私にとって、インターネットの歴史は20年です。パソコンに通信機能が加わわりました。そのためにはプロバイダーという機関との契約が必要だということも知りました。最初に契約したのはBiglobeでしたが、なぜそうしたのかすっかり忘れてしまいましたが、すぐにIIJ(インターネットイニシアチブ)に切り替えました。その時以来のお付き合いです。
最初は電話回線を使ってのインターネット接続でしたね。今でも同じかも知れませんが、プロバイダーによって接続に優劣がありましたがIIJは優れていました。そして、インフラが行き渡り、今は、光ファイバー回線、そして、無線LUNという時代を迎えています。IIJさんとの光によるプロバイダー契約は、引っ越しに伴って2年前に途絶えましたが(メールアドレスは継続しています)、IIJMIOの格安SIM契約という形で続いています。
常套句は想像力を奪う
そのIIJを起業したのは鈴木幸一さんという方のようですね。最近、日本経済新聞のWebサイトで、火曜日ごとに、「鈴木幸一氏の経営者ブログ」というコラムが連載?されています。興味深く読ませていただいています。
今日は、選挙権が18歳に引き下げられるに際して、新しいメディアで育った人たちはどにょうな判断基準を持とうとしているのだろうかという問いを投げかけるものでした。そういえば、インターネットが当たり前の時代に育った人たちが18歳、19歳に、20歳になろうとしているのですね。
そのコラムの中で、メディアの「常套句」を告発するという一項目がありました。第一次世界大戦からファシズムの台頭する時代に個人雑誌を発行し、反戦・反ファシズムを貫いた人で、オーストリアの思想家カール・クラウスという人が当時のメディアについて言及し、「またもや、道具がわれわれの手に負えなくなってしまった。」と言い、「新聞記者たちは、人類を、自分自身に対する殲滅戦争を可能とするような想像力の欠如状態へと持っていった。」と語り、メディアの常套句を告発したと言うのです。常套句は人類から想像力を奪う、と。
「常套句」が具体的に何を意味しているのか、これだけでは分かりませんが、認識を共有する言葉ということでしょう。あるいは、なんらかの運動体が用いるスローガンのようなことなのかも知れません。人々の思考を束ねることに力を発揮する言葉です。マス・メディアは、ややもすると、その常套句を伝達するだけの手段となりかねないということでしょうか。インターネットの時代になってメディアの形態が大きく変わったけれども、この問題は如何にと問いかけておられる分けです。
いずれにしても、常套句と想像力は、遺伝と進化、伝統と改革に似たところがあり、私たちの身近なところで課題として横たわっている問題かと思います。インターネット社会が到来して20年、激しい変化の中、その仕組みをプロバイドしてこられた鈴木氏の言葉に興味を持ちました。
余計なことなのですが、このコラム、有料会員でないと全文を読むことができません。なんでだろ?