クリスマスを祝福のうちにすごすことができたが、
直前の22,23日は20日に召されたF兄の葬儀だった。病床で讃美歌「やすかれ、わが心よ」を聞くのを楽しみとし、平安のうちに召された。羨ましい最後だと思う。
今日は(26日)、明日行われる教会連合常任委員会での発題の準備。「教会連合の課題」。「沈まない、朽ちない、漂わない」を指標として教団改革を展望し、教会連合の進むべき道について発題する。教会のことであれこれ思いを巡らすのは楽しいことだ。
クリスマスを祝福のうちにすごすことができたが、
直前の22,23日は20日に召されたF兄の葬儀だった。病床で讃美歌「やすかれ、わが心よ」を聞くのを楽しみとし、平安のうちに召された。羨ましい最後だと思う。
今日は(26日)、明日行われる教会連合常任委員会での発題の準備。「教会連合の課題」。「沈まない、朽ちない、漂わない」を指標として教団改革を展望し、教会連合の進むべき道について発題する。教会のことであれこれ思いを巡らすのは楽しいことだ。
この時期、街はクリスマスのデコレーションで飾られる。が、多くはクリスマスとは無関係のように見える。
先日、銀座に行った。ツリーやイルミネーションが綺麗だった。さすがに銀座だなと思わせる上品な装飾である。
しかし、よく観察すると、クリスマスのシンボルがそぎ落とされている。ツリーにはベツレヘムの星はない。メリー・クリスマスという言葉もみあたらない。用いられているカラーは必ずしもクリスマスのそれとは限らない。
街のクリスマスは、もはや本来の意味を離れ、コマーシャリズムの道具となってしまっているようだ。
もちろん、昔からクリスマスはコマーシャリズムに浸食はされていたが、今日ほど、そぎ落とされてはいなかった。
牧師としては、そのような風潮を残念に思うとともに、教会の責任を感じる。
教会では心からクリスマスを喜び、独り子をお与えくださった神さまを礼拝したい。