エピグラムと古代ローマ CⅩⅩⅧ

Quid mecum est noster? quid cum quo vincula fugit?

Quisquis es, ignoras: hac ego parte caret.

Non habet Emptorem fugitivus: vendere noli:

multum emit quisquis vendere vult fugit.

この詩はラテン語の短詩で、奴隷制度における逃亡奴隷について書かれたものです。

翻訳と文法解釈:

第1行: “Quid mecum est noster? quid cum quo vincula fugit?”

  • 「我らの者が私と何の関係があるのか?束縛から逃れた者と何の関係があるのか?」
  • mecum = me + cum(私と)
  • noster = 形容詞「我らの」(奴隷を指す)
  • vincula = 複数主格「鎖、束縛」
  • fugit = 3人称単数現在「逃げる」

第2行: “Quisquis es, ignoras: hac ego parte caret.”

  • 「あなたが誰であろうと、あなたは知らない:私はこの部分を欠いている」
  • quisquis = 「誰であろうと」
  • ignoras = 2人称単数現在「知らない」
  • hac parte = 奪格「この部分において」
  • caret = 3人称単数現在「欠く、持たない」

第3-4行: “Non habet Emptorem fugitivus: vendere noli: / multum emit quisquis vendere vult fugit.”

  • 「逃亡奴隷は買い手を持たない:売るな:売ろうとする者は逃げる者を高く買う」
  • fugitivus = 「逃亡奴隷」
  • emptorem = 対格「買い手」
  • vendere noli = 命令法「売るな」
  • emit = 3人称単数現在「買う」
  • multum = 副詞「高く、多く」

作者と解説:

この詩は古代ローマの短詩の形式で書かれており、逃亡奴隷に関する皮肉な観察を含んでいます。具体的な作者の特定は困難ですが、ローマ時代のエピグラム(短詩)の伝統に属するものと考えられます。

詩の主題は奴隷制度の矛盾を風刺的に描いており、逃亡奴隷は法的には「商品」でありながら、実際には売買が困難であるという逆説を表現しています。最後の行の「売ろうとする者は逃げる者を高く買う」は、逃亡奴隷を捕まえて売ろうとする行為自体が、結果的に高いコストを伴うという皮肉を込めています。

文化的背景

この詩の文化的背景について詳しく説明します。

ローマ社会における奴隷制度

この詩は古代ローマの奴隷制度という社会基盤を前提としています。ローマ帝国では奴隷は「res」(物)として扱われ、主人の財産でした。奴隷は戦争捕虜、債務者、奴隷の子として生まれた者などで構成され、社会の重要な労働力でした。

逃亡奴隷の法的地位

ローマ法では逃亡奴隷(fugitivus)は特別な法的カテゴリーでした。逃亡は主人の財産権への侵害とみなされ、厳しく処罰されました。逃亡奴隷を匿う者も処罰対象でした。一方で、逃亡奴隷の捕獲と返還は法的に奨励されており、賞金制度もありました。

エピグラムの文学的伝統

この詩はエピグラム(短詩)の形式で書かれています。ローマのエピグラムは機知に富んだ観察や社会批評を簡潔に表現する文学形式でした。マルティアリスのような詩人たちがこの分野で活躍し、日常生活の矛盾や人間性の滑稽さを鋭く描写しました。

経済的・社会的含意

詩が描く「逃亡奴隷は買い手を持たない」という状況は、当時の経済的現実を反映しています。逃亡癖のある奴隷は商品価値が低く、売買が困難でした。また、逃亡奴隷の捕獲費用が売却益を上回る場合も多く、経済的な矛盾が生じていました。

道徳的・哲学的背景

ローマ後期には、特にストア派哲学の影響で奴隷制度への批判的視点も芽生えていました。この詩の皮肉な調子は、奴隷制度の非人道性や経済的非効率性への間接的な批判を含んでいる可能性があります。

文学的技法

詩は対話的な形式を採用し、読者に直接語りかけることで、奴隷制度の矛盾を身近な問題として提示しています。この手法は当時のエピグラムの典型的な特徴でした。