再びパースペクティブ

ほんの少し関係を持つようになった聖書に関する番組制作でのこと。それは、アメリカで制作されたものを翻訳して日本語の番組にするというものです。

その番組の冒頭にパースペクティブという語が重要な意味を担って用いられているのですが、どうも、ちゃんと理解されていないようです。

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青年ホームレス

街角に、20代とおもわれる男性が空き缶を置き、通り過ぎる人に金銭を乞うている姿を、いくつもの場所で見ました。若い世代の人々の間に、何か困難があるようです。薬物に汚染されてしまう人が多いのでしょう。

ある施設で薬物依存の人たちの世話をしている人に会いました。その施設では、他の施設と協力して毎日、町の中を見回り、少なくとも麻薬の針の使い回しをしないように、新しい針を配布することも大切な働きになっているとのこと。事態は深刻ですが、その現実を現実として受けとめて、最悪の状況を生じさせないようにとの現実的な配慮もなされているということでしょうか。

ちなみに、その人は女性です。10年以上、その奉仕を続けているとのこと。髪の毛の一部を赤く染めている、聡明で、明るい女性でした。

白豪主義は昔のこと

オーストラリアはかつて非白人への排除政策を実施していましたが、1970年代に移民法ができて非白人の移民が認められるようになりました。今は、人口の50パーセントは移民だそうです。たしかに、大都会のダウンタウンは中国人や韓国人、あるいはインドや東南アジアの人々のタウンになっていました。

通勤圏だそうですが、都会からずいぶん離れた地域に韓国人の教会がありました。そのあたりにも多く住んでおられるのでしょう。

移民にとっては物価高など経済的に厳しいところがあるのでしょうが、人権については平等で、排他的なところがなく、世界一住みやすいところだと向こうのある日本人が話していました。歴史が浅い国だというのが、その理由だとのこと。

ショーボート・ディナークルーズ

2時間半ほどでシドニー湾を一回り。その間にショーを観て、食事をするのです。

雰囲気は良かったのですが、料理はもう一つ。ステーキが堅かった。オーストラリア風なのでしょうか。ショーを楽しんでいたのはインドからの旅行者方。特にインドの音楽と踊りが披露された時には、立ち上がって踊る方も。船の中の全体が盛り上がりました。

夜景がきれいでした。

オレンジ風味のグリーンティー

コーヒーや紅茶に飽きたので、コンビニエンスストアでグリーンティーを購入した。が、よく見るとパッケージには柑橘類の絵が。飲んでみた。オレンジ風味のグリーンティーだった。

けっこういける。お土産候補だ。

コインの大きさ、小ささ

オーストラリアのコインは分かりにくい。

2ドルが1ドルよりもずっと小さく、20セントがやたらと大きい。落ち着いてコインを観察し、よく理解したうえで買い物をしなければならない。10ドル紙幣で飲み物を買っておつりをもらったが、間違っているのではないかと一瞬思った。2ドルコインと1ドルコインを認識できなかったからだ。

誰かが大きさではなくて重さ、含有物の質で差別化されていると教えてくれた。なるほど、2ドルと1ドルは小さくても重い。

ラクビーのようで、ラクビーではない、恐ろしいフットボール

テレビを付けてびっくりした。

オーストラリアにはおそろしく激しいスポーツがあることを知りました。ラクビーのような出で立ちで、ラクビーボールを使って、アメリカンフットボールのようなぶつかり合いをし、自由にボールを投げるし、前に落としても良いし、なにやらやたらと広いグラウンドでそれは繰り広げられるのです。ルールはどうなっているのか・・・結局よく分かりませんでした。分かったのはオーストラリアの男たちが荒々しいということでした。

思い出を語り合える旅

70歳以上が5名、そのうち3名が立派な後期高齢者で、もう一人がそのお仲間に今年加わる。そして、60代が2人の計7名でのオーストラリアの旅です。

ブルーマウンテン・ツアーで一緒になった若い大学生が、ご兄弟仲が良いのですね、珍しいグループですね、と言ってくれた。考えたみたら、4人兄弟がその連れ合い共々この歳まで1人も欠けることがなく元気でおり、一緒に海外旅行をすることができるのは有り難いことだと思う。

そして、旅は年寄りにふさわしく、思い出を語りあう時となっている。愉快な旅である。兄弟がみな、おめでたい人柄である、ということもあるがほんとうに感謝すべきことだ。上の姉が来年もどこかに行こうと言い出した。

カンガルーのステーキ

おそるおそる最初の一口を・・・・が、気がついたらパクパクでした。

お店の味付けが良いのか、焼き方が良いのか、食べやすく美味しかった。次に食べる機会があればレアーにしてもらおう。

カンタス航空に初めて乗りました

50年前、オーストラリアにむかう兄を家族のみんなで羽田空港で見送りました。兄の乗り込んだのがカンタス航空でした。その時は小さな機体でした。オーストラリアに行く人はまだ少なかったのですね。

いま、兄弟とその連れ合いがの七名でオーストラリアに来ています。私は初めてカンタス航空に乗ることが出来ました。ジャンボ機でした。満席です。時代が変わりました。

機内の印象を二つ。人件費を抑えているという印象を受けました。機内食が口に合いました。