昨日の出来事をFacebookに投稿しました。93歳のお婆さまの心のうちを想像したという話ですが、それは私の思いの投影でもあります。
近頃は、教会のことや牧師の務めについて、ことに聖書の釈義や黙想をめぐって楽しく熱く語り合う機会や仲間が無くなりました。若い頃はそうではありませんでしたし、今でも会えば熱く語り合う同僚は僅かですがいます。しかし、歳をとると寂しいものです。
深刻に思うのは、自分自身が寂しく思うだけではなく、何故か若手の牧師たちの中にそれを見ることが出来ないということです。聖書や教会がつまらないものになってしまっているのでしょうか。