カール・レーフナー

を名乗るツィートがTwitter上で話題になっています。深井智昭氏が著書「ヴァイマールの聖なる政治精神」(岩波書店、絶版廃版)において捏造されたとされた神学者の名前です。

引用されているレーフラーなる神学者の著書は存在しないのでしょう。それを捏造と言えば捏造ですが、創作とも言えます。

深井氏は存在しない、つまり何の権威も持っていない人物と著書を創作して自書の中に織り込み、その創作物が妙に説得力があったというわけです。近代神学を代表するリッチェルやバルトをニーチェの言説から批判し論じています。それは深井氏の分析であると言えましょう。

事はヴァイマール時代の政治精神と神学との関わりを論じるもので、近代を解く鍵が神学にあるという主張であり、その論述です。その点を見逃してはなりません。

架空のレーフラーとその著作を創作しなくても、堂々と論じれば良かったのに、と思いますが、なぜそうしなかったのか、その答えを深井氏から聞きたいと思いますが、彼のヴァイマールについての評価を必ずしも下げるものではないと思います。

Twitterにカール・レーフラーだけでなくリッチェルやバルトやトレルチも現れてもらって(物足りないないのですがニーチェはすでに存在しています)、思う存分語り合ってもらいたいものだと思います。

頑張れ!神学者。

明日から浜松祭り

恒例の浜松祭り(3ー5日)です。宗教色の薄い「おまつり」です。町内ごとに屋台が繰り出して市の中心部を練り歩きます。ピストンのないラッパを吹きながら練り歩くのが特徴です。おおぜいの人々が見に集まってきます。賑やかな三日間です。

この時期、浜松を脱出する市民もいます。地の中心地に住む人たちは大変なことでしょう。

酒好きの人は町内の集会所で楽しく酒を交わすようです。それぞれの町のハッピを着た男女が行き来しますが、女性の髪はキリッとした祭り仕様でイキでなかなかのものです。

平成の通信簿

東京にいた時、著者にはいろいろお世話になりました。

たくさんのデータを通して、この30年の日本社会の変化を描き出してくれています。今、現在の日本社会をより正確に認識するために役立つ一冊です。

受難節の小さな黙想

牧師のブログに、受難節の小さな黙想と言えば言えなくない小文を載せました。題は「聖書黙想の楽しさ」です。以下にご紹介します。

先週の分区教会交流会の前半は共同聖書黙想でした。聖書箇所はルカによる福音書23章39ー43節が取り上げられ、①進行役の石井牧師によるガイダンス、②個人黙想、③分団での分かち合い、という流れで行われました。
あらためて思わされたのは、一緒にバイブルリーディングに取り組む、聖書を囲む会話の楽しさでした。そこに何が書かれているのか、分かって解らない(解って分からない、かな?)のが聖書ですが、読んで感じたことを紹介しあいながら聖書テキストの不思議さ、あるいは、味わい深さに気づかされていきました。
私の心に最終的に残ったのは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」というイエス様のお言葉です。語りかけられているのはイエス様の隣で十字架に磔になっている犯罪人です。その現実を離れてこの人の今日はないのに、イエス様は「わたしと一緒に楽園にいる。」と仰って、磔刑場と楽園を結んでおられるわけです。この明確な結びつきに気づかされ、イエス様の不思議なお言葉にわたしの心は、謂わば磔られて、離れなくなったのでした。

雑談好きの理由がはっきりした

脳科学者の茂木さんが雑談のことについて書いた短文がtwitterで紹介されていました。

それによると、雑談は知的な営みで、偶有性とネットワーク性があるとのこと。どんなに急ぐ時でも雑談をする余裕が大切であるとのことです。

脳科学者の言っていることなので、正面から向き合って、雑談のことを考え始めました。こういうのを雑考と言うのでしょうか。

確かに雑談は楽しいし、雑談中に何かが閃いたという経験があります。また、直面している課題とは違うことだけれども何らかの関連がありそうな事柄が連想されるということもあります。

逆に雑談が乏しい交わりでは、創造性も乏しいという感じがしています。

雑談をする余裕と知的活動力を保ちたいと思った次第です。雑談が好きな理由もはっきりしました。

ご無沙汰気味です

このところ、教会HPの牧師のブログやFacebook、そして、Twitterへの書き込みが頻繁で、このブログへの書き込みが疎かになっています。

新年なので何か書きたいと思い、書き始めていますがネット、、関連での私の近況を書こうかと思います。

ドコモ光に変更

NTT西日本フレッツからドコモ光に切り替えることにしました。スマホとのセットで代金が少しですが安くなのが理由です。ただそれだけのことですが、その手続きの過程で

自分がどこのプロバイダーと契約していたのかを忘れていたことに気がつきました。so-netだと思い込んでいたのですが、OCNでした。何の不満もないのですが、浮気心が顔を出してきて、この際、Plalaに変更することにしました。

タブレット普及活動

今年の抱負なのですが、高齢者にタブレットに馴染んでもらうようにと考え、教会で皆さんにお勧めしようと考えています。ネットの利用ですね。

PCとなると大げさですが、軽快なタブレットが使いやすいと思うからです。

手始めにtwitter に慣れていただこうと準備を進めています。

twitter、Facebook、教会HPと牧師のブログのコンビネーションで、楽しんでいただけるように素材を揃えていく予定です。

すでに牧師のブログではその取り組みに突入しています。宜しかったら下記をくりっくしてください。


昨日のツイート

下記のようなツイートをしました。珍しく反応があり、💌を押してくださった方々おられました。

看護や介護に携わっていたり、その分野の成長に腐心しておられる方々をtwitter上でよくお見かけします。真面目なツイートを読ませていただいています。

こんなところです。今年も宜しくお願いいたします。

2019はtwitter元年

個人的にはすでにtwitterをはじめて何年目かになります。それなのに、今さら元年とはどういうことかと言うと、教会の交わりのために、また、聖書の言葉を囲む会話(共同聖書黙想)の広がりを目指して本格的にtwitterを用いるという意味です。

私自身は二つのアカウントを持っています。一つは教会の牧師/張田眞用、もう一つは裃を脱いだ/私用です。どちらもそれほどの違いはありませんが、前者はなるべく個人的な趣味や楽しみには触れずにいささか建徳的なツィートを心がけています。また、政治問題には触れないようにしています。後者はざっくばらんに日常的なあれやこれやをつぶやくようにしています。

それに加えて、教会のアカウントを作りました。公開と非公開です。公開のほうは教会の日常に関することや聖書に関することをささやき、誰に読んでいただいても支障のないものとし、非公開は聖書の言葉を囲む教会員の方々の交わりに供されます。後者は、軌道にのるのはまだまだ先のことですが、Twitter利用の目当てはそこにあります。

twitter の良いところ

それは140文字以内でツィートしなければならないことです。短い文章でやり取りすることに尽きます。コンパクトに一事を伝える、余計なことは省かれます。

余計なことを書きたければ、ツィートを重ねるということになります。それが良いです。

そして、それぞれのツィートに、いいねやリツィートで反応することができ、応答が的を射たものとなります。

つづく