好きな聖書の言葉は

と、質問されると、実は困ってしまう。好き嫌いで聖書の言葉に接することに対して、どこか否定的になっているのだろう。

先日、青年会の修養会でその質問が。で、なんと答えたかと言うと、「自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従ってきなさい」とのイエス様の言葉。振り返ってみると、若い頃から、幾度となくこの言葉が、折々に、心の耳に入ってきた。

先週、青山学院大学の相模原キャンパスでの礼拝でこの言葉の意味をお話しすることができた。鶏が鳴く前に三度主を知らないと否んだペドロの物語と、ゴルゴタまで主に代わって十字架を背負うことになったクレネ人シモンの話と共にお話した。

その日の礼拝への招きの言葉は「重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」との主のお言葉であった。ピッタリと合致した。

コーヒーと紅茶

珈琲とティー、とした方がよいのだろうか、分からないが、どちらかというと紅茶派と自覚しているのであるが、なぜかコーヒーを飲むことのほうが多い。

夏前からキューリングを愛用している。UCC珈琲をK-Cupというコーヒーカップ一杯分用に取り分けてある密閉容器との組み合わせで、一分足らずで本格的なコーヒーを味わえるというものである。

コーヒーの種類もたくさんあって、手軽で良い。一日に2杯ほど飲んでいる。だからといってコーヒー好きというわけではない。

紅茶だが,それほど頻繁にではないが、喫茶店に入るとたいがいケーキとセットで注文する。ミルクかレモンかはその日の気分による。その時、紅茶はやっぱり美味しいなと思う。

iPadをドコモsimで使う

simフリーのiPadを手に入れた。台湾で購入。海外で購入すればiPadもsimフリー。

日本では携帯電話会社の縛りがあり、iPhoneも同じことだが、ドコモではiPadは発売されていない。何とかならないものかと思う。

それでsimフリーの使い心地であるが・・・・やっぱり、良い。

久しぶりにカメラのこと

ニコンでは35mmサイズのデジタル一眼レフカメラをFX機と呼んでいる。一般に言うフルサイズのことである。それから、もう少しセンサーサイズが小さいAPS、ニコンではDX機と呼ぶ。レンズ焦点距離が1.5倍になる、多くの人が馴染んできた規格カメラである。

最近はFX機にも人気が集まってきており、直近のヨドバシカメラ販売台数統計によるとD600、D800というFX2機種が上位を占めたと聞く。D800などは3600万画素というトテツモナイ高画素機ながら、一般の写真愛好家にも手の届く価格になっている。。

他方、FX、DXとは違うミラーレス機(とその類似機種)が開発され、ニコンからは1シリーズとして販売されている。一眼レフのようにレンズ交換ができる小型で軽量なカメラである。レンズ焦点距離が2.7倍となる。そのセンサーが1インチセンサーなので1シリーズとよばれる。J1、V1、J2に加えて、最近、V2というカメラが新発売となった。

私は、現在、FX機と1シリーズ機を所有している。
10年前にD100というDX機から始まった一眼レフデジ・ライフであったが、今はDXから離れている。良いカメラが発売されているが、私にとって現状では中途半端で、固有のレンズも必要になるので経済的にもきついという理由である。

さてさて、最近発売となったV2は面白い。一眼レフカメラのミニュチュアという感じのデザインで物議を醸している。しかし、あの長く親しまれている一眼レフのデザインは、人間工学的にも良いのだろうか、非常に扱い易い。
小さなカメラはおしゃれなデザインだが、写真を撮るという点からいうとストレスを感じることが少なくなかったが、V2は一変している。

野球でいうとそこそこ上手なタレントさんから、巨人の松本選手のようにスピード感のある使い易いものになったと言えよう。

変化していたこと

バイクが少なくなっている。MRTの路線が増えている(はず)。士林夜市がリニューアルしている。淡水では川沿いの整備が進んでいる。電気街が低調気味に。ある業界への取り締まりが緩和している。松山空港の国際線がにぎやかになっている(羽田と同様)。中華電信sim購入に際して身分証明はパスポートだけとなっている。
友人の台湾人牧師は物価が上がり、賃金が抑えられ、教会の献金が少なくなっている、と教えてくれた。
変化の深層はいかに?

あらためて分かったこと

台北駅近くのコーヒーショップに入った。昼の12時過ぎ、お年寄りでいっぱい。しかも、70,80歳前後の男性。グループで来ている。
メガネをかけている人が殆どいない。 目が良いのだろう、小さな文字で書かれているペーパーを回し読みしながら、盛んに議論をしているグループも。議論というより、会話を楽しんでいるという感じだ。実に良くしゃべりなさる。しかも大きな声で、休む間なく。
あらためてわかったこと。台湾のお年寄りは目が良い。男性はおしゃべりだ、ということ。
それにしても、おばあさんたちは何をなさっているのだろう?

ソウルでの宣教委員会

10月1~3日、日本基督教団宣教委員会は「グローバル化と宣教」をテーマに、韓国ソウルで委員会を開催しました。

韓国の教会は世界各地に2万人の宣教師を派遣しており、昨年アメリカ合衆国を越えて世界第一の宣教師派遣国となったようです。

宣教委員会はセムナン教会でイ・スヨン牧師より、宣教師を派遣している7ヶ国での働きにすいてお話しをうかがい、長老会神学大学院では宣教学の韓国一教授より「グローバル化の時代における宣教」というテーマでお話しを伺い、協議をすることができました。

ナグネ(大山和至)宣教師が今年から長老会神学大学院に奉職しておられ、韓国の中心的な教会や神学大学との交流が生まれていることは感謝です。

なお、ナグネ宣教師を支えるために後援会ができています。

http://dendonet.info/nagunekai/

東ロンドン

ロンドン・オリンピックのメイン会場は東ロンドンに新しく造られました。オリンピックが終わると、一帯が広大な公園となるみたいですね。

東ロンドン、イーストエンド、と言えば、産業革命と初期資本主義の歪みによって、貧民街として知られるようになった地域です。19世紀、この地域で伝道し、人々の魂と生活の改善のために労したのは、エヴァンジェリカルな諸教会・諸団体でした。救世軍はここではじまりました。そして、20世紀、世界大戦後は、貧しい移民の街となっていました。

オリンピック開催によって、生活の変化を余儀なくされた方々がたくさんおられたことと思いますが、あらゆる面で改善され、広大な公園が憩いの場として愛されるようになればいいですね。

開会式と閉会式

開会式の演出は、興味深かったです。イギリスの歴史、それは近代化の歴史そのものと言っても良いでしょうが、その歴史を辿りながら、オリンピック精神を表現していました。

オリンピックを手放しで賞賛するわけではありませんが、確かに、スポーツを通して互いに理解を深め、尊像しあうということが養われると思います。

エンターテイメントを楽しんだ人も多いと思います。イギリスらしいと言えば、そうでしょうが、これを見せられてしまうと、今後の開催国は大変でしょうね。

72歳

補欠ではなくて、法華津選手は正選手でした。すごいです。

もう、30年近く前のことです。堺にいたとき、隣の家に陶器さんという馬術の選手が住んでおられました。私と同年配ではなかったかと思います。オリンピックにも出場したことがあります。その当時、法華津選手はすでに40歳前後になっておられた分けです。

浜松にいたとき、息子が乗馬をならっていました。筋は悪くなかったと・・・・親バカでしょうか。その当時、一緒にアメリカに行って、あるご家庭にお世話になりました。馬が2頭おり、その家のお母さんと一緒に、息子が2時間ほど走ってきました。一方はアメリカンスタイル、もう一方はイギリススタイルです。その家のお孫さんが、息子を見てオリンピックに出たら良いよ、と言ってなごませてくれました。

私も馬に乗せてもらいました。一歩も動きません。相手にされなかったようです。

法華津さん、まだまだ頑張ち続けてください。

表彰式

日本の女子サッカーは頑張りました。イタリアに勝ったときは、すごい、と思いました。明らかにイタリア選手のほうが個の力は上でした。優勝してもおかしくないチームでしたね。

表彰式での振る舞いが、話題になりました。少しはしゃぎすぎて、メダル授与者を無視して礼儀を失した選手が見受けられました。

「から騒ぎ」と評する人がいます。金メダルを取れなかった悔しさの裏返しということでしょうか。澤選手は立派でしたね。銀メダルをかみしめているように感じました。

ツイッターをのぞいてみました。賛否両論で、頑張って銀メダルをとったのだからいろいろうるさく言うのはおかしいとか、金メダルが取れなかったけれどもあの笑顔を観ることができてホッとした、というような同情論が多く見られました。わたしは同情論には組しません。スポーツマンシップから外れていると思います。

監督が謝罪表明をされました。これは良かったと思います。選手も守られました。

レスリングのエジプト選手

20数年ぶりに男子フリースタイル・レスリングで日本人選手が金メダルをとりました。良かったですね。

その決勝の相手はエジプト人選手でした。後日談として聞こえてきたことですが、試合前、お腹をこわして1時間の間に6度もトイレに飛び込んだ、という有り様だったとか。それがなかったら、もっとアグレッシブに試合ができたのに、とコーチが嘆いていたそうです。

その話を聞き、わたしは、試合中に下痢になってしまったら、どうするんだろう、どうなってしまうのだろう、と考え始めてしまい、夜も眠れません。・・・・・冗談です。

水泳と陸上

私は中学生のとき、水泳部と陸上部と野球部に所属していました。水泳は平泳ぎ、陸上はハードルの短距離の選手でした。(砲丸投げではありません。)それで、水泳も陸上も興味があります。

平泳ぎで金メダルをとったハンガリーの選手は、泳法違反ぎりぎりの泳ぎ方をしたようです。平泳ぎは足の甲で水を捕らえてはいけないのですが、飛び込み後、そして、ターン後に、ドルヒンキックを1度しか許されないところを3度していたそうです。ご本人も認めていますが、水中なので判定しにくいところがあり、違反には問われなかったようです。他の選手も多かれ少なかれ同じようなことをしているのでしょう。

北島選手は、個人のメダルを逃しましたが、その点では見事だったと思います。規定通りでした。

ハードルの金メダル候補だった中国選手が今回もダメでした。残念。綺麗なハードリングをする人ですが、ほんのちょっとのタイミングのズレが致命傷になるのでしょう。確かにハードルは難しいです。歩幅とスピードを上手にコントロールして加速しながらハードルを越えていくわけです。もっと注目しても良い競技ではないかな、と思います。

ソウルの教会保育園で

ある保育園を訪ねました。礼拝中でしたが、プロジェクターを使って先生がお話しをしておられました。

プロジェクターが映し出していたのは、金メダルをとった柔道の韓国選手です。試合の前にお祈りをしている姿、試合後にお祈りをしている姿、金メダルをもらってそれを神さまに献げるようにしてお祈りをしている姿が、写真に撮られており、その3つの写真を用いて、お祈りについて、感謝について、人の働きについて、具体的にお話しをしていた、ようでした。

小さな子どもたちでしたが、よくお話を聞き、反応していました。

返し技

柔道男子監督の篠原さんは、思い出すと、返し技が理解されずに銀メダルに泣いたことがありました。その後、返し技についての認識が深まり、ロンドン・オリンピックの審判はずいぶん向上していたと思います。

その返し技ですが、今オリンピックで日本選手は苦戦しました。

プレッシャー

プレッシャーと戦っていた人、それに打ち勝った人、さまざまでした。プレッシャーというのは、文字通り、選手の心と体をプレスして、力を押し殺してしまうようですね。

プレッシャーは感じません、と言っていた体操の内村選手も例外ではなかったようですね。恐ろしや、プレッシャー。ですが、それが無ければ、良いパフォーマンスも生まれてこないようです。どうすれば良いのでしょうが。いろいろな選手の対処法を聞いてみたいものです。

体操の内村選手、個人総合で調子を取り戻して金メダルは見事でした。

 

 

サッカーは体力勝負だった?

男子も女子も日本は頑張りましたね。

スペインを男子チームが負かしたときは、びっくりしました。前評判は、スペインが断トツで、残りの3チームが予選リーグ突破残り1枠を争うことになる、ということでした。その前提で、日本はどう戦うかという番組がNHKBSで放映されたりもしました。ところが、思わぬことが起こりました。スペインは予選リーグを敗退、しかも1勝もできずにでした。

スペイン戦に照準をあわせていた日本、優勝を見据えて予選を戦おうとしていたスペイン、コンディションの作り方が違ったのでしょう。

それにしても、勝ち抜いていくためにはあのハードスケジュールを乗り越えていかなければなりません。日本チームは、準々決勝が1つの山場と捉えていたようで、見事エジプトを負かすことができましたが、そこで力尽きてしまったという感じでした。準決勝では足がピタリと止まり、3位決定戦もスタミナ切れでした。良いチームだったと思いますし、良くやったと思いますが、勝ち上がっていく体力が足りなかったということでしょう。体力を消耗する戦い方だったとも言えます。

4位は残念でしたが、日本も面白いサッカーをするようになりました。観ていて楽しかったです。

 

ロンドン・オリンピックをTVで観ての感想を

書き留めておこうかと思います。

オリンピック是非論はさておき、スポーツ好きの私には睡眠時間を奪われる2週間強でした。途中、数日間、ソウルに滞在して日本選手の活躍を観ることができませんでしたが、韓国の方々のロンドン・オリンピック体験に出会いました。それも含めて、感想を書き留めておこうかと思います。

 

東京の弱点

日本キリスト教団のこと。
しかも、わたしの小さな経験に基づくだけの話。

ある勉強会に所属していたことがあった。この会は東京と大阪でそれぞれ勉強会を行ってたが、東京には卓越した指導者がおり、その方のお話を聞き、指導を受けるという様子であったが、当時、私が所属していた大阪の会にはそのような方がおらず、ドングリの背比べ。自分たちで考え、頭をひねって、取り組むほかはなかった。その結果、創造的な取り組みができたと思う。

東京にはそれが乏しい。

イチローの電撃移籍

シアトル・マリナーズを離れ、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍したイチロー、新天地で活躍して欲しい。

今年、ヤンキースは調子が良いが、外野手不足でイチローに関心をもったと聞く。優勝に貢献できればイチローも本望だろう。華々しい記録を打ち立ててきたイチローにとって残された冠、ワールドシリーズ制覇も夢ではない。

 

父が話してくれたある女性のこと

祖父と父は、日中戦争から第二次世界大戦へと向かう時代に、北海道の札幌で保育園を立ち上げた。そのころ、保育園というのは札幌では珍しいことだったようだ。おもに、戦争に一家の柱をとられた家庭のお子さんたちをあずかった。

父がその当時の思い出として、なんどか話をしてくれたエピソードがある。

戦時中、保育所で働いてくれていた一人の若い女性のことである。彼女は、子どもの面倒をみるということに、大変な畏れを感じており、キリスト者ではなかったけれども、家で聖書コリント書13章の愛の賛歌を何度も口に出しは心に刻んで、それから職場に来られていた。神を畏れ、愛を知り、愛に育まれ、愛を育む祈りによって、その人は保育に励んだのだという。。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。]

 

幼保一元化?一体化?

水曜日に日本基督教団において教会幼稚園、キリスト教保育園に関する勉強会があった。講師は小田豊氏。主題は昨今の「こども子育て新システムをめぐって」である。小田豊氏は独立行政法人国立特殊教育総合研究所理事長。内閣府の子ども・子育て新システム検討会議作業グループの重要メンバー。

教会幼稚園、キリスト教保育園は、かつて先駆的な役割を担ったが、少子化に伴い現在は岐路に立たされている。一つの課題は昨今のこども子育て新システムにどう向き合うかである。

私はこの勉強会の主催者の一人として出席。しかし、事柄に詳しくはない。勉強をさせていただいた。小田氏は総合こども園(幼保一元化)には反対で、現在国会で審議されている幼保一体化を提唱し、政策化へと力を尽くした人である。

一元化とは、保育園・幼稚園を結合し、それ一本で子育てシステムとするものである。一体化とは、財源を一本化し、しかし、4-6歳児には幼稚園、保育園その他、選択肢を確保しようとするものである。個の多様性を尊重し、それぞれの家庭の求めに応じることができるようにということである。小田氏のこの考え方の根底には無教会信徒であられたご両親の「自由」尊重の感化があるとのこと。

 

炭水化物ダイエット

さいきんは、ダイエット方法への関心が失せたいた。必要がなくなったからではない。取り組んでも、どうせダメだろうと諦めていたからである。
ところが、昨日、タンパク質、いや、炭水化物ダイエットというものがあると知った。身近な二人の方が、お米を食べないようになってから痩せたし、健康になったと。
そうか、それならやってみようかという思いに、久しぶりになった。ところが、夜、ネットを開いてニュースをみたら「炭水化物ダイエットにご用心」という記事が。心筋梗塞などになりやすくなるという研究結果をスウェーデンかどこかの研究機関が発表したというのだ。
迷いはない。お鮨が食べたくなった。

トロンボーン

1日の「み言葉と賛美のつどい」でトロンボーン四重奏の演奏があった。プラスの音色は懐かしく心の耳に残る。幼いころから耳にしていたからかもしれない。
はじめて知ったことが。昔、ヨーロッパではオルガンがなかった教会ではトロンボーンがその代わりをしていたので、聖なる楽器と呼ばれたとのこと。その当時のトロンボーンは現代のものよりアサガオが小さかったようだ。少し籠もったような音色なのだろうか。聴いてみたいなあ。

昨日の説教

マタイによる福音書8章23以下
嵐に襲われた舟の中で「イエスは寝ておられた」。恐れ惑う弟子たちの助けを求める言葉「主よ、助けてください。おぼれそうです」は教会の祈りのことばとなった。

隠退のとき

いますぐ隠退するという話ではないが、最近、いつ隠退したら良いのかということを時々考えるようになった。

68歳説というのがある。その説を唱える人は、その歳になると多くの人はダブルブッキングするようになるので。そうなったら隠退したほうが良いというのである。統計学的な根拠がある話ではないが、なんとなく、そんな感じもする。

私の判断基準。それは・・・

60を過ぎて歳をとるということがこういうことかと分かったことが一つある。自分の心と脳の視界が狭くなり自分の考えていることが最善と思い込むようになるということである。自戒しなければならないと思っているので、まだ軽症だと勝手に判断している。だが、これに関しては客観的に自分で自分を観ることが出来ない。

誰かに頼んで、その時には「重傷だよ」と言ってもらうようにしよう。その時は隠退。