しばらく前まで、若手デザイナーが盛んに出店し、登竜門と言われていた24時間営業のあのファッションビル。若者が買い物に押し寄せていた。けれども、今は、すっかり様子が変わっている。
聞くところによると、店は観光客を相手にしはじめて価格があがり、若者の足が遠のいたとのこと。その後、その観光客 も一時ほどてはなくなってしまい閑散としてしまったようだ。
今回宿泊したのはそのビルに隣接するホテル。若い中国人観光客が目についた。感想は控える。
しばらく前まで、若手デザイナーが盛んに出店し、登竜門と言われていた24時間営業のあのファッションビル。若者が買い物に押し寄せていた。けれども、今は、すっかり様子が変わっている。
聞くところによると、店は観光客を相手にしはじめて価格があがり、若者の足が遠のいたとのこと。その後、その観光客 も一時ほどてはなくなってしまい閑散としてしまったようだ。
今回宿泊したのはそのビルに隣接するホテル。若い中国人観光客が目についた。感想は控える。
詳しく書くことはできないが、ソウルに行ってびっくりしたことは、朴大統領辞任要求問題が波紋を広げており、その余波で、本来、朴大統領関連問題と無関係なところでいらぬ亀裂が生じているということである。穏やかさが失われているのである。
昨今の混乱は、重大な事件に関することであり、韓国社会が抱える構造的な問題に関わってはいるが、権力闘争と化しており、今後、政局がどうなるか分からないが、おそらく来年の大統領選挙でひと段落するに違いない。そして、政治の世界のことであるから、相変わらずの政争がそれなりの仕方で継続されることになる。
けれども、いらぬところで生じてしまった亀裂はどのように修復されるのだろうか。隠れていた小さな亀裂が顕在化し、それが大きく深くなるということにならないで欲しいと願う。
ある方がくださった。その方は御自分で使いたいと思って購入されたが、事情があってどうも使うことができない、それで、わたしのお腹をご覧になって、譲ってくださった。
宣伝の中に「美脚になる」との文句も。これ以上美脚になると困ってしまうなあと思いつつ、おそるおそる使い始めている。うん、いいかも。きっと長く使うことになる。かも?。
人口と広さにおいて県を代表するのが静岡市と浜松市です。
浜松市に住むようになって、静岡といろいろと比較するのですが、一つの顕著な違いはJRの駅周辺が閑散としているということです。地元の方によると、浜松では郊外に大型モール(ショッピングセンター)がいくつも作られたからだと言います。
郊外にショッピングセンターがあるのは便利ですが、人工的で画一的です。いまごろ言うことではありませんが、個性を競って店々が立ち並ぶ駅周辺の賑やかさは、もう戻ってこないのでしょうね。
国会で強行採決がなされたというニュースが流れました。政治のことはよく分からないのですが、TPPのような(内容はよく吟味される必要があるでしょうが)経済圏が作られていくというのは、グローバル化した世界では必然かと思います。
好むと好まざるとに関わらず18世紀以降の世界はグローバル化が進み、今では身近にいろいろな国の人を見かけ、外国の商品に囲まれ、インターネットを通じて地球の裏側に住む人とも直接話ができます。人と物との行き来が自由になり、国家の壁は低くなってきています。そんな状況を目の前にして、関税の壁を高く築いていたらその国は競争に負けてしまいます。グローバル化に対応していく必要があります。一国だけのことではなく、小さな経済圏ができたとしても、それを囲む壁が強力であれば、いろいろと不都合が起こるでしょう。
グローバルな世界では、グローバル化というプロセスを不断にすすめていくことが肝要です。TPPは実現しそうもない状況ですが、二国間のことであれ、同様のいかなる経済圏構想も、そのプロセスの途中にある一里塚であるならば良いと思うのです。
Facebookにあることについて投稿をしたら、親しい人たちが返信してくださり、民主主義についての評価という話題になりました。
その時に、ふと思い出したことがあります。学部3年のときだったかなあ、神学校の教会史Ⅲという授業を受けたのですが、成績表にAでもBでもCでもDでもないアルファベト文字が赤字で書かれていました。合格点でも不合格点でもなく、評価外ということですね。
どこの国であっても、民主主義が評価外とならないことを願ったのでした。
ある都会のマンションで挨拶を禁止すべきかどうかということが問題・課題となっている。そんな新聞投稿を読みました。
考えてみると、見知らぬ人と挨拶を交わすのは、山登りのときだけになってしまった感があります。下界では挨拶しないのが常識で、下手に挨拶したらやっかいなことになるかも知れない、そんな様子が観察されます。
経済優先の近代社会の行き過ぎからくる貧しさだと思います。見知らぬ人であっても隣人として受けとめる社会を培っていかなければなりませんね。
思い出されるのはかつて三井銀行の社長をされたKさんのことです。わたしが洗礼をお授けし、葬儀の司式もさせていただいたのですが、この方は、本社の近くにある日比谷公園を散歩してから出勤しておられました。公園ではすれ違う人と挨拶をかわし、その中にはホームレスの人たちもおられて、みな顔見知りであったのだそうです。
互いに挨拶を交わすところから、少しずつ社会が良くなっていくと思わされます。すべり台社会と言われて久しいのですが、共に生きているのだということを受けとめ合う「場」を失ってはならないと思います。
特に思い入れがあるわけではないが、1996年、ミシガンに行ったときにシカゴに立ち寄ったことがあった。
その当時、カブスには名前が思い出せないが、私のような体型のセンターを守る外車手がいた。機敏に動き、ホームランもそこそこ打っていたと思う。今年、108年ぶりにワールド・シリーズを制した。すごい試合だった。
108年ぶりとはすごい。