初体験

辻井伸行さんの演奏をアクトシティー大ホールで聴かせてもらいました。初体験でした。

モーツアルトのピアノ協奏曲第21番ハ短調K.467。よく知られた曲ですね。ヨーロッパ室内管弦楽団という自主運営のオーケストラとの共演でした。このオーケストラは60名ほどの編成でした。ドン・ジョバンニ、ディヴェルティメントニ短調K.136、交響曲第40番ト短調K.550の演奏がありました。良かったです。

聴き終わって、なぜかわかりませんが、「奏でる」という言葉が素直に頭に浮かんでいました。そして、独特な緊張感です。耳を澄まして澄まして奏でる、そこからくる緊張感だと思います。

隣に座ったお爺さん

Nikon1シリーズのV2に赤の10-100mmレンズをつけて持ち歩いておられる品の良いお年寄りが、山手線の電車で私の隣にお座りになった。上野から乗り込んでこられたと思う。

うれしかった。V2は私の好きなカメラの一つで、これを持ち歩いている人にはじめて遭遇したからだ。しかもレンズは赤。お洒落に使いこなしておられる。

ポケモンGo考

先日、NHKの時事公論でポケモンGoが話のきっかけとして取り上げられていた。スマホ依存から脱却するようにという呼びかけが論旨で、ポケモンGoのいっときの熱狂は過ぎ去り、今では、やっている人を見かけないと言って、スマホゲームの一過性とスマホに熱中することの空しさを指摘しておられた。

スマホをいちど捨てて、本を読んだり、文化的な何かに触れたりしてみてはどうか、という提案は結構なことだと思うが、ポケモンGoを矢面にして論を展開しておられたことに違和感を感じた。

ポケモンGoはスマホゲームでは特異な存在だと思う。それゆえにゲーマーからはつまらないと酷評され、気むずかしい人たちからは迷惑がられた。牧師の中にも、ここではポケモンを飼育していませんとか、宗教施設ですからご遠慮くださいという張り紙を教会入り口に貼った人がおられたと聞く。これらのことは、ポケモンGoがスマホ依存とは無関係であることを示している。

わたしのところもポケストップになっていて、当初、煩わしいことになるのではないかと心配したが、それはなかった。かえって、スマホの画面には教会の立派な写真と正しい名称が表示され、アップデート前の当初の段階では、簡単な施設の紹介もなされていた。

それはさておき、スマホを見ながら歩くのは危険だと指摘される。そのとおりだと思うが、最近、わたしが良く見かけるのは散歩し、会話を楽しみながらポケモンGoに興じている夫婦、あるいは、カップルである。

忙しくひとりでスマホと対戦するゲームや、室内に閉じこもってするゲームとは違い、散歩とゲームと会話の三点セットをポケモンGoは提供しているようだ。それだけではなく、ポケストップは地域や施設や、時には歴史にまで目を向けさせる(その点をさらに充実・改良したら良いと思う)、ジムでは思わぬ出会いもある。また、実は、忍耐を強いられる側面もある。急ぐ必要もない。そんなゲームなのである。

妄想

対局中のスマホ将棋ソフト使用疑惑が伝えられている。真偽は私には分からないが、いったい対局中にどのように利用するのか、利用できるのかということに興味をもった。その方法についてはつまびらかには明らかにされていない。

かつてゲームソフトで勝負を争うテレビ番組をみたことがある。超人的な指さばきに驚愕したが、一度、スマホを手に将棋ソフトをあやつる者同士の早指し対局をみてみたいものである。いろいろ想像してみるのだが、面白そうだ。

IOC案

野球やソフトボールの一部試合を福島で実施したらどうかという案をIOCが提案したというニュースが流れた。本当にIOCから発せられたのかは疑問で、わたしは日本の組織委員会から出たものだと思っている。公式にはIOC提案ということで貫かれるに違いないし、そういうことでなければ意味がないからだ。

これで、政治利用されてきた「復興」が、わずかではあるが素直に具体化されることになる。ボート会場の件は東京都の財政負担軽減が出発であったので、「復興」を旗印に会場変更を迫ることにはちょっと違和感を感じていた。しかし、IOC案が出たことで、ボート会場がどのように決まろうとも、収まりが良くなったと思う。知恵者がおられるなあと感じた。

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牧師のブログをはじめる

教会のHPをリニューアルしたついでに、牧師のブログをはじめました。いわば、公式のブログです、教会に関連することも書き込むことになります。教会HPから入ることができます。

このブログは私的な気楽なものですが、牧師のブログとなるとそうはいきません。緊張しています。

それにしても、ブログはなんのためにあるのかというと、私の場合は日記代わりで、思い出を書きとどめておくというのがおもな目的となっています。教会ブログは、同じように、教会日記代わりということになるでしょうか。

日記と言っても、書けることと書けないこととがあります。書けないことのほうが多いかも知れません。それでも、教会と教会をとりまく様々なことを牧師の目をとおして見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを書きとどめることができたら良いかなと思っています。

教会のHPはこちら、牧師のブログはこちらです。

永田和宏著「タンパク質の一生」

日曜日にある方がくださった。『生命活動の舞台裏』という副題がついており、岩波新書から2008年に出版されている。

折しも、大隅良典氏が「細胞自食作用(オートファジー)」解明によりノーベル生理学・医学賞を授与されることが決まったというニュースと重なって、生命活動への関心が私の中で高まっている。

本書は、私のような門外漢で無知な者でも、少しは理解できるようにと書かれている。比喩や形容が面白く、事柄を身近に感じさせてくれる。一つの例だが、『大食漢・オートファジー』は、他人ごととは思えなかった(いや、他人ごとではないのだ)。

分からないことだらけだが、なんとなくだが分かってきたと感じさせてくれる本書である。

ネットで共同作業ができるのに・・・

ネット上で情報を共有したり、共同で何らかの作業に取り組んだり、協議や議論ができるだけではなくて、上手に整理しまとめていくことができる、そんなツールが無料で提供されているのに、牧師の世界ではほとんど使われていない。

理由は簡単。やる気がないのである。

WordPress.comさんのサービスに感謝

WordPressによるブログは扱いやすく手軽に美しいサイトを構築できるので有り難い。自分のサーバーを持っていなくてもWordpress.comさんが無料スペースを提供してくれている。有り難い限り。

このサイトもそう。今になっては当たり前の機能だが、PCでもタブレットでも、スマホでも表示はそれぞれにふさわしく対応してくれる。

これを使わない理由はない。