまで、私に付きまとっている。
今日、気づかされたことが一つあった。SurfaceRTのTouchCoverの下にiPad用のスリップケースを敷いている人の話を読んだ。打鍵が緩和されて丁度良い打ち心地になるだけでなく、画面の角度が少し上向きに変わり見やすくなったそうだ。
その話を読むまで、わたしに付きまとっていた固定観念は、TouchCoverは机の上に直接置くもの、であった。
Surfaceをご存知ないかたには、なんのことかさっぱりお分かりにならないだろう。失礼しました。
学士会館には関係の薄い私であるが、今年になって二度も学士会館に入った。
最初は天文学のお弟子さんたちが招いてくださったF兄のお別れ会。そして、今回はH兄の偲ぶ会である。東京大学出身のご関係の方々が多くおられた。1950年代の東京大学教養学部の様子をお聞きした。羨ましい、という思いになった。
という言葉がある。
イエス・キリストの復活を疑うということではない。そのことを疑うというのであれば、別に「復活節の疑い」などという言葉を生み出す必要はないであろう。そうではなくて、復活節には死の確かさへの疑いが始まっているということである。死んだらすべてが終わり、ということが疑われ、死が揺るぎ始めるのである。
ちょうど復活の日の朝、婦人たちが墓に向かう道すがら、墓の入り口に据えられた大きな石が悩みの種であったけれども、行ってみるとその石は動かされていたように、揺れ動くのである。弟子たちの頼りなさについても疑いおこる。彼らが確かな人となったというのではない、主イエスが「世に終わりまで、あなたがたと共にいる」と仰せになるからである。
ノートパソコンが不要になったということだが、なぜ不要であると思い定めたのかというと、今になっては中途半端な機械になってしまったということだろう。重い作業をするにはデスクトップのほうが使いやすく、外に持ち出すにはsurfaceの携帯性がすぐれている。どうしてもノートが必要だという理由がなくなった。
思い出すのだが、ノートパソコンを持って外出したり、海外に行ったりしたが、良いノートはバッテリーの持ちが悪く、大袈裟な充電コードや重い外部バッテリーを持参したものだった。
携帯性という点ではパナソニックのノートが便利だったが、高価で買い替えのときに躊躇してしまった。丈夫で安心感があった。しかし、ハードディスクを積んでいるので気をつかところがあった。
小さくて軽いノートを購入したこともあった。富士通のポケットに入るノートや、Kojinshaのものなど懐かしい。ディスプレーが極端に小さく、キーボードも同様で使い物はならなかった。
タブレットがノートに代わるかと期待したが、iPadやandroidは非常に面白く楽しくて良いのだが、そうはいかなかった。そこに登場したのがwindows8タブレットである。いろいろ見てみたがキーボードが必要であったり、カバーやケースをと思うともう一つ積極的にはなれなかった。もちろん、機能的には十分なのだが・・・・・
surfaceはスタンドを裏面に備え、ディスプレーの保護をかねた薄くて軽いTouchCoverが付けられる。そしてRTでもOfficeが走るのでである。windows8を積んだProは機能的にもノートと変わらない。ハードディスクではなく、内臓ストレージや、microSDカード、skydriveなどのクラウドにデータを保存すれば良いので、機械的な不安から海保jさされた、そんなことで、ノートは不要になり、surfaceにさっさと移行した次第だ。。
月曜日は身体がくったりしている。歳のせいだろうか、休みを必要としているようだ。
思い出すのは、大先輩のI牧師が80歳を過ぎてなお矍鑠としておられるので、お元気ですねと申し上げると、「牧師というのは日曜日になると不思議と元気になる。けれども平日はぐったりなんだよ」と言っておられた、
わたしの場合は、まだ、月曜日だけだが、これからどうなるか・・・・・
留学から帰ってくるU氏、Nさん、お帰りなさい。これから行くAさん、元気で頑張ってください。若い人はいいなあ。いろいろトライできて。私の若い頃とはずいぶん違う。経済も許されなかったし。1ドル365円だったし。それだけではないが・・・・・
若い人はどしどし海外に行って欲しい。グローバル化の時代によく対応してもらいたい。そうしたら日本人も変わるかもしれない。
うん、まだよく分かりません。
ウェブベースのバグ管理システムとのこと。問題点一つに対して、一つのバグを発行し、それについて議論しあう仕組みを持っているらしい。また、バグをカテゴリー別、ステータス別、登録者別に検索する機能も持っているようだ。それで、このシステムを使って、共同で論文を書き上げていくことができる、と聞いた。興味津々なのだが、扉のたたき方が分からない。