1) 1778年|クックがハワイ到達(測量・航海術が“地理知”を更新する)
何が起きた?
1778年1月18日、イギリスの航海者ジェームズ・クックが現在のハワイ諸島に到達(オアフ島付近を視認)したと記録されます。
なぜ重要?(科学史の意味)
18世紀後半の「科学としての探検」は、ただの“発見談”ではなく、天測航法・地図作成(測量)・海流や気象の観察とセットでした。到達=航路と位置の確定は、太平洋の地理情報を具体化し、以後の航海・交易・研究の前提を更新します。 島嶼域の記録は、生物・地形・気候の観察(自然史)とも結びつき、のちの生態学・人類学的関心(島の社会・言語・文化)へも波及していきます(功罪を含めて、近代知の拡張の節目)。

2) 1911年|イーリーの艦上着艦成功(“海×空”をつなぐ工学の成立)
何が起きた?
1911年1月18日、飛行家ユージン・イーリーが複葉機で、サンフランシスコ湾に停泊する装甲巡洋艦USS Pennsylvania の甲板上プラットフォームへ着艦。艦上での初の成功例として知られます。スミソニアン航空宇宙博物館や米海軍史部門の写真解説でも、この日付で整理されています。
なぜ重要?(科学・技術史の意味)
ここでの核心は「飛ぶ」より、短距離で安全に止める/狭い甲板に載せるという“運用工学”です。揺れる海上プラットフォームに対して、進入角・速度・機体強度・停止機構など、複数要素を同時に成立させる必要がありました。 この成功が、後の空母運用(艦載機の発艦・着艦・整備・指揮統制)という巨大システムの起点になり、航空工学が「輸送・競技」から「艦隊運用と結びついた複合技術」へ進む道を開きました。

3) 1912年|スコット隊が“南極点付近”でアムンセン隊の記録を確認(観測が示す決定的瞬間)
何が起きた?
スコット隊の隊日誌(1912年1月18日付)には、観測を総合して自分たちが極点からのずれを見積もり、さらに前方のテントでアムンセン隊が先着していた記録を確認したことが記されています。ロイヤル・ミュージアム・グリニッジも「17–18日」に到達した旨をまとめています。
なぜ重要?(科学史の意味)
南極探検の要は“栄誉の競争”だけでなく、極限環境での位置決定(天文観測)・地理記録・気象観測です。日誌が示すのは、感覚ではなく観測値の積み上げで“いまどこにいるか”を決める科学的プロセスそのものです。 テラ・ノヴァ遠征は地理到達だけでなく、地質・生物・気象などの科学目的も持っていました(その意味で、ここは“探検=科学プロジェクト”が最も劇的に可視化された場面の一つです)。
