フラワーパークのイルミネーション

初めてです。ニュースを見ていて知りました。池を中心に、温室を含めて、のんびりとグルッと一周して1時間ほどでしょうか。入場料は500円、それにはお買い物券500円分が付いているので、ショップとレストランで使うことができます。どうぞ、いらしてください。

ちなみに、このとき使ったカメラはNikon Df+24-85mmVRです。光を良くとらえます、このカメラは。そう思います。

「聖書学より聖書のほうが大切だ」

神学大学の同級生で、ここ数年、よく電話をくれる友だちがいます。嘆きとぼやきの電話です。いや、失礼。キリスト教界を憂いて、鼓舞する電話です。

若い頃からリベラルな人だったと思うのですが、そして、教団政治でも違う立場でしたが、先日、受話器の先で「聖書学より聖書のほうが大切だ」と力を込めて話していました。聖書の歴史研究を中途半端に取り入れて、あるイデオロギー(解放思想)に傾く一部の人々(彼の周囲にはそういう人が多いようだ)に対する批判です。ほんとうのリベラルはそんなものではない、ということなのでしょう。

聖書学より聖書のほうが大切だ、というのはその通りだと思うのです。わざわざそう言わなければならない現実があるのは、日本では聖書と伝統に根ざして教会(共同体)を形成することが稀薄であったことに由来するのでしょう。そして、世の中の風潮や思想に教会が、私たちが考えている以上に、飲み込まれてしまっているのかもしれません。

漁人碼頭に

少し時間がとれたので淡水川の河口、漁人碼頭に行ってみました。台北からMRTで淡水へ、45分くらいでしょうか、そこから高速艇で10分ほどのところにあります。

情人橋(恋人橋)と呼ばれる白い綺麗な橋が印象的な漁港で、観光地として整備されています。

夕焼けの美しいところだそうですが、眺める時間はありません。残念。

 

LCCを初体験

台湾に用事がありLCCのPeachAirを利用しました。朝5時50分羽田発、帰りは、夜中0時40分桃園発でした。体力的には厳しかったですが、夜中のフライトですから時間的には無駄がなく、便利でした。

なるほど、これがLCC なのだと初体験できました。座席は膝先が狭いのが気になりましたが、シートそのものは革張りで快適でした。機内サービスはありませんが、ずっと寝ている私にはあってもなくても関係ありません。床のカーペットの薄さに納得しました。行きも帰りも満席、感心しました。

スマホ、機種を変えました

少し不便なところが出てきたのでスマホを新しくしました。Xperiaの最新版で発売日に購入です。

スピード感が違います。早いです。液晶のキーボドが打ちやすく感じます。なぜでしょう。文字盤が大きくなったわけではないのです。不思議です。そうそう、バッテリーが長持ちします。感激。

ついでに契約内容もかけ放題に変更しました。機種変の費用は、契約年数による特典やポイントなどがあり、月々500円ほど2年間で分割となりました。安いのか高いのか分かりませんが、サービスショップでお金を支払わないで手続きができたのは初めてでした。

撮り鉄に

今、テレビをつけたら、「マツコ&有吉の怒り新党」をやっていました。その中の1コーナーで、な、なんとかつて大洋ホエールズで活躍した屋敷要氏の、撮り鉄としての今を紹介していたのでした。

NikonのたぶんDX一眼レフカメラです。高倍率ズームをつけて撮影スポットを移動しながら走る蒸気機関車を撮っているではありませんか。煙と蒸気をはきながら走る機関車を、風景の中に捉えるというのがコンセプトのようです。ハイアマチュアのレベルですね。立派です。そして、楽しそうでした。

わたしも写真を老後の趣味にしようと16年前からデジタルカメラで写すようになりました。たわいのない写真しか撮っていませんが、カメラを持ち歩いて撮るのは楽しいですね。

軽のライトバンを手に入れて撮影行用に改造し、日本中を旅するのをひそかに思い描いています。が、実現しないでしょうね。

(でも・・・・・・)

ある人に、最近購入した小さなカメラで撮った写真を見せた。彼は言いました「きれいに撮れるとしたら、カメラが高価だからではなく、新しいからですね。」と。

痛いところをついてきた。そうなのです、新しいカメラは良くなっていると思うので、ついつい手を出してしまうのです。ところが、彼の言葉にはきっと続きがあるはずです。「でも、君の写真はいつも変わりがないね。」

そうなのです。それこそ真理なのです。

何度も聞き続けてきた言葉、でも新バージョン

牧師はときどき教会を変わります。言ってみれば転任するわけです。

今までに5回転任をしましたが、そのたびにどこでも教会員の方々が仰る言葉がありました。それは、「先生は行ってもいいけど、奥様は残ってください」です。

最近、その新しいバージョンを耳にしました。「先生を残して、奥様が先に逝かないでくださいね。」 状況は変われど、真理は不変です。はい。

牧師の仕事

真面目に書きます

「牧師の仕事」という題の分厚い書物があります。事柄は多岐にわたり、それぞれに内容の伴うことですから、丁寧に論じれば分厚い書物になることでしょう。

しかし、ごく単純に、二言三言で語ることもできます。模範的な言い方をすると「神の言葉に仕え、神の言葉を伝える」ということです。福音を告げ知らせる、それが牧師の仕事です。「安価な恵みではなく、高価な恵みとともに、イエス・キリストの祝福を告げる」ということです。

これは、容易いことではありませんが、多くの牧師は、私も例外ではありませんが、安易に考えているところがありますね。反省。とは言え、牧師の努力や能力によってなし得ることではない、ということを深く深く心にとめることも大切だと思っています。そこに、牧師の仕事の醍醐味があります。と、思います。

もう少し歳をとったら、「牧師の失敗」あるいは「牧師失格者は語る」という題の本でも書きたいなと、真面目に考えています。