以下は、スタティウス『シルウァエ』1巻6歌(剣闘士パリスの死を悼む詩)の詩句を背景として創作した短編物語です。
詩のラテン語原文も引用しつつ、その哀切と熱狂の余韻を物語に生かしています。
物語題:
《最後の剣闘士》
“Quis tibi tum cuneos, quis prima ergastula plebis,
quis vultus umbrasve dedit? quae murmura coetuum,
qui gemitus? quanto scissae clamore caligae!”
― Statius, Silvae 1.6

第1章:
影の中の英雄
夕暮れのコロッセウムは、異様な静けさに包まれていた。いつもなら、甲高い歓声や金属音が天に届くこの場所も、今はただ、鳥の羽音と砂の擦れる音だけが響いていた。
セラはその中央に立ち尽くしていた。彼の兄、パリスは、剣闘士として名を馳せながらも、昨日の競技で命を落とした。剣が致命傷を負わせたのではない。観客の歓声と、皇帝の期待と、芸術を求められ続けた魂が、静かに崩れたのだった。
彼はただ戦士ではなかった。踊り、詩を詠み、舞台の台詞を熱演した。市民は彼を「芸術を纏った剣」と呼び、彼が入場するたびに群衆は熱狂の渦に沈んだ。
第2章:
群衆の沈黙
“non sic inmitem Maenalidum nemus aut Erymanthon
planxere satyrae, non sic exterrita Dindyma
planxit turba dei.”
翌朝、パリスの亡骸が担がれたとき、奇跡が起きた。群衆が、沈黙したのだ。
かつて歓声を上げて彼を讃えた観客たちは、言葉を失っていた。老いた元剣闘士も、喧騒を好む娼婦たちも、パンを売る少年すらも、まるで山林の神々――サテュロスやバッカスの狂気が去ったあとの森のように、哀しみに沈んでいた。
セラは見た。裂けたパリスの軍靴。足首から滴った血が、まるで楽譜のように砂の上に旋律を描いていた。
第3章:
遺された声
夜、セラはコロッセウムの地下へ降り、兄の使っていた控え室に入った。そこには、舞台用の仮面、剣の鍛錬具、そして、一冊の蝋板の束が置かれていた。
そこには、こう記されていた。
“戦いの芸術は、死の予行演習ではない。
それは、魂の奥から湧き上がる律動(リズム)に、
身体を合わせる試みだ。
群衆が私を見て歓声を上げるとき、
私は命を削って、彼らに詩を渡していた――”
セラはその蝋板を閉じた。兄は剣闘士ではなかった。芸術家であり、舞台俳優であり、そして――人々の心に詩を残した「最後の剣闘士」だったのだ。
結び:
その年、ネロの新たな祝典では、剣闘士たちの競技の前に、詩の朗唱が導入されたという。群衆は、誰が朗読しても、それがパリスの声に聞こえたと言う。
そして今も、コロッセウムの石のすき間には、砂に書かれたような彼の声が眠っている。