YouTubeに流れてきた。映像が綺麗なので視聴しています。下
はエルサレムの夜の様子です。
下は第二神殿時代のエルサレムを展示するミュージアムのようです。行ってみたいです。
YouTubeに流れてきた。映像が綺麗なので視聴しています。下
はエルサレムの夜の様子です。
下は第二神殿時代のエルサレムを展示するミュージアムのようです。行ってみたいです。
隠退を控えてその後の私の生活に欠かせないのがiPadです。
こんな記事をnoteに投稿しました。
https://note.com/mharry/n/n91129c07317b
書いたことは、iPadが自分のQOLのための重要なアイテムになるだろうこと、そしてそれで何をするか、ということです。
何をするかについては、一言で言うと、iPadでできることの全てです。
観る、聴く、読む、調べる、撮る、まとめる、記憶する。話す、書く、でしょうか。
それでいったい何を?と訊かれたら、考えながらキリスト者として、社会の一員として生きるということです。
お世話になります。
長らく放置していましたが、ブログを再開いたします。
と申しましても、ここでではなく、普段私の利用しているコンテンツ管理システムNoionの中にブログページを作ってそこに書き込むことにしました。
メニューを見ていただくと「新ブログ」とあるのがお分かりかと思います。そこが、再開のスペースとなります。
このWordpressのサイト経由で読んでいただくことになります。
見栄えは現在のWordpressのほうか良いかと思うのですが、私にとってはNorionのほうが更新しやすいのです。そのたつた一つの理由で場所を移すことにしました。
これからも宜しくお願いいたします。
なお、このサイトは新たな構想のもとで活用するつもりです。
Notionは便利なツールです。
下記はNoteに投稿した関連記事です。
https://note.com/mharry/n/n64a2823500b4
https://note.com/mharry/n/n339e6053f5ce
https://note.com/mharry/n/n4110ee3e30c5
私は新らたに知ったのですがSynced Block機能は便利だと思いました。データベースの同期機能を応用したようです。
私はWebPageのためにもNotionを利用しているのですが、非公開でさまざまな情報を管理しています。その一部を複製してをWebPageに組み込んでいます。同じ内容のblockが何ヶ所かに散在することになるのですが、そこで便利に使えるのがSynced Blockだと思います。同期しておけば、編集する必要が起こった時、一ヶ所で編集作業をすれば、同期されている全ての箇所で反映されます。
Pageの同期だけでなくて、Block単位で同期できるのは有難いです。
詳しくは下記をご覧ください。
しばらく前から、言語のリハビリとPCへの文字入力トレーニングを兼ねてnoteに投稿しています。話題はiPadとアプリについてです。
今回もiPadネタです。
住まいのある地域が楽天回線のエリアに入った感じがする。感じがすると言ったのは楽天モバイルのサイトにあるサービスエリア地図が分かりにくいからだ。最大に拡大すると、現在はパートナー回線エリアなのだが拡大率が最大でない場合は楽天回線エリアに色付けられているのである。
いったいどっちがホント?ということなのである。SIMをiPhone11proに挿すと開通する。けれども、どちらの回線に繋がっているのか分からない。
通信状態は良いのでしばらく使ってみることにしよう。そのうち答えが出るだろう。
iPad好きの私が今どのようにiPadを使っているか、そんなことを紹介しています。
「私が私に勧めるiPad」←Notionで作成しました。
なお、教会HPもNotionを取り入れてリニューアル中です。
いろいろと家の中から物がなくなっていく。古くなった物や使わない物を処分しているからだ。
片付け上手は処分好きだ。さっさと捨てる。躊躇なく捨てられるというのはすごいと思う。だから残っているのはおおよそ自分の物。捨てても良い物が、確かにある。けれども捨てるのにそう簡単には捨てることはできない。
ついこのあいだ処分させられたのはパソコンとその関連機器だ。使わなくなったWindowsパソコンを何台か処分した。タブレットやスマホも、よくぞ溜まっていたものだ。
残るは本だ。すでに数年前に沢山処分したが、多少は残っている。脳出血で左片麻痺になって本が読みにくくなった。それで、もう開かないだろうなと思われる本がある、ある。
本の処分は意外と大変だ。何冊かを紐でくくるとけっこうな重さになる。若い頃なら気合を入れてやれたことも、歳をとってはままならない。少しづつやることになるだろう。
iPad好きの私ですが、Notionでこんなwebpageを作ってみました。
Notionにこのブログサイトを組み込んでみました。組み込んだ後に、このブログサイトに新たに投稿をした場合、Notionにはどのように反映されるのでしょうか。そのことを知りたくて、書き込みをしています。
分かりました。自動的には反映されません。が、Notion内に組み込まれているブログサイトを新たに読み込む(更新する)ことによって反映されることになります。
子どもたちに会えない正月となりました。コロナ恨めしや〜、と嘆いていても仕方がありません。
静かな年末年始。Notionの使い方を得とくする機会にしようと一念発起しました。
Notionは便利なwebサービスでタブレットやスマホには使いやすいアプリが提供されています。
ある人は『知的生産ツール「Notion」は、現代人を悩ます“情報の散らかり”から私たちを救う』と言っています。確かに、手元にある、ありとあらゆる情報を扱いやすい仕方で集約できます。
ドキュメント作成用ページがベースとなりますが、そのページにはデータベース機能を持つブロックと呼ばれるスペースを設置・設定することができ、かつ、ページ群をいくつも作ることができるのです。他の人との共有もページごとに可能です。ですから、プロジェクト管理やスケジュール管理、グループ内wikiなど、目的に応じて様々な使い方ができるオール イン ワン の万能ツールです。もちろんブログやwebページの作成もできます。
私は試しにBible Study用のノートを作ってみることにしました。なるほどstudy効率が上がりそうです。
日記から始める人が多いようです。それも良いですね。
だいぶ分かってきましたが、使い方は奥が深そうです。楽しみです。
参考に、ヌイさんの「基本的な使い方」説明動画を下にご紹介します。この方の動画が一番親しみやすかったです。
私の住んでいるところは、比較的温暖で県外には出たくないという若者が多く、かつては人口流失の少ない地域でした。
今年の正月は地元の人曰く「こんなに寒いのは珍しい」、のだそうです。確かに寒いです。と言っても氷点下以下にはなりません。日中の気温も10℃ぐらいにはなるのですが・・・
スマホを説教団に置いてライブ配信を行った。画像はメチャクチャ、音声はノー・バランス。ひどいものだった。
けれども、コロナ禍で礼拝に集うことの出来ない方や海外を含む遠方の方々が視聴してくださった。
画面は静止画で十分だと思った。私の顔が写っても仕方がない。それよりも、音声が大事だと思う。スマホ(今年購入したiPhone)のマイクが意外と優秀だということが分かった。けれども、マイクを複数設置して集音に工夫を凝らして、上手に切り替えてミキシングをすることができたら聴きやすいものになるだろう。
来年の課題としたい。
コロナ禍で大学などがインターネットを利用したリモート授業を行うようになっている。私の知っている大学の教員は口を揃えて「大変だ」「苦労している」という。
教室では、学生の反応をみながら、臨機応変に会話が成り立ち、必要に応じて黒板も使える。その場の持つ臨場感が授業を豊かなものにできるのだろう。
リモートはそうはいかないと言うのである。zoomなどのミーティングのためのアプリとシステムは相互の会話が成り立つようにはなっているが、教室のような一緒に集まっている場の雰囲気は味わえないし。
微妙なタイムラグも難しさを醸し出す。参加者の使っているデバイスやwifi環境によってもずれ具合に差が出る。聞き、考え、発話するリズムが乱れる。
さまざまな要因があって「苦労する」「大変だ」と言うことになるのだろう。
大学の授業などであれば、出席人数にもよるが、リモートシステムの外枠というか別のコミュニケーションシステムを併用しても良いのではないだろうか。例えば文字によるチャットシステムとかである。参加者は話し手の邪魔をすることなく、質問や感想を書き込める。そして、ある時点で、そこに集まった質問等を取り上げて、話し合うことも可能だ。その場合、講義をする人の他に気の利く補助者が必要になるかもしれない。
大いに工夫を凝らして、ネットによるコミュニケーションを豊かなものにする良い機会だと思う。それに成功するかしないかでは、今後の活動や教育に違いが出てくるだろう。と思う。
「技術の果て」という言葉があります。最近知ったのですが、工業製品(例えばスマホやタブレット)は技術の進歩に伴ってさらにさらにと高い能力を備えるようになり、次々と高性能で魅力的な製品が発売されますが、その進歩には果てがある、という意味です。
技術がそれ以上進歩しなくなるということではなくて、進歩の余地が大いにあるのですが、その進歩が製品化され、製品に反映されても、その進歩が使用者である人間には(大部分の人には)実感・体感しにくく、それ以上の物は必ずしも必要とは思われなくなります。一世代、二世代前の製品でも十分ということになります。それを技術の果てと呼ぶのだそうです。
スマホやタブレットはその果てに近づいているのかも知れません。あとはソフトウェア、アプリの充実ということになるのでしょう。
高価な新製品は必ずしも必要ないのではという話しです。頭では理解できるのです、が、、、、
初めてiPadを使う人のために2020年11月現在で必要な情報を書くことにしました。無印iPadの7thか8thを使うという前提です。
文字で書くよりも動画で見ていただくのが良いので、youtuberの藤本宏征氏の動画をご紹介します。この方は他にもiPadの使い方に関する動画をいくつも提供しておられます。チャンネル登録されると良いと思います。
懇切な説明であったと思います。
設定が終わったら次は使い方です。以下の動画が懇切です。
この動画は最新のものではありませんが、基本的な事柄は変わりません。
さてさて、ここからは、iPadOS14のお話です。OSというのはオペレーティング・システム、つまりiPadを働かせるための仕組みを備えたプログラムのことです。プラットホームと言えば良いでしょうか。全てのアプリはこのOS上で動きます。14というのはバージョンです。14が最新のバージョンとなっています。下記はその説明(使い方の説明)動画です。
続く
毎週火曜日にお世話になっているリハビリに特化したデイサービス(Tサポート)にNさんという目のご不自由な方がおいでになっておられる。ひとりで黙々とマシーンに取り組んでおられる。
Tサポートでは利用者同士で言葉を交わすことはほとんどない。互いに高齢であり、それぞれ違った障害を持ち、リハビリに取り組んでいる。時間的にも体力的にも難しい。ことに私はNさんとは席が遠いので話すチャンスはなかった。
せいぜい私の視界に入ってこられた時にほんの一瞬お姿を拝見する程度で、多少目が不自由でいらっしゃるなあ程度の認識に留まっていた。
ところが、2ヶ月ほど前から時々帰りの送迎で一緒になるようになった。私は運転席の隣に座り、Nさんは車椅子のまま後部に。職員の方が車椅子ごと後部にお乗せする。私はNさんが乗り終わってから乗り込むので顔を見合わせることはない。
座席が少し遠いのでお話しすることはなく、ただ、別れる時に「お疲れさまでした」と声をかけるという具合だ。
ところが先日、Nさんのお名前を知ったのでお名前を呼んで声をおかけした。そうしたら、Nさんを車から降ろしてお宅までお連れしてきたスタッフが「大変喜んでおられた」と言ってくださった。
何でもTサポートの中では他の利用者さんと話す機会がなく、皆が無言なので、近くにどのような人がいるのか分からず、それがいたく不気味に感じておられたとのこと。
Nさんは全盲なのだ。そうだったのだ。気がつかないでいた。私の方が盲目だったということだ。今後はTサポートの中でも、積極的に私も自分の名を名乗って声をおかけするようにしよう。
先月Appleから新型iPad(低価格で、第8世代になりますね)と新型iPadAir(ミドルクラスで、第4世代と呼ばれています)の発売発表がありガジェット好きな人々の間で話題になっていました。
すでに発売されたので、YoutubeやTwitterなどで評判を聞くことができます。概ね高評価です。iPad8世代はお手頃価格ですが、上位機種と機能面では変わりがありません。CPUが最新のものではないのですが、大きく見劣りするというわけではありません。快適に動きます。
私のiPadは昨年発売された第7世代です。CPUはiPhone7に掲載されているものと同じで最新のものに比べて3世代前のものですが、私の使用範囲でのことですが、もたつくというようなことはありません。これも快適です。
上位機種と比べると幾つかの点で見劣りするところはあります。が、良いコンサートホールの1階S席と2階や3階の席ぐらいの違いぐらいのことです。ホールが良ければどこの席でも演奏を満喫できますよね。それと同じです。
モーセはピスガの山頂から約束の地を眺めました。そのモーセに神はお語りになりました。
「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
申命記 34:4 新共同訳
そして、
「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。 主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。 モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。」
申命記 34:5-8 新共同訳
モーセは約束の地に足を踏み入れることなく召されました。申命記34章にその最後の様子が伝えられています。思い巡らしが我がうちに始まっています。
昨夜、長年使用してきた格安SIM(iijmioファミリープラン)を解約しました。モバイルPCやタブレットを持ち出す時の便利のために使っていました。
病気をしてから3年半が経ちましたが、その間使ったのは、入院中の病室での日々と退院後はショートステイ先で、そしてたまに出席する勉強会だけです。普段はwifi環境のもとにあるので格安SIMの出番は有りません。ですから実際のところはスマホのテザリングで対応すれば十分なのです。
Twitterで解約して寂しかった、とツィートしたところ、同じ障害持つ方が、自分も何年か前に同じ寂しさを感じたと返信してくださり、身の回りの整理も障害を受容することの一部なのでしょう、と書いてくださいました。
そのとおりだな、と思いました。
ブログの更新を怠っています。文章を書くのが億劫になっているのかもしれません。
脳のリハビリのために必要なことだと思うので、最近すっかりiPadウォチャーになっている私ですので、iPadとiPadOS14のことについて、ほんの少しの情報を載せることにします。
9月16日午前2時にAppleから新製品の発表がありました。iPad関係ではiPad8thとiPadAir4thが新発売されるとのこと。私がぐじゃぐじゃいうよりもyoutube動画を見ていただいたほうが分かりやすいかと思いますので下に貼り付けます。
廉価版のiPadと中級のiPadAirの新製品です。私はiPadAir4に興味を持ちました。ヘビーユーザーではない私としては中級機を快適に使いこなすことが出来れば上出来とおもっているのですが、それにぴったりの感じです。
新発売と同時にOSがアップデートしてiPadOS14がリリースされました。さっそく私のiPadにもインストールしましたが、快適にiPadを動かしてくれています。まだ、アップデートの内容を掴んではいませんが、良さそうです。
牧師の仕事や学びに活用するのが主たる目的ですが、いろいろ試してみようかと思っています。このブログ記事はアップデート直後にiPadで書いています。液晶キーボードがほんの少し親切になっています。ますます快適に打ち込むことができます。
iPadOSについてはApple公式サイトが視覚的に紹介してくれているので貼っておきます。
https://www.apple.com/jp/ipados/ipados-14/
私には欠かせないツールです。
左半身麻痺となって3年3ヶ月、麻痺足に装具を着けてやっと歩いている状況には変化はないのですが、昨日から麻痺足の足の運びがちょこっと変わりました。
踵から指先にに向かって接地することができるようになったのです。ちょっとした変化ですが私にとっては大きな変化です。
どういうこと?と思われるでしょうが、健常者が普通に歩いている歩き方に近づいたということです。
どう説明したら良いのか分かりませんが、片麻痺になってからは麻痺脚は膝を曲げることなく真っ直ぐに固定して一本の棒のような状態で歩いていました。歩くというよりは健常脚で麻痺脚を引っ張って(ひきづって)いたのです。それが変わります。麻痺脚も推進力を生み出すこととなります。歩く時の疲労も軽減されることでしょう。
そのための一歩を踏み出すことができました。
昨日の出来事をFacebookに投稿しました。93歳のお婆さまの心のうちを想像したという話ですが、それは私の思いの投影でもあります。
近頃は、教会のことや牧師の務めについて、ことに聖書の釈義や黙想をめぐって楽しく熱く語り合う機会や仲間が無くなりました。若い頃はそうではありませんでしたし、今でも会えば熱く語り合う同僚は僅かですがいます。しかし、歳をとると寂しいものです。
深刻に思うのは、自分自身が寂しく思うだけではなく、何故か若手の牧師たちの中にそれを見ることが出来ないということです。聖書や教会がつまらないものになってしまっているのでしょうか。
あまり知られていないが、Swayという一風変わったプレゼンテーションツールがあります。ことにストリーテーリングに向いていると言われます。
マイクロソフト社が無料で提供してくれています。
それはいったい何?とお思いでしょう。
私が説明するよりも分かりやすく解説してくれているサイトがありますからご覧になってください。
https://xenonhyx.com/office365-sway/
https://www.programming-edu.com/2017/06/16/microsoft-sway/
お分かりいただけたかと思います。
Swayのことを知って間もない頃に作ってみた名所案内がありますのでご覧ください。
https://sway.office.com/s/bNMdZypmVFFVFQQ6/embed
このSwayを活用したいと思うのです。
牧師のツールとしてのデジタル・デバイスは? の続きです。
いまさら説明する必要のないことですが、一応確認のために書くことにします。
iPadはタブレットPCです。タブレットとは一枚の板状のPCのことで、薄くて軽量、携帯性に優れています。
携帯性といえばスマホですが、タブレットは数年前までは音声通話機能の無い液晶画面が大きなスマホのようなものと説明されました。実際、Apple社独自の同じiOSで動いていましたから機能面ではiPhoneとなんら変わりがありませんでした。。ところが4年近く前に専用ペンでの入力が可能になり、また1年前には同じiOSをベースとしながらも、iPad専用のiPadOSがリリースされて、使い勝手と機能性が飛躍的に向上し、今は限りなくPCに近づいてきていると言って良いと思います。そして、もちろんPCには及びませんが、iPadならではの固性があって、ある部分ではPCを凌駕しています。
PCよりも劣っている点
1、周辺機器の利用に制約がある。つまり拡張性がほとんど無い。
2、iPad用に提供される小さなアプリしか動かない。
以上に集約されるかと思います。つまり、iPadにはPCでできることの一部分しか実行する能力がないということです。その代わりに携帯性と機動性を獲得していると言えましょう。
つまり、起動が早く、パーソナルユーズに適し、ネットによるコミュニケーションツールとして使い勝手が良く、加えて、専用ペンによる入力書き込みが容易にできるという点は特質されるかと思います。
牧師がPCなどのデジタルツールを使い始めたのは37、8年前のことです。ワープロソフトを使って文書データを作成するというのがおもな使い道でした。紙を無駄にせず、綺麗な印刷物を作り、データの保存と再利用が可能となりました。
また、英語圏で聖書研究用のソフトウェアが開発されました。辞書やコンコルダンス等がコラボレーションされて提供されたのでした。
以上の文書作成による情報提供と知的情報の収集と利用という2点が、形態や内容や質に変化があってもデジタルツールの利用目的であることに今も変わりがありません。
形態に関してはインターネットの普及によって情報伝達手段が大きく変わりました。メールやSNS,、ホームページやブログ、YouTube等が身近なものとなっています。文字情報に加えて描画や動画が用いられます。つまりプレゼンテーションツールの利用が必須となってきています。
以上のようなことはほぼiPadで可能ですから、携帯性機動性に優れたiPadが牧師にとってはPCよりも使い勝手が良いと言えましょう。
もう一つ付け加えなくてはなりません。iPadでは専用ペンによる入力書き込みが容易であるという点に関してです。これは意外と重大です。というのは、PCを使い始めた時、大袈裟な言い方ですが、ペンを放棄しました。手書きからキーボードに、紙からディスプレーにと変わりました。この変化は単にツールが変わったということ以上のことでした。思考や記憶の手順の変更を余儀なくされたのでした。
私たちは頭の中のキャンパスを利用して考えを構想したり、整理したり、まとめたりします。その手助けのためにペンと紙が用いられてきました。しかし、それはPCに置き換わらないのでした。
その証拠に紙の手帳やカレンダーは廃れることなかったし、ペンと紙を手放すことはありませんでした。ペンと紙で構想を練ってからキーボードでそれを順序よく打ち込むというのが慣しとなっているのではないかと思います。
ところがiPadはPCには置き換わらなかった機能を取り込んだのです。描画できるというのもその一つですが、メモやノートとして使うことができるようになりました。しかも、それらがデジタル化され記録、共有、連携されます。これは大きなことで、牧師にとってはPCよりもiPadという決定的な理由と言えましょう。
関連することをFacebookに書きました。
続く
かつて35年ほど前、パソコンが普及し始めたとは言えまだまだ高価な時代でしたが、デジタル・ツールの利用についての意識の高い牧師たちはMacPCを好んで使っていました。
理由は2つあったと思います。一つは、右から左に文章が綴られるヘブル語表示に対応していたことと、二つ目は聖書やキリスト教関係のアプリケーションが存在していたからです。ヘブル語の混じった文書の作成や辞書や注解書などの学びのためのツールとしても存在感を持ち始めていました。つまり情報収集に使うことができたのでした。
今でもMacを愛用している牧師が少なくないと思います。ただし、日本語文書作成や表計算など事務的な作業に関してはWindows系で広汎に使われているソフトウェアがあり、教会での共同作業に際してWindowsが必須欠かせないものになりました。日本語文書や週報などの作成、また表計算やリスト作成に使うようになりました。また、作成した文書や書類などをデジタルデータとして保存できました。
私自身はワープロソフトは一太郎、ジャストシステム社製ですね。同じ会社から出た表計算ソフト、データベースソフト、DTPソフトなどを使いました。DTPは花子というソフトでポスターやチラシを美しく作成することもできました。
いずれにせよ、その時代までは主要な情報伝達手段は紙でした。紙媒体で情報を発信するために、その充実をはかるというのがワープロを含めてPCの役目でした。
そして徐々に、ワープロソフトに高度なDPT機能がついてきたり、adobeに代表される高価で手の込んだ紙媒体作品を生み出すことができるソフトウェアが普及していきました。写真やイラストを自由に取り込んで自由度の高い冊子や新聞・機関紙を綺麗に作成することも出来ました。
同時にインターネットが急速に普及して紙媒体とは違うコミュニケーションや伝達手段が登場し、PCなどで観ることができるホームページやブログやSNSと言った手段が身近なものになりました。そうなると、MacでもWindowsでもほぼ同じように作業が出来るようになりました。人それぞれに使い勝手の良い物を使うということで、MacがWindowsかという論争は終わったように思います。
当初はPCが主流でしたが、持ち運びや扱いに便利なノートPCが普及して会議や集会に持参してはそこでの記録のために、またやプレゼンにと広く活用されるようになりました。
牧師にとっての使い勝手という面では、聖書研究のためのソフトウェアに、それぞれどのようなものが提供されているか、日本語の文書作成に優れたソフトがあるかどうかということで、Mac派Windows派に分かれてはいました。私はWindows派でした。
PCは学びのための情報収集ツールとして欠かせないものとなりましたが、Windowsで走る聖書研究用にBibleworksというソフトがあり、多くの牧師に愛用されました。Ver.10までバージョッマップがなされましたが、残念なことに数年前にその事業は終了してしまいました。終了の理由や事情はよくわかりませんが、ソフトウェアの継続的な開発と提供にかかるコストを賄えなくなったからだと想像しています。
かつて私が神学校で学んでいた時、F教授という旧約の先生が、神学生に向かって、沢山の注解書や神学書がなければ牧師として礼拝の説教が作れないと思っているかも知れないが、聖書と旧新約聖書略解があれば出来るはずだと仰っておられたのを思い出します。略解というのは新約聖書と旧約聖書、それぞれの簡潔な注解を1冊に納めた文字通りの略解です。決して十分なものとは言えませんが、今思うとF教授の仰っておられたことの真意が分かるような気がします。そのことについては別の機会に書きたいと思います。
話を戻しますが、Bibleworksは高度で優れたソフトウェアですが、高価なこともあり、iPadに代表されるようなタブレットが普及し始めるとPC離れが進み、同時に、ことにiPadにおいてですが、安価で便利な聖書関連のアプリが豊富に提供されるようになりました。そんなこんなで情報収集に関してタブレットで相当部分のことをまかなうことができるようになりました。
加えて、SNSやネットの動画配信など、紙媒体とは違うコミュニケーションと情報伝達手段が一般化し、その点で簡易で優れた特性を有するタブレットが、デバイスの進歩と価格の安さも相まって急速に普及が進んできましたし、その有用性が高まってきています。
私は今もWindowsPCでBibleworksを使うことがありますし、ワープロソフト一太郎を愛用していますけれどもその他のほとんどの作業はタブレットで済ませることができます。それでiPadの使用頻度が非常に高くなりました。
続く
コロナ禍で教会の礼拝に出席できない日曜日をどのようにお過ごしですか?
安息日として過ごすことをお勧めします。
今は日曜日もすっかり世俗化してしまいましたが、欧米ではかつて、社会全体で日曜日を安息日として過ごす習慣がありました。日曜日にはほとんどの商店は店を閉じ、人々は教会に集う他は家で過ごすのが一般的でした。
25年ほど前、米国ミシガン州のあるご家庭で日曜日を挟んで泊めていただいたことがありました。グランドラピッツという街の郊外です。一家は敬虔なクリスチャンで、日曜日にはこんな過ごし方をしておられました
朝8時30分からの教会の礼拝に出席します。礼拝は1時間ほど。礼拝後に短いコーヒータイムがあり、挨拶を交わして帰宅。昼食を皆で準備します。御馳走です。食前に一家の主人が聖書を読み祈ります。その日は奥さんが短い奨励をなさいました。楽しく食事と団欒です。
食後は、みなそれぞれがゆったりとした時間を家の中で過ごします。オリンピックの開催期間中でしたがテレビはスイッチオフです。新聞もその日は読みません。何をしているかと言うと聖書を読んだり読書をしたり、庭の手入れをしたりして過ごしておられました。夕方、何かしたいか、と訊ねてくれたので、ショッピングモールに行きたいと答えたら、日曜日は買い物をしない、とおっしゃって、でも連れて行ってあげると言ってくれました。ショッピングモールには行かないんですね普通は。モールはそれなりに人がいました。お土産を買って戻りましたが、夜もまったりと過ごしました。
安息日としての日曜日を過ごしておられるな、と感じました。
安息日は休む日です。一家の団欒がそこにはあり、霊的な静寂さ、そして、休むことで神に栄光を帰する安らぎがありました。
私たちは日曜日をどう過ごすか、真似をすることはありませんが、良い習慣を身につけて行きたいと思います。コロナ禍の今はそのチャンスだと思うのです。
新型コロナウィルスについて私なりに収集した情報をまとめてみると、以下のようなことになるかと思います。正確に把握しているかどうかは自信がありませんが、ぼーっとしている私の頭に収まっている理解です。
新型コロナウイルスの病原性はあまり高くない。8 割以上の人、特に若者の多くは大丈夫。高齢者や持病がある人は重症化に要注意。意外なことにインフルエンザなどで肺炎で死亡する人の方が多い。日本で年間 5 万人もいる。
手洗いやアルコール消毒は大切。通常のマスクではウイルスは防げない。PCR検査の精度は 7 割以下で、陰性だったのが陽性になったとしても、持続感染してい ても、なんら不思議ではない。
陽性と判っても治療薬はまだない。まだ抗体保有率が低い。収束には 7 割程度の 人の感染、もしくはワクチンの開発と接種まで待つしかない。
爆発的な重症者急増は医療崩壊を起こす。よって、いかに感染を遅らせるかが大切。ただし、その分流行が長引きく。病原体を敵視して撲滅しようとしても無理。うまく共存していくしかない。
つまり、爆発的感染拡大をなんとか回避すべく努力を続ける。そして、他方で、社会活動をゆるゆると復活させる。この二つをバランス良く保ちながら、新型ウイルスとうまく付き合っていく以外にないということになる。のではないでしょうか。
医療に従事しておられるすべての方々、有難うございます。
感染してしまった方々に癒しの御手がおかれますようにと祈ります。
そのご家族が守られますように。
すべての人が愛によってつながり、忍耐という希望によって共に歩むことができますように。
※教会の「牧師のブログ」にコロナ禍と老人という稚拙な短文を書き込みました。良かったら読んでください。