考古学出発の日

「考古学出発の日」とは、日本の近代考古学の始まりを記念する日です。この日は、1877年6月18日にアメリカの動物学者であるエドワード・S・モース博士が来日したことに由来しています。

モース博士は、横浜から新橋へ向かう汽車の中から、東京都品川区・大田区にある縄文時代後期から末期の貝塚「大森貝塚」を発見しました。彼はその後、この貝塚の発掘調査を行い、貝殻や土器、動物の骨片、人骨片などが発掘されました。この発掘は、日本における考古学の本格的なスタートとなり、モース博士は日本の考古学の父と称されるようになりました。

この日を「考古学出発の日」として記念することで、日本の考古学の発展に寄与したモース博士の功績を讃え、また、日本の歴史や文化の研究における重要性を再認識する機会となっています。大森貝塚の発見は、日本の歴史を理解する上での重要なマイルストーンであり、今日でも多くの学者や学生にとって貴重な研究対象となっています。

https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/kaizuka/kaizuka.html

自由の女神像

自由の女神像がニューヨークに届いた日。

自由の女神像がニューヨークに届いた経緯

  • 1885年6月17日、アメリカ独立100周年を記念して、フランスから自由の女神像がニューヨークに贈られました。
  • この像は、フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディによって設計されたものです。
  • 像は船で運ばれ、ニューヨーク港に到着しました。

自由の女神像の意義

  • 自由の女神像は、アメリカの自由と民主主義の象徴として知られています。
  • 像は多くの芸術作品に登場し、アメリカの象徴として広く知られるようになりました。
  • 現在でもニューヨークのランドマークとして、多くの観光客が訪れています。

自由の女神像の寄贈

  • 自由の女神像は、フランスからアメリカに贈られたものです。
  • この贈与は、アメリカ独立100周年を記念するものでした。
  • フランスは、アメリカの独立運動を支持していたことから、この贈与を行いました。

以上が、自由の女神像がニューヨークに届いた経緯と意義についての詳細な説明です。この像は、アメリカの自由と民主主義を象徴する重要な存在として、今日でも多くの人々に愛されています。


自由の女神像の大きさと重さについて詳しく説明します。

自由の女神像の大きさ

  • 全体の高さは93メートルです。
  • 台座部分を除いた女神像自体の高さは46.5メートルです。
  • 女神像の手の長さは5メートルです。
  • 冠の大きい方の半径は3.5メートルです。
  • 鼻の長さは1.37メートルです。
  • 口の幅は0.91メートルです。
  • 爪の大きさは0.33メートル x 0.65メートルです。

自由の女神像の重さ

  • 全体の重さは31トンです。
  • 女神像のボディを作っている銅の厚さは、1セント硬貨を2枚重ねた程度と非常に薄いです。

つまり、自由の女神像は非常に大きな彫像ですが、その構造は意外にも非常に薄い銅板で作られており、全体としても31トンと軽量な作りになっているのが特徴です。この軽量化によって、像を運搬し設置することが可能になったのだと考えられます。

ラテン語の芭蕉の、その④

Fila araneae circumvolvuntur super aquam.

芭蕉の句”蜘蛛の糸まはるまはるて水の上”をラテン語に移したものです。

ChatGPTによる生成画像

解説:

  • Fila: 糸 (複数形主格)
  • araneae: 蜘蛛の (単数形属格)
  • circumvolvuntur: まわる、ぐるぐると回る (受動態現在形3人称複数)
  • super: ~の上に (前置詞)
  • aquam: 水 (単数形対格)

ラテン語は語順が比較的自由で、単語の語尾変化によって文法的役割が示されます。また、この翻訳では英語の “spider web” に相当する単語がないため、”蜘蛛の糸”を “fila araneae” (蜘蛛の糸) と表現しました。

俳句特有の簡潔さや情緒を完全に再現するのは難しいですが、この翻訳で俳句の主要なイメージは伝えられていると思います。


長編小説『アフターダーク』

2004年6月17日、日本の作家、村上春樹の長編小説『アフターダーク』が講談社より出版されました。

『アフターダーク』は、深夜から明け方までの東京を舞台に、様々な人々の孤独や疎外感、そしてささやかな繋がりが描かれる連作短編集のような構成を持つ作品です。主な登場人物は、深夜のファミリーレストランで過ごす女子大学生マリと、姉のエリの身に起こる不思議な出来事に関わる人々です。

この作品は、以下のような特徴を持っています。

  • 時間と場所: 深夜から明け方までの限られた時間、そして都市の様々な場所(ファミリーレストラン、ラブホテル、ビジネスホテル、コンビニエンスストアなど)を舞台に物語が展開されます。
  • 登場人物: 主人公のマリをはじめ、様々な年齢、職業、背景を持つ登場人物が登場し、それぞれの孤独や悩みを抱えながらも、互いに影響を与え合います。
  • 文体: 村上春樹特有のリズミカルで美しい文体が、都会の夜の静けさや登場人物の心情を鮮やかに描き出します。
  • テーマ: 孤独、疎外感、人間関係の希薄さ、現実と非現実の境界線など、現代社会が抱える問題を深く掘り下げています。

『アフターダーク』は、出版当時、その独特な世界観や文体で大きな話題となり、国内外で高い評価を受けました。村上春樹の作品の中でも人気の高い作品の一つであり、現代社会を生きる人々の心に響く普遍的なテーマを扱っていることから、今もなお多くの読者に愛されています。

Vita brevis, ars longa

ローマの代表的な風刺詩人マルティアリス(40頃-104頃)の作品の一節にある格言です。意味は「人生は短い、芸術は長い」です。

生成AIサービス「リートン」の生成画像

Claude3Haikuによる文法的説明です。


Vita brevis, [est] Ars longa, [est]

  • Vita = 「人生」(主語)
  • brevis = 「短い」(形容詞)
  • ars = 「技術、芸術」(主語)
  • longa = 「長い」(形容詞)

文法的に分析すると:

  • 主語(vita, ars)と述語動詞(est)が省略されている
  • 主語と形容詞が並列されている
  • 2つの独立した文が並列されている

つまり、完全な形では以下のように記述できます:

Vita brevis est, ars longa est. 「人生は短い、(しかし)技術は長い」

この格言は、人生の短さと芸術の永続性を対比させ、人生の限界と芸術の価値を表現しています。


永遠に接する何か、が私たちには必要です。芸術はその一つなのでしょう。

20世紀文学史における重要な出来事

1904年6月16日、アイルランドの作家ジェームズ・ジョイスは、将来の妻となるノラ・バーナクルと初めて出会いました。この出会いは、ジョイスの人生と作品に大きな影響を与えました。

ジェームズ・ジョイスは、1882年にダブリンで生まれました。彼は若い頃からアイルランドの政治的・文化的状況に強い関心を持ち、アイルランドの独立と言語の復興を支持していました。一方、ノラ・バーナクルは、ガルウェイ出身の女性で、当時ダブリンのフィン・ホテルで働いていました。

1904年6月10日、ジョイスはノラに声をかけましたが、ノラは応じませんでした。しかし、6月16日に再会した際、二人は意気投合し、デートの約束をしました。この日は、後にジョイスの代表作『ユリシーズ』の舞台となる日付で、「ブルームズデイ」と呼ばれています。

ジョイスとノラは1904年10月に一緒にアイルランドを離れ、大陸での生活を始めました。二人は1931年に正式に結婚するまで、自由な関係を続けました。ノラは、ジョイスの作品の重要なインスピレーション源となり、特に『ユリシーズ』のモリー・ブルームのモデルになったと言われています。

ジョイスは、ノラとの関係を通じて、女性の性や心理に対する洞察を深めました。また、ノラの言葉や表現は、ジョイスの作品の言語表現に影響を与えました。二人の手紙のやり取りは、ジョイスの内面や創作過程を知る上で貴重な資料となっています。

ジョイスとノラの出会いは、20世紀文学史における重要な出来事の一つです。この出会いがなければ、『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』といったジョイスの傑作は、別の形になっていたかもしれません。1904年6月16日は、ジョイスの人生とモダニズム文学の歴史において、象徴的な日付となっています。

世界初の安全装置付き昇降機(エレベーター)

1855年6月16日、ニューヨーク市のE.V. Haughwout & Co.の5階建てのビルに、エリシャ・オーティスが設計した世界初の安全装置付き昇降機(エレベーター)が設置されました。これは、近代的なエレベーターの発明における重要な出来事とされています。

エリシャ・オーティスは、1852年に昇降機の安全装置を発明し、特許を取得しました。この装置は、昇降機のケーブルが切れた場合に、自動的にブレーキがかかり、かごを固定する仕組みになっていました。これにより、昇降機の安全性が大幅に向上し、高層建築物への設置が可能になりました。

E.V. Haughwout & Co.に設置された昇降機は、蒸気機関で駆動され、約5分で5階まで到達することができました。当時の新聞は、この昇降機を「上昇する部屋(rising room)」と呼び、その利便性と安全性を賞賛しました。

オーティスの安全装置付き昇降機の発明は、都市の垂直方向への発展を促進しました。高層建築物の建設が可能になり、都市の景観は大きく変化しました。また、昇降機の普及により、オフィスビルや集合住宅など、多くの人々が利用する建築物の設計にも変化がもたらされました。

現在、エレベーターは私たちの日常生活に欠かせない交通手段となっています。1855年6月16日のE.V. Haughwout & Co.への昇降機の設置は、その歴史の始まりを示す重要な出来事だと言えます。エリシャ・オーティスの功績は、近代都市の発展に大きく貢献したと評価されています。

ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験

ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験は、1752年6月15日にフィラデルフィアで行われたとされています。この実験は、雷が電気であることを証明するために行われました。

実験の内容

フランクリンは、雷雨の中で絹の凧を揚げ、凧糸に金属製の鍵を取り付けました。凧糸が濡れると電気が伝わりやすくなり、鍵に電気が集まることを期待しました。そして、実際に鍵に指を近づけると、静電気が発生し、火花が散ったことから、雷が電気であることを証明しました。

ChatGTの生成画像

実験の意義

この実験は、雷が電気であることを科学的に証明した画期的なものでした。それまで、雷は神の怒りや超自然的な現象と考えられていましたが、フランクリンの実験によって、雷は自然現象であり、科学的に解明できることが示されました。

この実験は、避雷針の発明にもつながりました。フランクリンは、雷が金属に引き寄せられる性質を利用して、建物を雷から守る避雷針を考案しました。避雷針は、現在でも世界中の建物で広く利用されており、雷による被害を軽減する上で重要な役割を果たしています。

注意点

フランクリンの実験は、非常に危険なものでした。雷は高電圧であり、感電すると命に関わる危険があります。実際、フランクリンの実験を模倣して感電死した人もいます。

フランクリン自身も、実験中に感電する危険性を認識しており、安全に配慮して実験を行ったとされています。しかし、現代の科学的な視点から見ると、フランクリンの実験は非常に危険であり、決して真似をしてはいけない行為です。

まとめ

ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験は、雷が電気であることを証明した歴史的な実験です。この実験は、科学の発展に大きく貢献し、避雷針の発明にもつながりました。しかし、実験は非常に危険なものであり、決して真似をしてはいけないことを忘れてはいけません。

Rident amicitiae flores,

この画像からiCloud3Haikuにラテン語で短詩を生成してもらいました。

Rident amicitiae flores, Laetitia vultu lucet, Gratia mutua cor reficit, Iucunda societas animam confortat.

邦訳は「友情の花々が咲き誇り、 笑顔が喜びを輝かせ、 互いの優しさが心を癒し、 楽しい仲間が魂を鼓舞する。」です。

この詩は、この画面に見られる人々の間に育まれている温かな絆と、その暖かみに触れることで得られる心の充足感を表現しています。地域社会の中で見出される人々の絆の美しさを讃えるものです。


次に、ラテン語のこの短詩をもとにChatGPTに画像を生成してもらいました。

文法的な説明です。


Rident amicitiae flores – 友情の花々が笑っている

  • 主語は「amicitiae flores」(友情の花々)、動詞は「rident」(笑っている)

Laetitia vultu lucet – 喜びが顔に現れている

  • 主語は「laetitia」(喜び)、動詞は「lucet」(輝いている)、「vultu」(顔に)は場所を表す

Gratia mutua cor reficit – 相互の恩恵が心を癒す

  • 主語は「gratia mutua」(相互の恩恵)、動詞は「reficit」(癒す)、「cor」(心)は直接目的語

Iucunda societas animam confortat – 楽しい仲間が魂を強める

  • 主語は「iucunda societas」(楽しい仲間)、動詞は「confortat」(強める)、「animam」(魂)は直接目的語

全体として、友情や相互の愛情、楽しい仲間といった人間関係の中に見出される温かみと喜びが詠われています。相手の心を癒し、魂を強める絆の大切さが表現されていると言えます。


こんな風にAIでのラテン語遊びを楽しんでいます。

Ludicrum Latinum est iocundum.

マグナ・カルタ(ラテン語で「大憲章」)

マグナ・カルタ(ラテン語で「大憲章」)は、1215年6月15日にイングランド王ジョンが、反乱を起こした貴族たちの要求に応じて署名した憲章です。

背景

当時のイングランドでは、ジョン王の失政や度重なる増税、対外戦争の失敗などにより、貴族たちの不満が高まっていました。1215年、貴族たちはついに反乱を起こし、ロンドンを占拠しました。ジョン王は、これ以上の対立を避けるため、貴族たちの要求を受け入れ、マグナ・カルタに署名することを余儀なくされました。

CgatGPTの想像画

内容

マグナ・カルタは、全63条からなる文書で、主に以下の内容が規定されています。

  • 王権の制限: 王は、法の下にある存在であり、恣意的な権力行使は許されないことを明記しました。これは、後の法治主義の基礎となる重要な考え方です。
  • 貴族の権利保護: 貴族の財産や自由を保護し、恣意的な逮捕や投獄を禁じました。
  • 教会の自由保障: イングランド国教会の自由を保障し、王による干渉を制限しました。
  • 都市の自治権承認: ロンドンなどの都市に一定の自治権を認めました。

意義

マグナ・カルタは、当時の封建社会における王と貴族の関係を規定した文書であり、貴族の権利を保護することを目的としていました。しかし、その内容は、後の時代において、法の支配や人権思想の発展に大きな影響を与えました。

マグナ・カルタは、単なる貴族の特権を守るための文書ではなく、普遍的な権利を保障する文書として解釈されるようになり、17世紀のイギリス革命や18世紀のアメリカ独立宣言など、後の民主主義運動において重要な役割を果たしました。

現在でも、マグナ・カルタは、自由と権利を保障する象徴的な文書として、世界中で高く評価されています。

Ludos animi peregrinationes mentis,

いつものAIラテン語遊びです。下の画像から短詩を作ってもらいました。

その下の画像はChatGPTによる生成画像です。


Vitam senecta sapientia informat, Ludos animi peregrinationes mentis, Amicos curas animae delectant, Vespertina quiete tempus rite fruitur.

「老いは知恵を育む、 心の遊びは知性の旅路、 友は魂の慰めとなり、 夕暮れの静寂を正しく満喫す。」


このラテン語の短詩は、高齢期の人生の充実した側面を描いています。

知恵と経験を身につけ、 知性を刺激する知的な追求、 大切な友人との絆、 そして穏やかな夕暮れの時間を 十分に楽しむことができる、 という人生の深さと尊厳を 表現しているのが特徴です。

文法的説明です。


Vitam senecta sapientia informat – 老年は人生に知恵を与える

  • 主語は「senecta」(老年)、動詞は「informat」(与える)、直接目的語は「vitam」(人生)

Ludos animi peregrinationes mentis – 心の遊びは知性の旅路である

  • 主語は「ludos animi」(心の遊び)、述語名詞は「peregrinationes mentis」(知性の旅路)

Amicos curas animae delectant – 友は魂の慰めとなる

  • 主語は「amicos」(友)、動詞は「delectant」(喜ばせる)、直接目的語は「curas animae」(魂の慰め)

Vespertina quiete tempus rite fruitur – 夕暮れの静寂の中で時間を正しく楽しむ

  • 主語は「(homo/ego)」(人/私は)、動詞は「fruitur」(楽しむ)、前置詞句
    「vespertina quiete」(夕暮れの静寂の中で)は状況を表す

全体として、この詩は人生の晩年における知恵、思考の探求、友情の愛着、静寂の中での寛ぎなど、充実した生活の諸相を描いています。言葉の配置や格変化などから、それぞれの要素が調和のとれた構造を成していることがわかります。


UNIVAC I(ユニバック I)納入

UNIVAC I(ユニバック I)は、商業的に成功した初の電子デジタルコンピュータとして知られています。1951年6月14日にアメリカ国勢調査局に納品されました。この出来事はコンピュータ技術の発展において画期的なものであり、ビジネスや政府機関でのデータ処理の革命をもたらしました。

ChatGPTによる詳しい説明です。


UNIVAC Iの開発背景

開発者と歴史

UNIVAC Iは、ジョン・プレスパー・エッカート(John Presper Eckert)とジョン・モークリー(John Mauchly)によって設計されました。この二人は、ENIAC(世界初の汎用電子デジタルコンピュータ)の開発者でもあります。彼らはUNIVAC Iを開発するために、1946年にエッカート・モークリー・コンピュータ会社(Eckert-Mauchly Computer Corporation)を設立しました。その後、この会社はレミントンランド社(Remington Rand Corporation)に買収されました。

技術的特性

ハードウェア

  • 中央処理装置(CPU): UNIVAC IのCPUは5,400本の真空管で構成されており、これにより論理演算とデータ処理が行われました。
  • メモリ: メモリは1,000語の容量を持ち、水銀遅延線(mercury delay line memory)を使用していました。各語は12文字(6ビットの文字)で構成されていました。
  • 入出力装置: 主な入出力装置には磁気テープユニット、パンチカードリーダー、プリンターが含まれていました。

ソフトウェア

UNIVAC Iのプログラムは主にアセンブリ言語で書かれており、コンピュータに指示を与えるためにパンチカードや磁気テープを使用しました。

国勢調査局への納品

1951年6月14日、UNIVAC Iがアメリカ国勢調査局に納品されました。これは、世界初の商業的に販売された電子デジタルコンピュータとして、業務用データ処理に革新をもたらすものでした。国勢調査局は、人口統計データの迅速な処理と分析にUNIVAC Iを利用しました。


国勢調査局のUNIVAC Iと2人のオペレータ 1960年頃

影響と意義

データ処理の効率化

UNIVAC Iは、従来の手作業や電気機械式計算機に比べて圧倒的に高速で正確なデータ処理能力を持っていました。これにより、大量のデータを迅速に処理することが可能となり、国勢調査の実施期間が大幅に短縮されました。

商業利用の拡大

UNIVAC Iの成功により、他の企業や政府機関でも電子デジタルコンピュータの導入が進みました。銀行、保険会社、製造業など、さまざまな分野でのデータ処理や計算業務に利用され、ビジネスの効率化が図られました。

コンピュータ産業の発展

UNIVAC Iの納品は、コンピュータ産業の商業化の始まりを示しています。これに続いて、IBMや他の企業も商用コンピュータ市場に参入し、コンピュータ技術の発展が加速しました。

結論

1951年6月14日のUNIVAC Iのアメリカ国勢調査局への納品は、コンピュータ技術の歴史において重要なマイルストーンとなりました。UNIVAC Iは、商業的に成功した初の電子デジタルコンピュータとして、多くの業務に革命をもたらし、その影響は現在に至るまで続いています。この出来事は、現代の情報技術社会の基盤を築く一歩となりました。


Ride, si sapis, o puella, ride.

ローマの詩人マルティアリス(Martialis)のエピグラムの冒頭のフレーズです。訳は「笑え、もし賢いなら、おお、少女よ、笑え。」です。軽やかで良いですね。

エピグラム(Epigram)とは古代ローマの短詩の重要なジャンルの1つで、機知に富んだ1~4行程度の短詩、風刺詩のことです。

マルティアリス(本名:マルクス・ヴァレリウス・マルティアリス、Marcus Valerius Martialis、約40年頃 – 104年頃)は、ローマ帝国時代の著名な詩人で、そのエピグラムで有名です。彼の作品は鋭い風刺と機知に富み、ローマ社会の様々な側面を描写しています。

    Ride, si sapis, o puella, rideで始まる短詩全体は次のようです。

    Ride, si sapis, o puella, ride; Parum severae est mea Musa nec liber Lactantis infantes videt.

    「笑え、もし賢いなら、おお、少女よ、笑え。私の詩は厳格すぎず、私の本も乳飲み子たちを見守っている。」

    このエピグラムは詩人の作品が子供たちにも適していると述べつつ、「笑え、もし賢いなら、おお、少女よ、笑え。」と呼びかけて自らの軽やかな詩風を強調しています。

    今日興味深く学んだのでその一端をご紹介しました。

    たお、Lactantis を「授乳中の」と解しましたが、「Lactantiusの」とも解釈できます。そのような名の有名人でキリスト教徒の著述家が おりますがマルティアリスよりも200年以上後の人です。それで「授乳中の」と訳すのが良いと思います。

    Deserto maris, in segreto sedes,

    今日のAI遊びです。

    Deserto maris, in segreto sedes, Amicus procul longe quiescit. Serenae umbrae et venti leves, In hac pace, animus requiescit.

    「沙漠の海、静かに休む場所に 遠くの友は静かに休む 穏やかな影と柔らかい風 この平和の中、魂が休息する」

    この画像からラテン語の短詩をClaude3Haikuに生成してもらいました。

    下はラテン語からChatGPTが生成した画像です。

    文法的な説明です。


    この詩文を文法的に解釈すると以下のようになります:

    Deserto maris, in segreto sedes,

    • “Deserto maris (海の砂漠)、in segreto (秘かに) sedes (座す)”
    • 主語は “Deserto maris”、動詞は “sedes”

    Amicus procul longe quiescit.

    • “Amicus (友人) procul (遠く) longe (遥か) quiescit (休息する)”
    • 主語は “Amicus”、動詞は “quiescit”

    Serenae umbrae et venti leves,

    • “Serenae (穏やかな) umbrae (影) et (そして) venti (風) leves (軽やかな)”
    • これらは主語ではなく、前の詩句を修飾する形容詞

    In hac pace, animus requiescit.

    • “In hac (この) pace (平和) animus (心) requiescit (休息する)”
    • 主語は “animus”、動詞は “requiescit”

    全体として、この詩文は静かで穏やかな海辺の情景を表現しており、遠くに休息する友人と、その心が平和に包まれていることを詠っているものと解釈できます。


    パイオニア10号が太陽系の外へ

    1983年6月13日、アメリカの無人惑星探査機パイオニア10号は、海王星の軌道を横断し、太陽系の外へと旅立った初の人工物となりました。これは、人類の宇宙探査における歴史的な一歩であり、太陽系外の未知の世界へと探査の範囲を広げる画期的な出来事でした。

    パイオニア10号のミッション

    パイオニア10号は、1972年3月2日に打ち上げられ、木星とその周辺の探査を目的としていました。1973年12月には木星に最接近し、その大気や磁場、衛星などの観測を行いました。その後も飛行を続け、1983年6月13日に海王星の軌道を越え、太陽系の外へと向かいました。

    メッセージプレート

    パイオニア10号には、地球外知的生命体に向けて、人類からのメッセージを伝えるための金色のプレートが搭載されています。このプレートには、男女の人間の姿や太陽系の位置、水素原子の構造などが描かれており、宇宙のどこかにいるかもしれない知的生命体への挨拶と、地球の存在を知らせる目的で作成されました。

    パイオニア10号のその後

    パイオニア10号は、太陽系の外に出た後も地球との通信を続け、貴重なデータを送り続けました。しかし、2003年1月23日に最後の信号が受信され、その後は通信が途絶えました。現在も太陽系を離れ、宇宙空間を漂い続けていると考えられています。

    パイオニア10号の功績

    パイオニア10号は、以下の点で、人類の宇宙探査に大きな貢献をしました。

    • 木星とその周辺の探査: 木星とその周辺の環境に関する貴重なデータを収集し、太陽系の理解を深めることに貢献しました。
    • 太陽系外探査への道を開く: 太陽系の外へと旅立った初の人工物となり、その後の太陽系外探査への道を開きました。
    • 地球外知的生命体へのメッセージ: メッセージプレートを通じて、地球外知的生命体とのコミュニケーションの可能性を示しました。

    パイオニア10号のミッションは、人類の宇宙への探求心と、未知の世界への憧れを象徴するものであり、その功績は、今後も語り継がれていくことでしょう。

    築地小劇場が開場

    1924年6月13日、日本の劇作家・演出家の土方与志と小山内薫が、東京・築地に築地小劇場を開場しました。これは、日本の演劇史において非常に重要な出来事であり、新劇運動の中心地として大きな役割を果たしました。

    築地小劇場の設立背景

    当時、日本の演劇界は歌舞伎や新派といった伝統的な演劇が主流であり、海外の近代演劇を取り入れた「新劇」はまだ発展途上でした。土方与志は、ヨーロッパ留学中に新劇に触れ、その革新的な表現に感銘を受けました。帰国後、小山内薫らと協力し、日本にも本格的な新劇の拠点を作ることを目指し、築地小劇場を設立しました。

    築地小劇場の特徴

    • 日本初の近代的小劇場: それまでの日本の劇場は、歌舞伎座のような大劇場が主流でしたが、築地小劇場は500人収容の比較的小規模な劇場でした。これにより、観客との距離が近く、より親密な雰囲気で演劇を鑑賞できるようになりました。
    • 実験的な舞台: 築地小劇場では、海外の戯曲の翻訳上演だけでなく、日本のオリジナル作品も積極的に上演されました。また、照明や音響などの技術も積極的に導入し、新しい演劇表現に挑戦しました。
    • 新劇俳優の育成: 築地小劇場は、劇団員を養成するための付属養成所を設立し、多くの新劇俳優を輩出しました。彼らは、後の日本の演劇界を牽引する存在となりました。

    新劇運動への影響

    築地小劇場は、新劇運動の中心地として、以下の点で大きな影響を与えました。

    • 新劇の普及: 新劇という新しい演劇の形式を広く一般に紹介し、その普及に貢献しました。
    • 演劇表現の革新: 実験的な舞台を通じて、日本の演劇表現を大きく発展させました。
    • 新劇俳優の育成: 多くの優秀な新劇俳優を育成し、日本の演劇界に新しい風を吹き込みました。

    築地小劇場のその後

    築地小劇場は、1945年の東京大空襲で焼失しましたが、その精神は戦後の演劇界にも受け継がれ、日本の演劇の発展に大きく貢献しました。現在、築地小劇場跡地には記念碑が建てられ、その歴史を伝えています。

    「小さな親切」運動がスタート

    1963年6月13日、詩人・作家の茅誠司氏(かや せいじ)が提唱し、「小さな親切」運動がスタートしました。これは、「できる親切はみんなでしよう、それが社会の習慣となるように」というスローガンのもと、人々が互いに親切にし合うことで、より良い社会を築いていこうという社会運動です。

    運動の背景

    高度経済成長期の日本は、物質的には豊かになりつつありましたが、一方で、人間関係の希薄化や心の荒廃が問題視されていました。茅氏は、このような状況を憂い、「小さな親切」の積み重ねが、人々の心を豊かにし、社会を明るくすると考え、この運動を提唱しました。

    運動の内容

    「小さな親切」運動は、以下のような活動を通じて、親切の輪を広げていくことを目指しています。

    • 「小さな親切」の実践: 日常生活の中で、できる範囲で親切な行いをすることを奨励しています。例えば、電車で席を譲る、困っている人に声をかける、落ちているゴミを拾うなど、些細なことでも、それが誰かの喜びや助けになることがあります。
    • 「小さな親切」の表彰: 親切な行いをした個人や団体を表彰することで、親切の輪を広げることを目指しています。
    • 作文コンクール・はがきキャンペーン: 子どもたちを中心に、親切について考える機会を提供し、親切の心を育むことを目指しています。
    • 啓発活動: 講演会やイベントなどを通じて、「小さな親切」の大切さを広く社会に呼びかけています。

    文化人・芸術家の参加

    「小さな親切」運動には、茅氏をはじめ、多くの文化人や芸術家が参加しました。彼らは、自らの作品や活動を通じて、親切の心を表現し、運動を盛り上げました。

    運動の成果

    「小さな親切」運動は、半世紀以上にわたり、多くの人々に支持され、日本の社会に定着しています。今日でも、様々な場面で「小さな親切」の実践が見られ、人々の心を温かくしています。

    関連情報

    この運動は、私たち一人ひとりができることから始められる、身近で大切な社会貢献活動と言えるでしょう。

    「白い天使のパンの列」(White Angel Breadline)を撮影

    1929年6月12日、アメリカの女性写真家ドロシア・ラングは、代表作である「白い天使のパンの列」(White Angel Breadline)を撮影しました。この写真は、世界恐慌の最中にカリフォルニア州サンフランシスコで撮影されたもので、貧困にあえぐ人々の苦悩を克明に捉えています。

    写真の中央には、白いエプロンを身につけた女性が、幼い子供たちを両脇に抱え、列に並んでいます。彼女の表情は悲しみと絶望に満ちており、当時の社会状況を象徴するような姿となっています。

    「白い天使のパンの列」は、世界恐慌の悲惨さを伝える写真として広く知られるようになり、社会的な問題提起にもつながりました。ラングの作品は、写真が持つドキュメンタリーとしての力を示すとともに、社会の不平等や貧困問題への関心を高めるきっかけとなりました。

    この写真は、現在でも世界恐慌時代の象徴的なイメージとして、歴史の教科書や展覧会などで広く紹介されています。

    作品集「Ett Hem(我が家)」出版

    1897年6月12日、スウェーデンの画家カール・ラーションは、自身の作品集「Ett Hem(我が家)」を出版しました。これは日本語では「私の家」として知られています。

    この作品集は、ラーションが家族と暮らしたスンドボーンにある自宅を題材にした水彩画と文章で構成されています。ラーションは、妻カーリンと8人の子供たちとの賑やかで幸福な日常生活を、明るい色彩と温かい筆致で描き出しました。

    「私の家」は、単なる作品集にとどまらず、スウェーデンにおける家庭生活の理想像を提示するものとして大きな影響を与えました。ラーションが描いた家庭の風景は、自然光が差し込む明るい室内、美しい家具や調度品、家族が団欒する食卓など、当時の人々にとって憧れの対象となりました。

    さらに、ラーションは自宅のインテリアや家具のデザインも手がけ、そのスタイルは「ラーションスタイル」として人気を博しました。彼の作品は、スウェーデンだけでなく、世界中のインテリアデザインやライフスタイルに影響を与え続けています。

    「私の家」は、ラーションの芸術家としての才能と、家庭人としての幸福な生活が融合した、時代を超えて愛される作品と言えるでしょう。

    以下に、「私の家」の特徴をまとめます。

    • 水彩画と文章の組み合わせ: ラーション自身の文章と水彩画が組み合わさり、より深く作品世界を理解できる。
    • 明るい色彩と温かい筆致: 幸福な家庭生活を、明るい色彩と温かい筆致で表現。
    • スウェーデンにおける家庭生活の理想像: 当時の人々にとって憧れの対象となる家庭風景を提示。
    • インテリアデザインへの影響: ラーションスタイルとして人気を博し、世界中のインテリアデザインに影響。

    「私の家」は、芸術作品としてだけでなく、当時のスウェーデン社会や文化を理解する上でも貴重な資料となっています。

    下は作品を紹介している動画です

    バンクーバー俳諧、ラテン語で

    下は今年5月末のバンクーバーの街角です。Claude3Haikuに読ませて、俳句を作ってもらいました。

    以下はClaude3Haikuによる生成文です。


    この画像は都市の通りを捉えたものです。大時計から立ち上る蒸気が印象的で、時間の流れを感じさせます。また、警察車両が通りを見守る様子から、都市の活気と秩序を感じることができます。そこから、時計の音と警備する姿、そして都会の動きを俳句で表現しました。

    蒸気時計響く

    通りを警備する

    都会の息吹

    Horologium vaporis sonat

    Vias custodientes

    Animam urbis

    ラテン語の文法を解釈すると以下のようになります。

    Horologium vaporis sonat

    • Horologium(時計) vaporis(蒸気の) sonat(響く)
    • 蒸気の時計が響く

    Vias custodientes

    • Vias(通りを) custodientes(警備する)
    • 通りを警備する

    Animam urbis

    • Animam(息吹) urbis(都会の)
    • 都会の息吹

    全体としては、 「蒸気の時計が響き渡り、通りを警備する警官たちの中に、都会の息吹が感じられる」 という内容になります。


    ソニー・ロリンズの誕生日

    1928年6月11日、アメリカ合衆国ニューヨーク市ハーレムに、ジャズ・サックス奏者のソニー・ロリンズ(本名:セオドア・ウォルター・ロリンズ)が誕生しました。彼はハード・バップを代表するミュージシャンであり、その革新的な演奏スタイルと精力的な活動で、ジャズ界に多大な影響を与えました。

    ソニー・ロリンズの音楽キャリア:

    • 初期: 10代から音楽活動を始め、バド・パウエル、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクなど、著名なミュージシャンと共演。
    • 1950年代: プレスティッジ・レコード、ブルーノート・レコード、リバーサイド・レコードなどから数々の名盤をリリース。代表作に「サキソフォン・コロッサス」「ウェイ・アウト・ウェスト」「ア・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」など。
    • 1960年代: 一時的に音楽活動を休止し、自己研鑽に励む。復帰後、より自由で実験的な音楽性を追求。
    • 1970年代以降: 自身のレーベルを設立し、精力的に作品を発表。ワールドツアーを敢行し、世界中のファンを魅了。

    ソニー・ロリンズの音楽性:

    • ハード・バップ: 豪快なブロウと、ブルージーで情熱的な演奏が特徴。
    • 即興演奏: テーマを基に、自由奔放な即興演奏を展開。
    • 多様な音楽性: ハード・バップだけでなく、カリプソ、スタンダード、バラードなど、幅広いジャンルの楽曲を演奏。

    ソニー・ロリンズの影響:

    • ジャズ界: 後続のジャズ・ミュージシャンに多大な影響を与え、多くのフォロワーを生み出した。
    • 音楽界: ジャズ以外のジャンルにも影響を与え、ロック、ポップス、R&Bなどのミュージシャンからも尊敬を集める。

    ソニー・ロリンズの功績:

    • グラミー賞生涯功労賞(2004年)
    • アメリカ国家芸術勲章(2011年)
    • NEAジャズ・マスターズ賞(1986年)

    ソニー・ロリンズは、90歳を超えた現在も現役で活動を続けており、ジャズ界の生ける伝説として、世界中のファンから愛されています。

    『E.T.』公開

    1982年6月11日、スティーブン・スピルバーグ監督による映画『E.T.』が全米で公開されました。この作品は、地球に取り残された異星人E.T.と少年エリオットの友情を描いたSFファンタジー映画です。

    映画『E.T.』のあらすじ:

    カリフォルニア州の郊外に住む少年エリオットは、ある夜、森の中で地球外生命体と遭遇します。エリオットは、その異星人をE.T.と名付け、自宅に匿い、兄のマイケル、妹のガーティと共にE.T.を保護します。エリオットとE.T.は次第に心を通わせていきますが、E.T.は故郷に帰りたいと願っており、エリオットたちはE.T.を宇宙に帰す計画を立てます。しかし、政府機関がE.T.の存在に気づき、事態は思わぬ方向へと進んでいきます。

    映画『E.T.』の成功と影響:

    • 興行収入: 公開当時、映画史上最高の興行収入を記録し、その後10年以上にわたってその記録を保持しました。
    • 批評家の評価: 批評家からも高い評価を受け、アカデミー賞では9部門にノミネートされ、4部門を受賞しました。
    • 文化的影響: E.T.は世界中で愛されるキャラクターとなり、映画のセリフやシーンはポップカルチャーの一部となりました。
    • 映画界への影響: 子役を主人公にしたSF映画というジャンルを確立し、後の映画作品に大きな影響を与えました。

    映画『E.T.』の魅力:

    • 普遍的なテーマ: 異文化交流、友情、家族愛など、普遍的なテーマを描いているため、子供から大人まで幅広い世代に共感を得ています。
    • 感動的なストーリー: E.T.とエリオットの友情、そしてE.T.が故郷に帰るシーンは、多くの観客の涙を誘いました。
    • 美しい映像: カルフォルニアの美しい風景や、E.T.が自転車で空を飛ぶシーンなど、印象的な映像が数多く登場します。
    • ジョン・ウィリアムズの音楽: 映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズによる音楽は、映画の感動をさらに高めています。

    映画『E.T.』は、公開から40年以上経った現在でも、多くの人々に愛され続けている名作です。その魅力は、時代を超えて、これからも観客を魅了し続けることでしょう。

    ダリの誕生日

    1901年6月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスに、サルバドール・ダリが誕生しました。彼は20世紀を代表するシュルレアリスムの画家であり、その奇抜な作品と個性的なキャラクターで世界的に知られています。

    幼少期から青年期:

    • 裕福な家庭に生まれ、幼い頃から絵画の才能を発揮。
    • マドリードの美術学校で学び、後にパリへ移住。
    • パブロ・ピカソやジョアン・ミロなど、当時の前衛芸術家たちと交流を深める。

    シュルレアリスムへの傾倒:

    • 1929年、シュルレアリスムの芸術運動に参加。
    • 無意識や夢の世界を表現する独自のスタイルを確立。
    • 代表作「記憶の固執」は、溶ける時計が描かれた有名な作品。

    多岐にわたる活動:

    • 絵画だけでなく、彫刻、映画、舞台美術、文学など、多岐にわたる分野で活躍。
    • 映画監督ルイス・ブニュエルとの共同制作「アンダルシアの犬」は、シュルレアリスム映画の代表作。
    • ファッションブランドとのコラボレーションや、広告デザインなども手掛ける。

    晩年と死:

    • 1982年、妻ガラが死去。
    • 1989年、故郷フィゲラスのダリ劇場美術館で死去。

    ダリが残したもの:

    • シュルレアリスムを代表する画家として、後世の芸術に多大な影響を与える。
    • 奇抜な作品や言動は、常に人々の注目を集め、現代でも多くの人々を魅了し続けている。
    • 故郷フィゲラスのダリ劇場美術館は、ダリの世界観を体験できる人気観光スポットとなっている。

    生誕120周年:

    2021年はダリの生誕120周年にあたり、各地で展覧会やイベントが開催されました。 現在も、日本国内では「生誕120周年記念 サルバドール・ダリ展」が開催されています。(2024年11月22日~2025年1月19日 大分県立美術館、2025年 神奈川、広島巡回予定)

    サルバドール・ダリは、その生涯を通じて、芸術の枠にとらわれず、常に新しい表現に挑戦し続けた芸術家でした。彼の作品は、見る者に驚きと感動を与え、今もなお多くの人々に愛され続けています。

    ラテン語の芭蕉、その③

    Ventus Fuji flabello impositus, donum Edoense.

    芭蕉の句”富士の風や扇にのせて江戸土産”をラテン語に移したものです。

    ChatGPTのラテン語からの生成画像

    以下、Claude 3の解説です。


    解説:

    • Ventus: 風 (単数形主格)
    • Fuji: 富士山の (単数形属格)
    • flabello: 扇子に (単数形与格)
    • impositus: 乗せられた (完了受動分詞、男性単数主格)
    • donum: 贈り物、土産 (単数形主格)
    • Edoense: 江戸の (単数形主格、形容詞 Edoensis, -e の主格形)

    文法的な解釈:

    • “Ventus Fuji” は、「富士の風」を表しています。”Fuji” は属格形で、「富士山の」を意味します。
    • “flabello” は与格形で、「扇子に」を表しています。
    • “impositus” は完了受動分詞で、「乗せられた」を意味します。これは、”Ventus” を修飾しています。
    • “donum Edoense” は、「江戸土産」を表しています。”Edoense” は、「江戸の」を意味する形容詞です。

    この翻訳では、俳句の意味を簡潔に伝えるために、できるだけ少ない語数で表現しています。ただし、原文の持つリズムや情緒を完全に再現することは難しいかもしれません。また、「や」のような切れ字に相当する表現はラテン語にはないため、この翻訳では省略されています。


    絵本作家モーリス・センダック

    アメリカの絵本作家モーリス・センダックが1928年6月10日に生まれました、彼は、1963年に出版された『かいじゅうたちのいるところ』で世界的に有名になり、その作品は今もなお多くの人々に愛されています。

    『かいじゅうたちのいるところ』

    この絵本は、主人公の少年マックスが、いたずらをして寝室に閉じ込められ、想像の中でかいじゅうたちの住む島へ旅立ち、そこでかいじゅうたちと交流する物語です。

    特徴

    • 独創的な世界観: センダックは、子供たちの空想や恐れ、喜びといった感情を、独特のタッチで表現しました。かいじゅうたちは、時に恐ろしく、時にユーモラスで、子供たちの心の中に潜む様々な感情を象徴しているようです。
    • 美しい絵: センダックの絵は、繊細な線と大胆な色彩が特徴的で、見る者を物語の世界へと引き込みます。かいじゅうたちの表情や動きは生き生きとしており、子供たちの想像力をかき立てます。
    • シンプルなストーリー: 物語は、短い文章と絵で構成されており、子供たちが理解しやすいように工夫されています。しかし、その中には、孤独や怒り、喜びといった普遍的なテーマが込められており、大人も深く共感できる内容となっています。

    影響

    『かいじゅうたちのいるところ』は、出版当初から高い評価を受け、コールデコット賞など数々の賞を受賞しました。その後、世界中で翻訳され、2000万部以上を売り上げるベストセラーとなりました。

    この絵本は、子供たちの想像力を刺激し、感情を表現することの大切さを教えてくれます。また、大人にとっては、子供の頃の記憶や感情を呼び起こし、自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれる作品でもあります。

    センダックの死後も、『かいじゅうたちのいるところ』は、世代を超えて愛され続けています。2009年には、スパイク・ジョーンズ監督によって映画化され、絵本とはまた違った魅力で観客を魅了しました。

    モーリス・センダックは、『かいじゅうたちのいるところ』以外にも、『まよなかのだいどころ』、『ちいさなちいさなぼく』など、数多くの優れた絵本を残しています。彼の作品は、これからも多くの人々に愛され、読み継がれていくことでしょう。

    斎藤茂吉が歌集『ともしび』を刊行した日

    1926年6月10日のことでした。

    歌集『ともしび』は、茂吉が45歳の時に刊行された歌集であり、前年に亡くなった生みの母への哀悼の歌や、親友であった若山牧水の死を悼む歌などが収められています。また、この時期の茂吉は歌壇における指導的立場を確立しており、その自信に満ちた歌風も特徴の一つです。

    『ともしび』は、茂吉の歌風が円熟期を迎えたことを示す歌集であり、その後の短歌界にも大きな影響を与えました。

    GeminiAdvancedに歌集の中から3編を紹介してもらいました。


    歌集『ともしび』の中から3つの歌をご紹介します。

    1. わが齢(よわい)四十に足らぬここにして汝(な)が世を去りし悲しさのはて
      • 40歳になる前に亡くなった若山牧水への哀悼の歌です。「悲しさのはて」という表現に、深い悲しみが込められています。
    2. うつしみの吾がなかにあるくるしみは白ひげとなりてあらはるるなり
      • 現世の苦しみが、白髪となって現れるという歌です。老いや人生の苦悩を表現しています。
    3. 焼けあとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空しさのはて
      • 戦後の焼け跡に立ち尽くす作者の姿が目に浮かぶ歌です。戦争の虚しさを痛感する心情が詠まれています。

    これらの歌は、親しい友人の死や戦争体験など、斎藤茂吉が実際に経験した出来事や感情を詠んだものであり、読者の心に深く響くものがあります。

    Da mi basia mille, deinde centum「私に千のキスをくれ、それから百のキスを」

    古代ローマの詩人で、新詩人派(Poetae Novi)の代表的な存在カトゥッルス(Gaius Valerius Catullus, 紀元前84年頃 – 紀元前54年頃)の詩集に収められた5番目の詩の冒頭の一節です。恋人に千のキス、そしてさらに百のキスをねだる内容になっています。ラテン語の命令文と数詞の対格形が使われており、恋人への強い愛情が表現されています。

    カトゥッルスについてChatGPTの説明です。


    生涯: カトゥッルスは、ウェローナの裕福な家庭に生まれました。青年期にローマに移り、当時の知識人や詩人たちと交流を持ちました。彼の短い生涯の多くは、ローマとウェローナの間で過ごされました。

    作品: カトゥッルスの作品は、116編の詩から成る詩集として現存しています。この詩集には、様々な長さや主題の詩が含まれており、恋愛詩、風刺詩、友情の詩、長編詩などが収められています。彼の詩は、個人的な感情や経験を率直に表現しており、特に恋人レスビアへの情熱的な愛を歌った詩が有名です。

    文体: カトゥッルスの詩は、洗練された文体と巧みな言葉遣いが特徴的です。彼はギリシャ語の詩の形式を取り入れ、ラテン語の詩に新しい表現をもたらしました。また、日常的な言葉や口語表現を詩に取り入れ、伝統的な詩の形式に新鮮さを加えました。

    影響: カトゥッルスの作品は、後世の文学に大きな影響を与えました。彼の詩は、個人的な感情を直接的に表現する近代的な手法の先駆けとなり、ルネサンス期以降、多くの詩人に影響を与えました。また、彼の詩集は、古代ローマの日常生活や文化を知る上でも貴重な資料となっています。


    ちなみに詩は次のように続きます。

    「Vivamus, mea Lesbia, atque amemus」

    「レスビアよ、私たちは生きて、そして愛し合おう」

    恋人のレスビアに呼びかけ、人生を謳歌し、お互いを愛し合おうと誘っています。ここでも接続法現在形が使われており、恋人への強い思いが表現されています。カトゥッルスのレスビアへの情熱的な愛が感じられる有名な詩の一節です。

    芭蕉とラテン語 その②

    芭蕉の有名な俳句「古池や / 蛙飛び込む / 水の音」をラテン語に翻訳してみましょう。

    ラテン語訳:

    Antiquus lacus, Rana resilit, Sonus aquae.

    この翻訳では以下のように訳出しています:

    • 「古池や」は “Antiquus lacus” と表現しています。

    💡 “Antiquus lacus” というラテン語のフレーズは、文法的に以下のように解釈できます。

    Antiquus: 形容詞で、「古い」や「昔の」を意味します。これは単数主格形です。

    Lacus: 名詞で、「湖」を意味します。これは第四変化の単数主格形です。

    このフレーズ全体で「古い湖」または「古代の湖」という意味になります。

    ○「池」や「水溜り」を意味するラテン語には他にもいくつかの単語があります。以下のようなものがあります。

    Stagnum: 池や水溜りを意味する一般的なラテン語です。これは「静かな水」や「停滞した水」を示すことが多いです。

    Puteus: これは「井戸」を意味しますが、広義では「貯水池」や「水が溜まっている場所」を示すこともあります。

    これらの単語を使って、より具体的な「池」や「水溜り」の意味を表現することができます。

    • 「蛙飛び込む」は “Rana resilit” で表されています。

    “Rana resilit” というラテン語のフレーズは、文法的に以下のように解釈できます。

    Rana: 名詞で、「カエル」を意味します。これは単数主格形です。

    Resilit: 動詞 “resilio” の現在形三人称単数で、「跳び返る」や「跳ね返る」を意味します。

    このフレーズ全体で「カエルが跳ね返る」という意味になります。

    ○古代ローマでは、カエル(rana)は一般的に見られたと考えられます。以下の点からその理由がわかります。

    地理と気候: ローマ帝国は地中海性気候の地域に広がっており、湿地や水辺の環境が豊富でした。カエルはこうした湿った環境を好むため、ローマの都市や田園地帯でも多く見られたでしょう。

    文献の記録: 古代ローマの文学や寓話にはカエルが登場することがあります。例えば、詩人ホラティウス(Horace)や寓話作家イソップ(Aesop)の物語には、カエルが象徴的な動物として登場しています。

    文化と習慣: 古代ローマ人は自然と密接に関わって生活しており、カエルの鳴き声や生態に親しんでいたと考えられます。カエルの鳴き声は雨季の訪れを知らせるものとしても知られていました。

    これらの理由から、古代ローマではカエルがよく見られ、自然環境の一部として存在していたと考えられます。

    • 「水の音」は “Sonus aquae” と訳しています。

    “Sonus aquae” というラテン語のフレーズは、文法的に以下のように解釈できます。

    Sonus: 名詞で、「音」や「音響」を意味します。これは単数主格形です。

    Aquae: 名詞 “aqua”(「水」)の単数属格形で、「水の」を意味します。

    このフレーズ全体で「水の音」という意味になります。

    「ラテン語では、主語-動詞-目的語の語順に合わせて訳出しています。簡潔な言葉遣いと、自然の情景を生き生きと表現できるよう心がけました。

    この俳句の静謐な雰囲気や、水面に飛び込む蛙の躍動感などが、ラテン語の訳でも伝わるのではないでしょうか。」(ChatGPT)なのだそうです。

    me miserum, quanti pertulisse putem!

    オウィディウス(Publius Ovidius Naso, 43 BC – 17/18 AD)に下記の詩があります。

    Quid mihi, Natalis, possint tua gaudia laedere?

    Tristia quid possint, ipsa novembris habet.

    Scilicet ex ipso nascentur tristia natali,

    me miserum, quanti pertulisse putem!

    直訳すると

    「私の誕生日よ、お前の喜びがどのようにして私を傷つけることができるだろうか?

    悲しみがどのようにして可能であるか、11月自体が示している。

    つまり、私の誕生日から悲しみは生まれるのだ。

    私は不運なる者よ、私がいかに多くのものを耐え抜いてきたか考えてみよう!」

    です。

    流刑地で失われた自由と愛する人々との別れに深い悲しみを感じていたことがうかがえます。このような悲しみの詩は、古代ローマの詩人たちの代表的なテーマの一つだったとか。

    ChatGPTの生成画像イラスト風です

    せっかくなので、Claude3Haikuによる最後の行の用語説明をご紹介します。


    「me miserum, quanti pertulisse putem!」の単語を詳しく説明します。

    me

    • 1人称単数対格「私を」を表す人称代名詞

    miserum

    • 形容詞の目的格単数男性形
    • 「不運な、みじめな」という意味

    quanti

    • 関係詞の属格単数形
    • 「どれほどの」「いかほどの」という意味

    pertulisse

    • 完了不定詞
    • 「耐え抜く、耐え忍ぶ」という意味の動詞perferreの完了形

    putem

    • 1人称単数現在希望法
    • 「私は…と考える」という意味

    合わせると、

    「私は不運なる者よ、私がいかに多くのものを耐え抜いてきたか考えてみよう!」

    と訳すことができます。

    オウィディウスは流刑地での苦しみを嘆いており、いかに多くの困難に直面しながらも乗り越えてきたかを、自問自答するような心境が表れています。不運な状況の中でも、なお前を向いて生きようとする詩人の姿勢が感じられます。


    「かしこいメンドリ」(原題:The Wise Little Hen)が公開された日

    ウォルト・ディズニー・プロダクションが制作した「シリー・シンフォニー」シリーズの作品の一つ短編アニメーション映画「かしこいメンドリ」(原題:The Wise Little Hen)が1934年の今日公開されました。

    https://youtu.be/1uTJAgUoqJw?feature=shared

    この作品は、怠け者のドナルドダックとピーター・ピッグが、かしこいメンドリが畑仕事をするのを手伝おうとせず、お腹が痛いふりをしてサボるという物語です。メンドリは一人でトウモロコシを育て、収穫しますが、ドナルドとピーターは食べ物を分けてもらおうとします。しかし、メンドリは二人にトウモロコシではなく、お腹の薬としてヒマシ油を与えるという結末です。

    「かしこいメンドリ」は、ドナルドダックが初めて登場した作品として歴史的に重要です。この作品でのドナルドは、短気で自己中心的、そして怠け者という性格がすでに確立されており、その後のドナルドダックのキャラクター像の基礎となりました。また、ピーター・ピッグもこの作品で初登場し、ドナルドの相棒として描かれています。

    この作品は、ユーモラスなストーリーとキャラクターの魅力に加え、手描きのアニメーションの美しさも高く評価されています。ドナルドダックのデビュー作として、ディズニーアニメーションの歴史において重要な位置を占める作品と言えるでしょう。