散歩もかねて、行ってきました。浜名湖畔にあります。2004年に大きな花博がここで行われました。
作成者別アーカイブ: Makoto Harita
シニアス合唱団報告サイト
浜名湖フラワーパークに
シニアス合唱団のご報告
10月16-20日に来浜されたセムナン教会のシニアス合唱団は、美しい讃美の歌声によってキリストへの思いを深めてくださり、良い思い出を残して帰国されました。来日されたお一人お一人に感謝いたします。
また、このためにご尽力くださった方々にお礼を申し上げます。
写真はクリエイト浜松での練習風景です(17日)。詳しいご紹介は下記のサイトでご覧ください。
良いんじゃないでしょうか。
windows10ですが、評価高いです。
windows8.1のタブレットと、windows7の古いPC、同じくノートパソコンの3台をアップグレードしました。タブレットが先月、早々と⒑になりました。操作に慣れるのに、少し、時間がかかりましたが、だいたい把握しました。使い慣れたところで、今週の月曜日にPCとノートパソコンの知らせがきたので、恐る恐るアップグレードしました。
タブレットの時にはそれほど感じなかったのですが、PCとノートパソコンは良くなりました。PCへの負担が小さくなったのか、動きが軽快になりました。ことにPCはwindows7が世に出たと同時に購入したものなので、アップアップしていたのですが、なんだか涼しい顔をして動いています。さらに、タブレット用アプリが使えるのも良いですね。
ただ、面白いと思ったのは、8.1で動いていたアプリの中には⒑になって機能が縮小されるものもありますね。なぜでしょう・・・
シニアス合唱団を迎える
韓国で最初に設立されてイエス教長老会セムナン教会のシニアス合唱団を迎えます。10月16日(金)に来日し、20日までの予定です。活動は間の3日間。スケジュールが確定したのでwebsiteを造りました。
並行してノートパソコンをwindows10にアップグレードしています。
久しぶりに
今年は、代務をつとめているE教会に迎えた夏期伝道実習生S神学生と一緒に、暑い夏を過ごしています。夏期伝道実習生と夏を過ごすのは久しぶりです。12年ぶりでしょうか。
S神学生は、食生活が恵まれて、どうも、5kg以上太ったようです。私も、なぜか、太りました。
がっかりしたことが一つ
平和を求める祈り、が常議員会で可決されたようだ。文面を見て、がっかりしてしまった。これが、教会で共に祈る、教会の祈りだろうかと、目を疑った。
決まり文句の戦争責任告白と、罪の告白が、最初と最後に、短く取り上げられているが、中身は、政治的イシューに引っ張られていて、昨今の政治状況に反応しているだけで、今日の世界が背負っている苦悩や困窮についての洞察も、深い嘆きも、神の義と平和と愛による支配(神の国)への祈求もない。神への賛美もなく、祈りの背後に霊性が感じられない。軽率で、政治的アディテーションにすぎないような祈りだ。
私は、その祈りを共に祈りましょう、とは言えない。紹介することもできない。
mood
ある心理的な雰囲気を mood という言葉で言い表すとすると、現代は mood を盛んに作り出そうとする時代ではないかと思います。
大衆消費社会だからでしょうか。また、政党も、マス・メディアも権力争いとしての政治に関心が傾き、いたずらに世論(これも mood です)を操作したり、根無し草の世論づくりに走ります。ソーシャル・ネットワークもそのための質の悪い道具となってしまっているような感を受けます。
ヘイト・スピーチなどは、一見、平気で嫌われることをしているように思われるのですが、社会に対抗的な mood を作り出すことで、人間のもつさまざまな悪意や愚かさ(その心理)を刺激し、操作可能な状況を生み出すことに一役買っていると、私は思っています。
mood を煽る一切のことに対して、嫌悪感を感じているこの頃です。mood に対抗して mood はいけません。
-ism
神学の分野で ism に対する警戒を唱えたのは K.Barth だと思う。それは、ややもすると絶対化、偶像化するからです。危機神学は -ism との戦いでもあったのだと思います。
若い時、同学年のバルティアンが、盛んに -ism に対する嫌悪を言葉に出していたのを思い出します。私たちは共に、その -ism を大切にする教派に属していましたので身近な問題でもありました。彼は今、某書店の社長をしています。
-ism に対して神経質になりすぎることも、それも一種の -ism ですから気をつけなければなりませんが、-ism に対して批判的な目を養うことは大切なことだと思います。
安保関連法案
法案を読んでみました。素人には法律を読むことは決して易しいことではありませんが、国連平和活動や国際平和活動で軍事的にも出来うる限りの積極的な関与を可能にし、アメリカ合衆国との軍事同盟においては役割の拡大をはかるというのが関連法案の主旨だということが分りました。
安保法制を整えるというのは政治の責任ですが、関連法案は解釈と適用・運用次第では憲法違反になると思います。ですから、関連法案自体が憲法違反であるということもできましょう。ただ、解釈と適用・運用が憲法違反にならないようにしている、ならないようにするというのが政府の主張のようですね。
その意味では、関連法案によってただちに憲法が無力となってしまうということにはならないのだと思います。まして、関連法案が憲法の上に立つことはあり得ませんから(あってはなりません)、憲法が関連法案の解釈と適用・運用に歯止めとして存在しているということになるかと思います。
法案が戦争をするわけではありません、国際状況と政策如何によります。その状況が何を強いるか、そして、それに政策的にどのように対応するのかが課題となります。平和を希求しつつ、腰を据えた議論が大切だと思います。
熱中症直前?
12日は湿度が高く暑かった。初めて体験したが、もしかしたら熱中症直前だったかも知れない。寝不足で明らかに水分をとること少なく、牧師の服装で過ごしていた。火に包まれている感じなのだ。
朝の礼拝中、ボーっとしていたし、終わると用事で隣の教会に歩いて赴き、なんとが責任を果たして一度帰宅。少し休んで、再び隣の教会に。歩いて3,4分のことだが、車で行った。
思い出した
説教塾という勉強グループがある。もう20年前になるだろうか。八王子セミナーハウスで、例のごとく泊まりがけで説教セミナーが開かれた。そのとき、大学生のグループがいくつかセミナーを行っており、、掲示板に書かれていた我々の「説教塾」という名称に、首をかしげたり、クスクス笑ったりと、不思議そうに眺めていたのを思います。
お小言をいうお説教のことを思い浮かべて、そのための塾があるなんで信じられないという反応だった。なるほど、一般の人には何のことか分からないだろう。
その時、
牧師が教会を辞することを決め、役員会に申し出るということは、重大事項です。そして、その時の、たった一つの理由は、それが召命に応答する歩みであるとの確信が与えられたということです。
これは牧師の召命に関わることで、教会はそのことを受け止めていただく他はありません。また、辞意を表明して、それを翻すということもあってはなりません。そう思います。
牧師は牧師として教会に仕え、教会の徳が高められることを願って務めにあたっています。辞任をするときも同じです。もちろん、個教会のことだけではなく全体教会のことも牧師の責任の範囲ですから、そのことも考慮に含まれます。その上で、辞任が召命に応答する歩みであるとの確信が与えられて、その旨を教会に申し出ます。
その時、さまざまなことが考慮されます。公にできる理由もありますし、それが、本筋ですが、公には決してしない理由も内在します。一切を神に委ね、与えられた務めを終えて、教会を離れます。
辞任する牧師の心境をいろいろと詮索する人がおられます。その多くは人間的な基準から判断して、牧師はあのこと、このことで、悩まされていたのではないかとか、教会や教会員に対して不満が大きくなったのではないか、などという種類のものです。もちろん、牧師も一人の人間ですし、教会も人間の集団ですから、その中で様々な思いを抱くものです。それは、日々の歩みにおいて常なることです。しかし、分かっていただきたいことは、牧師は自分の誉や名誉を考えて物事を判断しません。そのような誘惑にかられることはありますが、そうであってはならないのです。繰り返しますが、教会の徳が高められるかどうかということです。
そのうえで、牧師として決断にいたったこと。それは召命に応答する歩みなのだということを受け止めていただきたいのです。時に、牧師の身勝手と感じることもあるかも知れません。私たちのことを見捨てたのかと思うこともあるかも知れません。そのような人間的な想いを抱くのは当然のことかも知れませんが、それ以上のことが、教会にはあるのです。
それ以上のことに、教会人は仕えているのだと思います。
こんなことを口にしたことはないのです、言いたい気分になったので書きました。失礼しました。
オーストラリア人口の半分はアジア・アフリカからの移民です
クリフ首相の「違法移民は帰れ」発言をいたずらに揶揄する人がいます。アボリジニの方の写真を添えて、あたかもアボリジニの方々がクリフ首相に対して「お前たちはいつ帰るのか?」と発言しているかのように。
白豪主義は昔のことで、現在オーストラリアの人口の半分はアジア・アフリカからの移民です。わずか40年、50年ほどで、人口の半分が移民となるほど移民を受け入れてきたのがオーストラリアです。なぜ、移民が増えるかというと、住みやすい国だからです。
それで、社会の急激な変化が起こり、困難な状況に置かれているのはその変化に対応できない人々です。オーストラリアに行って驚いたのは白人青年が街角で物乞いをしていることでした。また、ドラッグや麻薬に犯されているのも多くは白人青年です。その人たちのケアーをしている人にも会いましたが、移民を悪く言うことはありません。
豊かな白人に対して、アジアやアフリカからの移民は、それほど豊かではないでしょうが、まだ移民の歴史が浅いのでしかたがありません。それよりも、シドニーにもメルボルンにも東ロンドンのような地域はありません。また、どこかの国のようにヘイトスピーチを叫びながらデモをする人たちなどいません。
移民問題はグローバルな政治課題で、オーストラリアも岐路にたっているのは事実でしょう。それを、日本人が自らを恥じることなく面白おかしく揶揄しているとしたら、愚かなことです。そう思います。
明日は東京
いつでも行けるところではありますが、理由がないと行けないものです。
明日は夏に教会実習のために来浜する某神学生に会います。いろいろと説明をしたり、相談にのるためです。よい実習をしてもらうためには必要なことです。中野で待ち合わせです。
中野といえば・・・フジヤカメラですね・・・ちょっとだけ立ち寄ろうかとも思っています。
もう一つ、銀座のニコン・サービスセンターに行ってD600のセンサークリーニングをしてもらいます。画像に複数の黒い粒状の像が写りこむ現象のためです。実は、これで2回目です。こちらの用事は次いでのことですが。
専門委員会
という仰々しい名前のついた教区の委員会に出席してきました。
専門って何かというと教会と農業についてです。「農伝専門委員会」と言います。わたしは食べることは好きですが、というか大好きですが、作ることはさっぱり分かりません。農業のことも知りません。でも、なぜかその「専門委員会」のメンバーにならされています。
総勢7名のうち、安心しました、もう一人素人がおられました。委員長です。他の5名の方は、実際に農業を営んでおられたり、深い関わりと関心を持ち続けている方々です。
この「農伝専門委員会」は東海教区が持ち続けてきた委員会で、1960年代に教団で発議された「宣教方策」の大きな柱の一つであった「職域伝道」に始まります。この宣教方策発議の一年後に出たのが「宣教基礎理論」でしたが、昨年、宣教研究所で「改定宣教基礎理論」が作られて、常議員会で承認されたのでした。この「改定」は根本的な問い直しを含んでいます。
職域伝道はすでに消滅し、細々と東海教区で「農伝」が生き残ってきました。あたらな取り組みを創造していかなければなりません。
重くなる
わたしの体重のことではない。最新バージョンのワープロソフト一太郎2015をsurface3にインストールして使い始めている。以前のバージョンに、その機能があったのかどうか不明だが、インストールの折に自動バックアップ機能を使うかどうか訊いてきたので、使うに設定してみた。
その機能は二つで、一つは作成した文書を保存し、また、書き換えたりした場合、過去の作業を記憶してその時の文書を呼び出せるというもの。直前の保存だけではなく、過去何回もさかのぼって呼び出せるのである。二つは、文書作成中にある一定の間隔で、保存機能が働くというものです。
割られ、壊されてしまたった
土曜日の朝、7時20分頃に電話が。教会のお隣の警備員さんからだった。歩道に面した教会の掲示板のガラス戸が割れて、破片が飛び散っているとのこと。割られ、壊されていたのです。
金曜日の夜のことだろうから酔っ払いの仕業ではないかと思う。素手では割れないし危険なので、傘を振り回したか、カバンをたたきつけたかして、強打したのだろう。困ったものだ。
もしかしたら、教会に対して何らかの悪意を懐いている人の仕業かもしれないとも思ったが、もしも、そうであるなら、教会が関心を持たれているということで、決して悪いだけのことではないのかも知れない。
使い始めるのに6時間
surface3が届いたので、早速、セットアップしました。ただ動かすというだけならば、すぐに終わるのだけれども、必要なソフトや種々なデバイスをインストールして、何不自由なく今あるデスクトップ・パソコンと同じように仕事をしてもらおうと思うと、時間がかかります。それでも、やっと終わりました。この投稿はピカピカのsurface3から書き込んでいます。
Surface3、楽しみです
Microsoftの新タブレットが明日、発売になります。Surfaceの第三世代です。
かつて、第一世代のSurfaceRTとSurfaceProを使ったことがありました。Proのほうはwindows8が快適にはしるタブレットでなかなかのものでした。RTはその限定版です。限られたソフトしか動かず物足りないという人が多くおられましたが、それでも、限定版とはいえワード、エクセル、パワーポイントを使うことができました。良かったのはProに比べて軽く薄く、バッテリーが長時間持ちました。携帯性に優れていたのでした。
今度のSurface3は、かつてのRTよりもほんの少しですが薄くて軽く、バッテリーのもちも長く、かつ、Proのようにwindows8(8.1)がフルに動きます。そして、わたしにとって何よりも嬉しいことはSimフリーであるということです。インターネットに繋げばブログやHPの更新ができ、ワープロソフト一太郎、聖書の学びに便利なBibleWorksを入れて、家でも外でも、大概の作業はこなせます。
三者三様
日本記者クラブでの小林、長谷部両教授の会見が報じられました。興味があったのでネットでですが、朝日、読売、毎日の報道を読みました。三者三様ですが、毎日の記事が明晰で良かったです。
私の関心は、この度の集団自衛権に関する法案が、なぜ憲法違反なのか、その論拠を両教授がどのように説明しているかでした。
どっちだろう
先輩が尊敬に値しないからなのか、後輩が思い上がっているのか、コミュニケーションが難しくなっている。先輩が理不尽なのだろうか、後輩が虚弱なのか、叱ったり注意することが評価されない。
娘や息子が、お小遣いの欲しいときだけ親に対して笑顔を見せるような、そんな先輩・後輩関係であってはいけません。先輩面もいけません。
人みな、「おばかさん」(遠藤周作)。それが良いと思うこの頃です。
マスクと咳が・・・
韓国ソウルからの便りにこんな一文がありました。
マーズ騒動、ソウルではマスクしている人って100人の内数人くらいでしょうか。それも風邪をひいている人のようです。パニックにはなってません。ウチの子たちの学校も休校にはなってません。ニュースに煽られても、反応は鈍感と申しましょうか。それが吉と出るか凶と出るか。
そういえば、昨日の地下鉄内で唯一マスクして咳している兵士が私の前に立っていたのですが、咳をする度に乗客が離れて行くんですよね。可哀想に、、、、。
便りの主はその兵士の前から離れることができなかったぞうです。MARS、終息へと向かうと良いですね。
石川九楊著「日本語とはどういう言語か」を
西静分区の教師会(牧師会)で紹介しました。この会には15分ほどの予定で、本の紹介コーナーがあり、牧師が順番で担当します。6月は私の番でした。
2006年出版 (中央公論新社2200円)ですから、10年ほど前の本です。東京にいるときにある人に紹介されて購入したのですが、まともに読んでいなかったのです。浜松にきて読み直し、決して新しい本ではありませんが、良い本だと思ったので教師会で紹介することにしました。
「場」としての教会
東海教区婦人研修会が焼津の松風閣で開催されました。講師は左近豊(トム)牧師。旧約聖書学者の一族、左近家の人で、自身、新進の研究者です。
テーマは祈りで、旧約聖書の嘆きの祈り、哀歌を中心としたお話でした。一言で要約するのは難しいけれども、教会はイスラエルの民の長い歴史をとおして習練された祈りの言葉、詩編や哀歌に寄り添って祈る、祈りの「場」であることが大切だというお話でした。
笑いの神学
積ん読していた、聖母文庫1992年出版のリチャード・コート著「笑いの神学」を読みました。笑いを神学的に考察するというものです。しかも、肯定的にです。
伝統的には笑いが神の属性として考慮されることはありませんでした。ギリシャ的な徳の思想がキリスト教の中に影響を与えたのでしょうか、「イエスは笑わなかった」というフレーズと共に、悲しむキリスト像が神の属性とともに論じられてキリスト教の霊性を形づくってきました。
著者は、しかし、笑い(ユーモア)を神の属性の一つとして加えることを主張し、現代における教会の霊性を受け取りなおす(「再発見」と表現しています)ようにと勧めています。ことに、福音を受けとめるセンス、抑圧の下で自由を獲得する秘訣(笑う勇気)を語ります。その基礎的な神学的考察と、展開とが、古今東西の神学者や哲学者、文学者などの言葉とともに論述されます。神学的な論考ですが、やわらかい楽しい読み物です。翻訳はよくこなれた日本語になっていますが、一部、混乱があるのかな?と思わせるところもあります。けっこう重要な部分なので、原文を眺めてみたいとい思っています。
以下の言葉は、笑いの神学の入り口となる重要なイメージとして語られていますが、わたくしはことのほか気に入りました。「教皇ヨハネ23世は笑いの預言者だった。教皇の信仰は、新しい時代のさきぶれとなり、教会の中で笑いを可能にした。教皇の信仰は、教皇が弱い、罪深い、いくらか本物らしくない、太った、よろよろする人間であってもよいのだと、堂々としかも率直に宣言した。」
なお、リチャード・コート氏は神父で、アメリカと南アフリカで神学を教えた経験をお持ちで、本書の発売時には、カナダのオタワのセント・ポール大学で神学を講じておられました。博学でプロテスタント神学にも親しみをもって接しておられるようです。
写真展がはじまった
息子は母親似
ある私立大学に職員として奉職している息子が、経理部経理課に配属されたのは2年前のこと。なんとか勤めている。
先日、ゴールデンウィークに訪ねてきてくれたので、噂に聞いていたことを確かめようと質問したところ、すでに完了して教員・職員用のネットにアップされているらしく、それをダウンロードしてみせてくれた。2つあり、「各課会計担当・会計処理初心者用会計マニュアル」(40ページほど)と「会計・請求ハンドブック」(これも40ページほど)というものだった。
誰に指示されたのでもなく、余暇をおおいに利用して作成したとのこと。なかなか整っている。教員や職員の方々が、会計処理や請求に関して分からないことがあれば、調べらあれるというものである。これを見て、息子は母親似だとつくづく思った。
牧師はときどき転任する。その折りに、彼の母親は写真入りで引き継ぎ事項を丁寧に作文し、ファイルに整理していた。けっこうな分量になるが、息子も自分の持ち場で同じことをやっているのである。
それはそれとして、マニュアルを作るのだから、経理の仕事を少しは覚えたということなのだろう。もしかしたら、自分のために整理したのかもしれない。
215MB
ある合唱団の練習に見物参加させていただいた。62-75才のおば様がたが歌っておられる。スマホで録音を始めたのだが、停止させるのを忘れてしまい、気がついたら録音時間が4時間をこえていた。データ量は215MB 。これが多いのか少ないのか分からないが、私的にはこんなもので済むのかと思った次第である。
これならスマホで録音もけっこう使えると思ったのです。




