ある方がくださった。その方は御自分で使いたいと思って購入されたが、事情があってどうも使うことができない、それで、わたしのお腹をご覧になって、譲ってくださった。
宣伝の中に「美脚になる」との文句も。これ以上美脚になると困ってしまうなあと思いつつ、おそるおそる使い始めている。うん、いいかも。きっと長く使うことになる。かも?。
ある方がくださった。その方は御自分で使いたいと思って購入されたが、事情があってどうも使うことができない、それで、わたしのお腹をご覧になって、譲ってくださった。
宣伝の中に「美脚になる」との文句も。これ以上美脚になると困ってしまうなあと思いつつ、おそるおそる使い始めている。うん、いいかも。きっと長く使うことになる。かも?。
人口と広さにおいて県を代表するのが静岡市と浜松市です。
浜松市に住むようになって、静岡といろいろと比較するのですが、一つの顕著な違いはJRの駅周辺が閑散としているということです。地元の方によると、浜松では郊外に大型モール(ショッピングセンター)がいくつも作られたからだと言います。
郊外にショッピングセンターがあるのは便利ですが、人工的で画一的です。いまごろ言うことではありませんが、個性を競って店々が立ち並ぶ駅周辺の賑やかさは、もう戻ってこないのでしょうね。
国会で強行採決がなされたというニュースが流れました。政治のことはよく分からないのですが、TPPのような(内容はよく吟味される必要があるでしょうが)経済圏が作られていくというのは、グローバル化した世界では必然かと思います。
好むと好まざるとに関わらず18世紀以降の世界はグローバル化が進み、今では身近にいろいろな国の人を見かけ、外国の商品に囲まれ、インターネットを通じて地球の裏側に住む人とも直接話ができます。人と物との行き来が自由になり、国家の壁は低くなってきています。そんな状況を目の前にして、関税の壁を高く築いていたらその国は競争に負けてしまいます。グローバル化に対応していく必要があります。一国だけのことではなく、小さな経済圏ができたとしても、それを囲む壁が強力であれば、いろいろと不都合が起こるでしょう。
グローバルな世界では、グローバル化というプロセスを不断にすすめていくことが肝要です。TPPは実現しそうもない状況ですが、二国間のことであれ、同様のいかなる経済圏構想も、そのプロセスの途中にある一里塚であるならば良いと思うのです。
Facebookにあることについて投稿をしたら、親しい人たちが返信してくださり、民主主義についての評価という話題になりました。
その時に、ふと思い出したことがあります。学部3年のときだったかなあ、神学校の教会史Ⅲという授業を受けたのですが、成績表にAでもBでもCでもDでもないアルファベト文字が赤字で書かれていました。合格点でも不合格点でもなく、評価外ということですね。
どこの国であっても、民主主義が評価外とならないことを願ったのでした。
ある都会のマンションで挨拶を禁止すべきかどうかということが問題・課題となっている。そんな新聞投稿を読みました。
考えてみると、見知らぬ人と挨拶を交わすのは、山登りのときだけになってしまった感があります。下界では挨拶しないのが常識で、下手に挨拶したらやっかいなことになるかも知れない、そんな様子が観察されます。
経済優先の近代社会の行き過ぎからくる貧しさだと思います。見知らぬ人であっても隣人として受けとめる社会を培っていかなければなりませんね。
思い出されるのはかつて三井銀行の社長をされたKさんのことです。わたしが洗礼をお授けし、葬儀の司式もさせていただいたのですが、この方は、本社の近くにある日比谷公園を散歩してから出勤しておられました。公園ではすれ違う人と挨拶をかわし、その中にはホームレスの人たちもおられて、みな顔見知りであったのだそうです。
互いに挨拶を交わすところから、少しずつ社会が良くなっていくと思わされます。すべり台社会と言われて久しいのですが、共に生きているのだということを受けとめ合う「場」を失ってはならないと思います。
特に思い入れがあるわけではないが、1996年、ミシガンに行ったときにシカゴに立ち寄ったことがあった。
その当時、カブスには名前が思い出せないが、私のような体型のセンターを守る外車手がいた。機敏に動き、ホームランもそこそこ打っていたと思う。今年、108年ぶりにワールド・シリーズを制した。すごい試合だった。
108年ぶりとはすごい。
辻井伸行さんの演奏をアクトシティー大ホールで聴かせてもらいました。初体験でした。
モーツアルトのピアノ協奏曲第21番ハ短調K.467。よく知られた曲ですね。ヨーロッパ室内管弦楽団という自主運営のオーケストラとの共演でした。このオーケストラは60名ほどの編成でした。ドン・ジョバンニ、ディヴェルティメントニ短調K.136、交響曲第40番ト短調K.550の演奏がありました。良かったです。
聴き終わって、なぜかわかりませんが、「奏でる」という言葉が素直に頭に浮かんでいました。そして、独特な緊張感です。耳を澄まして澄まして奏でる、そこからくる緊張感だと思います。
Nikon1シリーズのV2に赤の10-100mmレンズをつけて持ち歩いておられる品の良いお年寄りが、山手線の電車で私の隣にお座りになった。上野から乗り込んでこられたと思う。
うれしかった。V2は私の好きなカメラの一つで、これを持ち歩いている人にはじめて遭遇したからだ。しかもレンズは赤。お洒落に使いこなしておられる。
先日、NHKの時事公論でポケモンGoが話のきっかけとして取り上げられていた。スマホ依存から脱却するようにという呼びかけが論旨で、ポケモンGoのいっときの熱狂は過ぎ去り、今では、やっている人を見かけないと言って、スマホゲームの一過性とスマホに熱中することの空しさを指摘しておられた。
スマホをいちど捨てて、本を読んだり、文化的な何かに触れたりしてみてはどうか、という提案は結構なことだと思うが、ポケモンGoを矢面にして論を展開しておられたことに違和感を感じた。
ポケモンGoはスマホゲームでは特異な存在だと思う。それゆえにゲーマーからはつまらないと酷評され、気むずかしい人たちからは迷惑がられた。牧師の中にも、ここではポケモンを飼育していませんとか、宗教施設ですからご遠慮くださいという張り紙を教会入り口に貼った人がおられたと聞く。これらのことは、ポケモンGoがスマホ依存とは無関係であることを示している。
わたしのところもポケストップになっていて、当初、煩わしいことになるのではないかと心配したが、それはなかった。かえって、スマホの画面には教会の立派な写真と正しい名称が表示され、アップデート前の当初の段階では、簡単な施設の紹介もなされていた。
それはさておき、スマホを見ながら歩くのは危険だと指摘される。そのとおりだと思うが、最近、わたしが良く見かけるのは散歩し、会話を楽しみながらポケモンGoに興じている夫婦、あるいは、カップルである。
忙しくひとりでスマホと対戦するゲームや、室内に閉じこもってするゲームとは違い、散歩とゲームと会話の三点セットをポケモンGoは提供しているようだ。それだけではなく、ポケストップは地域や施設や、時には歴史にまで目を向けさせる(その点をさらに充実・改良したら良いと思う)、ジムでは思わぬ出会いもある。また、実は、忍耐を強いられる側面もある。急ぐ必要もない。そんなゲームなのである。
対局中のスマホ将棋ソフト使用疑惑が伝えられている。真偽は私には分からないが、いったい対局中にどのように利用するのか、利用できるのかということに興味をもった。その方法についてはつまびらかには明らかにされていない。
かつてゲームソフトで勝負を争うテレビ番組をみたことがある。超人的な指さばきに驚愕したが、一度、スマホを手に将棋ソフトをあやつる者同士の早指し対局をみてみたいものである。いろいろ想像してみるのだが、面白そうだ。
野球やソフトボールの一部試合を福島で実施したらどうかという案をIOCが提案したというニュースが流れた。本当にIOCから発せられたのかは疑問で、わたしは日本の組織委員会から出たものだと思っている。公式にはIOC提案ということで貫かれるに違いないし、そういうことでなければ意味がないからだ。
これで、政治利用されてきた「復興」が、わずかではあるが素直に具体化されることになる。ボート会場の件は東京都の財政負担軽減が出発であったので、「復興」を旗印に会場変更を迫ることにはちょっと違和感を感じていた。しかし、IOC案が出たことで、ボート会場がどのように決まろうとも、収まりが良くなったと思う。知恵者がおられるなあと感じた。
教会のHPをリニューアルしたついでに、牧師のブログをはじめました。いわば、公式のブログです、教会に関連することも書き込むことになります。教会HPから入ることができます。
このブログは私的な気楽なものですが、牧師のブログとなるとそうはいきません。緊張しています。
それにしても、ブログはなんのためにあるのかというと、私の場合は日記代わりで、思い出を書きとどめておくというのがおもな目的となっています。教会ブログは、同じように、教会日記代わりということになるでしょうか。
日記と言っても、書けることと書けないこととがあります。書けないことのほうが多いかも知れません。それでも、教会と教会をとりまく様々なことを牧師の目をとおして見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを書きとどめることができたら良いかなと思っています。
日曜日にある方がくださった。『生命活動の舞台裏』という副題がついており、岩波新書から2008年に出版されている。
折しも、大隅良典氏が「細胞自食作用(オートファジー)」解明によりノーベル生理学・医学賞を授与されることが決まったというニュースと重なって、生命活動への関心が私の中で高まっている。
本書は、私のような門外漢で無知な者でも、少しは理解できるようにと書かれている。比喩や形容が面白く、事柄を身近に感じさせてくれる。一つの例だが、『大食漢・オートファジー』は、他人ごととは思えなかった(いや、他人ごとではないのだ)。
分からないことだらけだが、なんとなくだが分かってきたと感じさせてくれる本書である。
ネット上で情報を共有したり、共同で何らかの作業に取り組んだり、協議や議論ができるだけではなくて、上手に整理しまとめていくことができる、そんなツールが無料で提供されているのに、牧師の世界ではほとんど使われていない。
理由は簡単。やる気がないのである。
WordPressによるブログは扱いやすく手軽に美しいサイトを構築できるので有り難い。自分のサーバーを持っていなくてもWordpress.comさんが無料スペースを提供してくれている。有り難い限り。
このサイトもそう。今になっては当たり前の機能だが、PCでもタブレットでも、スマホでも表示はそれぞれにふさわしく対応してくれる。
これを使わない理由はない。

先日、カメラとスマホを持って浜名湖フラワーパークに行ってきました。見上げるほどの大きなトウモロコシ?が。

新しもの好きの私です。と言ってもヒョイヒョイと購入できませんが、タブレットと言えばタブレット、スマホと言えばスマホのこの機種を手に入れました。
スマホ以上の機能はありませんが、7インチの画面なので私には適当なタブレットです。音声通話のためにiijmioのSIMを挿しました。
これだけであれば、月額1200円+通話料で事足ります。将来的にはこれだけに、ということになるかもしれません。
![MediaPad T2 7.0 Pro LTEモデル SIMフリー [ゴールド] の製品画像](https://i0.wp.com/img1.kakaku.k-img.com/images/productimage/fullscale/K0000886199.jpg)
日本基督教団社会委員会から「相模原の施設で障かい者に向かってなされた殺傷事件」に関連する呼びかけ文が公にされました。ご紹介します。
K姉から譲り受けた某新聞のカット作者が描いた40年以上前のカットです。

今週、静岡教会での静岡地区の東京神学大学後援会の会議を終えてソウルに向かいます。
このたびのソウル行きにはいろいろな意味がありますが、一番大きなことは、ナグネ宣教師の派遣期間の更新に伴って、大韓イエス教長老会総会(本部)、長老会神学大学(ナグネ宣教師が神学教師として奉職している神学校)、そして、大韓イエス教長老会セムナン教会をお訪ねすることです。教団議長や世界宣教委員長などと共にまいります。ナグネ宣教師の派遣をとおして日韓の宣教協力が強められていますが、さらにその関係を発展していくために必要なことです。
さらに、私は昨年セムナン教会からシニアス合唱団をお迎えしましたので、その感謝をお伝えしたいと思っております。また、セムナン教会日本語礼拝で説教をいたします。この日本語礼拝の前身は日本語聖書研究会でした。もう10数年まえですが、その当初から交わりをいただいておりましたので、特別な思いを持っています。
ことに、日本語聖書研究会のメンバーであった延世大学名誉教授で世界改革派教会協議会の副議長を長くつとめられたセムナン教会の廬長老(故人となられました)が特別な配慮をしてくださり、今日、日韓のさまざまな青年交流のきっかけを作ってくださいました。その最初の日韓青年交流の折に、私たち日本からの訪問者を通訳として迎えてくださった当時の青年たちが、今日まで変わらずに交流を支え、また、ナグネ宣教師の働きを支援する「ナグネ会」のソウル支部の柱となってくださっています。日本語礼拝のメンバーでもあります。
そして、なによりもセムナン教会が神学大学博士課程で学んでおられた当時からナグネ宣教師を支援してくださっています。ことにイ・スヨン牧師のご厚意とご指導がありました。それでナグネ宣教師の神学大学での奉仕の道が開かれました。そのイ牧師は今年度で隠退なさいます。ナグネ宣教師の派遣期間延長に関係して大仕事があった(ある)のですが、最後の仕上げを共にしてくださっています。
あれやこれやで、一週間ほどソウルに行ってまいります。
Swayに習熟するための試作のつもりで作りました。日本人観光客があまり訪れない、しかし、貴重な観光地です。
6月6,7日に東京神学大学を会場に行われた日本伝道協議会に、久しぶりに、出席しました。
この協議会は、教団紛争を乗り越えて伝道する教団形成のために、協議していこうとの志をもって始められました。今回で26回を迎えました。
「伝道の最前線-危機からの再生-」が主題でした。小友聡教授による主題講演は、いつにも増して、情熱的で感銘を受けました。いくつかの具体的な提言をされました。わたくしは共感しました。ただ、残念だったのは、協議会で十分に事柄を深めることは出来なかったように思いました。
シンポジウムが行われ、4つの発題とそれぞれにレスポンスがあり、発題に対応して分科会が4つ設置されました。私は第一分科会「伝道の危機の中から」に参加しました。感想は控えますが、危機を転換点と受けとめ、足が地に着く、地道な取り組みが始められると良いと思いました。
協議の中でインターネットをどのように用いるかという話題も上がりましたが、教会はまだまだですね。真剣には考えたことがないというのが現状です。インターネットを用いて日常的に協議する手立てをもつようになれば、今回取り上げたような大切な主題をより深めることが出来るようになると思います・・・・・やる気が肝要ですね。
MicrosoftのSwayは、牧師が説教を作る(原稿を書く)うえで有用なツールではないかと感じています。
Swayは小さなカードを何枚も並べて一つのストーリーを作成するようになっています。そして、そのカードを並び替えることができますし、重要なカードを大きな文字で表示することができます。
説教はセンテンスが長くなりすぎないほうが良いと思います。一つの小さなカードに納まるぐらいの長さがちょうと良いようです。その点で、Swayのカードは有効です。
また、いくつかのカードの連なり、その連なりが大切ですが、カードを並び替えることができるのも良いです。
そして、説教には段落がありますが、段落ごとにティール・ザーゲと呼ばれるまとめの句ができます。まとめの句を目標にして段落ごとに論述・言葉の流れを生み出していくと言い換えても良いかも知れません。そのまとめ句となるカードは大きな文字で表示することによって、説教作成者にとっても説教が見やすくなります。
明後日の説教準備をしながらSwayで作品を作りましたが、作りながらそう思いました。
Microsoftが提供してくださっているSwayは、私の仕事に、また趣味にとって、一つの可能性を開いてくれました。
テキスト、画像、動画などを織り込んでストーリーを作ることができます。インターネット上で作業をし、また、表示することができます。pc、タブレット、スマホとそれぞれに適した形で表示されますから、ただ作れば良いということになります。作ったものはネット上(Microsoftのクラウド)に保存されるので、それも便利です。
趣味についてはここでは触れませんが、仕事に関しては、教育教材、伝道ツールを今までよりも簡単に、しかも、ビジュアルに作ることができます。まだ実現していませんがSwayの良いところは、ネット上で複数の方々と共同制作ができるということです。これができれば、非常にすぐれた教材やツールの制作が可能となります。
それから、説教などは今まで文字で表示するだけでしたが、特別な技術を必要とせずに、ビジュアルにご紹介することができます。息のつまるようなびっしりと文字が並ぶのではなく、ゆったりとした感じで説教を読んでいただくことができます。
そのようなわけで、私にとって一つの可能性を開いてくれたのでした。
試しに、説教全文ではありませんが、聖書テキストを物語る部分を取り出してSwayで表示してみました。
相変わらず未完ですが、一応、出来上がりました。