iPadで音声入力

音声入力のテスト中です。なかなか調子がいいです。これは楽ですね。こんなにスムーズに文章を音声で綴ることができるとは思いませんでした。大いに使っていきたいと思います。それにしてもiPadの進化には驚きます。

3時間かかる

昨日車椅子を押してもらって、家内のスマホを機種変するために近くのドコモショップへ。

親切に対応してもらったが、3時間かかった。ちょっと長すぎた。正直疲れてしまった。今日は午前中に昨年入院したリハビリテーション病院で定期の受診。午後訪問リハビリを受けたが疲れが残っていて、辛かった。直後に爆睡。

こうやって少しずつ体力がついていくのだと思う。

毛づくろい

Twitterでフォローしている勝間さんのブログを書く理由です。「サル山のサルの毛づくろいのようなもの」は面白い。人間社会では「毛づくろい」が失われてしまって挨拶もしない社会になって、閉塞していないか、と考えさせられました。個人情報が知られないようと神経を使い、そうすることで個人を守らないといけないと思い込んでいる。殺伐とした社会に生きているのだから、と。「毛づくろい」などあり得ない。しかし、本当のところはそれを必要としているのではないだろうか。殺伐とした社会を助長していないか、少し考えて見なければならないと思う。

センチメンタル?サクラメンタル?

29日は「サクラメンタル・ジャーニー」という説教題にしました。

「センチメンタル・ジャーニー」を捩りました。同名の歌を松本伊代さんが歌ったり、同じくリンゴ・スターの曲名にも採用されて親しまれています。おおよそ旅は感傷的なものですが、元々は英国の作家

ローレンス・スターンという英国国教会の牧師が綴って、1768年に出版された紀行文の書名『センチメンタル・ジャーニー』(A Sentimental Journey)によって広く親しまれるようになりました。このローレンス・スターンを彼の代表作から影響を受けた夏目漱石が日本に最初に紹介しています。紀行文センチメンタル・ジャーニーは静養を兼ねた大陸旅行の体験から生まれた作品です。著者は結核を患っていたのです。そして、大陸旅行は人生の最後の旅となりました。その後、病状が悪化、同年3月ロンドンで没したと言われています。牧師の綴った人生最期の紀行文なので読んで見たいと思うのですが、日本語で読めるのかどうかわかりません。

さて、わたくし達には一つの旅路が始まっています。サクラメンタル・ジャーニーです。それは、神の不思議な御手に導かれる御国への旅路で、私たちの人生の導きとなっており、救いを辿って行く旅です。

 

二枚舌?

このところ歯の治療をしています。

先日、大きく口を開けて奥歯の治療を受けていたのですが、歯科医の先生が

「張田さんは舌が大きいから治療しにくいわ」と言われるので、

「私の舌は二枚あるでしょうか。」と訊ねると、

「そうね、うーん、三枚かしら」とのお返事をいただきました。

 

 

信仰者の葛藤とその目覚め

15) ὁ γὰρ κατεργάζομαι οὐ γινώσκω· οὐ γὰρ ὃ θέλω τοῦτο πράσσω, ἀλλ’ ὃ μισῶ τοῦτο ποιῶ.

ローマの信徒への手紙7章を読み直す

7章にはある「葛藤」が描かれています。たとえばこうです。15節です。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。」神の良き律法を行うことができないで葛藤している様子が語られています。

印象深い言葉ですが、この言葉を含む7章の解釈について、古来、決着していない議論、論争があります。2つあるいは3つのことを焦点として論じられています。一つは、ここに描かれている葛藤は、いったいパウロの個人的な経験なのかそうでないのかです。その場合、2つ目のことになりますが、この葛藤は回心以前の人間のことなのか回心後のことなのかです。そしてもう一つは、そもそもこの葛藤とはいかなる事態なのかということです。分かりにくいのですが、今は三のことに焦点を当てて読み直してみたいと思います。

読み直すきっかけとなったのはある書物を通して動詞の態の一つである中動態についての関心を喚起されたからでした。中動態と言うのは今は失われていますが古典ギリシャ語や聖書のギリシャ語に存在していた動詞の性質に関する文法上の説明の仕方の一つです。よく知られているものに能動activeと受動passiveとがあります。説明は不必要でしょう。ところがそのいずれでもない中動middleという性質を持った動詞の形態があったのでした。文法という文章の仕分けの仕方が編み出された時、そう呼ばれるようになりました。近代人には捉えがたいのですが、能動でも受動でもない別のもう一つの動詞の形態です。
私たちは能動ー受動という対立(対称)の図式で物事を考えることにすっかいなれ親しみ、意志や主体性、そして責任という観点から自分も含めて人間の行為をとらえようとしていますが、それとは別の言語の世界、捉え方がその昔にはあったのでした。それが中動と呼ばれる世界です。
ところで、ギリシャ語は語の語尾の変化によって能動であるか受動であるか中動であるかが示されます。そして中動の語尾変化は受動態に似ています。能動とははっきりと異なっています。ところがその意味は能動である、と一般に説明されます。分かって分からない説明ですが、それを真に受けて普通は能動の動作として翻訳されるのです。
ところが、この中動態と格闘し、それが何かを探求し、中動態の世界に案内しようとしてくれている哲学者が現れました。國分功一郎という人です。著作は「中動態の世界ー意志と責任の考古学ー」です。『医学書院』と言うところから発行されています。それは、依存症からの回復と取り組んでいる人たちとの関わりから生まれた著作であることを物語っています。後書きでこう記しておられます。「私はそこで依存症の話を詳しくうかがいながら、抽象的な言葉では知っていた『近代的主体』の諸問題がまさしく生きられている様を目撃したような気がしたのだと思う。『責任』や『意志』を持ち出しても、いや、それらを持ち出すからこそどうにもなくなっている悩みや苦しみがそこにあった。」

私の読解力の乏しさがおもな理由であるが、まだ腑に落ちないところもある。けれども、興味深く読ませていただいた。
思い出してローマの信徒への手紙7章15節をひらいてみると、やはり「私がしていること」と訳されている語は中動態であった。中動態で言い表される他に言いようがない事態がここに表現されているように思われます。

今日はここまでです。続きは後の日に。

15) ὁ γὰρ κατεργάζομαι οὐ γινώσκω· οὐ γὰρ ὃ θέλω τοῦτο πράσσω, ἀλλ’ ὃ μισῶ τοῦτο ποιῶ.

もがいていた貴重な時代4その2

もがいていた時代に何をしたか。説教のための学びと共同の研鑽をしました。今回は、その話の2です。
2、同僚の牧師たちと毎週同じテキストで説教をするようにして、一緒に説教準備のための黙想をするようにしました。これが今回のお話です。

当時、大阪の豊中にいました。近くの箕面というところに同年輩のS牧師が、少し離れていますが茨木で担任教師をしていたN伝道師がいました。発端を忘れてしまいましたが、3人で毎週木曜日の夜に集まって説教の準備として黙想をするようになりました。時間は早くて午後8時くらいから遅くなると午前2時くらいまででした。会場は茨木教会の伝道師館です。建て直した直後で、立派な住宅、快適に黙想会をすることができました。
大阪というところは面積が狭いので、交通量の少なくなる夜は、短い時間で行き来できます。私が箕面のS牧師を迎えに行き、茨木まで出向いたのでした。その車の中での会話について思い出があるのですが、後日にということにします。
黙想会で、何をしたかというと、まずギリシャ語テキストを開いてしばらく黙読をします。次に、テキストを巡って自由に話し合います。基本的にはそれで終了です。テキスト黙読が30分くらいだったでしょうか。黙読といってもテキストを眺めるということです。その後の話し合いは、たいがいS牧師が口火を切りますが、3人で一緒に一つのテキストを覗き込む、ことになります。テキストの個性に気づき、共通の認識を持つようになります。解釈が困難なことにぶつかると、N伝道師がおもむろに厚いドイツ語注解書を開きここにはこう書いてあると紹介してくれます。ピンとこないこともありましたが(簡便に利用できるような注解書はありませんよね。)そそれなりに参考になりました(窓を開けて外の空気に触れるというような感じですね。)。そうしているうちに自然に黙想が深まって(広がって)いきます。テキストをめぐって、さらに、それに触発されて教会のこと、人間や社会のことなどが話題に上がります。そしてテキストに戻ってきて、神学的霊的(当時は霊的という自覚はありませんでしたが)な事柄へと移り、書物を通して知ることのできていた説教者や神学者や文学者、哲学者の言葉(表現)などが思い出されては披瀝されます。この一連の黙想ではS牧師が大いに賜物を発揮してくれました。そして、N伝道師の聖書学の関心からの発言などが加わり、やりとりが続いていきました。私はというと二人の話をじっと聞くという役割り?でした。
ここで開いて黙想をしたテキストで、三人はそれぞれの教会で説教したのです。ですから、時にはその録音を持ち寄り、説教批評会をすることもありました。
4年間続いたでしょうか。この黙想会を通して教えられたことは多々ありました。貴重な経験でした。それらのことについては後日、少しづつご紹介したいと思います。
続く

ハイム・ラビン著「ヘブライ語小史」紹介の続き 4章の3

第4章その3

ここでは、バビロン捕囚と捕囚民のユダヤへの帰還、エルサレム再建の時代に至る推移が論じられています。

古典ヘブライ語は前586年にエルサレムが滅亡するまでの400年間用いられました。この間、都エルサレムにおいてさえ話し言葉には変化が見られたであろう。しかし、書き言葉は、文法と語彙の重要なものはほとんどそのままで、文体だけが変化した。これは古典ヘブライ語が教育によって習得された文章語であり、主に社会的エリートが有用に用いたということを意味しています。当時は、書簡や書物は実際にはその著者によって書かれたのではなく、文字と共に書き言葉を習得していた専門の書記生によって書かれたのであった。これら書記生は、できうる限り厳格に言葉の基準を維持することに意を尽くした。なぜならば、話し言葉と書き言葉の距離が大きくなればなるほど、かれらの立場がより有利になるからである。つまり話し言葉と書き言葉に乖離が生じていったと、ラビンは考えています。
そして、ネブカドネツァルによるエルサレム破壊とバビロン捕囚によって大きな変化がもたらされました。ネブカドネツァルは祭司、書記官、職人たちを、すなわち書き言葉の担い手たちをバビロニアに移送させ、ユダヤに残ったのは「ぶどう酒を育てる者と農夫」(列王記下25:12)、すなわち村民だけであった。そのため、ユダヤでは、ヘブライ語が話されてはいたが、古典の文章語を引き続き育成する者が一人もいなくなった。
捕囚は70年続いた。この期間に捕囚の民は彼らのまわりの言語を話すことをまなんだ。当時のバビロニアの話し言葉はアラム語であった。他方書き言葉は古代のバビロニア語(アッカド語)で書かれて伝達されるものもの(公文書のようなもの)だけが用いられていた。
前539年ペルシャの王キュロスがバビロニア帝国を征服した。彼はすぐに公式な記録にバビロニア語の使用を禁じ、その代わりにもっとやさしいアラム語を代用させた。またペルシャの王たちはバビロニアの支配を受けずにペルシャ帝国の支配に置かれた地域にもアラム語を広めた。このようにして、アラム語はインドからヌピア(現北部スーダン、エステル1:1)にいたる広大な地域における伝達文書の言語にもなった。アラム語による碑文がインドでものこされている。前272年に全インドの支配者となったアショカ王が北西インドに建てた碑文である。その他に、アスワン近隣のイェブ(エレファンティネ)からアラム語で書かれた膨大な数の書簡や契約書が出土している。これらは、ヌピアの国境の近くに、ペルシャ人によって配置されていたユダヤ人駐屯軍からはっせられていたものである。それらはヘブライ語語法の影響がみられるが、すべてアラム語で書かれている。
これらのことから、キュロス王の勧めで帰還した捕囚民が、私的にも公的にもアラム語を使用する習慣を持ち帰ったと考えられる。彼らを見張るために、公務でのアラム語使用をペルシャ当局が要求したであろう。それ故、ネヘミヤ記8章8節には、書記官エズラが水門の傍にある広場で律法の書を民の前で読んだ時、「彼らは神の律法の書を翻訳して(メフォラシュmephorash)解説を加え、朗読箇所の[意味を]理解させた」と記されている。「理解させた」とはレビ人たちが人々に与えた説明のことであり、「翻訳して」とは聖書がアラム語に訳されたことを意味している。ちなみに聖書のアラム語訳は「タルグム」と表されている。この翻訳は聖書のヘブライ語を理解することのできなかった帰還したばかりの捕囚民にとって必要なことであった。同時にペルシャ当局への公式声明という目的もあったと思われる。

FaceBookに投稿したこと『暇と退屈」

暇を持て余しているというわけではありませんが、なすべきことが多々あるにもかかわらず、身体的に対応できることが少なく、結果として暇をもてあます状態にあります。そのぶん、頭を使うこと(頭の中だけでの動き)が多くなってきました。もちろん、快適に動くわけではありませんが。
退それで、退屈の感じ方が変わってきました。身体を動かしてなすべき作業をこなすことが次々と求められると、動きの鈍い頭ですから働かせることがままならず、退屈に思えてくるようです。
普通、退屈と思われるような状態が、わたしには退屈ではない状態となっているようです。もしかしたら、哲学者や詩人になるかもしれません?

 

もがいていた貴重な時代、 その2

もがく時代に、何をしたか。同じようにもがいている友を得ました。その話をします。
あるとき、伝道所で会計をしてくださっていた70代の役員がご夫妻で礼拝に来られなくなりました。それまでは日曜日には朝7時には来られて、庭の花壇の手入れをしてくださっていました。きちっと会計の務めをなさり、きっちりした方でした。それだけに、少し人に厳しいところもおありでした。
牧師に対しても同様、いや牧師だからこそ、厳しさを求めておられたと思います。朝早く伝道所に来られて花壇の世話をなさる、そのおりおりにその厳しさが感じとられるのでした。
何か仰りたいことがあったのでしょう。その頃、二階の一部増設の話が出ていました。伝道所の会員にとっては、少人数で伝道所の財政を支えるのは、大きな教会(親教会)の会員には分からない苦労が伴いました。ことに会計には重圧がかかっていたことでしょう。その上に増築の話ですから、重圧はさらに大きくなりましょう。私と言えば、次回にお話ししますが、牧師として、説教者として非力でしたし、ご存知のように、よく言えば温厚、悪く言うといい加減ですから、伝道所の皆さんには苦労をかけていたのでした。
そのような状況のもとで、この会計役員は心が折れてしまったのです。牧師に躓いたということもおっしゃっておられました。
小さな伝道所です。奥様と二人が礼拝に来られなくなるのは大きな痛手でした。さすがの私も悩みました。どうしたら良いだろうかと、落ち込んでいた時、近くで伝道・牧会している関西学院出身のI牧師(私よりも3、4歳上の方ですが、訪ねて来られたのでした。この先生とは当時、大阪教会を会場に毎月行われていた牧会研究会や会場持ち回りのバルト研究会で一緒でしたので親しくしてもらっていました。その時、思い切って正直に実情を話して、どうしたら良いだろうかと相談しました。すると、すぐに返ってきた言葉が「僕にも同じような経験があるよ」でした。何か同志を得たという思いになりました。そして、アドバイスを二つくれました。
一つは、この問題の処置を役員会に委ねてみたらどうかということでした。役員全員が一人ずつ会計役員から話を聞いてきてもらい、どうしたら良いかを話し合ってもらう、というのが具体的なサジェスチョンでした。二つは、その時に、牧師はぜったい嘘を言ってはだめだよ、でした。自分を擁護しようとしてはならない、まな板の鯉になるようにということだと理解しました。
そのようにしました。1ヶ月かけて役員が会計役員夫妻を訪ねて、話を聞いてきてくださいました。何をお聞きになったかは、詳しくは承知しておりません。そして役員会が開かれました。静かな役員会でした。役員それぞれの感想をお持ちで、短い言葉でそれを披瀝しあって、今後、伝道所の歩みをどうしていけば良いかを話しあってくださったのでした。結論は、非力で頼りない牧師ではあるが(そうは仰らなかったですが、共通認識であったと思います)、牧師を支えつつ伝道所の形成、伝道に力を尽くして行こうということでありました。
思いがけないことでしたが、この事を通していっそう役員会形成がなされて、伝道所の歩みが強められたのでした。
役員会に委ねるということは牧師にとっては容易なことではありませんが、それは必要なことだったのです。牧師は嘘を言ってはならない、は今も肝に命じている言葉となっています。相変わらず非力で不十分な牧師であることにかわりはありませんが。
そして、I牧師は同じようにもがいている友となりました。
もがき、強がることもできない時に、友を見出したのでした。
I牧師の他、何人もの友を与えられた時代でした。

続く

老健施設でショートステイ

1月16−18日、聖隷福祉事業団のベテルホームで2泊3日のホームステイをさせていただいた。家内の休暇のためである。

なぜベテルホームでかと言うとケアマネージャーがそこではリハビリをしてくれますよと言って勧めてくれたからである。

所長先生のあたたかい配慮により、熱心なリハビリを受けることができた。お陰で、右足が筋肉痛になり、久し振りの大いなる疲労感を味わっている。夜は死んだように眠った。

ただし、イビキは生きていたが。

 

街頭給食

病気のためか、年齢のせいかよくわかりませんが、若い頃のことを懐かしく思い出しすことが多くなりました。今年もYさんから年賀状をいただいたのをきっかけに年末年始の街頭給食のことを思い出しました。

今で言うホームレスの方々への食事のサービスです。小学生の頃は父母に連れられて給食を用意する調理ボランティアに、神学生時代は上野公園や山谷あたりでの給食ボランティアに行きました。Yさんは大変有名な法律家のお嬢さんですが、若い頃によくそのボランティアをなさったようです。

そういえば年末年始の無料宿ボランティアもありました。時代が随分変わったので、今はどうなっているのか知りませんが、40年ほど前は日雇いの労働者の方々が年末年始を暖かく過ごすところがなく、行政も十分に対応できていなかったので民間のボランティア団体がサービスを代行していました。

ある時、騒動がありました。利用者の方々が食事のことで不満を感じて騒動になりました。食事が食事になっていない、と言う不満です。味や量のことではなく、メニューの仕様に関することです。当時の利用者の方々の常識では、白いお米と、メインのおかず、例えば焼き魚とか肉料理ですね。それと汁物、その3点がしっかりと顔を揃えていなければ食事とはみなされ無かったのでした。カレーやチャーハンのようなものがメインになるとその3点がぼやけます。作る方は簡単なのでついついそうなってしまっていたのでしょう。騒動はすぐに収まりましたが、その時、厨房を請け負っていた人たちの不正が表に出ました。材料費を低く抑えて、差額を懐に入れていたのでした。

このような年末年始のボランティアを経験して、ホームレスの方々の生活をほんの少しですが、知るようになりました。

その経験は前任地の六本木におられるホームレスの方々とのほんのわずかな接触でしたが、そのときに役立ちました。

 

 

 

2017年は

5ヶ月と10日、入院していました。

4月25日に発症した脳出血による左半身麻痺は重く、退院した今も障害が残っています。幸い、生命は、そして右半身と言語の機能が残されており、不自由ではありますがいっちょ前?の生活ができるようになっています。「2018は」に続く。

YogaBookが人気のようです

伝えられるところによると、大変ユニークな2in1のレノボ社製の軽量タブレット(軽量で非常に薄いノートパソコンと言えないでもありません。)の人気が高く、生産が追いつけずに販売直後の売り切れ/販売停止が3度も続いているそうです。そのユニークな点については下にリンクを貼った製品紹介ページをご覧になるとよくわかります。

私は人気沸騰前に、そのユニークさに惹かれてwindows版とandroid版の二つとも購入しました。

ことに人気が特に高いのは、そして私も一押しなのはandroid版です。windows版とosを除いて仕様が同じなので、androidタブレットとしては高スペックとなっており、動作がキビキビしています。windowsのような多彩で重厚なソフトウェアーは使うことはできませんが、web閲覧、HPの更新やブログ投稿、Facebookの閲覧投稿、メールのやりとり等は非常に快適に作業ができます。もちろんwordなどのofficeソフトも使うことができます。価格が手ごろというのも良いですね。

windows版はCPUの非力が反映して少しストレスをうけますが。それでも、ワープロソフトの一太郎、聖書研究用のbibleworksを入れておりかけがえのないものとなっています。

お勧めします。

製品紹介ページ

 

伝道・教育用のツールを

と願ってmicrosoft社のプレゼンテーション用アプリを勧めているのですが、まったく反応がなくて落胆しています。それで、改めて、1年前に作ったsway作品をFacebookに投稿しました。ツール(素材)作りに励むお仲間が欲しいなと思っています。

画像は削除しました。こちらをクリックしてください。

召命感とは何

最近、改めて考えさせられている。

召命は英語でcalling、ドイツ語でberuf。これらの語に微妙な意味の違いを受けとめる人がいます。

10年ほど前に、ある会合で元日銀総裁のH氏の隣にすわった。ちょうどその頃、日本伝道会というところから伝道パンフレットが出されていて、その1つにH氏の文章が掲載されていた。ご自分の仕事を神からの召しとして受け止めているという内容だったと思う。題は「召命」。H氏にその時パンフレットを読ませていただいたと申し上げたところ、「召命」という題に、あれは私がつけたものではないと、いささか憤慨しているという口調でおっしゃられた。

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あたらしい翻訳のパイロット版

日本聖書協会があたらしい翻訳の聖書を準備していると言う話は聞いていた。そのパイロット版が世に出たようだ。ほんの一部分だが読ませてもらった。

どうも歳をとったせいか、かつてとは違って新しもの好きではなくなったようだ。興味を喚起されなかった。

聖書事業が祝されるように祈る。

ネットで結び、二箇所で同時に礼拝が?

できないでしょうか。

スマホやタブレットがあれば、プロジェクターで投影して可能ですね。Skypeやhunngoutを利用すれば良い、とある方が教えてくださったので、さっそくhungoutなるものがどういうものか、使ってみています。なるほど、出来そうです。

同時に礼拝と言っても、一方向の情報伝達ではなく、双方向伝達をセットすれば、A教会で説教者がご用にあたり、B教会ではオルガニストが奏楽し、またどなたかが司式をする。そのようにして同時に礼拝を守ることができます。礼拝後には二つの教会の短い交わりの時ももてそうです。

真剣に、取り組んでみませんか?

 

ios11にアップデート

iPhoneとiPadProをアップデートしました。便利な機能が加わり、使い勝っても良くなりました。大きな変化です。その変化はiPadProにおいて顕著です。一言で言うとパソコンに近ずいた感があります。それはwindowsのエクスプローラーに似ている「ファイル」機能が加わったことによります。PC等とのデータの共有・整理が容易になったからです

下記はフェイスブックに投稿した文です。iPhone よりもiPadProのほうがメリットが大きいです。ios11によってiPadProはパソコンに近づいた、そんな感じです。動きはきびきびしていてパソコンをすでに凌駕している。追加された「ファイル」はwindowsのエクスプローラーのようでデータの整理と共有がしやすくなった。、Docは見た目MacノートやMacPcに似ている。アプリが起動しやすくなった。コントロールセンターは使いやすい上にカスタマイズできる。すごい。携帯性もよく、ほぼiPadとiPadProで事足りる。私にとってはベッドに横になった状態で、タブレット・スタンドがあれば、使えるというのが有り難い。

 

退院・帰宅

10月3日、4ヶ月お世話になった浜松市リハビリテーション病院を退院。聖路加国際病院と合わせると5ヶ月の入院でした。

牧師館には必要な個所に手すりが設置されており、杖を頼りに、日常生活が可能です。

倒れた直後、医師の診断は、麻痺は残り、一生車椅子、とのこと。そのことを思うと、予想をはるかに超えて回復しています。ありがたいことです。幸い言語は維持できており、ある医師が奇跡的なことですよ、と言ってくださいましたが感謝です。

4日は教会まで駐車場を通って往復。

6日は訪問看護の看護師さんのサポートでシャワーを。風呂場に一ヶ所手すりを設置する必要がありそうです。心配していた10センチの敷居はクリアーできました。

病院で指導していただいた自主トレの指示に従って自主リハビリもやっています。

パソコンとネット環境を整えるのが大変でした。パソコン、タブレット等々も5ヶ月間ほったらかしだったので、リハビリが必要のようです。やっと今日から普通に動くようになりました。ただし、まだMacのPCはセッティングが終わっていません。疲れました。今は、デスクトップPC、windowsタブレット、iPadとiPad Pro、androidタブレット2つが動きます。あとスマホですね。これでネットを利用しての仕事を再開できます。この投稿はベットに横になって、頭上にセッティングしたiPadProで入力しています。

教会ホームページ、その他のホームページ、ブログ等々の書き込みも徐々に本格的に再開します。

入院中に始めた聖書黙想の勧めもSwayを用いて続けるつもりです。その準備をしている時に気がついたのですが、福音書の中に「身体の不自由な人」の癒しの記事がマルコとマタイにあります。昔は中風の人と表記されていました。「麻痺」という意味ですね。「歩けない人」です。私と同病です。

それに気がつきました。他人事ではありません。次回の黙想はその記事を取り上げようと思います。

今日はここまでですが、入院中の忘れられない思い出を少しずつ書き込んでいこうと思っています。

3カ月

浜松市リハビリテーション病院に転院して明日で3カ月になる。入院も後1カ月とちよつとの予定。住宅環境を整え始めることになる。本が読めて、パソコンが打てて、プリントができればさいていげんであるが仕事が出来る。かな?

IQテスト

脳出血で左半身麻痺となって2か月と1週間、いまはリハビリ病院にお世話になっている。麻痺している左足にも少し力が入るようになり、装具を着けて杖で歩く練習中。少しずつでも良くなっている実感があり、励みとなっている。か、一つまいることが。

それがIQテスト。認知能力の低下がみられないか調べてくれているのである。非常に低下していると、いうことでは無さそうだが、少し低下しているのだろうという感じかしている、簡単なテストなのに疲れるし、間違いも多い。年齢相応と、言ってくれるがどうもスッキリしない。こちらのほうは、回復の見込みはあるのだろうか?

現実と向き合い、残された能力で神の栄光の為に、生きるように、と言うことなのだろう。

それにしても、IQテストは嫌だ。