芭蕉とラテン語

芭蕉の俳句「旅に病んで / 夢は枯野を / かけめぐる」をラテン語に翻訳してみましょう。

ラテン語訳:

Aeger in itinere, Somnium per deserta arva Circumcurrit.

この翻訳では、原句の意味を可能な限り忠実に表現しています。

以下、文法的な説明です。


“Aeger in itinere” というラテン語のフレーズは、文法的に以下のように解釈できます。

  1. Aeger: 主格単数形の形容詞で、「病気の」または「弱っている」という意味があります。文脈によっては、「疲れた」や「苦しんでいる」という意味も含まれる場合があります。
  2. in itinere: 前置詞 “in” と名詞 “itinere” の組み合わせです。前置詞 “in” は「〜の中に」や「〜で」を意味し、場所や状態を表す際に用いられます。名詞 “iter, itineris”(中性名詞)の単数奪格である “itinere” は「旅」や「道」を意味します。

このフレーズ全体で「旅の途中で病気の」または「旅の途上で苦しんでいる」といった意味になります。


“Somnium per deserta arva” というラテン語のフレーズは、文法的に以下のように解釈できます。

  1. Somnium: 中性名詞で、「夢」や「幻想」を意味します。これは単数主格形です。
  2. per: 前置詞で、「〜を通って」や「〜を経由して」を意味します。対格と共に使われます。
  3. deserta: 形容詞で、「荒れ果てた」や「人の住まない」を意味します。これは対格複数形の中性形です。
  4. arva: 中性名詞 “arvum” の対格複数形で、「畑」や「野原」を意味します。

このフレーズ全体で「荒れ果てた野原を通る夢」という意味になります。


  • Circumcurrit: これは動詞 “circumcurro”(「周りを走る」「巡る」)の現在形三人称単数です。「彼/彼女/それが周りを走る」または「巡る」という意味になります。

この動詞は、誰かまたは何かが周囲を走ったり、巡回したりする動作を表現しています。


「ラテン語では、語順や格変化などの文法的なルールに従って訳出する必要がありますが、芭蕉の情景描写や心情表現の核となる部分は、この翻訳で捉えられていると思います。

ラテン語は古典語ですが、簡潔さと詩情を持ち合わせていることから、芭蕉の俳句の世界観を表現するのにふさわしい言語だと言えるでしょう。」(ChatGPT)なのだそうです。

追加です。

Noteに投稿しました。

https://note.com/mharry/n/n3e0a2e81c3b4

cultus(羅「崇拝」) と culture(英「文化」)

今日のAIラテン語遊びで知った詩です。

Viribus immensis quis gloriatur, Potestatis cultu miser jactatur.

和訳は「巨大な力で誰が誇るのか。権力への崇拝によって哀れな者が誇示する。」です。

この詩には力を誇示する者の哀れさが、権力への崇拝からきていると謳われています。

cultu「崇拝によって」とあるcultus(「崇拝」)は英語のculture(「文化」)の語源となる用語です。興味深く感じたので、

先の詩からは離れますが、両者の関連をChatGPTに尋ねました。ご紹介します。


ラテン語の “cultus” は、動詞 “colo, colere,”(耕す、育てる、崇拝する、尊敬する)に由来します。

“cultus” はこの動詞の完了分詞形 “cultum” から派生しており、最初は「耕作」や「栽培」を意味しました。

英語の “culture” は、古フランス語の “cultura” から借用され、これがラテン語の “cultura” に由来します。

ラテン語の “cultura” は “cultus” の派生語で、「耕作」、「栽培」、「育成」などを意味しました。


さらに詳しくその変遷を尋ねました。

Nec fonte labra prolui caballino,

ペルシウスの「Satires(風刺詩集)」の冒頭の言葉です。

意味は「私は馬の泉で唇を洗ったことがなく、」です。

これは、詩人が独自の方法でインスピレーションを得ていることを強調する言葉です。伝統的な神話や象徴に頼らずに、自分自身の内面や経験から詩的なインスピレーションを引き出しているというメッセージが込められています。

それにしても「馬の泉」とは何でしょうか。

ChatGPTの説明をご紹介します。


「馬の泉(caballinus fons)」は、古代ギリシャ神話におけるインスピレーションの象徴で、特に詩や音楽の神々であるムーサたちと関連があります。この泉は、ペガサスが地面を蹄で打つことで湧き出たとされています。

神話的背景

  1. ヘリコン山(Mount Helicon):
    • ヘリコン山はムーサたちの聖地で、ここにあるヒッポクレーネ(Hippocrene)という泉が詩人たちにインスピレーションを与えるとされています。
    • この泉は、ペガサスという神話上の翼のある馬が蹄で地面を叩くことで湧き出たとされています。
  2. ペガサス(Pegasus):
    • ペガサスは、ギリシャ神話に登場する神聖な馬で、詩と芸術の象徴とされています。
    • ペガサスがヘリコン山で地面を蹄で叩き、そこからインスピレーションを与える泉が湧き出たという伝説があります。この泉が「馬の泉」です。
こんなイメージでしょうか

文脈での意味

「馬の泉で唇を濡らしたことがない(Nec fonte labra prolui caballino)」という表現は、詩人が伝統的なインスピレーションの源である「馬の泉」を利用していないことを意味します。つまり、詩人が自分の詩的なインスピレーションを得るために神話的な源泉に依存していない、あるいはそのような神話的な経験をしていないということを強調しています。

詩的な解釈

この表現は、詩人が独自の方法でインスピレーションを得ていることを強調するために使われています。伝統的な神話や象徴に頼らずに、自分自身の内面や経験から詩的なインスピレーションを引き出しているというメッセージが込められています。


なのだそうです。

「馬の泉」って何だろうと思ってChatGPTに尋ねたのですが、ギリシャ神話に由来するイメージなんですね。そのイメージを用いて、伝統的な神話や象徴に頼らずに自分自身の内面や経験から詩的なインスピレーションを引き出していると語るとは。シャレてます。

芥川也寸志の誕生日

1904年6月8日に作曲家の芥川也寸志が生まれました。

芥川也寸志は、日本のクラシック音楽界を代表する作曲家の一人であり、映画音楽や管弦楽曲、オペラなど幅広い分野で活躍しました。特に映画音楽では、黒澤明監督の『羅生門』や『七人の侍』などの音楽を手掛け、国際的にも高い評価を得ました。

彼の音楽は、日本の伝統的な旋律やリズムを取り入れながらも、西洋音楽の技法を巧みに融合させた独自のスタイルが特徴です。その作品は、日本音楽界に大きな影響を与え、後進の作曲家たちにも多大な影響を与え続けています。

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』が出版された日

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』は、1949年6月8日に英国で出版されました。この小説は、全体主義社会の恐怖を描いたディストピア小説の古典となっています。

『1984年』は、架空の超大国オセアニアを舞台に、全体主義政権の支配下で生きる人々の姿を描いています。主人公のウィンストン・スミスは、真理省の記録修正局で働く平凡な党員ですが、内心では党に疑問を抱いています。彼は、反体制的な思想を秘密の日記に書き記し、同じ志を持つジュリアと禁断の恋に落ちます。しかし、彼らの反抗は、党の指導者ビッグ・ブラザーの監視の目に捉えられ、容赦ない弾圧を受けることになります。

この小説では、全体主義国家の特徴が克明に描写されています。常に市民を監視するテレスクリーン、思考警察による弾圧、歴史の改ざん、新語(ニュースピーク)による言論統制など、党は絶対的な権力を維持するためにあらゆる手段を用います。オーウェルは、これらの描写を通して、全体主義の恐ろしさと、個人の自由や尊厳が抑圧される社会の危険性を訴えました。

『1984年』が出版された1949年は、第二次世界大戦終了直後の冷戦の緊張が高まる時期でした。オーウェルは、ナチズムとスターリニズムの台頭を目の当たりにし、全体主義の脅威を強く意識していました。この小説は、当時の政治的・社会的状況への警鐘として読まれ、大きな反響を呼びました。

『1984年』に登場する「ビッグ・ブラザー」、「思考警察」、「二重思考」などの言葉は、現代社会でも頻繁に用いられる言葉となっており、この小説が現代に与えた影響の大きさを物語っています。全体主義の恐怖、言論の自由の重要性、個人の尊厳といったテーマは、今なお世界中の読者に強い印象を与え続けています。

『1984年』は、20世紀の文学の金字塔の一つであり、政治的ディストピア小説の古典として評価されています。この小説は、全体主義の脅威を鮮明に描き出し、自由と個人の尊厳の大切さを訴えかける、現代社会に警鐘を鳴らす作品として、今なお多くの読者を魅了し続けています。

Donum divinum

「賜物」をテーマにラテン語の詩をClaude3に作ってもらいました。下記です。


Donum divinum Omnia condonans, Gratiae coelestes Animum exornans.

Quod Deus nobis dedit, Accipere oportet, Ut anima referta Fide digna fiat.

Munera caelestia, Inexhausta, perennia, Largiter effusa, Corda implentia.

神の賜物 すべてを赦す 天からの恵み 心を飾る

神がわれわれに与えたもの それを受け入れるべきである 魂が満たされ 信仰に値するものとなるために

天からの賜物 尽きることなく永遠に たっぷりと注ぎ込まれ 心を満たしている

続きを読む

クリムトの絵画を含む5点の絵画の返還請求が認められた日

2001年6月7日、アメリカ合衆国最高裁判所は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって略奪された美術品の所有権をめぐる訴訟で、原所有者であるマリア・アルトマンとその家族に有利な判決を下しました。

この訴訟は、オーストリア出身のユダヤ人女性マリア・アルトマンが、オーストリア政府に対して、グスタフ・クリムトの絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」を含む5点の絵画の返還を求めたものです。これらの絵画は、ナチス・ドイツによってアルトマンの叔父から奪われたものでした。

オーストリア政府は、これらの絵画はアルトマンの叔母がオーストリアの美術館に遺贈したものであり、正当な手続きを経て取得されたと主張しました。しかし、アメリカ合衆国最高裁判所は、ナチス・ドイツによる略奪行為は違法であり、アルトマンとその家族には絵画の所有権があると判断しました。

この判決は、ナチス・ドイツによって略奪された美術品の返還問題において、重要な転換点となりました。それまで、多くの国々では、略奪美術品の返還に消極的な姿勢を見せていましたが、この判決をきっかけに、各国が返還に向けて動き出すことになりました。

現在でも、ナチス・ドイツによって略奪された美術品の多くが、世界中の美術館や個人コレクターによって所有されています。しかし、この判決は、原所有者やその家族が美術品の返還を求める権利を保障するものであり、今後の返還問題の解決に向けて、重要な一歩となるものです。

ソニー・ロリンズ の 誕生日

1928年6月11日、アメリカ合衆国ニューヨーク市ハーレムに、ジャズ・サックス奏者のソニー・ロリンズ(本名:セオドア・ウォルター・ロリンズ)が誕生しました。彼はハード・バップを代表するミュージシャンであり、その革新的な演奏スタイルと精力的な活動で、ジャズ界に多大な影響を与えました。

ソニー・ロリンズの音楽キャリア:

  • 初期: 10代から音楽活動を始め、バド・パウエル、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクなど、著名なミュージシャンと共演。
  • 1950年代: プレスティッジ・レコード、ブルーノート・レコード、リバーサイド・レコードなどから数々の名盤をリリース。代表作に「サキソフォン・コロッサス」「ウェイ・アウト・ウェスト」「ア・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」など。
  • 1960年代: 一時的に音楽活動を休止し、自己研鑽に励む。復帰後、より自由で実験的な音楽性を追求。
  • 1970年代以降: 自身のレーベルを設立し、精力的に作品を発表。ワールドツアーを敢行し、世界中のファンを魅了。

ソニー・ロリンズの音楽性:

  • ハード・バップ: 豪快なブロウと、ブルージーで情熱的な演奏が特徴。
  • 即興演奏: テーマを基に、自由奔放な即興演奏を展開。
  • 多様な音楽性: ハード・バップだけでなく、カリプソ、スタンダード、バラードなど、幅広いジャンルの楽曲を演奏。

ソニー・ロリンズの影響:

  • ジャズ界: 後続のジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与え、多くのフォロワーを生み出した。
  • 音楽界: ジャズ以外のジャンルにも影響を与え、ロック、ポップス、R&Bなどのミュージシャンからも尊敬を集める。

ソニー・ロリンズの功績:

  • グラミー賞生涯功労賞(2004年)
  • アメリカ国家芸術勲章(2011年)
  • NEAジャズ・マスターズ賞(1986年)

ソニー・ロリンズは、90歳を超えた現在も現役で活動を続けており、ジャズ界の生ける伝説として、世界中のファンから愛されています。

アラン・チューリングが41歳の若さで死去した日

1954年6月7日、イギリスの数学者・計算機科学者アラン・チューリングが41歳の若さで死去しました。彼の死は青酸中毒によるもので、自宅で青酸カリを塗ったリンゴをかじった状態で発見されました。検死の結果、自殺と断定されました。

チューリングは、第二次世界大戦中にドイツ軍の暗号機「エニグマ」を解読するなど、多大な貢献をしました。また、計算機科学の基礎となる「チューリングマシン」の概念を提唱し、「人工知能の父」とも呼ばれています。

しかし、彼は同性愛者であったため、当時のイギリスでは違法とされ、1952年に有罪判決を受けました。その結果、彼は化学的去勢を受けさせられ、精神的にも追い詰められていきました。

彼の死は、同性愛者への差別と偏見の悲劇的な結果として、後世に大きな影響を与えました。2009年には、当時のイギリス首相ゴードン・ブラウンが、政府としてチューリングへの扱いを謝罪しました。2013年には、エリザベス女王2世から死後恩赦を受け、2017年には「アラン・チューリング法」が制定され、過去に同性愛を理由に有罪判決を受けた人々が恩赦を受けられるようになりました。

チューリングの功績は、死後も高く評価されており、彼の肖像はイギリスの50ポンド紙幣に採用されています。また、コンピュータ科学分野におけるノーベル賞とも呼ばれる「チューリング賞」は、彼の名にちなんで設立されました。

Quis leget haec?

ローマの詩人ペルシウスの『風刺詩集』の第1歌冒頭の言葉です。

“Quis leget haec? Min’ tu istud ais? Nemo, hercule. Nemo; Vel duo, vel nemo. Turpe et miserabile!”

和訳は「誰がこれを読むというのか? 君がそう言うのか? いや、誰も読まないさ。 二人か、それとも誰も読まない。恥ずべきことだ、悲しいことだ!」です。

ここでペルシウスは、自身の風刺詩が受け入れられないことを嘆いています。ローマ社会の矛盾を指摘しても、誰も聞き入れてくれない現状を嘆いているのです。

「ヘラクレスに誓って」とあるのは、ヘラクレスがギリシャ神話の英雄で、その力と勇敢さから人々に尊敬されており、彼は自己犠牲と公共のための奉仕の象徴とされていました。

ギリシャ神話では、ヘラクレスは12の難行(ヘラクレスの12苦行)を達成し、死後には神々の間に加えられました。ローマ人はギリシャ神話のヘラクレスを引き継ぎ、彼を自己犠牲と公共のための奉仕の象徴として見ました。

したがって、”Hercule”という語は、強い誓いや深い誠実さを示すための強調表現として使われることがありました。このように、ペルシウスは詩の中でこの表現を使用し、自分の言葉の重みと真剣さを強調しています。

このように、ペルシウスの詩は鋭い社会批判の精神を持ち合わせています。ラテン語の原文からも、その批判的な姿勢が色濃く出ているのがわかる、のだそうです。

YMCA(Young Men’s Christian Association)が設立された日

YMCA(Young Men’s Christian Association)は、1844年6月6日にロンドンでジョージ・ウィリアムズと彼の11人の友人によって設立されました。設立当時のロンドンは、産業革命の進展に伴い、地方から都市に移住してきた若者たちが過酷な環境に直面していました。ウィリアムズは、このような若者たちが健全な活動を通じて精神的な支援を得られる場所を提供することを目的としてYMCAを設立しました oai_citation:1,Our History: The Founding Years | YMCA oai_citation:2,YMCA – Wikipedia

最初のYMCAは、ウィリアムズが働いていたドレーパー(布地商)の店の上にあった部屋で開かれました。活動の中心は聖書の勉強会や祈りの会であり、当時の社会的な階級の枠を超えて若者たちが集まる場となりました oai_citation:3,Sir George Williams – Founder of the YMCA – World YMCA oai_citation:4,Our History | YMCA of the USA

YMCAの設立から数年以内に、その活動は急速に広がり、1851年にはアメリカのボストンに最初のYMCAが設立されました。また、同年にロンドンで開催された世界博覧会がきっかけとなり、YMCAの理念が他の国々にも広がり、最初の国際会議が1855年にパリで開催されました oai_citation:5,YMCA History – World YMCA

このようにして、YMCAは産業革命期の都市化によって生じた社会問題に対処するための重要な役割を果たし、その後も世界中で若者の支援活動を続けています。現在では、YMCAは120カ国以上で活動を展開し、若者たちの健康、精神、社会的な発展を支援しています oai_citation:6,Our History | YMCA of the USA

失われた Paupertas

古代ローマの風刺詩人ユウェナーリス(Decimus Junius Juvenalis、55年頃-140年頃)の作品を今日は読みました。

Nullum crimen abest, facinusque libidinis, ex quo Paupertas Romana perit.

邦訳は「罪や情欲の悪行がなくなることはなく、それによってローマのPaupertas(貧困、質素さ・清貧)が失われた。」です。

ローマ上流階級の放蕩な生活様式と情欲的な罪悪が蔓延し、それが結果的にローマの貧困化を招いたという意味が込められているようです。

Paupertas に「貧困」と「清貧・質実」の両義を持たせて、巧みに用いられています。

ChatGPT4oの解説をご紹介します。


ユウェナーリスがこの詩の中で「Paupertas」を捉えているのは非常に意味深いものと考えられます。

具体的には以下のような点が考えられます:

  1. 道徳的・倫理的な「貧困」
    • 上流階級の放蕩な生活様式や情欲的な罪悪が蔓延したことで、ローマ社会全体の道徳性が失われていったことを指している。
  2. 経済的な「貧困」
    • 上流階級の贅沢な生活態度が広がったことで、ローマの経済的基盤が弱体化し、国全体の貧困化が進んでいったことを意味している。
  3. 精神的・文化的な「貧困」
    • 道徳性の低下と経済的状況の悪化により、ローマ文明の衰退が進んだことを表している。

ちなみに漫画風にこの詩から画像を生成してもらいました。

スミスとケインズが生まれた日

今日はアダム・スミスとジヨン・メイナード・ケインズという2人の経済学者の誕生日です、

1723年 にスコットランドのカーコーディでアダム・スミスが生まれ、160年後の1883年 にケンブリッジで英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズが生まれました。


アダム・スミスの最も有名な業績は、1776年に出版された『国富論』でしょう。経済学の古典として広く読まれ、資本主義の基礎を築きました。

スミスは、分業と特化による生産性の向上、自由貿易の利点、そして「見えざる手」の概念を提唱しました。これは、個人が自己の利益を追求することが、意図せずして社会全体の利益につながるという考え方です。

スミスの思想は、政府の市場への介入を最小限に抑え、自由競争を促進することの重要性を説いています。これらのアイデアは、その後の経済学者や政治家に大きな影響を与え、現代の資本主義社会の基盤となっています。


他方、ジョン・メイナード・ケインズは、1936年に『雇用、利子および貨幣の一般理論』を発表し、経済学に革命をもたらしました。この本で、彼は従来の古典派経済学とは異なる理論を提唱しました。ケインズは、政府が積極的に経済に介入することで、不況を防ぎ、失業を減らすことができると主張しました。彼の理論は、「有効需要」の概念に基づいており、総需要を刺激することで経済を安定させることを目的としていました。

ケインズの思想は、大恐慌後の経済政策に大きな影響を与え、多くの国で採用されました。彼のアイデアは、戦後の経済復興と福祉国家の発展にも貢献しました。


あえて、この2人の共通点をClaude3に論じてもらいました。

このようです。

ChatGPT4o、ラテン語の詩からの画像生成

下のラテン語の短詩から生成してもらった油絵風の画像です。

Gaudium meum Libertas suavis, vis animae meae. Curis exutus, laetus incedo, Nihil nisi gaudium in corde meo.

和訳は

「私の喜び 心地よい自由、私の魂の力よ。 心配から解放され、喜んで歩む、 私の心の中には喜び以外なにもない。」です。

ラテン語の詩を理解して、適切にイメージを生成しています。

絵の中の文字は不正確ですが、なんとなくそれらしく感じさせます。

下は水彩画風の画像になります。

ChatGPTがこの画像を解説してくれました。


この水彩画風の画像は、自由と喜びを象徴する人物が、穏やかな風景の中を楽しげに歩いている様子を描いています。鮮やかで青々とした景色には、花や木、澄んだ空が含まれ、内なる平和と幸福感を強調しています。人物は無邪気で軽やかな表情をしており、心配事から解放され、喜びに満ちていることが強調されています。

画像に書かれているラテン語のテキストは以下の通りです:

“Gaudium meum
Libertas suavis, vis animae meae.
Curis exutus, laetus incedo,
Nihil nisi gaudium in corde meo.”

これを日本語に翻訳すると:

“私の喜び
甘美な自由、私の魂の力。
心配から解放され、喜びに満ちて歩む、
私の心には喜びしかない。”

このシーンとテキストは、解放感と満足感の深い感覚を描いており、喜び、自由、内なる平和のテーマに共鳴しています。


生成AIとのお遊びでした。

ウィレム・デ・クーニング

6月4日生まれの画家を調べていたら、該当しないのですが、なぜかオランダ生まれでアメリカの画家ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning)のことを調べることになりました。

私自身は親しみの薄い画家でしたが、関心を持ちはじめています。

彼は抽象表現主義の代表的な画家であり、20世紀のアメリカ美術において重要な役割を果たしました。

以下はChatGPTの説明です。


ウィレム・デ・クーニングの詳細

生年月日: 1904年4月24日

出身地: オランダ、ロッテルダム

死去: 1997年3月19日、アメリカ、ニューヨーク州

経歴と作品

ウィレム・デ・クーニングは、1926年にアメリカに移住し、ニューヨークの芸術シーンで活躍しました。彼の作品は力強い筆致と抽象的な表現で知られており、特に「女性」シリーズは有名です。デ・クーニングの絵画は、抽象表現主義の中でも特に動的で感情的な表現が特徴です。

主な作品

  1. “Woman I” (1950-52)
    • デ・クーニングの「女性」シリーズの中でも特に有名な作品です。このシリーズは、女性像を力強く抽象的に描いたもので、デ・クーニングの独特なスタイルがよく表れています。
  2. “Excavation” (1950)
    • 大規模なキャンバスに描かれたこの作品は、抽象的な形と複雑な構図が特徴です。デ・クーニングの技法と視覚的インパクトを象徴する作品です。
  3. “Gotham News” (1955)
    • ニューヨーク市のエネルギーとダイナミズムを反映した作品で、抽象的な表現が都市の喧騒や動きを捉えています。
  4. “Interchange” (1955)
    • 色彩の豊かさと大胆なブラシストロークが特徴の作品です。この作品は、後に高額で取引されることとなりました。
  5. “Villa Borghese” (1960)
    • デ・クーニングのイタリア旅行からインスピレーションを得た作品で、抽象的な風景画として知られています。
  6. “Untitled XIII” (1975)
    • 晩年の作品で、抽象的な表現と色彩のバランスが見事に調和しています。

これらの作品は、ウィレム・デ・クーニングの画業の多様性と彼の抽象表現主義への貢献を示しています。彼の作品は、多くの美術館やギャラリーで展示されており、現代美術における重要な位置を占めています。


せっかくですので動画をお楽しみください。

“degustare” 深く完全に味わう

今日のラテン語お遊びで、古代ローマの詩人に倣って、「Dulcia cibaria甘い食べ物」。を主題にClaude3Haikuに短詩を作ってもらいました。

下はその中の一部分です。

Nectar divinum, ambrosia coelestis,

Nectarque delicatum, flos frugum est.

Hos qui degustant, dulcedine fruuntur,

Atque animi curas pellere valent.

「神聖な飲み物、天の食べ物。

そして繊細な神聖な飲み物は、果物の花である。

これらを味わう人々は、甘さを享受し、

心の心配を追い払うことができる。」

この詩からdegustareという動詞が気になり調べたのでご紹介したいのですがその前にこの詩を眺めてみましょう。


「ambrosia」という語が一段目に見られます。

ギリシャ神話に登場する神々の食べ物や飲み物の一種のようです。非常に味が良く、人間には手に入りにくいものとされていた、とか。ギリシャ語でἀμβροσίαと表記されます。

詩はこのようにギリシャ神話の要素を巧みに取り入れて、甘い食べ物の崇高なイメージを醸し出しています。


◯「Hos qui degustant これらを味わう人々は」とあります。以下は単語の意味です。

  • Hos (代名詞, 複数対格): 「これらを」
  • qui (関係代名詞, 複数主格): 「〜する人々」
  • degustant (動詞 degustareの3人称複数現在): 「 味わう」

そして、「甘さを享受し、心の心配を追い払うことができる。」と続きます。

degustareが気になったのでした。gustare(味わう)という語もあるのですがdegustareが用いられています。

そこで両者のニュアンスの違いをClaude3に尋ねました。


「degustare」と「gustare」は、どちらも「味わう」という意味を持つラテン語の動詞ですが、ニュアンスに違いがあります。

◯degustare

  • 「完全に味わう、じっくり味わう」というニュアンスを持ちます。
  • 「de-」(完全に、徹底的に)と「gustare」(味わう)という語根から成り立っています。
  • 食べ物や飲み物を丁寧に、注意深く味わうことを意味します。
  • 比喩的に、物事を詳細に吟味したり、じっくり評価したりすることも意味します。

◯gustare

  • より一般的に「味わう、試食する」という意味で使われます。
  • 食べ物や飲み物を味わったり、試しに食べたりすることを意味します。
  • 比喩的に、物事を精神的、感覚的に経験し、その価値や特質を評価することも意味します。

主な違いは、「degustare」が「完全に、徹底的に味わう」というニュアンスを持つのに対し、「gustare」はより一般的に「味わう」という意味で使われることです。

例えば、以下のような文脈で使い分けられます。

  • ワインテイスティングで、専門家が注意深くワインの味や香りを評価する場合は「degustare」を使うことが多いです。
  • 一方、食事の際に料理を味わう場合や、比喩的に人生の喜びを味わう場合は「gustare」を使うことが一般的です。

ただし、これらの動詞の使い方には重なる部分もあり、文脈によっては互換的に使用される場合もあります。

以上のように、「degustare」と「gustare」はどちらも「味わう」という意味を持つ動詞ですが、「degustare」は「完全に、徹底的に味わう」というニュアンスを持ち、「gustare」はより一般的に「味わう」という意味で使われるという違いがあります。


なのだそうです。何事においてもdegustare(深く、完全に、徹底的に味わうこと)が大事だと思います。

1937年6月3日にデューク・エリントンのカーネギー・ホール・コンサートが行われた

1937年6月3日に行われたデューク・エリントンのカーネギー・ホール・コンサートは、ジャズの歴史において非常に重要な出来事です。このコンサートは、エリントンのキャリアにおいて画期的なものであり、ジャズ音楽の地位を高める上で大きな役割を果たしました。

コンサートの背景

デューク・エリントン(Duke Ellington)は、ジャズ作曲家、ピアニスト、バンドリーダーとして知られ、20世紀のアメリカ音楽に大きな影響を与えました。1930年代までに、彼はすでに広く知られる存在となっており、そのオーケストラは数多くの録音や公演で成功を収めていました。

カーネギー・ホールは、ニューヨーク市にある歴史的なコンサートホールで、クラシック音楽の殿堂として知られていました。ジャズミュージシャンがここで演奏することは非常に珍しく、特にエリントンのようなアフリカ系アメリカ人ミュージシャンにとっては画期的なことでした。

コンサートの内容

1937年のカーネギー・ホール・コンサートで、エリントンは新しい作品や既存のレパートリーを演奏しました。プログラムには、次のような楽曲が含まれていました。

  • “Diminuendo and Crescendo in Blue”
    • これはエリントンの代表的な作品の一つであり、ブルースの形式を巧みに取り入れたものです。

Duke Ellington Diminuendo And Crescendo In Blue

  • “Harlem Air Shaft”
    • ニューヨークのハーレム地区の日常生活を音楽で表現した作品です。

Harlem Air-Shaft

  • “Caravan”
    • エリントンのオーケストラのトロンボーン奏者であるファン・ティゾールが共作したこの曲は、エキゾチックなメロディーで人気を博しました。

Caravan

コンサートの意義

このコンサートは、ジャズ音楽がクラシック音楽と同じように高尚な芸術形式として認識される重要な一歩となりました。カーネギー・ホールでの演奏は、エリントンと彼のオーケストラが、単なる娯楽としてではなく、真剣な芸術作品としてのジャズを提示する機会を提供しました。

また、このコンサートは、エリントンのキャリアをさらに高め、彼の音楽的革新と多様性を広く知らしめる契機となりました。エリントンのオーケストラは、この成功を機にさらなる創作活動を続け、多くの革新的な作品を生み出しました。

後世への影響

デューク・エリントンの1937年のカーネギー・ホール・コンサートは、ジャズがアメリカの文化的遺産の一部として認識されるための重要なステップとなりました。このコンサートは、後のジャズミュージシャンにも大きな影響を与え、カーネギー・ホールでのジャズ公演が増えるきっかけとなりました。

この歴史的な出来事は、ジャズの地位向上に寄与し、デューク・エリントンを20世紀の偉大な音楽家として不動の地位に押し上げました。

ピカソの代表作「アヴィニョンの娘たち」の盗難事件?

Claude3がこんな説明をしてくれました。


1986年6月2日に起きたピカソの代表作「アヴィニョンの娘たち」の盗難事件について説明します。

「アヴィニョンの娘たち」は、ピカソが1907年に制作した前期キュビスム画風の代表作です。画面いっぱいに5人の裸婦が描かれており、近代絵画の画期的な作品とされています。

この作品は、パリの国立ピカソ美術館に所蔵されていましたが、1986年6月2日の早朝、強盗犯が美術館に押し入り、この名画を切り取って盗み出したのです。

当時の報道によると、強盗は夜間に屋根から侵入し、警報装置を解除。作品の額縁を外して画布を切り取り、包みに入れて逃走したとされています。

世界的な名画の盗難事件となり、美術界だけでなく世界中で大きな騒ぎとなりました。フランス当局は全力を挙げて捜査を行いましたが、行方は長らく分かりませんでした。

しかし、なんと1992年、ついに作品が無事発見されるに至ります。強盗は身代金を要求していたようですが、最終的には作品だけが発見され、強盗の詳細は不明のままでした。

この事件は、美術品の防犯対策の重要性を改めて示す出来事となり、多くの美術館で対策が強化されることになりました。


ところが、ところが、Copilotはそれを否定。以下のような回答を生成してくれたのでした。


1986年にピカソの代表作「アヴィニョンの娘たち」が強盗に盗まれたという記録は、実際には存在しません。この作品は1907年にピカソによって描かれ、現在はニューヨーク近代美術館に所蔵されています¹²。この絵画はキュビスムの原点とされ、バルセロナのアヴィニョン通りにあった売春宿で働く5人の女性を描いています。アフリカ原始美術からの影響を受けたこの作品は、ピカソの画風の変遷を示す重要な作品です²。

「アヴィニョンの娘たち」が盗まれたという話は、他のピカソの作品に関する盗難事件と混同されている可能性があります。ピカソの作品はその価値の高さから、過去に何度も盗難の対象となっています。しかし、「アヴィニョンの娘たち」自体が盗まれたという具体的な事件については、公式な記録や報告は見つかりませんでした。もし他のピカソの作品に関する情報をお探しであれば、さらに詳細をお知らせいただければ、その情報をお探しすることができます。¹²³

ソース: Copilot との会話、 2024/6/1
(1) ニューヨーク近代美術館の作品解説~ピカソの『アヴィニョン …. http://gemeinwohl.jp/


世界初のコンピュータ音楽の演奏

1935年のことだそうです。Claud3の説明です。


1935年6月1日にマサチューセッツ工科大学(MIT)で行われた世界初のコンピュータ音楽の演奏は、音楽史に残る大きな出来事でした。

この実験は、MITの教授であったジョン・ケイジとレオン・セレナーによって行われました。彼らは、関数発生器と呼ばれる電気回路を使って音を生成し、スピーカーから出力することに成功しました。

当時のコンピュータは現在のようなデジタル方式ではなく、アナログ方式でした。ケイジとセレナーは関数発生器を複雑に組み合わせ、様々な波形を作り出し音に変換したのです。

この実験は非常にプリミティブなものでしたが、音楽をコンピュータで生成する可能性を示した先駆的な試みとして高く評価されています。コンピュータ音楽の礎となり、後のエレクトロニック・ミュージックやコンピュータ音楽の発展に大きな影響を与えました。

ケイジは当時から実験的な音楽を手がけていた芸術家でもあり、この実験を通じてコンピュータの可能性に着目しました。後にコンピュータを使った作曲を行うなど、現代音楽の発展に大きく貢献しています。


“Iam Iunius” 今や6月

6月を謳う。古代ローマの3大詩人の1人として知られるオウィディウス(Publius Ovidius Naso、前43年 – 17年頃)のラテン語の詩「Iam Iunius amoenos Pubescit floribus agros, Zephyrique tepentibus auris Resolvuntur viscera terrae.」(意味は「もう六月になり、愛らしい花々で野原が賑わい、そして温かな南西の風とともに大地の心が解き放たれる」です。)。冒頭に”Iam Iunius” 「今や6月」とあります。

確かにもう6月です。

Claude3による文法的な説明です。


1行目:
Iam Iunius – 「もう六月が」
amoenos pubescit floribus agros – 「愛らしい花々で野原が賑わう」

2行目:
Zephyrique – 「そして(南西の)風が」
tepentibus auris – 「温かな息吹とともに」
Resolvuntur viscera terrae – 「大地の心が解き放たれる」


1918年、作曲家セルゲイ・プロコフィエフが滞在していた

作曲家セルゲイ・プロコフィエフは1918年、ロシアの革命の混乱を避けてアメリカに亡命する途中、日本に上陸し、春から夏にかけて滞在していました。

以下はCopilotの説明です。


作曲家セルゲイ・プロコフィエフは日本に上陸し、約2ヶ月間滞在しました。彼の日本滞在は1918年の春から夏にかけてのことでした。プロコフィエフはこの時期、日本の文化や風景に触れ、後の作品に影響を与える貴重な経験をしました。この期間、彼は日本の文化や風景を体験し、その印象を日記に記録しています。

プロコフィエフの日本滞在中のエピソードには以下のようなものがあります:

  • 関西地方の観光: 彼は関西地方を観光し、特に奈良公園での経験が印象的だったようです。奈良公園の鹿や、琵琶湖疏水を舟で巡るなど、日本の自然と触れ合う機会を楽しんだと記されています¹。
  • 京都での芸者遊び: 京都では芸者遊びを体験し、日本の伝統的な娯楽に触れました。このような体験は、彼の音楽にも影響を与えた可能性があります¹。
  • 日記の記録: 滞在中の日記には、日本の風土や文化に対する彼の観察が詳細に記されており、後に彼の音楽作品にも反映されたと考えられています¹。

プロコフィエフはこの日本滞在を通じて、異文化への理解を深め、彼の音楽に新たなインスピレーションをもたらしたと言えるでしょう。彼の日本での経験は、彼の作品においても独特の色彩を与えています。


Iustitia et ratio lucem ostendunt.

今日はこのラテン語のフレーズを記憶にとめました。邦訳は「正義と理性は光を示す」。使われている単語の意味は、

  • Iustitia = 正義、公正
  • et = そして
  • ratio = 理性、理解力
  • lucem = 光を
  • ostendunt = 示す、指し示す

古典的な言い回しですが、正義と理性は人々を啓発し、真実への道筋を示してくれるという意味合いが込められており、知性と公平さの重要性が力強く説かれています。

IustitiaとratioについてClaude3に説明してもらいましょう。

続きを読む