iPadのことです

ブログの更新を怠っています。文章を書くのが億劫になっているのかもしれません。

脳のリハビリのために必要なことだと思うので、最近すっかりiPadウォチャーになっている私ですので、iPadとiPadOS14のことについて、ほんの少しの情報を載せることにします。

9月16日午前2時にAppleから新製品の発表がありました。iPad関係ではiPad8thとiPadAir4thが新発売されるとのこと。私がぐじゃぐじゃいうよりもyoutube動画を見ていただいたほうが分かりやすいかと思いますので下に貼り付けます。

廉価版のiPadと中級のiPadAirの新製品です。私はiPadAir4に興味を持ちました。ヘビーユーザーではない私としては中級機を快適に使いこなすことが出来れば上出来とおもっているのですが、それにぴったりの感じです。

新発売と同時にOSがアップデートしてiPadOS14がリリースされました。さっそく私のiPadにもインストールしましたが、快適にiPadを動かしてくれています。まだ、アップデートの内容を掴んではいませんが、良さそうです。

牧師の仕事や学びに活用するのが主たる目的ですが、いろいろ試してみようかと思っています。このブログ記事はアップデート直後にiPadで書いています。液晶キーボードがほんの少し親切になっています。ますます快適に打ち込むことができます。

iPadOSについてはApple公式サイトが視覚的に紹介してくれているので貼っておきます。

https://www.apple.com/jp/ipados/ipados-14/

私には欠かせないツールです。

ちょっとのことだが大きな変化

左半身麻痺となって3年3ヶ月、麻痺足に装具を着けてやっと歩いている状況には変化はないのですが、昨日から麻痺足の足の運びがちょこっと変わりました。

踵から指先にに向かって接地することができるようになったのです。ちょっとした変化ですが私にとっては大きな変化です。

どういうこと?と思われるでしょうが、健常者が普通に歩いている歩き方に近づいたということです。

どう説明したら良いのか分かりませんが、片麻痺になってからは麻痺脚は膝を曲げることなく真っ直ぐに固定して一本の棒のような状態で歩いていました。歩くというよりは健常脚で麻痺脚を引っ張って(ひきづって)いたのです。それが変わります。麻痺脚も推進力を生み出すこととなります。歩く時の疲労も軽減されることでしょう。

そのための一歩を踏み出すことができました。

寂しく思う

昨日の出来事をFacebookに投稿しました。93歳のお婆さまの心のうちを想像したという話ですが、それは私の思いの投影でもあります。

近頃は、教会のことや牧師の務めについて、ことに聖書の釈義や黙想をめぐって楽しく熱く語り合う機会や仲間が無くなりました。若い頃はそうではありませんでしたし、今でも会えば熱く語り合う同僚は僅かですがいます。しかし、歳をとると寂しいものです。

深刻に思うのは、自分自身が寂しく思うだけではなく、何故か若手の牧師たちの中にそれを見ることが出来ないということです。聖書や教会がつまらないものになってしまっているのでしょうか。

Microsoft Swayを活用しよう

あまり知られていないが、Swayという一風変わったプレゼンテーションツールがあります。ことにストリーテーリングに向いていると言われます。

マイクロソフト社が無料で提供してくれています。

それはいったい何?とお思いでしょう。

私が説明するよりも分かりやすく解説してくれているサイトがありますからご覧になってください。

https://xenonhyx.com/office365-sway/

https://www.programming-edu.com/2017/06/16/microsoft-sway/

お分かりいただけたかと思います。

Swayのことを知って間もない頃に作ってみた名所案内がありますのでご覧ください。

https://sway.office.com/s/bNMdZypmVFFVFQQ6/embed

このSwayを活用したいと思うのです。

牧師にとってのiPad、その可能性

牧師のツールとしてのデジタル・デバイスは? の続きです。

タブレットであるiPadについて

いまさら説明する必要のないことですが、一応確認のために書くことにします。

iPadはタブレットPCです。タブレットとは一枚の板状のPCのことで、薄くて軽量、携帯性に優れています。

携帯性といえばスマホですが、タブレットは数年前までは音声通話機能の無い液晶画面が大きなスマホのようなものと説明されました。実際、Apple社独自の同じiOSで動いていましたから機能面ではiPhoneとなんら変わりがありませんでした。。ところが4年近く前に専用ペンでの入力が可能になり、また1年前には同じiOSをベースとしながらも、iPad専用のiPadOSがリリースされて、使い勝手と機能性が飛躍的に向上し、今は限りなくPCに近づいてきていると言って良いと思います。そして、もちろんPCには及びませんが、iPadならではの固性があって、ある部分ではPCを凌駕しています。

PCよりも劣っている点

1、周辺機器の利用に制約がある。つまり拡張性がほとんど無い。

2、iPad用に提供される小さなアプリしか動かない。

以上に集約されるかと思います。つまり、iPadにはPCでできることの一部分しか実行する能力がないということです。その代わりに携帯性と機動性を獲得していると言えましょう。

つまり、起動が早く、パーソナルユーズに適し、ネットによるコミュニケーションツールとして使い勝手が良く、加えて、専用ペンによる入力書き込みが容易にできるという点は特質されるかと思います。

牧師のツールとしてはPCよりもiPad

牧師がPCなどのデジタルツールを使い始めたのは37、8年前のことです。ワープロソフトを使って文書データを作成するというのがおもな使い道でした。紙を無駄にせず、綺麗な印刷物を作り、データの保存と再利用が可能となりました。

また、英語圏で聖書研究用のソフトウェアが開発されました。辞書やコンコルダンス等がコラボレーションされて提供されたのでした。

以上の文書作成による情報提供と知的情報の収集と利用という2点が、形態や内容や質に変化があってもデジタルツールの利用目的であることに今も変わりがありません。

形態に関してはインターネットの普及によって情報伝達手段が大きく変わりました。メールやSNS,、ホームページやブログ、YouTube等が身近なものとなっています。文字情報に加えて描画や動画が用いられます。つまりプレゼンテーションツールの利用が必須となってきています。

以上のようなことはほぼiPadで可能ですから、携帯性機動性に優れたiPadが牧師にとってはPCよりも使い勝手が良いと言えましょう。

もう一つ付け加えなくてはなりません。iPadでは専用ペンによる入力書き込みが容易であるという点に関してです。これは意外と重大です。というのは、PCを使い始めた時、大袈裟な言い方ですが、ペンを放棄しました。手書きからキーボードに、紙からディスプレーにと変わりました。この変化は単にツールが変わったということ以上のことでした。思考や記憶の手順の変更を余儀なくされたのでした。

私たちは頭の中のキャンパスを利用して考えを構想したり、整理したり、まとめたりします。その手助けのためにペンと紙が用いられてきました。しかし、それはPCに置き換わらないのでした。

その証拠に紙の手帳やカレンダーは廃れることなかったし、ペンと紙を手放すことはありませんでした。ペンと紙で構想を練ってからキーボードでそれを順序よく打ち込むというのが慣しとなっているのではないかと思います。

ところがiPadはPCには置き換わらなかった機能を取り込んだのです。描画できるというのもその一つですが、メモやノートとして使うことができるようになりました。しかも、それらがデジタル化され記録、共有、連携されます。これは大きなことで、牧師にとってはPCよりもiPadという決定的な理由と言えましょう。

関連することをFacebookに書きました。

Facebookへ

続く

牧師のツールとしてのデジタル・デバイスは?

紙媒体の作成と学びのためのデバイスとしてのPC

かつて35年ほど前、パソコンが普及し始めたとは言えまだまだ高価な時代でしたが、デジタル・ツールの利用についての意識の高い牧師たちはMacPCを好んで使っていました。

理由は2つあったと思います。一つは、右から左に文章が綴られるヘブル語表示に対応していたことと、二つ目は聖書やキリスト教関係のアプリケーションが存在していたからです。ヘブル語の混じった文書の作成や辞書や注解書などの学びのためのツールとしても存在感を持ち始めていました。つまり情報収集に使うことができたのでした。

今でもMacを愛用している牧師が少なくないと思います。ただし、日本語文書作成や表計算など事務的な作業に関してはWindows系で広汎に使われているソフトウェアがあり、教会での共同作業に際してWindowsが必須欠かせないものになりました。日本語文書や週報などの作成、また表計算やリスト作成に使うようになりました。また、作成した文書や書類などをデジタルデータとして保存できました。

私自身はワープロソフトは一太郎、ジャストシステム社製ですね。同じ会社から出た表計算ソフト、データベースソフト、DTPソフトなどを使いました。DTPは花子というソフトでポスターやチラシを美しく作成することもできました。

いずれにせよ、その時代までは主要な情報伝達手段は紙でした。紙媒体で情報を発信するために、その充実をはかるというのがワープロを含めてPCの役目でした。

そして徐々に、ワープロソフトに高度なDPT機能がついてきたり、adobeに代表される高価で手の込んだ紙媒体作品を生み出すことができるソフトウェアが普及していきました。写真やイラストを自由に取り込んで自由度の高い冊子や新聞・機関紙を綺麗に作成することも出来ました。

インターネットの普及によって伝達媒体に変化が。デジタル化とPCでのプレゼンが。

同時にインターネットが急速に普及して紙媒体とは違うコミュニケーションや伝達手段が登場し、PCなどで観ることができるホームページやブログやSNSと言った手段が身近なものになりました。そうなると、MacでもWindowsでもほぼ同じように作業が出来るようになりました。人それぞれに使い勝手の良い物を使うということで、MacがWindowsかという論争は終わったように思います。

当初はPCが主流でしたが、持ち運びや扱いに便利なノートPCが普及して会議や集会に持参してはそこでの記録のために、またやプレゼンにと広く活用されるようになりました。

学びのツールとしてのPC、さらにはタブレットの登場と進化

牧師にとっての使い勝手という面では、聖書研究のためのソフトウェアに、それぞれどのようなものが提供されているか、日本語の文書作成に優れたソフトがあるかどうかということで、Mac派Windows派に分かれてはいました。私はWindows派でした。

PCは学びのための情報収集ツールとして欠かせないものとなりましたが、Windowsで走る聖書研究用にBibleworksというソフトがあり、多くの牧師に愛用されました。Ver.10までバージョッマップがなされましたが、残念なことに数年前にその事業は終了してしまいました。終了の理由や事情はよくわかりませんが、ソフトウェアの継続的な開発と提供にかかるコストを賄えなくなったからだと想像しています。

かつて私が神学校で学んでいた時、F教授という旧約の先生が、神学生に向かって、沢山の注解書や神学書がなければ牧師として礼拝の説教が作れないと思っているかも知れないが、聖書と旧新約聖書略解があれば出来るはずだと仰っておられたのを思い出します。略解というのは新約聖書と旧約聖書、それぞれの簡潔な注解を1冊に納めた文字通りの略解です。決して十分なものとは言えませんが、今思うとF教授の仰っておられたことの真意が分かるような気がします。そのことについては別の機会に書きたいと思います。

話を戻しますが、Bibleworksは高度で優れたソフトウェアですが、高価なこともあり、iPadに代表されるようなタブレットが普及し始めるとPC離れが進み、同時に、ことにiPadにおいてですが、安価で便利な聖書関連のアプリが豊富に提供されるようになりました。そんなこんなで情報収集に関してタブレットで相当部分のことをまかなうことができるようになりました。

加えて、SNSやネットの動画配信など、紙媒体とは違うコミュニケーションと情報伝達手段が一般化し、その点で簡易で優れた特性を有するタブレットが、デバイスの進歩と価格の安さも相まって急速に普及が進んできましたし、その有用性が高まってきています。

私は今もWindowsPCでBibleworksを使うことがありますし、ワープロソフト一太郎を愛用していますけれどもその他のほとんどの作業はタブレットで済ませることができます。それでiPadの使用頻度が非常に高くなりました。

iPadの予想以上の進歩と可能性について

牧師にとってのiPad、その可能性 に続く

続く

コロナ禍の日曜日

コロナ禍で教会の礼拝に出席できない日曜日をどのようにお過ごしですか?

安息日として過ごすことをお勧めします。

今は日曜日もすっかり世俗化してしまいましたが、欧米ではかつて、社会全体で日曜日を安息日として過ごす習慣がありました。日曜日にはほとんどの商店は店を閉じ、人々は教会に集う他は家で過ごすのが一般的でした。

25年ほど前、米国ミシガン州のあるご家庭で日曜日を挟んで泊めていただいたことがありました。グランドラピッツという街の郊外です。一家は敬虔なクリスチャンで、日曜日にはこんな過ごし方をしておられました

朝8時30分からの教会の礼拝に出席します。礼拝は1時間ほど。礼拝後に短いコーヒータイムがあり、挨拶を交わして帰宅。昼食を皆で準備します。御馳走です。食前に一家の主人が聖書を読み祈ります。その日は奥さんが短い奨励をなさいました。楽しく食事と団欒です。

食後は、みなそれぞれがゆったりとした時間を家の中で過ごします。オリンピックの開催期間中でしたがテレビはスイッチオフです。新聞もその日は読みません。何をしているかと言うと聖書を読んだり読書をしたり、庭の手入れをしたりして過ごしておられました。夕方、何かしたいか、と訊ねてくれたので、ショッピングモールに行きたいと答えたら、日曜日は買い物をしない、とおっしゃって、でも連れて行ってあげると言ってくれました。ショッピングモールには行かないんですね普通は。モールはそれなりに人がいました。お土産を買って戻りましたが、夜もまったりと過ごしました。

安息日としての日曜日を過ごしておられるな、と感じました。

安息日は休む日です。一家の団欒がそこにはあり、霊的な静寂さ、そして、休むことで神に栄光を帰する安らぎがありました。

私たちは日曜日をどう過ごすか、真似をすることはありませんが、良い習慣を身につけて行きたいと思います。コロナ禍の今はそのチャンスだと思うのです。

新型コロナウィルスと私たち

新型コロナウィルスについて私なりに収集した情報をまとめてみると、以下のようなことになるかと思います。正確に把握しているかどうかは自信がありませんが、ぼーっとしている私の頭に収まっている理解です。

新型コロナウイルスの病原性はあまり高くない。8 割以上の人、特に若者の多くは大丈夫。高齢者や持病がある人は重症化に要注意。意外なことにインフルエンザなどで肺炎で死亡する人の方が多い。日本で年間 5 万人もいる。
手洗いやアルコール消毒は大切。通常のマスクではウイルスは防げない。PCR検査の精度は 7 割以下で、陰性だったのが陽性になったとしても、持続感染してい ても、なんら不思議ではない。
陽性と判っても治療薬はまだない。まだ抗体保有率が低い。収束には 7 割程度の 人の感染、もしくはワクチンの開発と接種まで待つしかない。
爆発的な重症者急増は医療崩壊を起こす。よって、いかに感染を遅らせるかが大切。ただし、その分流行が長引きく。病原体を敵視して撲滅しようとしても無理。うまく共存していくしかない。

つまり、爆発的感染拡大をなんとか回避すべく努力を続ける。そして、他方で、社会活動をゆるゆると復活させる。この二つをバランス良く保ちながら、新型ウイルスとうまく付き合っていく以外にないということになる。のではないでしょうか。

医療に従事しておられるすべての方々、有難うございます。

感染してしまった方々に癒しの御手がおかれますようにと祈ります。

そのご家族が守られますように。

すべての人が愛によってつながり、忍耐という希望によって共に歩むことができますように。

※教会の「牧師のブログ」にコロナ禍と老人という稚拙な短文を書き込みました。良かったら読んでください。

伊藤亜紗さんの受賞記念講演「言葉と体」

web春秋「はるとあき」に掲載されていた伊藤亜紗さんの講演原稿です。読みましした。いかにも伊藤さんらしい文だと思いました。

https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/3271

Facebookには下記の投稿をしました。

片麻痺とお付き合いをするようになった私が、2年ほど前から注目している美学者、まだ40代前半の研究者・伊藤亜紗さんのある賞の授賞式での記念公演です。この人の文章文体に私が惹かれる理由がこれを読んで分かりました。私もある種の吃音持ちなのだと思います。

Twitterには一言付け加えてこのようにツィートしました。

読ませていただき、伊藤亜紗さんの文章文体に私が惹かれるわけが分かりました。たぶん、私もある種の吃音持ちだったからだろうな、と。「外で考える」はエクストラ・ノス「私の外に」とも通じのでしょう。

以上、中途半端な感想です。真剣に書き始めたら長文になってしまいます。この方、たいした方だと思います。実に読みやすい文章なのですが著書に触れると、引き込まれ、「外で考える」ことへと誘われます。

新型コロナ情報に接して私が感じるストレス

「新型コロナ・ウィルスに関するもろもろの情報に接して私が感じるいくつかのストレス」について書き留めておこう。

良い有益な情報を得たいと思って、TVやSNSやyoutubeを見る(見るようにと誘導される)。それで必要な情報を得ることができるので実に有り難いと思っている。

と同時に、情報はそれに接した者たちに吟味することを求める。

吟味してこそ情報は良い情報として自分の中に蓄積され、必要に応じて相応しい行動(非行動)を生み出す、つまり自分らしく生きることになるからである。

この、情報を得る→吟味する→判断する→行動する、というプロセスの中でいろいろなストレスを誰もが感じる。例えば、順番に並べると、

ストレス1、情報を得られない。

ストレス2、情報が理解しにくく、怪しげである。

ストレス3、自分の判断が正しいかどうか分からない。

ストレス4、行動が困難である。

ということになる。この中で私がことにストレスを感じるのは2の情報が理解しにくく、怪しげである場合だ。

今の時代は情報が氾濫しているので、情報過多でストレスを感じることはあるが、情報を得られないということはない。けれども、理解しにくかったり、怪しげな情報に接することが多く、それに由来するストレスが大きい。

ことに、煽動的で巧みに操作された情報へと誘導されて、それを吟味するために費やす非生産的な時間のことを思うと怒りが蓄積される。

私のiPadの使い方

を、ご紹介します。更新です。

なんだ、その程度のことかと思われるに違いないのですが、一枚の板で出来るのですからたいしたものだと思います。

1、外国語のツィートの読み書き

   iPadOSの辞書機能と外国語液晶キーボードが便利

2、ヘブル語とギリシャ語の聖書の学び

   英語圏のbibleアプリに良いものがある。

3、外国語のwebsiteを見る。各種翻訳アプリを利用する。

4、SNSを行う。

5、ブログの更新。

6、メールのやりとり。

7、画像の編集と保存。

   アプリが充実していて、PCよりも手軽にできるようになった。

8、ノートをとる。

   良いノートアプリがいくつもある。おもに使っているのはGoodNote5。

9、LineやHangoutでの会話やチャット。会議。

10、クラウドを便利に利用している。

   おもに、Dropbox,Evernote,icloud,onedrive等を利用

11、時にはお絵かき。

12、プレゼンテーションの作成。おもにMicrosoftSwayを利用。

補足ですが上記の中でPCではできないこと、あるいはPCよりも便利であったり優れていることをご紹介します。

1の辞書機能の使い勝手の良さと多様さ、そして無料で提供されているということはPCにはありません。

2も無料、あるいは非常に安価で提供されているアプリはiPadならではです。

7も、無料あるいは安価で多種多様なアプリが使えるというのはiPadならではです。

8も、というより8こそ、PCには無い機能だと言って良いと思います。

11も同様です。

別の機会に詳細についてご紹介できればと思います。

今年の私

私の2019年を振り返ってみようと思う。思いつくままに、書き足し書き足しになるが。

◯福音主義教会連合のこと

2018年秋に行われた日本基督教団総会での選挙行動を巡っての混乱が教会連合にも影を落とし、憂と共にスタートした今年であった。

1969年にはじまった教団紛争に対して教団改革を旗印に運動を展開してきた教会連合だが、亀裂が生じて、まっとうな議論ができない状況が続いている。

私は自身の「牧師のブログ」に自分の考えを書いては投稿してきた。そして、そのまとめのような文章「教団改革は教団建設であるー公同教会とローカリティー(固有性)-」が機関紙2020年1月号に載る予定である。

取組みの根本の背景

実は、4年前にはじまる。

◯「BMonTwitter」と「林檎の木会議」を構想し、着手。

インターネットを利用したサークル活動であるが、上記の教団・教会形成と連動している。

つづく

ローマ教皇来日に際して

キリスト教についてほとんどご存知でない方から、立ち話の中で質問を受けた。無理もないことだが、質問が漠然としていて実は分かりにくかった。

どうも牧師である私と教皇とはどんな関係があるのか、そして教皇をどのように見ているか、ということをお知りになりたかったようだ。

私の答え。

「同じキリスト教ですから親しみを感じています。そして教皇は牧師の私よりもはるかに上品で品格がおありです。けれども、私のように素晴らしい妻をお持ちではありません。」

近くに家内が。

BMonTwitterの楽しみ

聖書を囲む会話ををTwitterを介して行なっています。それがBMon Twitterです。聖書を開き、任意の箇所を各自が読みつつその手触り感を紹介し合います。

会話ですから自分も発言しますが、他の人の発言に耳を傾けます。それぞれの発言は聖書箇所との関連でなされるので、それを聞き合いながら聖書そのものに向かい、聖書に聞くことへと導かれます。

それを聖書を囲む会話と呼んでいます。共同の聖書黙想です。

これを聖書を囲む雑談と言っては不謹慎でしょうか。聖書のテキストに触発され、また、聖書の言葉を広く深く味わうための雑談です。何処に向かうか分からないのが雑談ですが、聖書を囲んでいるので、思いもよらぬ豊かなものになります。

さて、この会話で重要なことは聖書テキストに丁寧に触れるということです。

例えば、何かが手渡され、目をつぶってそれが何かを知ろうとするとしましょう。おそらく、それを丁寧に触ってみるのではないでしょうか。それが手触りです。今までに見たことや触ったことのあるものを思い浮かべながら、それらのものとの異同を確かめ、頭の中に手で触っているものの形状を描き出し、それが何かを判別することになります。丁寧に触るということはそのようなことです。

そして、今までに見たことや触ったことのあるものを思い浮かべて異同を確かめる、その作業を一緒にする、それが会話、また雑談、共同の黙想ということになります。

楽しい会話となります。

iPad仲間を増やしたい

インターネットにつなげるデバイスにはスマホ、PC、タブレットなどがある。その他にもいろいろあるようだ。けれどもスマホとタブレットが良く使われている。

若い人はスマホを器用に使いこなしているけれども私には難しい。画面が小さくて老眼には厳しい。加えて文字入力や画面操作が苦労だ。おそらく、私と同世代のほとんどの人は同様だと思う。ましてやもっと高齢な方にとっては言うまでもない。

となるとタブレットということになる。androidやwindowsと言ったOS(オペレーションシシテム)で動くいろいろな優れた端末が発売されているけれども私はiPadが良いと思っている。何故かというと機械として、また機能的にも洗練されているからだ。誰にとっても扱いやすくオシャレで画面は綺麗、音は良い。心地よく快適なのです。また、便利で良いアプリが豊富に提供されている。

それはそれとして、私がiPad仲間を増やしたい理由については、少し休憩してから、以下に書かせてもらいます。

と申しましたが、Facebookの投稿を貼り付けることにしました。

続く

台風19号の今

強く大型で、非常に大きな台風なので心配される。2、3日前から台風の進路予想をはじめ関連情報に釘っ付けだった。しかし、上陸してはいない。沖合にいる。

それにも関わらず、各地の被害情報が伝えられている。河川の氾濫や土砂災害が心配されており、避難勧告も各地で出されている。19号の強さと大きさを示している。

さて浜松の状況だが、何と今日(12日)朝早く6時前にスマホがけたたましく鳴って市内全域に避難勧告が出されたとの通知が。その時、家の周辺はまだ微風、小雨だった。周囲で避難をはじめた人は見当たらない。

午後2時30分現在、雨は強くなってきたが風はそれほどでもない。台風の進路と住居周辺の地形のせいかもしれない。おそらく、これから夕方にかけて雨も風もひどくなるのだろう。

早く通り過ぎて欲しい。

今年は夏から秋にかけてワクワクの連続だった

新し物好きでiPadとiPhone使いの私にとって、今年の夏から秋にかけては心踊るものがありました。

というのは、6月に新しいOS、ios13とiPadOS13が秋にリリースされることが発表になったからです。iPadOSはiPad用に用意されたもので、iPadとiPhoneがosレベルで分離し、それぞれが個性的に進化していく道が開かれます。iPadは液晶画面の大きなスマホ寄りのタブレットではもはや無くなり、タブレットでありながら限りなくノートPCに近づいていくことになって、その第一歩を踏み出します。

私は8月からiPadOSベータ版をインストールして、少しづつ完成度を高めていくプロセスを楽しみました。そして9月に正式にios13とiPadOS13がリリースさされたのでした。同時に新iosで動くiPhoneが11シリーズとして新発売になりました。

iPhone11シリーズはカメラと関連機能が贅沢なものとなり、写真好きの私を大いに刺激してくれたので11Pro購入と相成りました。

iPadOS13によりiPadは使い勝手が飛躍的に向上し、使い道が広がりました。そのうち、プレゼンテーション作品などでその効果をご紹介させていただくことになります。

また、Apple Pencilの使い勝手も向上したので、私は絵を描かないのですが、ノートアプリが今までよりも使いやすくなります。種々な情報を取り入れて、思考をまとめていくためのキャンパスとなるでしょう。

脳出血に伴う片麻痺を抱えている私にはまことに有難いこととです。

Keynoteを使えるようになりたい

Apple社が提供しているプレゼンテーション・アプリ(プレゼン用資料作成ソフト)にKeynoteというアプリがあります。愛用のiPadで便利に使えるようなのです。

と思って使い方を探り、触ってみた。画像や音声、動画を組み合わせて比較的簡単にプレゼンテーっションを作ることができる。

ただ残念なことだが、当たり前だと言われればそれまでなのだが、作ったプレゼンのデータは、データを保存しているデバイス、つまり各自のPCやタブレットなどでしか表示できないことだ。HPやブログやSNSにKeyNoteデータをそのまま貼り付けて見てもらうようにしたいのだが、それは出来ない。もちろん、PDFや動画に落とせば可能だがそれでは面白みが削ぎ落とされてしまう。

つまり、KeyNoteのデータには汎用性がなく、KeyNoteアプリがなくてもそのまま表示できるようにしたいのだが、その手立てがないのである。

その点が私にとっては決定的に残念な点で、使用は中断状態となってしまっている。

固有性(ローカリティー)を考察する

伊藤亜紗著「記憶する体」を読み始めました。冒頭に、原稿は喫茶店で書く、と記されていました。書斎や研究室では書くという出来事が起こらないのだとか。

友人に説教は教会と牧師館から離れて喫茶店で準備をするという牧師がおります。喫茶店でなければ説教を準備するという出来事が起こらないようです。

癖になり、習慣となっているということでしょう。その人固有のhabitで、ローカリティーです。それを個々に体に焦点をあてて考察していこうということのようです。その固有性は、個々人の時間の積み重ね(体の記憶)として理解できるというのです。

私は片麻痺となってリハビリを指導していただいていますが、それは麻痺を抱えながらも体の記憶を呼び覚まし、体の生活習慣をできるだけ取り戻す作業です。habitの再生ですね。rehabilitationです。

身近なことで、面白そうです。楽しみながら読み進めたいと思っています。

Twitterを賢く利用しよう

私の「賢い利用術」をご紹介します。参考にしていただければ幸いです。なお、この投稿はTwitterの利用法の続きとなります。

ポイントは2つです。それは、

1、情報を賢く選択する。

2、良い情報提供者になる。

です。1についてはTwitterの利用法で触れていますので、ここでは2についてご説明します。

Twitterを良くもし悪くもするのも、情報提供者が良い投稿をしているかどうかにかかっています。質の悪いツィートをしていると、悪い情報提供者と結びつきが生まれてきます。似通った情報(共通の関心事ですね)をTwitterが探し出して、自分のタイムラインに流してくれるからです。また、荒らしや煽りや釣りにつけ込む隙を与えます。

それでは良いツィートとはどのようなものなのでしょうか。

万人にとって良いというツィートはあり得ません。ここで良いと言うのは、自分にとって良い情報提供者とつながることができるようなツィートということです。

箇条書きします。

1、他の人を害するような言葉を発しないで、思いやりのある言葉を心がける。

2、自分の関心事を明確にし、自分が真摯にそれと向かい合っていることがわかるようにする。

3、注目されたいと思わないで、自分が納得していることをツィートする。

以上でしょうか。

私は政治的なことは避けています。ことに権力争いとしての政治にはふれないようにしています。また、マスコミの受け売りのような知識は発信しませんし、政治家の悪口も書きません。つまり何の意味もないというか、建徳的ではないことには関わらないということです。

政治的イシューに触れるとしても、その事柄の背景にあると思われる社会の深層に横たわる問題について、自分の考えを書くようにしています。

そして、重要なことですが、偉そうな言い方にならないように心がけています。事柄が共有されることが大事だからです。

こんなことかな、と思います。

つづく

Twitterの利用法

Twitterを毛嫌いする人がいる。つまらないツィートが氾濫していると感じているのだと思う。

確かにうんざりするようなツィートに出会う。政治的デマゴグ、悪口やつまらない言い争い、フェイク等々。

不快と感じる情報には3つのパターンがあるように思われます

1 荒らし

執拗に人の感情を害したり、攻撃したりして、場を荒らします。チャットや掲示板やTwitterで見かけます。

2 煽り

根拠のない風評を流して扇動しようとする投稿です。政治に絡むことが多いです。Twitterに多く見られます。

3 釣り

巧みな言い回しや人目を引くタイトルなどを駆使して関心を惹き、誘導します。商品の宣伝や販売勧誘に使われます。Facebookにも散見されます。

そんなツィートばかりだと感じているとしたら、その人は利用法を知らないだけなのだと思います。

荒らしや煽りや釣りを見極めて、自分に必要な良い情報を選択できるようになることが大事です。Twitterには良質な情報も溢れるほど流れています。

良い情報源を見つけるには検索機能を上手に活用します。自分の関心事を検索すると、関連するツィートに出会います。流れているたくさんのツィートの中からこれは良いと思うツィートをしている人をフォローします。自分も良い情報を流します。そのようにして、次々とフォローしていくと、良い情報発信者の輪が広がり、良いツィートが自然と集まってきます。つまらないツィートを繰り返す人に対しては遠慮無くブロックして関係を遮断します。

Twitterの良いところはツィートを介して広く緩やかなさまざまな関係を築くことができるということです。その良さを知って、Twitterの中で良い関係を多くの人と結びましょう。

最近私は自分のリハビリ状況をツィートし始めましたが、同じような障害を抱えながら努力している方々を知るようになり、その方々のツィートを楽しんでいます。

また、サッカーの久保健英選手の動向を知りたいと思って検索すると、所属クラブから発信される動画やニュースに接することができます。外国語による発信ですが、google翻訳機能が付いているので大筋は分かります。

もちろん自分の仕事に関連して世界中の教会の情報も入ってきます。

Twitterは使い方次第です。

そうすると

live配信動画で

元気なころカメラを持ってよく出かけて行った場所の一つに黒部立山アルペンルートがある。もう行けないという無念な思いはあるが、live配信動画をネットで見つけて楽しんでいる。

見ていると記憶がよみがえってくる。記憶を辿る旅もなかなか良いものだ。

息子夫婦がイタリア旅行をする。かつて私も行った場所を訪ねるようなのだが、動画を送ってくれないかな。

一念発起

自分の病気のことやリハビリ状況などTwitterでツィートすることはなかったが、リハビリの機微をツィートすることにしました。

自分の不自由なく体とリハビリについて自分で考えながらいろいろと取り組んでいると同病の方々の話を聞きたいという思いになります。そしてTwitterでツィートに出会って読ませていただいています。

もちろん、同じ片麻痺といっても人それぞれにコンディションが違いますから、理解できないことばかりなのですが、それでも何かヒントをいただきます。

そんなことで、読ませていただくだけではなく、自分も発信すべきだ、という思いに至りました。ささやかな2年ほどのリハビリ経験ですし、自分のことが自分で分かっているわけでもないのですが、それでもリハビリの機微を自分なりに発信するのも意味があるのではないかと思うのです。

はたして、どうなることでしょうか。

カール・レーフナー

を名乗るツィートがTwitter上で話題になっています。深井智昭氏が著書「ヴァイマールの聖なる政治精神」(岩波書店、絶版廃版)において捏造されたとされた神学者の名前です。

引用されているレーフラーなる神学者の著書は存在しないのでしょう。それを捏造と言えば捏造ですが、創作とも言えます。

深井氏は存在しない、つまり何の権威も持っていない人物と著書を創作して自書の中に織り込み、その創作物が妙に説得力があったというわけです。近代神学を代表するリッチェルやバルトをニーチェの言説から批判し論じています。それは深井氏の分析であると言えましょう。

事はヴァイマール時代の政治精神と神学との関わりを論じるもので、近代を解く鍵が神学にあるという主張であり、その論述です。その点を見逃してはなりません。

架空のレーフラーとその著作を創作しなくても、堂々と論じれば良かったのに、と思いますが、なぜそうしなかったのか、その答えを深井氏から聞きたいと思いますが、彼のヴァイマールについての評価を必ずしも下げるものではないと思います。

Twitterにカール・レーフラーだけでなくリッチェルやバルトやトレルチも現れてもらって(物足りないないのですがニーチェはすでに存在しています)、思う存分語り合ってもらいたいものだと思います。

頑張れ!神学者。

明日から浜松祭り

恒例の浜松祭り(3ー5日)です。宗教色の薄い「おまつり」です。町内ごとに屋台が繰り出して市の中心部を練り歩きます。ピストンのないラッパを吹きながら練り歩くのが特徴です。おおぜいの人々が見に集まってきます。賑やかな三日間です。

この時期、浜松を脱出する市民もいます。地の中心地に住む人たちは大変なことでしょう。

酒好きの人は町内の集会所で楽しく酒を交わすようです。それぞれの町のハッピを着た男女が行き来しますが、女性の髪はキリッとした祭り仕様でイキでなかなかのものです。

平成の通信簿

東京にいた時、著者にはいろいろお世話になりました。

たくさんのデータを通して、この30年の日本社会の変化を描き出してくれています。今、現在の日本社会をより正確に認識するために役立つ一冊です。

iPad雑感

2019年3月にapple社からiPadminiとiPadAirという新しい位置付けの2機種が発売になりました。これでiPadはこの2機種と昨年発売されたiPad9.8インチ,iPadPro11インチ、iPadPro12.9インチの3機種を合わせて製品ラインナップが5となっています。低価格帯に1機種が、中間価格帯に2機種、高価格帯に2機種がと分類して良いかと思います。液晶の大きさでいうと、7. 9インチから12.9インチまでです。

いずれも専用のapple pencilが使えます。もちろん使い勝手は多少落ちますが、いずれもスタイラスペンも利用できます。また、osも最新のios12.2がのります。ですから機能的には同じといえましょう。

各機種を触ってみましたが、高価格帯の2機種は他の3機種に比べて流石にスピードが早く、液晶が綺麗なのと作りが良く、またスピーカーが4つ備えられて音も優れています。

難点は価格が高いのと、クラウドに結ばれている一部アプリで、処理スピードが早すぎるからなのでしょう、クラッシュを起こすことがあるということです。アプリの改善が求められます。それから、私のような老人で障害を抱えている人間には、それほどのスピードは必要ないのと、かえって早すぎて目がまわるということでしょうか。

わたしにはiPadAirとiPadminiが使いやすいと感じました。

それにしても、iPadのここ数年の進化は目を見張るものがあります。有り難いです。一枚の板であること、軽量で起動が早く、本体に備わる諸機能が気が利いていて簡単で使い勝手の良いアプリが豊富にあることと相まって、人それぞれに対応可能で有用なタブレットだと感じます。

ことに高齢者におススメしたいです。

私に資金があるならば、仕事の同僚や交流のある親しい人たちに配って差し上げたいと思うほどです。

以上雑感でした。