2018年は

下記の文章を週報に載せていただくようにおねがいしました。


「2018年は」という題でささやかな、しかし真剣な希望を書かせていただきます。
昨年の教会総会の折に日本キリスト教団・教会の教勢の低下と教会の存続に関して悲観的な見通しを述べ、しかし「教勢が落ちていったとしても、主にお仕えすることについては、いよいよ成長していきたい」とお話しさせていただきました。
具体的には、教会をお建てくださる聖霊の働きにあずかり、仕え、共に聖書に聞き、御言葉を分かちために聖書黙想に取り組みたいと申し上げました。
そう申し上げた週に私が脳出血に倒れ、5ヶ月以上も教会を開けることになってしまいました。教会の存続どころか私の生命の見通しが立たないような状況を迎え、皆様にご迷惑をおかけしました。けれども有難いことに、お支えいただき、お祈りくださって、今日に至りました。
「終わり」を自覚しながらも、今日なすべきことを教えられ、主の業に励みたいと願っています。そこで聖書黙想を遅くなりましたが始めたいと思います。最初は水曜日の祈祷会において、そして徐々にその機会が広がっていけばと願っています。
聖書黙想は難しいことは何もありません。その日に与えられた短い聖書箇所を読み、黙読し、自分たちの生活に関連して心に響いた言葉を紹介しあい、最後に祈るというものです。
この聖書黙想を重ねていくことで、聖書が私たちの身近なものとなり、味わい深く聖書に触れることになると確信しています。聖霊の働きと、聖書が心に開かれることを待ちつつご一緒に取り組んでまいりましょう。
1月24日(水)からはじめたいと思います。場所は牧師館を予定しています。宜しくお願いいたします。

街頭給食

病気のためか、年齢のせいかよくわかりませんが、若い頃のことを懐かしく思い出しすことが多くなりました。今年もYさんから年賀状をいただいたのをきっかけに年末年始の街頭給食のことを思い出しました。

今で言うホームレスの方々への食事のサービスです。小学生の頃は父母に連れられて給食を用意する調理ボランティアに、神学生時代は上野公園や山谷あたりでの給食ボランティアに行きました。Yさんは大変有名な法律家のお嬢さんですが、若い頃によくそのボランティアをなさったようです。

そういえば年末年始の無料宿ボランティアもありました。時代が随分変わったので、今はどうなっているのか知りませんが、40年ほど前は日雇いの労働者の方々が年末年始を暖かく過ごすところがなく、行政も十分に対応できていなかったので民間のボランティア団体がサービスを代行していました。

ある時、騒動がありました。利用者の方々が食事のことで不満を感じて騒動になりました。食事が食事になっていない、と言う不満です。味や量のことではなく、メニューの仕様に関することです。当時の利用者の方々の常識では、白いお米と、メインのおかず、例えば焼き魚とか肉料理ですね。それと汁物、その3点がしっかりと顔を揃えていなければ食事とはみなされ無かったのでした。カレーやチャーハンのようなものがメインになるとその3点がぼやけます。作る方は簡単なのでついついそうなってしまっていたのでしょう。騒動はすぐに収まりましたが、その時、厨房を請け負っていた人たちの不正が表に出ました。材料費を低く抑えて、差額を懐に入れていたのでした。

このような年末年始のボランティアを経験して、ホームレスの方々の生活をほんの少しですが、知るようになりました。

その経験は前任地の六本木におられるホームレスの方々とのほんのわずかな接触でしたが、そのときに役立ちました。

 

 

 

2017年は

5ヶ月と10日、入院していました。

4月25日に発症した脳出血による左半身麻痺は重く、退院した今も障害が残っています。幸い、生命は、そして右半身と言語の機能が残されており、不自由ではありますがいっちょ前?の生活ができるようになっています。「2018は」に続く。

「ヘブライ語小史」紹介第4章その2

ダビデとソロモンのもとでの民族の統一に帰せられる(前998ー926年)第一神殿時代の古典ヘブライ語には二つの特徴が見られる。と記して前回は「つづく」としました。

その「つづく」がここでのお話となりますが、そのことと関連してすぐに分裂王国時代(ラビンは「王国時代」とよんでいます。)のヘブライ語へと話が移行していきますので、今回は第4章その2としました。

個性の獲得

その(際立った)特徴の一つはアラム語に似た形を除外したことです。もう一つは前の時代のsha-をさけて一貫して接続詞asherを用いていることです。
いずれも統一と独立を達成したばかりの民族の言語にとって、自分たちの言語を近隣の言語から区別しようとした結果です。前者は周囲の国々の言語として用いられ、またイスラエル諸部族の方言にも浸透していたアラム語と区別しようとした結果であり、後者は自分たちが受け継いだ多様な方言の中から他の言語に見出せない発音、文法、形態あるいは語彙が選び取られた(選択された)事例です。それによって「自分たち」の言語が容易に、またすみやかに同定できる記号としての役目をなすことになったのです。このようにしてヘブライ語の個性が生じた、とラビンは考えています。

文学的優雅さの獲得

王権の制度下に用いられた公用語はおそらく何となく味気のないものであったが、やがてそれが修辞法と伝統的知識の含蓄のある公式化に馴染んでいた祭司たちによって神殿で使用された時、それは文学的な優雅さを獲得した。ことに、神殿の歌い手のために歌詞を書いた作者は、古典ヘブライ語の一般的性格を保持しながら、もちろん前王国時代の現存する詩的伝統を用いた。すでに言及した北部の詩のほかにユダ的詩もあっらであろう。また、ソロモのもとでのカナン国家への完全な統合は、詩人に文学的優雅さを持った言葉を提供し、言葉を紡ぎ出す技能の向上を可能にさせた。ヘブライ語の文体にとって重要なことは、詩の形態、特に対句法を用いた話術が生み出され、この文体がほとんどの預言者に採用されたことである。
預言者的思惟の熱烈さによってかきたてられた修辞法と詩の結合は、古典ヘブライ語をイザヤとエレミヤに見出されるような気品のある表現による伝達手段に変えたのである。

以上があらすじです。ラビンはその後他の言語が古典ヘブライ語に与えた影響について論じています。その中で、預言者アモスとホセアに見られる特徴について言及していますので、それを紹介して次に移りたいと思います。

続く(時間をおいて、ここに書き加えます)

前回については下記をクリックしてください。

「ヘブライ語小史」紹介第4章その1のつづき

なお、いいわけを下記に記していますので、よかったらお読み下さい。

牧師のブログ

 

 

YogaBookが人気のようです

伝えられるところによると、大変ユニークな2in1のレノボ社製の軽量タブレット(軽量で非常に薄いノートパソコンと言えないでもありません。)の人気が高く、生産が追いつけずに販売直後の売り切れ/販売停止が3度も続いているそうです。そのユニークな点については下にリンクを貼った製品紹介ページをご覧になるとよくわかります。

私は人気沸騰前に、そのユニークさに惹かれてwindows版とandroid版の二つとも購入しました。

ことに人気が特に高いのは、そして私も一押しなのはandroid版です。windows版とosを除いて仕様が同じなので、androidタブレットとしては高スペックとなっており、動作がキビキビしています。windowsのような多彩で重厚なソフトウェアーは使うことはできませんが、web閲覧、HPの更新やブログ投稿、Facebookの閲覧投稿、メールのやりとり等は非常に快適に作業ができます。もちろんwordなどのofficeソフトも使うことができます。価格が手ごろというのも良いですね。

windows版はCPUの非力が反映して少しストレスをうけますが。それでも、ワープロソフトの一太郎、聖書研究用のbibleworksを入れておりかけがえのないものとなっています。

お勧めします。

製品紹介ページ

 

「ヘブライ語小史」紹介第4章その1のつづき

偉大な叙事詩において古典ヘブライ語へといたる端緒が拓かれましたが、その後の推移をラビンはどう見ているのでしょうか。それがここでのテーマです。

その1のつづき

先に記した『偉大な叙事詩』とその詩的言語は、ペリシテ人の脅威に直面したイスラエル諸部族(北諸部族)の統一に役立ち、サウル王の時代を経てダビデ・ソロモンの時代には全イスラエルの共通の言語になっていった。『古典ヘブライ語』の成立である。

つまり以下のような経緯が観察されるとラビンは言います。

南のユダ族出身のダビデは北諸部族に対する力を手中におさめ、南北統一を果たし、エルサレム征服して首都としました。ダビデは全イスラエル部族から選び出した兵士をエルサレムに住まわせ、全ての部族の成員が協力して任務を果たす軍隊を組織しました。ソロモンはエルサレムに神殿を建て、全国から祭司とレビ人を連れてきて神殿に仕えさせたのでした。神殿は巡礼祭および残りの年に行われる個人的な犠牲のためにやって来る全ての地域の人々を魅惑したことでしょう。神殿と宮廷の周辺には、書記、知恵の教師、そして預言者といった知識階級が現れました。。彼らは異なる部族の出身者から構成されていただけでなく、その教えがあらゆる部族に届き、そして全ての者に等しく良く理解されるような仕方で聞かれるようにと配慮したにちがいないのです。以上のようなことに加えて、言語の発展の観点から見て、最も重要なことはソロモンが全土にくまなく文官を置いたことです。そのことによって、あらゆる人々が彼らと接するようになりました。また、強制労働の義務であらゆる地方の人夫たちが彼らの居住地以外で、国の他の地方出身の男たちと一緒に働きました。

つまり、高度に中央集権化された政体は統一された言語を必要としたのです。ラビンは申します。「行政には王国の全ての地域において障害なく理解され、また役人の誰もが速やかに学ぶことができる書き言葉と話し言葉が必要であった。さらに一方では、複雑な行政、強制労働、神殿祭儀そして列王記上10章に述べられている、急速に伸びていく外国との通商などに関連のある多数の新しい概念を、効果的に表現するための申し分なく豊かで、そして採用し得るそれらの言葉がなければならなかった。」。そして、さらに、「この言葉は最初異なる部族出身の人々の接触により、首都特に宮廷において生み出されたものとおもわれる。そしてさらに、首都ならびに宮廷の言語としての威信によって、エルサレムから送り出される役人たちに運ばれて広がっていったと考えられる。」と述べて、ひとたびこの新しい共通の言語が、公式の記録の中で使われ始めると、当然のこととして宮廷の年代記の著者たちにも使われるようになり、したがって一部はこのような年代記からの抜粋に基づいている列王記も、彼らの言語を反映していることは疑い得ない。
この言語の形態がダビデとソロモンのもとでの民族の統一に帰せられる(前998ー926年)第一神殿時代の古典ヘブライ語である。そうラビンは考えています。

つづく。

ラビンはこの言語の際立った特徴を二つあげていますが、しばらくお待ちください。

「ヘブライ語小史」紹介の続き

病のためやむなく中断していた「ヘブライ語小史」の紹介を再開します。

ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」(毛利稔勝訳)を読む
第4章 聖書のヘブライ語 その1
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4章には表題のように、聖書の時代におけるヘブライ語の成立と発展、また、その特徴について論じられいます。著者は本文を区切っていませんが、紹介のためにとりあえず、3つに区分することにします。今回はその1ということになります。
取り上げるのは、ヘブライ語(著者は第一神殿建設から王国滅亡・第一神殿の破壊と捕囚に至るまでの期間使われていたと考えられるヘブライ語「古典ヘブライ語」と呼んでいる。)の成り立ちについて論じている部分です。

ペリシテ人の脅威と偉大な叙事詩

エジプトからの脱出とイスラエルの勝利を歌う偉大な叙事詩が所謂士師の時代に誕生し、それがヘブライ語成り立ちの初めであると著者は考えているようです。
士師の時代、後にイスラエルとなる諸部族は山岳地帯に孤立して散在するようになりました。まだ文字をもたなかった時代にどのような言葉を話していたか、正確なところは分からないでしょう。ただ諸部族は分断されており、それぞれ固有の方言(「方言」と表現されていることに注意して下さい。それは、孤高ののあるいは孤立した言語ではなかったということです。)を話していたと想像されます。その時代に偉大な叙事詩が生まれました。士師記5章のデボラの歌、サムエル記上2章のハンナの祈りはその一部分であった。また、言語上の共通点が多く見られる創世記49章のヤコブの祝福、出エジプト記15章紅海の歌、民数記24-25章のバラム物語の中の詩、申命記32章の歌、そして申命記33章のモーセの祝福も同様に、偉大な叙事詩を構成する部分であった。その叙事詩はエジプトからの脱出とイスラエルの勝利について述べており、一部族の伝承ではなく、民族全体の伝承と言える。言語も一部族の言語では無く、他のすべての部族の方言(言語)とも異なっている。けれども、皆等しく理解出来る。そのような詩ならではの言語で綴られていた。主題は「主の民」(士師記5章11節)であって、それはペリシテ人に対する共同作戦のため、諸部族を統合するために機能した、というのです。
つまり、諸部族の共通の歴史として語り伝えられるようになったのですが、その叙事詩が後に聖書の中に織り込まれて残された。それが最古のヘブライ語による詩とその痕跡と考えられると著者は言います

シロの聖所

ペリシテ人による脅威とともにシロの聖所における祭儀が北部諸部族を言語の上でも結びつけました。シロの聖所と祭司達が伝承の担い手となったということです。

デボラの歌から見えてくるその言語の特徴

著者はヘブライ祖語のみならず、アラム語とその歴史、フェニキアの言語についても造詣が深く、その知識を下敷きに議論しています。それで、筆者にはいささか煩雑に感じられ、能力の限界をはるかに超えていますので、大切な部分ですが大胆にカットし以下のことを紹介するにとどめたいと思います。
デボラの歌から見えてくることは、偉大な叙事詩において用いられている言語が超部族的であるがゆえに、異なる言語からの形態を取り入れることが出来、かつ、文体上の効果のために、それらを積極的に用いているということです。そこに全ての部族に理解可能なものとなった所以を見て取っています。
かつて通用していたこの詩的言語はシロにおいて全ての部族からやってくる男たちと、その意思の疎通のために、祭司職によって用いられた。つまり一つの言語(ヘブライ語)として熟成していく端緒を見ることができる、というのです。

つづく

動画編集アプリ

iPadで動画を編集作成したいと思い、アプリiMovieをインストール。使いかたは簡単にでした。動画や写真や録音はiPhoneで、編集はiPadでやっています。申し分ないですね。そのうち良い作品をご紹介できるでしょう。ほんとかな?

伝道・教育用のツールを

と願ってmicrosoft社のプレゼンテーション用アプリを勧めているのですが、まったく反応がなくて落胆しています。それで、改めて、1年前に作ったsway作品をFacebookに投稿しました。ツール(素材)作りに励むお仲間が欲しいなと思っています。

画像は削除しました。こちらをクリックしてください。

召命感とは何

最近、改めて考えさせられている。

召命は英語でcalling、ドイツ語でberuf。これらの語に微妙な意味の違いを受けとめる人がいます。

10年ほど前に、ある会合で元日銀総裁のH氏の隣にすわった。ちょうどその頃、日本伝道会というところから伝道パンフレットが出されていて、その1つにH氏の文章が掲載されていた。ご自分の仕事を神からの召しとして受け止めているという内容だったと思う。題は「召命」。H氏にその時パンフレットを読ませていただいたと申し上げたところ、「召命」という題に、あれは私がつけたものではないと、いささか憤慨しているという口調でおっしゃられた。

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あたらしい翻訳のパイロット版

日本聖書協会があたらしい翻訳の聖書を準備していると言う話は聞いていた。そのパイロット版が世に出たようだ。ほんの一部分だが読ませてもらった。

どうも歳をとったせいか、かつてとは違って新しもの好きではなくなったようだ。興味を喚起されなかった。

聖書事業が祝されるように祈る。

iPadが主力に

すっかりiPad使いになりました。メールやSNS、ブログ書き込みや文章作成のためです。

現状、私の状態では、iPadが使いやすいからです。勿論、windowsPCも必要なので動かせるようになっていますが、90パーセント以上のことはiPadで事足りるのです。アプリが充実しており、iPadで聖書を読んだり、学んだりしています。そのうち説教壇に立つときに、iPadを持ってということになるかもしれません。なりそうです。

ネットで結び、二箇所で同時に礼拝が?

できないでしょうか。

スマホやタブレットがあれば、プロジェクターで投影して可能ですね。Skypeやhunngoutを利用すれば良い、とある方が教えてくださったので、さっそくhungoutなるものがどういうものか、使ってみています。なるほど、出来そうです。

同時に礼拝と言っても、一方向の情報伝達ではなく、双方向伝達をセットすれば、A教会で説教者がご用にあたり、B教会ではオルガニストが奏楽し、またどなたかが司式をする。そのようにして同時に礼拝を守ることができます。礼拝後には二つの教会の短い交わりの時ももてそうです。

真剣に、取り組んでみませんか?

 

ios11にアップデート

iPhoneとiPadProをアップデートしました。便利な機能が加わり、使い勝っても良くなりました。大きな変化です。その変化はiPadProにおいて顕著です。一言で言うとパソコンに近ずいた感があります。それはwindowsのエクスプローラーに似ている「ファイル」機能が加わったことによります。PC等とのデータの共有・整理が容易になったからです

下記はフェイスブックに投稿した文です。iPhone よりもiPadProのほうがメリットが大きいです。ios11によってiPadProはパソコンに近づいた、そんな感じです。動きはきびきびしていてパソコンをすでに凌駕している。追加された「ファイル」はwindowsのエクスプローラーのようでデータの整理と共有がしやすくなった。、Docは見た目MacノートやMacPcに似ている。アプリが起動しやすくなった。コントロールセンターは使いやすい上にカスタマイズできる。すごい。携帯性もよく、ほぼiPadとiPadProで事足りる。私にとってはベッドに横になった状態で、タブレット・スタンドがあれば、使えるというのが有り難い。

 

退院・帰宅

10月3日、4ヶ月お世話になった浜松市リハビリテーション病院を退院。聖路加国際病院と合わせると5ヶ月の入院でした。

牧師館には必要な個所に手すりが設置されており、杖を頼りに、日常生活が可能です。

倒れた直後、医師の診断は、麻痺は残り、一生車椅子、とのこと。そのことを思うと、予想をはるかに超えて回復しています。ありがたいことです。幸い言語は維持できており、ある医師が奇跡的なことですよ、と言ってくださいましたが感謝です。

4日は教会まで駐車場を通って往復。

6日は訪問看護の看護師さんのサポートでシャワーを。風呂場に一ヶ所手すりを設置する必要がありそうです。心配していた10センチの敷居はクリアーできました。

病院で指導していただいた自主トレの指示に従って自主リハビリもやっています。

パソコンとネット環境を整えるのが大変でした。パソコン、タブレット等々も5ヶ月間ほったらかしだったので、リハビリが必要のようです。やっと今日から普通に動くようになりました。ただし、まだMacのPCはセッティングが終わっていません。疲れました。今は、デスクトップPC、windowsタブレット、iPadとiPad Pro、androidタブレット2つが動きます。あとスマホですね。これでネットを利用しての仕事を再開できます。この投稿はベットに横になって、頭上にセッティングしたiPadProで入力しています。

教会ホームページ、その他のホームページ、ブログ等々の書き込みも徐々に本格的に再開します。

入院中に始めた聖書黙想の勧めもSwayを用いて続けるつもりです。その準備をしている時に気がついたのですが、福音書の中に「身体の不自由な人」の癒しの記事がマルコとマタイにあります。昔は中風の人と表記されていました。「麻痺」という意味ですね。「歩けない人」です。私と同病です。

それに気がつきました。他人事ではありません。次回の黙想はその記事を取り上げようと思います。

今日はここまでですが、入院中の忘れられない思い出を少しずつ書き込んでいこうと思っています。

一泊の一時帰宅。

退院にむけてのプロセスのひとつです。来週、もう一度あります。一階に移った私の部屋、ベットからの眺めでせ。新鮮な感じがしました。

3カ月

浜松市リハビリテーション病院に転院して明日で3カ月になる。入院も後1カ月とちよつとの予定。住宅環境を整え始めることになる。本が読めて、パソコンが打てて、プリントができればさいていげんであるが仕事が出来る。かな?

IQテスト

脳出血で左半身麻痺となって2か月と1週間、いまはリハビリ病院にお世話になっている。麻痺している左足にも少し力が入るようになり、装具を着けて杖で歩く練習中。少しずつでも良くなっている実感があり、励みとなっている。か、一つまいることが。

それがIQテスト。認知能力の低下がみられないか調べてくれているのである。非常に低下していると、いうことでは無さそうだが、少し低下しているのだろうという感じかしている、簡単なテストなのに疲れるし、間違いも多い。年齢相応と、言ってくれるがどうもスッキリしない。こちらのほうは、回復の見込みはあるのだろうか?

現実と向き合い、残された能力で神の栄光の為に、生きるように、と言うことなのだろう。

それにしても、IQテストは嫌だ。

桜の舞とステファノの言葉

今週、浜松は桜が満開でした。そろそろ散り始めているでしょうか。

桜吹雪と言いますが、たくさんの花びらが舞い散るようすはなんとも言えない風情というか、絢爛かつ儚いそんな美しさがあります。

水曜日はお近くに桜の木がたくさんあるH姉さん宅で聖書を読み祈る会を持ちました。聖書の学びは使徒言行録7章44,45節です。ステファノの演説で、語の彩りに圧倒されました。桜の舞という感じです。

ステファノは最初の殉教者になりました。

アラム語

イエス・キリストはアラム語を話していたと言われます。十字架上の言葉「わが神、わが神、なにゆえ私をお見捨てになったのですか」ですが、マタイ福音書の「エリ、エリ・・・」はヘブライ語で、マルコの「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」はアラム語だと言われています。

いったいアラム語って何?と聞かれて、どのように答えて良いのかいつも戸惑うのですが、ハイム・ラビンが「ヘブライ語小史」の第3章『ヘブライ語の背景』の中で言及していますので、それを紹介します。

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AndroidノートPCの良いところ

ここでノートPCと言っているのは専用キーボードが付属しており、液晶が10インチ以上のandroidoタブレットのことです。該当するのは一つしかありませんが・・。

所詮androidですから機能は限られています。しかし、用途はそれで足りるという人にはいろいろと良いところがあります。それを数え上げてみようということです。箇条書きします。

  • 起動が早い、待たせない。iPadPro並みです。
  • 動作がきびきび、気持ちがよい。最新のCPUを積んでいるwindowsPCにまけません。iPadPro以上です。
  • 軽量でバッテリーのもちが良い。
  • そして、安価である、数万円ですみます。

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続きです・・「ヘブライ語小史」3章の紹介

ハイム・ラビン「ヘブライ語小史」の3章『ヘブライ語の背景』では、聖書のヘブライ語が一つの言語として形成されるに至った、その背景について論じています。ヘブル語の成り立ちですね。多くのページが割かれています。

「ヘブライ語の属している語族が非常に多く、また広範囲にわたるということが明らかになってきた。それはハム・セム語族とか、アフリカ・アジア語族、あるいはエルトゥラー語族など、ざまざまな仕方で呼ばれる。」

エリュトゥラー語族というのは聞き慣れない表現ですが、紅海に由来する言葉で、ちょうど紅海で区切られる広大な二つの地域・語族全般を言い表す表現のようです。

 

こう書き始めて、ヘブライ語と同じ祖語を持っていたり、影響を与え合ってきたであろう関連する語族は広範囲であると語り、

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10年たつと?、と

東京神学大学の入学式に出席してきました。20数名の入学者だったかと思います。少し平均年齢が高いように思われました。

さて、久しぶりに母校に足を踏み入れて、なぜか思い出したことがあります。私が在学中のことですが、故北森嘉蔵教授と乗り合わせたBusの中で父が交わした会話です。

「先生、うちの息子は大丈夫でしょうか」
「・・・東京神学大学では・・・
卒業して10年たって実力が発揮される・・・そのような教育をしております。」

家に帰ってきた父は、可笑しかったのでしょう、笑いながら母に話しておりました。45年ほど前のことです。

さてさて、すでに、とっくに、ゆうに、10年は過ぎています・・・・