涵養

哲学者の國分功一郎さんの朝日新聞への寄稿の中に「人物の涵養」という表現を見出しました。以下、引用です。

民主主義における平等にはもう一つ別の側面がある。平等に与えられた権利にふさわしくあるよう、自らの言葉や考えを鍛え上げることが期待されるという側面である。アレント(注:ハンナ・アレント、現代ドイツの哲学者)は古代ギリシアの民主政を参照しながら平等と同等を区別し、後者の重要性を強調した(『活動的生』)。民主主義は民衆に、政治参加の権利を行使するにふさわしい水準の者どもと同等の存在になろうとすることを求める。だから民主主義社会では、教育による人物の涵養(かんよう)や報道による情報提供の必要性を誰も否定しない。

民主主義が成り立つためには、教育によってそれに参与するに相応しい人物を育むことと、良質な情報の提供が不可欠であると述べておられるわけです。

私は、「人物の涵養」という言い回しにここで初めて出会いました。もちろん、「霊性の涵養」という言い回しには馴染みがありました。それはキリスト教的背景のもとで語られていることです。「霊性」とは私の理解では、絶対他者である神による義と愛と平和によるご支配(すなわち神の国)を待望しつつ、それに向かって身を向け、かつ持続的にそこに向かい、牽引することができる気質のことです。

いずれにしても、それが培われるには雨が土の中に染み込んで、長い年月を経て帯水層を成すように(それが涵養という意味ですね)、長い年月を要する育みによるということです。その育みは良き伝統を継承し、さらに伝統を形成し続けようとする社会があってのことでありましょう。現代社会のように、経済中心で、移り変わりの激しい消費社会においては不可能なことなのかも知れません。民主主義の危機ということが言われているとすれば、そのあたりのことに深層があるのかも知れません。

浜松ギョウザとスフレパンケーキ

昨日(9月24日)、餃子の石松本店に行ってきました。二人の牧師が誘ってくれて、病後はじめての餃子屋さんでした。上品なお店で、味の分からない私にも食べやすい餃子でした。

浜松餃子というのはいつ頃から有名になったのでしょうか。20数年間、三方原に住んでいましたが印象に残っていません。5年前に浜松に戻ってきて浜松餃子が浜松の名物になっていることを知り驚きました。

石松さんは浜松餃子発祥の店と聞きましたが、真偽は分かりません。ある人が石松さんの餃子が浜松餃子のスタンダードと思って味わい、それを基準にして他店の餃子を味わってみたらいいんじゃないかと言われたので、なるほど、それもいいなと思っています。

昨日は餃子20個の単品と水餃子2種類をいただきました。だいぶ胃が小さくなったので、食べすぎ感があります。そのあと星乃珈琲店で星乃ブレンドとスフレパンケーキで楽しい時間を過ごしました。

ご老人にタブレットやスマホを

昨年、5ヶ月以上入院し、退院後、自由に外に出て歩き回ることができない身です。どうしても、情報を得、あるいは他の人と交流するのはインターネットを通してということになります。

そこで、最近はまっているのがSNSです。FacebookやTwitterですね。Facebookは親しい人たちとの交流のために有用ですがTwitterでは、使い方つぶやき方を身につけると見知らぬ人との思いがけない出会いや、有用な種々な情報を得ることができます。

私はおもにiPadを使っています。自分の好きな時間にできるので都合が良いです。きっと歳をとっても、いつまでも、SNSを続けると思います。もし、再び入院することになった時には、できたらwifi環境が整っている病院にお世話になりたいです。

もちろん、今の時代ですから無線通信が手軽に利用できるので、どこにいても大丈夫ですが。

で、私はお年寄りに、また、お年寄り候補の方々に、タブレットでインターネットに親しむようにお勧めします。スマホでも良いですが、液晶画面が小さいでしょ。

 

嫌な知らせ

友達から聖路加国際病院で起きた事件について知らせがありました。嫌な出来事です。

一部報道によると病院職員で牧師が引き起こしたとのこと。そして、その牧師は私と同じ日本キリスト教団に所属と言われている。

調べてみたら、正確には無任所教師という身分で、現在は教会での務めにはあたっていない、無所属の教師ということです。牧師という呼称は日本キリスト教団では教会に仕えている担任教師を指していますので、この人は牧師ではありません。世間一般には牧師ということになるのでしょう。

肩書きということでいうと、この方はカタカナ表記の派手で意味不明の肩書きを自称しておられます。スピリチュアルケア・スーパーヴァイザーというのがその一つです。ベッドサイド・カウンセリング(これは内容が良く分かります)というのは聞いたことがありますが、スピリチュアルケアは新しい言葉のように思われます。いっときスピリチュアリティーという語がもてはやされたので、それに関連して生まれたものでしょう。しかし、スピリチュアリティーという語は明確な定義がなされていないのが現状です。スピリチュアルというとなんとなく通じるように思われるかもしれませんが、曖昧な言葉です。しかも、大きな大げさな表現ですがスーパーヴァイザーという身分が何を指すのか分かりません。

わたしには詐欺的と感じられます。誇大広告です。

嫌な事件です。事実関係が明確になって、私たちの教団は自浄作用を高めねばならないと思います。

思いのほかの疲労感

療法士さの説明によると、何かをすると疲労感が大きいのは(思いのほか疲労するのは)麻痺した左半身を動かしていることと、バランスをとったり足下など周囲に注意をはらったりして緊張するからだそうです。その通りだなと思います。
歩き慣れたところを歩くよりも慣れないところを歩くほうがずっと疲れます。歩く時にも頭を使って、神経をとがらせています。頭を使う?日々です。
最近は疲労感が少なくなってきました。そう感じるこの頃です。有り難いです。