エピグラムと古代ローマ ⅠC

マルティアリス(Marcus Valerius Martialis)は、ローマの教育制度や教師の苦労、教育をめぐる皮肉や不満を描いたエピグラムをいくつか残しています。ここでは、教師の貧困と報われなさを描いた作品を一つ紹介し、文法解釈と日本語訳、背景解説を加えます。

◆ 詩:『エピグラム集』第9巻第75詩

【ラテン語原文】

Qui docet, ille facit: qui scribit, carmina donat:

barbarus est qui non, Vacerra, donat.

◆ 文法的解釈と日本語訳

1行目:

Qui docet, ille facit:

Qui:関係代名詞・主格・単数・男性「〜する人は」 docet:動詞 doceo(教える)現在・直説法・能動・3単 ille:指示代名詞「その人が」 facit:動詞 facio(する、行う)現在・直説法・能動・3単

☞ 「教える者こそが実際に働いている。」

2行目:

Qui scribit, carmina donat:

Qui:同上「詩を書く人は」 scribit:動詞 scribo(書く)現在・直説法・能動・3単 carmina:中性名詞 carmen(歌・詩)の複数対格 donat:動詞 dono(贈る)現在・直説法・能動・3単

☞ 「詩を書く人は、詩を贈り物として差し出している。」

3行目:

Barbarus est qui non, Vacerra, donat.

barbarus est:「野蛮人である」 qui non … donat:「贈り物をしない者は」 Vacerra:呼格、宛名(おそらく詩人仲間、または守銭奴の代名詞)

☞ 「贈り物をしない者は、ヴァケッラよ、野蛮人なのだ。」

◆ 日本語訳(全体)

教える者こそが、実際に働いている。

詩を書く者は、自分の詩を贈り物として差し出している。

贈り物をしない者は、ヴァケッラよ、野蛮人だ。

◆ 背景と解釈

● 教育職の悲哀と知的労働者の扱い

このエピグラムは、知的職業に従事する人々が適切に評価されないという現実を風刺しています。

**「教える者(qui docet)」や「詩を書く者(qui scribit)」**は、いずれも知的労働を担う者ですが、 その労働は金銭的な対価や社会的な尊敬を必ずしも得ていません。 「贈り物をくれない人間は野蛮人だ」という決め台詞は、守銭奴なパトロン(=Vacerra)をあざけるものです。 教師や詩人といった「教養人」は、施しを受ける立場にありながら、その労働の価値が贈り物のように軽んじられているという構図が見えます。

● 当時の教育事情

ローマ帝政期の教育は主に家庭教師(ludi magister)や文法教師(grammaticus)に依存しており、多くが奴隷か解放奴隷出身でした。報酬は安く、長時間の労働、教室の喧騒、パトロンからの無礼な扱いといった苦労が絶えませんでした。

この詩は、そうした知的職業人が精神的な誇りを持ちつつも報われない現実をユーモラスかつ皮肉たっぷりに描いています。