雑談好きの理由がはっきりした

脳科学者の茂木さんが雑談のことについて書いた短文がtwitterで紹介されていました。

それによると、雑談は知的な営みで、偶有性とネットワーク性があるとのこと。どんなに急ぐ時でも雑談をする余裕が大切であるとのことです。

脳科学者の言っていることなので、正面から向き合って、雑談のことを考え始めました。こういうのを雑考と言うのでしょうか。

確かに雑談は楽しいし、雑談中に何かが閃いたという経験があります。また、直面している課題とは違うことだけれども何らかの関連がありそうな事柄が連想されるということもあります。

逆に雑談が乏しい交わりでは、創造性も乏しいという感じがしています。

雑談をする余裕と知的活動力を保ちたいと思った次第です。雑談が好きな理由もはっきりしました。

ご無沙汰気味です

このところ、教会HPの牧師のブログやFacebook、そして、Twitterへの書き込みが頻繁で、このブログへの書き込みが疎かになっています。

新年なので何か書きたいと思い、書き始めていますがネット、、関連での私の近況を書こうかと思います。

ドコモ光に変更

NTT西日本フレッツからドコモ光に切り替えることにしました。スマホとのセットで代金が少しですが安くなのが理由です。ただそれだけのことですが、その手続きの過程で

自分がどこのプロバイダーと契約していたのかを忘れていたことに気がつきました。so-netだと思い込んでいたのですが、OCNでした。何の不満もないのですが、浮気心が顔を出してきて、この際、Plalaに変更することにしました。

タブレット普及活動

今年の抱負なのですが、高齢者にタブレットに馴染んでもらうようにと考え、教会で皆さんにお勧めしようと考えています。ネットの利用ですね。

PCとなると大げさですが、軽快なタブレットが使いやすいと思うからです。

手始めにtwitter に慣れていただこうと準備を進めています。

twitter、Facebook、教会HPと牧師のブログのコンビネーションで、楽しんでいただけるように素材を揃えていく予定です。

すでに牧師のブログではその取り組みに突入しています。宜しかったら下記をくりっくしてください。


昨日のツイート

下記のようなツイートをしました。珍しく反応があり、💌を押してくださった方々おられました。

看護や介護に携わっていたり、その分野の成長に腐心しておられる方々をtwitter上でよくお見かけします。真面目なツイートを読ませていただいています。

こんなところです。今年も宜しくお願いいたします。

2019はtwitter元年

個人的にはすでにtwitterをはじめて何年目かになります。それなのに、今さら元年とはどういうことかと言うと、教会の交わりのために、また、聖書の言葉を囲む会話(共同聖書黙想)の広がりを目指して本格的にtwitterを用いるという意味です。

私自身は二つのアカウントを持っています。一つは教会の牧師/張田眞用、もう一つは裃を脱いだ/私用です。どちらもそれほどの違いはありませんが、前者はなるべく個人的な趣味や楽しみには触れずにいささか建徳的なツィートを心がけています。また、政治問題には触れないようにしています。後者はざっくばらんに日常的なあれやこれやをつぶやくようにしています。

それに加えて、教会のアカウントを作りました。公開と非公開です。公開のほうは教会の日常に関することや聖書に関することをささやき、誰に読んでいただいても支障のないものとし、非公開は聖書の言葉を囲む教会員の方々の交わりに供されます。後者は、軌道にのるのはまだまだ先のことですが、Twitter利用の目当てはそこにあります。

twitter の良いところ

それは140文字以内でツィートしなければならないことです。短い文章でやり取りすることに尽きます。コンパクトに一事を伝える、余計なことは省かれます。

余計なことを書きたければ、ツィートを重ねるということになります。それが良いです。

そして、それぞれのツィートに、いいねやリツィートで反応することができ、応答が的を射たものとなります。

つづく


タブレット教室

タブレットの使い方に慣れていただきたいと願って、教会の方々に手ほどきをさせていただこうかと思っています。

私自身がそうなのですが、病気をしたり高齢になると自由に外出することが困難になり、教会を含めて社会的な交わりが狭く小さくなりがちです。

また、教会から遠く離れて居住しておられる方もいらっします。

将来、そのような環境に身を置くようになる可能性は誰にでもあります。そこで、今までは、牧師や信徒が訪問したり、電話をかけたり、手紙をお出しして結びつきを維持してきました。そのような手立てに加えて、すでにインターネットが普及していますから礼拝の様子を動画で配信したり、ネット会議のように集会に参加していただいたり、その他の方法でさまざまな仕方で交わりを持つことが可能になっています。

問題は、そのためのツールを使いこなせることが必要になります。かつてはパソコンということでしたがいささか仰々しく、使い方も難しく厄介な面も持ち合わせていましたし、使用する場所が限定されてしまいました。リビングで台所でベットでというわけにはいきませんでしたが、たった一枚の板で構成されているタブレットが普及してきて持ち運ぶことができるし、どこにいてもインターネットに繋がるようになりました。

例えば私は身体が不自由でなるべく負担の少ない姿勢を維持することが肝要です。パソコンも持っていますが、その前に座って作業するにはタイミングや時間の長さに制限があります。しかし、タブレットを利用して机やソファーに座っていても、ベッドに寝ていてもいつでもインターネットに繋がることだできています。一番楽な姿勢でできるので、負担が軽減されています。

何をするかと言うと、たいしたことはしませんが、メールの読み書き、ブログに書き込みこと(今まさにそれをしています)、SNSで多くの人との繋がりを得たり(音声ですることもあります)、原稿書きやkindleなどで本を読んだりしています。調べものもします。ということで、パソコンでする作業の90パーセント以上はタブレットでそれほど疲れることなく行うことができています。

タブレットとインターネットで教会に集いにくい方々に教会生活に出来る限り繋がっていて欲しいと願っています。そのためにタブレット教室を始めたいと考えています。

Gutenberg エディターにようこそ

Gutenberg を試してみよう

この新しいエディターのゴールは、WordPress へのリッチコンテンツの追加をシンプルで楽しくすることです。この投稿全体がコンテンツのパーツ—LEGO ブロックのようなもの—により構成されており、動かしたり操作できるようになっています。カーソルを動かすと、様々なブロックが枠線と矢印とともにフォーカスされます。矢印を押すとブロックをすばやく並び替えることができ、コピー & ペーストしているうちに内容が消えてしまう恐れがありません。

現在ご覧いただいているのがテキストブロックで、すべてのブロックのうち一番基本のブロックです。テキストブロックは、投稿内を自由に移動できる独自のコントロールがついています。

…例えば、右揃えのこれのようなものです。

見出しは別ブロックとなっており、コンテンツのアウトラインと構成に役立ちます。

百聞は一画像にしかず

画像とメディア取り扱いへの高い気遣いは、新しいエディターのメインフォーカスです。キャプションを追加したり、全幅にするのがより簡単で協力になっているのにお気づきいただけるでしょう。

美しい風景
テーマでサポートされていれば、画像ツールバーに「幅広」ボタンが表示されます。お試しください。

キャプションを選択、削除、編集してみてください。画像や他のテキストを間違って選択して、表示を台無しにしないよう気を使わずに済むようになりました。

「挿入」ツール

WordPress ができるすべてのことが、すばやく、同じ場所・インターフェイスで可能であると想像してみてください。HTML タグやクラスを理解したり、複雑なショートコード構文を覚える必要はありません。これこそが「挿入」ツール—エディター中にある (+) ボタン—の真髄で、すべての利用可能なコンテンツブロックを閲覧し、投稿に追加することができます。プラグインとテーマは独自のブロックを登録することができ、リッチな編集や公開の可能性を広げます。

お試しいただくと、WordPress が投稿に追加可能でありながら、ご存知ではなかったものを見つけていただけるでしょう、以下はこの投稿が使用しているブロックの簡単なリストです。

  • テキストと見出し
  • 画像と動画
  • ギャラリー
  • YouTube、ツイート、他の WordPress 投稿などの埋め込み。
  • ボタンやヒーロー画像、区切りなどのレイアウトブロック。
  • もちろん、このようなリストも ^^

ビジュアル編集

ブロックの大きな利点は、それぞれの場所で編集し、コンテンツを直接操作できることです。引用ソースやボタン内テキストなどを編集するためのフィールドを持つのではなく、コンテンツを直接変更できます。以下の引用を編集してみてください:

このエディターは、リッチな投稿や固定ページの作成を簡単にする、新しい執筆体験を生み出そうとしています。また「ブロック」によって、現在はショートコード、カスタム HTML、外部埋め込みコード自動ディスカバリー機能が実現していることをより簡単にします。

マット・マレンウェッグ、2017

引用の​​ソースに対応する情報は、画像下のキャプションに似た別のテキストフィールドです。このため、ソースを選択、変更、または削除しても、引用自体の​​構造は保護されます。いつでも簡単に戻すことができます。

ブロックは、必要なもの何でもかまいません。たとえば、テキスト構成の一部として目立たない引用符を追加してもよいでしょう。または、巨大で装飾的なものを表示させることもできます。これらのオプションはすべて挿入ツール内で利用できます。

サイドバーのブロックインスペクターでスライダーをドラッグすると、ギャラリーのカラム数を変更できます。

メディア重視

新しい幅広全幅配置をギャラリーと組み合わせると、非常にメディアリッチなレイアウトをすばやく作成できます。

アクセシビリティは重要です — 画像の Alt 属性をお忘れなく。

全幅画像はかなり大きくなる場合もありますが、画像によってはそうする価値があることもあります。

上は2つの画像のみのギャラリーです。フロート調整を行うことなく、魅力的な見た目のレイアウトを簡単に作成することができます。またブロックを切り替えて、ギャラリーを個別の画像へ簡単に戻すこともできます。

あらゆるブロックでこれらの配置を選択できます。埋め込みブロックでも利用でき、ボックス外でもレスポンシブ対応しています:

静的または動的、装飾的またはプレーンなものなど、お好みのブロックを構築できます。こちらがプルクオートブロックです。

Code is poetry

WordPress コミュニティ

追加ブロックを作成する方法を学んだり、プロジェクトに協力したりすることに興味がある場合は、GitHubリポジトリへ移動してください。


Gutenberg をテストしていただき、ありがとうございます !

👋

Twitter の勧めを、お年寄りに

お年寄りの方々へ、私も年寄りですが、Twitterでのツィートの勧め。をしたいな、と思っています。理由は、楽しく愉快に日々を過ごすためにです。

Twitterでは日々の思いや記憶を記録し(日記のように)、それを表現して、関心を同じくする人たちとの緩やかなつながりを得ることができます。これは若い人たちの専売(購買)特許ではありません。お年寄りにとってこそ、有用なものだと思います。
(以下に、twitterしている人にとっては当たり前のことですが、参考にtwitterの楽しみの一例を書きます。)

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涵養

哲学者の國分功一郎さんの朝日新聞への寄稿の中に「人物の涵養」という表現を見出しました。以下、引用です。

民主主義における平等にはもう一つ別の側面がある。平等に与えられた権利にふさわしくあるよう、自らの言葉や考えを鍛え上げることが期待されるという側面である。アレント(注:ハンナ・アレント、現代ドイツの哲学者)は古代ギリシアの民主政を参照しながら平等と同等を区別し、後者の重要性を強調した(『活動的生』)。民主主義は民衆に、政治参加の権利を行使するにふさわしい水準の者どもと同等の存在になろうとすることを求める。だから民主主義社会では、教育による人物の涵養(かんよう)や報道による情報提供の必要性を誰も否定しない。

民主主義が成り立つためには、教育によってそれに参与するに相応しい人物を育むことと、良質な情報の提供が不可欠であると述べておられるわけです。

私は、「人物の涵養」という言い回しにここで初めて出会いました。もちろん、「霊性の涵養」という言い回しには馴染みがありました。それはキリスト教的背景のもとで語られていることです。「霊性」とは私の理解では、絶対他者である神による義と愛と平和によるご支配(すなわち神の国)を待望しつつ、それに向かって身を向け、かつ持続的にそこに向かい、牽引することができる気質のことです。

いずれにしても、それが培われるには雨が土の中に染み込んで、長い年月を経て帯水層を成すように(それが涵養という意味ですね)、長い年月を要する育みによるということです。その育みは良き伝統を継承し、さらに伝統を形成し続けようとする社会があってのことでありましょう。現代社会のように、経済中心で、移り変わりの激しい消費社会においては不可能なことなのかも知れません。民主主義の危機ということが言われているとすれば、そのあたりのことに深層があるのかも知れません。

ご老人にタブレットやスマホを

昨年、5ヶ月以上入院し、退院後、自由に外に出て歩き回ることができない身です。どうしても、情報を得、あるいは他の人と交流するのはインターネットを通してということになります。

そこで、最近はまっているのがSNSです。FacebookやTwitterですね。Facebookは親しい人たちとの交流のために有用ですがTwitterでは、使い方つぶやき方を身につけると見知らぬ人との思いがけない出会いや、有用な種々な情報を得ることができます。

私はおもにiPadを使っています。自分の好きな時間にできるので都合が良いです。きっと歳をとっても、いつまでも、SNSを続けると思います。もし、再び入院することになった時には、できたらwifi環境が整っている病院にお世話になりたいです。

もちろん、今の時代ですから無線通信が手軽に利用できるので、どこにいても大丈夫ですが。

で、私はお年寄りに、また、お年寄り候補の方々に、タブレットでインターネットに親しむようにお勧めします。スマホでも良いですが、液晶画面が小さいでしょ。

 

嫌な知らせ

友達から聖路加国際病院で起きた事件について知らせがありました。嫌な出来事です。

一部報道によると病院職員で牧師が引き起こしたとのこと。そして、その牧師は私と同じ日本キリスト教団に所属と言われている。

調べてみたら、正確には無任所教師という身分で、現在は教会での務めにはあたっていない、無所属の教師ということです。牧師という呼称は日本キリスト教団では教会に仕えている担任教師を指していますので、この人は牧師ではありません。世間一般には牧師ということになるのでしょう。

肩書きということでいうと、この方はカタカナ表記の派手で意味不明の肩書きを自称しておられます。スピリチュアルケア・スーパーヴァイザーというのがその一つです。ベッドサイド・カウンセリング(これは内容が良く分かります)というのは聞いたことがありますが、スピリチュアルケアは新しい言葉のように思われます。いっときスピリチュアリティーという語がもてはやされたので、それに関連して生まれたものでしょう。しかし、スピリチュアリティーという語は明確な定義がなされていないのが現状です。スピリチュアルというとなんとなく通じるように思われるかもしれませんが、曖昧な言葉です。しかも、大きな大げさな表現ですがスーパーヴァイザーという身分が何を指すのか分かりません。

わたしには詐欺的と感じられます。誇大広告です。

嫌な事件です。事実関係が明確になって、私たちの教団は自浄作用を高めねばならないと思います。

リハビリ雑感

脳出血により病院に運んでいただいて一年3ヶ月が過ぎました。

出血が一応治り、安定するまでの期間を除いて、本格的にリハビリを受けるようになって1年2ヶ月、リハビリテーション病院を退院して10ヶ月がたちました。

入院時には左半身が見事に麻痺して左は感覚もなく、もちろん脚も腕も自ら動かすことができませんでした。リハビリの先生に身を委ねて、そんな状態からリハビリを受け始め、そのうちに、体を支えていただいてベットから車椅子への移乗ができるようになり、そして、左脚に装具をつけて平行棒を頼りに立ち、右足が丈夫だったのでそれを支えとして、見守りのもとベッドから車椅子に(自分でというのは大げさですが)まあ自分で移乗することができるようになりました。また、平行棒の間を数歩脚を前に進めることもできるようになりました。こんな感じです。

平行棒の右側のバーを右手でガッチリと 掴み、それが安全棒となって、右脚を半歩前に出します。そしてその右脚に体重を乗せると、左脚が振り子の原理で前に出ます。その左脚と平行棒ほんの少し体重を移動して、右手で平行棒を掴んでそれを頼りに右脚を浮かせて平行棒を

つづく

 

忍耐とはギ語で大きな心と綴ります

PCやタブレットで文字を打ち込むことに随分慣れてきました。打ち間違いも少なくなってきました。(打ち間違いが多かったのは明らかに病気のせいです。病気をする前も誤字脱字が多かったかな??)ですが急いで作業をしたいと思うと、両手ブラインドタッチで打っていた時代を思い出して、ストレスを感じ、イライラすることがあります。しかし、焦ってはいけません。全てのことでそうなのですが、少しづつ少しづつと言い聞かせて前に進むようにしています。たぶん、病気をする前に比べて忍耐力が養われていると思います。そして、じわじわっと希望というか、さらに忍耐して大切なことを積み重ねていこうという思いがふくらんできます。ちょっと嬉しい経験です。・・・・・お腹は膨らみませんよ。

iPadで音声入力

音声入力のテスト中です。なかなか調子がいいです。これは楽ですね。こんなにスムーズに文章を音声で綴ることができるとは思いませんでした。大いに使っていきたいと思います。それにしてもiPadの進化には驚きます。

3時間かかる

昨日車椅子を押してもらって、家内のスマホを機種変するために近くのドコモショップへ。

親切に対応してもらったが、3時間かかった。ちょっと長すぎた。正直疲れてしまった。今日は午前中に昨年入院したリハビリテーション病院で定期の受診。午後訪問リハビリを受けたが疲れが残っていて、辛かった。直後に爆睡。

こうやって少しずつ体力がついていくのだと思う。

毛づくろい

Twitterでフォローしている勝間さんのブログを書く理由です。「サル山のサルの毛づくろいのようなもの」は面白い。人間社会では「毛づくろい」が失われてしまって挨拶もしない社会になって、閉塞していないか、と考えさせられました。個人情報が知られないようと神経を使い、そうすることで個人を守らないといけないと思い込んでいる。殺伐とした社会に生きているのだから、と。「毛づくろい」などあり得ない。しかし、本当のところはそれを必要としているのではないだろうか。殺伐とした社会を助長していないか、少し考えて見なければならないと思う。

センチメンタル?サクラメンタル?

29日は「サクラメンタル・ジャーニー」という説教題にしました。

「センチメンタル・ジャーニー」を捩りました。同名の歌を松本伊代さんが歌ったり、同じくリンゴ・スターの曲名にも採用されて親しまれています。おおよそ旅は感傷的なものですが、元々は英国の作家

ローレンス・スターンという英国国教会の牧師が綴って、1768年に出版された紀行文の書名『センチメンタル・ジャーニー』(A Sentimental Journey)によって広く親しまれるようになりました。このローレンス・スターンを彼の代表作から影響を受けた夏目漱石が日本に最初に紹介しています。紀行文センチメンタル・ジャーニーは静養を兼ねた大陸旅行の体験から生まれた作品です。著者は結核を患っていたのです。そして、大陸旅行は人生の最後の旅となりました。その後、病状が悪化、同年3月ロンドンで没したと言われています。牧師の綴った人生最期の紀行文なので読んで見たいと思うのですが、日本語で読めるのかどうかわかりません。

さて、わたくし達には一つの旅路が始まっています。サクラメンタル・ジャーニーです。それは、神の不思議な御手に導かれる御国への旅路で、私たちの人生の導きとなっており、救いを辿って行く旅です。

 

二枚舌?

このところ歯の治療をしています。

先日、大きく口を開けて奥歯の治療を受けていたのですが、歯科医の先生が

「張田さんは舌が大きいから治療しにくいわ」と言われるので、

「私の舌は二枚あるでしょうか。」と訊ねると、

「そうね、うーん、三枚かしら」とのお返事をいただきました。

 

 

信仰者の葛藤とその目覚め

15) ὁ γὰρ κατεργάζομαι οὐ γινώσκω· οὐ γὰρ ὃ θέλω τοῦτο πράσσω, ἀλλ’ ὃ μισῶ τοῦτο ποιῶ.

ローマの信徒への手紙7章を読み直す

7章にはある「葛藤」が描かれています。たとえばこうです。15節です。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。」神の良き律法を行うことができないで葛藤している様子が語られています。

印象深い言葉ですが、この言葉を含む7章の解釈について、古来、決着していない議論、論争があります。2つあるいは3つのことを焦点として論じられています。一つは、ここに描かれている葛藤は、いったいパウロの個人的な経験なのかそうでないのかです。その場合、2つ目のことになりますが、この葛藤は回心以前の人間のことなのか回心後のことなのかです。そしてもう一つは、そもそもこの葛藤とはいかなる事態なのかということです。分かりにくいのですが、今は三のことに焦点を当てて読み直してみたいと思います。

読み直すきっかけとなったのはある書物を通して動詞の態の一つである中動態についての関心を喚起されたからでした。中動態と言うのは今は失われていますが古典ギリシャ語や聖書のギリシャ語に存在していた動詞の性質に関する文法上の説明の仕方の一つです。よく知られているものに能動activeと受動passiveとがあります。説明は不必要でしょう。ところがそのいずれでもない中動middleという性質を持った動詞の形態があったのでした。文法という文章の仕分けの仕方が編み出された時、そう呼ばれるようになりました。近代人には捉えがたいのですが、能動でも受動でもない別のもう一つの動詞の形態です。
私たちは能動ー受動という対立(対称)の図式で物事を考えることにすっかいなれ親しみ、意志や主体性、そして責任という観点から自分も含めて人間の行為をとらえようとしていますが、それとは別の言語の世界、捉え方がその昔にはあったのでした。それが中動と呼ばれる世界です。
ところで、ギリシャ語は語の語尾の変化によって能動であるか受動であるか中動であるかが示されます。そして中動の語尾変化は受動態に似ています。能動とははっきりと異なっています。ところがその意味は能動である、と一般に説明されます。分かって分からない説明ですが、それを真に受けて普通は能動の動作として翻訳されるのです。
ところが、この中動態と格闘し、それが何かを探求し、中動態の世界に案内しようとしてくれている哲学者が現れました。國分功一郎という人です。著作は「中動態の世界ー意志と責任の考古学ー」です。『医学書院』と言うところから発行されています。それは、依存症からの回復と取り組んでいる人たちとの関わりから生まれた著作であることを物語っています。後書きでこう記しておられます。「私はそこで依存症の話を詳しくうかがいながら、抽象的な言葉では知っていた『近代的主体』の諸問題がまさしく生きられている様を目撃したような気がしたのだと思う。『責任』や『意志』を持ち出しても、いや、それらを持ち出すからこそどうにもなくなっている悩みや苦しみがそこにあった。」

私の読解力の乏しさがおもな理由であるが、まだ腑に落ちないところもある。けれども、興味深く読ませていただいた。
思い出してローマの信徒への手紙7章15節をひらいてみると、やはり「私がしていること」と訳されている語は中動態であった。中動態で言い表される他に言いようがない事態がここに表現されているように思われます。

今日はここまでです。続きは後の日に。

15) ὁ γὰρ κατεργάζομαι οὐ γινώσκω· οὐ γὰρ ὃ θέλω τοῦτο πράσσω, ἀλλ’ ὃ μισῶ τοῦτο ποιῶ.

もがいていた貴重な時代4その2

もがいていた時代に何をしたか。説教のための学びと共同の研鑽をしました。今回は、その話の2です。
2、同僚の牧師たちと毎週同じテキストで説教をするようにして、一緒に説教準備のための黙想をするようにしました。これが今回のお話です。

当時、大阪の豊中にいました。近くの箕面というところに同年輩のS牧師が、少し離れていますが茨木で担任教師をしていたN伝道師がいました。発端を忘れてしまいましたが、3人で毎週木曜日の夜に集まって説教の準備として黙想をするようになりました。時間は早くて午後8時くらいから遅くなると午前2時くらいまででした。会場は茨木教会の伝道師館です。建て直した直後で、立派な住宅、快適に黙想会をすることができました。
大阪というところは面積が狭いので、交通量の少なくなる夜は、短い時間で行き来できます。私が箕面のS牧師を迎えに行き、茨木まで出向いたのでした。その車の中での会話について思い出があるのですが、後日にということにします。
黙想会で、何をしたかというと、まずギリシャ語テキストを開いてしばらく黙読をします。次に、テキストを巡って自由に話し合います。基本的にはそれで終了です。テキスト黙読が30分くらいだったでしょうか。黙読といってもテキストを眺めるということです。その後の話し合いは、たいがいS牧師が口火を切りますが、3人で一緒に一つのテキストを覗き込む、ことになります。テキストの個性に気づき、共通の認識を持つようになります。解釈が困難なことにぶつかると、N伝道師がおもむろに厚いドイツ語注解書を開きここにはこう書いてあると紹介してくれます。ピンとこないこともありましたが(簡便に利用できるような注解書はありませんよね。)そそれなりに参考になりました(窓を開けて外の空気に触れるというような感じですね。)。そうしているうちに自然に黙想が深まって(広がって)いきます。テキストをめぐって、さらに、それに触発されて教会のこと、人間や社会のことなどが話題に上がります。そしてテキストに戻ってきて、神学的霊的(当時は霊的という自覚はありませんでしたが)な事柄へと移り、書物を通して知ることのできていた説教者や神学者や文学者、哲学者の言葉(表現)などが思い出されては披瀝されます。この一連の黙想ではS牧師が大いに賜物を発揮してくれました。そして、N伝道師の聖書学の関心からの発言などが加わり、やりとりが続いていきました。私はというと二人の話をじっと聞くという役割り?でした。
ここで開いて黙想をしたテキストで、三人はそれぞれの教会で説教したのです。ですから、時にはその録音を持ち寄り、説教批評会をすることもありました。
4年間続いたでしょうか。この黙想会を通して教えられたことは多々ありました。貴重な経験でした。それらのことについては後日、少しづつご紹介したいと思います。
続く

ハイム・ラビン著「ヘブライ語小史」紹介の続き 4章の3

第4章その3

ここでは、バビロン捕囚と捕囚民のユダヤへの帰還、エルサレム再建の時代に至る推移が論じられています。

古典ヘブライ語は前586年にエルサレムが滅亡するまでの400年間用いられました。この間、都エルサレムにおいてさえ話し言葉には変化が見られたであろう。しかし、書き言葉は、文法と語彙の重要なものはほとんどそのままで、文体だけが変化した。これは古典ヘブライ語が教育によって習得された文章語であり、主に社会的エリートが有用に用いたということを意味しています。当時は、書簡や書物は実際にはその著者によって書かれたのではなく、文字と共に書き言葉を習得していた専門の書記生によって書かれたのであった。これら書記生は、できうる限り厳格に言葉の基準を維持することに意を尽くした。なぜならば、話し言葉と書き言葉の距離が大きくなればなるほど、かれらの立場がより有利になるからである。つまり話し言葉と書き言葉に乖離が生じていったと、ラビンは考えています。
そして、ネブカドネツァルによるエルサレム破壊とバビロン捕囚によって大きな変化がもたらされました。ネブカドネツァルは祭司、書記官、職人たちを、すなわち書き言葉の担い手たちをバビロニアに移送させ、ユダヤに残ったのは「ぶどう酒を育てる者と農夫」(列王記下25:12)、すなわち村民だけであった。そのため、ユダヤでは、ヘブライ語が話されてはいたが、古典の文章語を引き続き育成する者が一人もいなくなった。
捕囚は70年続いた。この期間に捕囚の民は彼らのまわりの言語を話すことをまなんだ。当時のバビロニアの話し言葉はアラム語であった。他方書き言葉は古代のバビロニア語(アッカド語)で書かれて伝達されるものもの(公文書のようなもの)だけが用いられていた。
前539年ペルシャの王キュロスがバビロニア帝国を征服した。彼はすぐに公式な記録にバビロニア語の使用を禁じ、その代わりにもっとやさしいアラム語を代用させた。またペルシャの王たちはバビロニアの支配を受けずにペルシャ帝国の支配に置かれた地域にもアラム語を広めた。このようにして、アラム語はインドからヌピア(現北部スーダン、エステル1:1)にいたる広大な地域における伝達文書の言語にもなった。アラム語による碑文がインドでものこされている。前272年に全インドの支配者となったアショカ王が北西インドに建てた碑文である。その他に、アスワン近隣のイェブ(エレファンティネ)からアラム語で書かれた膨大な数の書簡や契約書が出土している。これらは、ヌピアの国境の近くに、ペルシャ人によって配置されていたユダヤ人駐屯軍からはっせられていたものである。それらはヘブライ語語法の影響がみられるが、すべてアラム語で書かれている。
これらのことから、キュロス王の勧めで帰還した捕囚民が、私的にも公的にもアラム語を使用する習慣を持ち帰ったと考えられる。彼らを見張るために、公務でのアラム語使用をペルシャ当局が要求したであろう。それ故、ネヘミヤ記8章8節には、書記官エズラが水門の傍にある広場で律法の書を民の前で読んだ時、「彼らは神の律法の書を翻訳して(メフォラシュmephorash)解説を加え、朗読箇所の[意味を]理解させた」と記されている。「理解させた」とはレビ人たちが人々に与えた説明のことであり、「翻訳して」とは聖書がアラム語に訳されたことを意味している。ちなみに聖書のアラム語訳は「タルグム」と表されている。この翻訳は聖書のヘブライ語を理解することのできなかった帰還したばかりの捕囚民にとって必要なことであった。同時にペルシャ当局への公式声明という目的もあったと思われる。

FaceBookに投稿したこと『暇と退屈」

暇を持て余しているというわけではありませんが、なすべきことが多々あるにもかかわらず、身体的に対応できることが少なく、結果として暇をもてあます状態にあります。そのぶん、頭を使うこと(頭の中だけでの動き)が多くなってきました。もちろん、快適に動くわけではありませんが。
退それで、退屈の感じ方が変わってきました。身体を動かしてなすべき作業をこなすことが次々と求められると、動きの鈍い頭ですから働かせることがままならず、退屈に思えてくるようです。
普通、退屈と思われるような状態が、わたしには退屈ではない状態となっているようです。もしかしたら、哲学者や詩人になるかもしれません?

 

もがいていた貴重な時代、 その2

もがく時代に、何をしたか。同じようにもがいている友を得ました。その話をします。
あるとき、伝道所で会計をしてくださっていた70代の役員がご夫妻で礼拝に来られなくなりました。それまでは日曜日には朝7時には来られて、庭の花壇の手入れをしてくださっていました。きちっと会計の務めをなさり、きっちりした方でした。それだけに、少し人に厳しいところもおありでした。
牧師に対しても同様、いや牧師だからこそ、厳しさを求めておられたと思います。朝早く伝道所に来られて花壇の世話をなさる、そのおりおりにその厳しさが感じとられるのでした。
何か仰りたいことがあったのでしょう。その頃、二階の一部増設の話が出ていました。伝道所の会員にとっては、少人数で伝道所の財政を支えるのは、大きな教会(親教会)の会員には分からない苦労が伴いました。ことに会計には重圧がかかっていたことでしょう。その上に増築の話ですから、重圧はさらに大きくなりましょう。私と言えば、次回にお話ししますが、牧師として、説教者として非力でしたし、ご存知のように、よく言えば温厚、悪く言うといい加減ですから、伝道所の皆さんには苦労をかけていたのでした。
そのような状況のもとで、この会計役員は心が折れてしまったのです。牧師に躓いたということもおっしゃっておられました。
小さな伝道所です。奥様と二人が礼拝に来られなくなるのは大きな痛手でした。さすがの私も悩みました。どうしたら良いだろうかと、落ち込んでいた時、近くで伝道・牧会している関西学院出身のI牧師(私よりも3、4歳上の方ですが、訪ねて来られたのでした。この先生とは当時、大阪教会を会場に毎月行われていた牧会研究会や会場持ち回りのバルト研究会で一緒でしたので親しくしてもらっていました。その時、思い切って正直に実情を話して、どうしたら良いだろうかと相談しました。すると、すぐに返ってきた言葉が「僕にも同じような経験があるよ」でした。何か同志を得たという思いになりました。そして、アドバイスを二つくれました。
一つは、この問題の処置を役員会に委ねてみたらどうかということでした。役員全員が一人ずつ会計役員から話を聞いてきてもらい、どうしたら良いかを話し合ってもらう、というのが具体的なサジェスチョンでした。二つは、その時に、牧師はぜったい嘘を言ってはだめだよ、でした。自分を擁護しようとしてはならない、まな板の鯉になるようにということだと理解しました。
そのようにしました。1ヶ月かけて役員が会計役員夫妻を訪ねて、話を聞いてきてくださいました。何をお聞きになったかは、詳しくは承知しておりません。そして役員会が開かれました。静かな役員会でした。役員それぞれの感想をお持ちで、短い言葉でそれを披瀝しあって、今後、伝道所の歩みをどうしていけば良いかを話しあってくださったのでした。結論は、非力で頼りない牧師ではあるが(そうは仰らなかったですが、共通認識であったと思います)、牧師を支えつつ伝道所の形成、伝道に力を尽くして行こうということでありました。
思いがけないことでしたが、この事を通していっそう役員会形成がなされて、伝道所の歩みが強められたのでした。
役員会に委ねるということは牧師にとっては容易なことではありませんが、それは必要なことだったのです。牧師は嘘を言ってはならない、は今も肝に命じている言葉となっています。相変わらず非力で不十分な牧師であることにかわりはありませんが。
そして、I牧師は同じようにもがいている友となりました。
もがき、強がることもできない時に、友を見出したのでした。
I牧師の他、何人もの友を与えられた時代でした。

続く

老健施設でショートステイ

1月16−18日、聖隷福祉事業団のベテルホームで2泊3日のホームステイをさせていただいた。家内の休暇のためである。

なぜベテルホームでかと言うとケアマネージャーがそこではリハビリをしてくれますよと言って勧めてくれたからである。

所長先生のあたたかい配慮により、熱心なリハビリを受けることができた。お陰で、右足が筋肉痛になり、久し振りの大いなる疲労感を味わっている。夜は死んだように眠った。

ただし、イビキは生きていたが。

 

街頭給食

病気のためか、年齢のせいかよくわかりませんが、若い頃のことを懐かしく思い出しすことが多くなりました。今年もYさんから年賀状をいただいたのをきっかけに年末年始の街頭給食のことを思い出しました。

今で言うホームレスの方々への食事のサービスです。小学生の頃は父母に連れられて給食を用意する調理ボランティアに、神学生時代は上野公園や山谷あたりでの給食ボランティアに行きました。Yさんは大変有名な法律家のお嬢さんですが、若い頃によくそのボランティアをなさったようです。

そういえば年末年始の無料宿ボランティアもありました。時代が随分変わったので、今はどうなっているのか知りませんが、40年ほど前は日雇いの労働者の方々が年末年始を暖かく過ごすところがなく、行政も十分に対応できていなかったので民間のボランティア団体がサービスを代行していました。

ある時、騒動がありました。利用者の方々が食事のことで不満を感じて騒動になりました。食事が食事になっていない、と言う不満です。味や量のことではなく、メニューの仕様に関することです。当時の利用者の方々の常識では、白いお米と、メインのおかず、例えば焼き魚とか肉料理ですね。それと汁物、その3点がしっかりと顔を揃えていなければ食事とはみなされ無かったのでした。カレーやチャーハンのようなものがメインになるとその3点がぼやけます。作る方は簡単なのでついついそうなってしまっていたのでしょう。騒動はすぐに収まりましたが、その時、厨房を請け負っていた人たちの不正が表に出ました。材料費を低く抑えて、差額を懐に入れていたのでした。

このような年末年始のボランティアを経験して、ホームレスの方々の生活をほんの少しですが、知るようになりました。

その経験は前任地の六本木におられるホームレスの方々とのほんのわずかな接触でしたが、そのときに役立ちました。

 

 

 

2017年は

5ヶ月と10日、入院していました。

4月25日に発症した脳出血による左半身麻痺は重く、退院した今も障害が残っています。幸い、生命は、そして右半身と言語の機能が残されており、不自由ではありますがいっちょ前?の生活ができるようになっています。「2018は」に続く。