政治的宗教

昨年の夏以来、旧統一協会の問題が再びクローズアップされている。

その宗教活動の反社会性や信者の家庭で起こっている悲劇的な事態がクローズアップされている。

そして、政治家が広く絡んでおり、広告塔に利用されるだけではなく、政策に影響を与えていないのか、という懸念も出ている。

しかし、その宗教の輪郭については、体系的には語られることはほとんどない。

おそらく、宗教活動を隠れ蓑に、集金活動をしいている団体だと見切られているからかも知れない。

あるいは、反社会的な活動の諸現象は問われなければならないが、宗教そのものの良し悪しは問うことはできないということなのかも知れない。

加えて、日本人の一般的宗教感(信じる対象を問わない曖昧さ)に由来するのかもしれない。

それでも、断片的に聞こえてくることから類推して、特徴を描き出すことはできるであろう。

特徴1、

ユダヤ・キリスト教的な装いを持つ。文氏はメシアであり、メシアニック団体の自覚を持って宗教活動を営んでいる。

特徴2、

その目標は現世における神の国(文王国)の実現である。その点で、いたって政治的と言える。

特徴3

統一という名称が示しているように、目標である神の国は、諸宗教の統一、政治的・文化的統一を指している。

特徴4

その統一はメシアニック団体によって実現される。そして、それに反対する勢力をサタンと呼び、憎しみの対象であり駆逐する対象とされる。

特徴5

特徴4

続く

Noteへの投稿200

一昨年の夏前に始めたNoteへの投稿、今日投稿数が200に達した。

ツィッターにこんな呟き。

http://twitter.com/makotoharita/status/1613366180630364162

ついでにFacebookにも。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid0rMNQ9bQ5ASSjyAsL4UMZM4og4xopcHe9EjaaQ5FrBpCYTe4jLMWgC7J9t5bR2WNgl&id=100001864864679

恥ずかしくないんかい、と言わないで下さい。

暇を過ごす

今日は急に暇になったので、身体を休めた。

ぼーっと、しばらくしたら360度動画撮影に挑戦してみようかな、と考えた。

家の外では課題があるけれども、杖なしで歩くことが前提になる。今年のリハビリの最初の目標かな。

接ぎ木の譬

説教の準備をしながら、なぜロマ書11章で、接ぎ木が譬えとして用いられているのか、良く考えてみなければならない、と思った。

接ぎ木によって一本のオリーブの木を育てている人の話しなのに、切り取られた、あるいは接木された枝にまず関心が集中してしまう。

そんな自分に気がづいた。ミスリーディングに繋がる。

ここでも主語は神なのだ。

ウサギ

牧師は干支に触れないのが一般的かと思いますが、お許しください。

聖書の中にウサギは2度登場します。レビ記と申命記です。どちらも食べてはならない汚れた生き物のリスト(食物規定)に属しています。
レビ記11章6節に「野兎も反すうするが、ひづめが分かれていないから、汚れたものである。」とあり、申命記14章7節には「ただし、反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの動物は食べてはならない。らくだ、野兎、岩狸。これらは反すうするが、ひづめが分かれていないから汚れたものである。」とあります。
英語の聖書ではhareが普通ですがrabbitと翻訳するものもあります。
私たちにとってはウサギは復活祭と結びついています。「復活のイエス・キリストを最初に墓の中で目撃したのがさはうさぎだった」という伝説に由来するそうです。そんな伝説があるんですね。
旧約聖書で食べてはいけない汚れた動物として紹介されていたうさぎが、復活祭の象徴となっていることについて、ある人が「何か福音的な意味を感じさせる」と言っています。

今年もよろしくお願いいたします。