12月10日に起こった「人文学分野」(思想・宗教・人権・文学・文化史)に関わる出来事を10件まとめました。
1520年
ルター、教皇勅書『Exsurge Domine』をウィッテンベルク城外で焼く
10月に届いた破門警告の勅書を、猶予60日の最終日に公衆の面前で焼却。教会法や教皇権に対する公開の挑戦であり、宗教改革が「修正運動」から公然たる決裂へと踏み出した象徴的行為となった。

1896年
アルフレッド・ノーベル、イタリア・サンレモで死去
10月に遺言を書き、莫大な財産を人類の功績を顕彰する賞に充てるよう定めてから1年後の12月10日に死去。この命日が後にノーベル賞授賞式の日付となり、「科学・文学・平和」を記念する世界的な記念日になっていく。
1901年
第1回ノーベル賞授賞式、ストックホルムで開催
ノーベルの死から5年目のこの日、物理・化学・生理学医学・文学・平和の各分野で初の受賞者が表彰された。以後、知の国際的権威付けの典型として、学問・文化の世界地図に大きな影響を与える制度として定着する。
1906年
セオドア・ルーズベルト、ノーベル平和賞(初のアメリカ人受賞者)
日露戦争講和の仲介に対して授与され、この日オスロで授賞式が行われた。現職の(しかも帝国主義批判も浴びる)政治指導者への授賞は、平和賞の「政治性」や選考基準をめぐる議論を早くも生み出すことになる。
1909年
セルマ・ラーゲルレーフ、女性として初めてノーベル文学賞を受賞
スウェーデンの作家ラーゲルレーフがこの年の文学賞受賞者となり、12月10日の晩餐会でスピーチを行った。彼女はのちに女性参政権や難民救済にも関わり、「女性作家による世界文学」の可能性を切り開いた存在とされる。
1948年
国連総会、パリのパレ・ド・シャイヨーで「世界人権宣言」を採択
第3回総会で、人類史上初の包括的な人権カタログが決議217A(III)として採択される。「すべての人間は、生まれながらに自由で、かつ尊厳と権利とについて平等である」とうたうこの宣言は、その後の国際人権法・憲法・教育の大枠を形作った。
1953年
ウィンストン・チャーチル、ノーベル文学賞授賞式(ストックホルム)
『第二次世界大戦回顧録』などの歴史・伝記文学と「崇高な人間的価値を擁護する名文の雄弁」が評価され文学賞を受賞し、12月10日の式で夫人が晩餐会スピーチを代読。政治家でありつつ「歴史を書く者」として記憶される典型例となった。
1964年
マーティン・ルーサー・キング Jr.、ノーベル平和賞受賞演説(オスロ)
公民権運動の指導者キング牧師が、この日オスロ大学講堂で受賞演説を行い、「アメリカへの揺るぎない信頼」と「人類の未来への大いなる希望」を語った。非暴力闘争・人種平等・キリスト教倫理が世界的な文脈で語られた代表的テキストとなる。
1968年
カール・バルトとトマス・マートンが同日に死去
バルトはスイス改革派の神学者として20世紀プロテスタント神学を一新し、この日バーゼルの自宅で死去。マートンは同日、バンコクでの宗教者会議参加中に感電事故で急逝した修道士・霊性作家。ふたりの死は、戦後キリスト教思想の一つの世代の幕切れとして象徴的に語られる。


1996年
南アフリカ共和国新憲法、ネルソン・マンデラ大統領が署名
シャープビルでマンデラが新憲法に署名。人権章典を中核とするこの憲法は、アパルトヘイト克服後の多民族民主国家の理念と制度を定式化し、世界的にも「人権憲法」のモデルとして頻繁に参照されている。
補足として、この日付には
ノーベル賞授賞式そのものが毎年行われる日(ノーベルの命日に合わせて1901年以降継続) 1948年の世界人権宣言を記念する 「世界人権デー」 が各国で祝われる日
という二つの大きな「世界的記念日」が重なっています。
もしよければ、次は12月11日版も、同じ形式(年表+一言コメント)でお出しします。