1913年2月7日|ボーアの書簡:原子は「見えない理屈」から、手触りのある図像へ
1913年の初め、ニールス・ボーアは、まだ完成しきっていない原子理論について、友人で化学者のジョージ・ド・ヘヴェシーに手紙を書きます。その日付が2月7日で、そこには、後に知られる“ボーア模型”へつながっていく発想──とりわけ周期表や化学結合を、原子の構造から説明しようとする射程が、すでに含まれていた、と伝えられています。
ここが面白いのは、科学が「発見」だけで進むのではなく、同僚に宛てた途中経過の言葉によっても育つ、ということです。完成品の論文ではなく、未完の構想が、誰かに向けてそっと差し出される。その“差し出し方”が、次の理論を呼び寄せていく感じがあります。

1984年2月7日|史上初の“命綱なし”宇宙遊泳:人間が空間を「移動できる場所」に変えた日
スペースシャトル・チャレンジャーのSTS-41Bでは、飛行4日目の2月7日、ブルース・マッキャンドレスらがMMU(有人操作推進ユニット)を使い、命綱なしで船外に出て自由飛行を行いました。これが「史上初の無拘束(untethered)EVA」として記録されます。
技術的には“推進器で姿勢を保つ”という話ですが、感覚としては、宇宙がそれまでの「張り付く場所」から、少しだけ歩ける(漂える)場所へ変わった瞬間でもあります。のちに安全思想の議論も重なりますが、それでも、この一歩が示したもの──「空間で人が作業半径を持つ」──は大きかったはずです。

1991年2月7日|サリュート7号の再突入:宇宙開発が“終わり方”を問われた日
ソ連の宇宙ステーションサリュート7号は、運用を終えたあと軌道が低下し、1991年2月7日に制御不能で大気圏へ再突入したと整理されています。
ここで突きつけられるのは、宇宙開発の成果そのものというより、「後始末」まで含めて技術だという感覚です。打ち上げる技術、滞在する技術、そして“終わらせる”技術。宇宙が混み始める時代に向けて、安全と責任を制度と設計に織り込む必要が、静かに浮かび上がった出来事でした。























































































