聖書を読むときに注意を払わなければならない大切なことの一つは、読んでいる箇所(テキスト)が語るテーマ、あるいは神学的な主題に着目し、テキストの固有性に気づいていくということだと思います。
たとえば、創造論がテーマとなっているテキストの中に、いとも簡単に救済論を読み込んでしまうと、それが救いについて多少なりとも適切に語っているとしても、黙想はおかしな方向に向かい、あれやこれやで、答えのない詮索が始まり、混乱したまま、せっかく読んでいる聖書箇所からは離れて、違う諸テキストを放浪するというようなことになりかねません。
ピントのはっきりとした写真に心が惹かれ、その写真から感銘を受けるように、テキストの主題を的確に捉えるならば、注意深くテキストへと思いがいたり、その固有性の面白さに目が開かれて、テキストが語ろうとしていることに心躍ることになりましょう。
私たちにはそれぞれ自分が抱いている固有な関心がありますから、聖書テキストの中にその関心をぶつけがちです。ある意味、自分の関心に対して速やかな答えを求めるわけです。その関心は大事なことですから抱き続けなければなりませんが、聖書のある箇所を読もうとする時、いったん自分の関心事から離れて、テキストが語ろうとしている主題をとらえ、その固有な語り方に目をとめ、お風呂に入るようにテキストにどっぷりと浸かってみるということが肝要だと思います。
今週、こんなことを改めて考えさせられました。