この詩はマルティアリス(Marcus Valerius Martialis)の『エピグラム』第11巻第52詩です。短く鋭い機知と社会風刺が詰まった一編です。
【原文】Martialis,
Epigrammata
XI.52
Cena tamen non est, nisi sit cocis.
Cena datur multis: te, Galle, cena vocat.
【逐語訳と文法的解釈】
● 第1行:
Cena tamen non est, nisi sit cocis.
- Cena:名詞・女性・単数・主格「夕食、晩餐」
- tamen:副詞「それでも、とはいえ」
- non est:「~ではない」(動詞 esse の三人称単数・現在形)
- nisi:接続詞「~でなければ、~しない限り」
- sit:動詞 esse の接続法・三人称単数・現在(条件節で仮定を表す)
- cocis:coquus(料理人)の複数・与格(利害関係を示す。「料理人のために」「料理人がいて」)
【直訳】
晩餐とは、料理人がいなければ、やはり晩餐ではない。
【意訳】
料理人なしの宴など、やはり「宴」とは言えない。
● 第2行:
Cena datur multis: te, Galle, cena vocat.
- Cena:同上(主語)
- datur:dare(与える)の受動態・三人称単数・現在
- multis:形容詞 multus(多くの人)の男性・複数・与格(間接目的語)
- te:人称代名詞 tu の対格「おまえを」
- Galle:呼格(人名 Gallus に対する呼びかけ)
- cena vocat:「夕食が呼ぶ」→「晩餐が君を招いている」
【直訳】
晩餐は多くの人に与えられる。君を、ガッルスよ、晩餐が呼んでいる。
【意訳】
晩餐は多くの人に供されるが、ガッルスよ、君を招くのはただ料理だけだ。
【日本語訳(全体)】
料理人がいなければ、それは晩餐とは言えない。
晩餐は多くの者に供されるが、ガッルスよ、君を招いているのは“料理”そのものだ。
【作者と詩の解釈】
● 作者:
- *マルティアリス(Martialis)**は1世紀ローマの風刺詩人。日常生活、社交、贈答、虚栄などを機知と皮肉をもって描いた詩が多いです。
● 解釈と主題:
- 友情のふりをした食客への皮肉
- 詩中のガッルス(Gallus)は、主人の友情ではなく、ただ料理目当てで宴に来る者。
- マルティアリスは、そうした者を「料理そのものが呼んでいる」と皮肉る。
- 「晩餐」の本質とは何か
- 第一行では、晩餐の定義に皮肉を込め、「料理人がいなければそれは晩餐でない」とする。
- これは逆説的に、料理の質ではなく人間関係が大事だという本意を暗示しているとも読める。
- もてなしの本質とローマ社交界の虚栄
- 社交を通じて得られる名声や贈り物目当てに集う食客への風刺。
- マルティアリスの他の詩にも、招かれていないのに来る食客や自分の分を持ち込む客への言及が多い。
【補足】
この詩は短いながら、「料理」と「友情」の間にある虚飾を暴き、
ローマ社会における饗応文化の偽善性を浮かび上がらせています。
ご希望であれば、類似のテーマ(食卓・友情・贈り物)を扱う詩も紹介いたします。
このマルティアリスのエピグラム(XI.52)は、古代ローマにおける晩餐文化(cena)と社交的もてなしの虚構を背景に書かれています。以下に、詩の理解を深めるための文化的背景を詳しく解説します。
【1. ローマの晩餐(cena)とは何か】
- cena は単なる「夕食」ではなく、社交の中心であり、地位・名声・友情・義務が交差する文化的な行事。
- 午後3時〜4時ごろに始まり、**前菜(gustatio)→主菜(prima mensa)→デザート(secunda mensa)**という三部構成。
- 招かれることは名誉であり、**パトロヌス(保護者)とクリエンテス(被庇護者)**との関係確認の場でもあった。
【2. 食客(convivae)と贈答文化】
- 晩餐に招かれる「食客」は、単なる友人ではなく、パトロヌスに依存する庇護的関係にある者も多かった。
- 食客の中には、贈答品や賞賛を期待して主人に媚びる者もいた。
- マルティアリスは、このような計算ずくの社交をしばしば揶揄し、友情の真贋を問う。
【3. 詩の文脈:ガッルスのような“食客”】
- Gallus という名前は特定の人物かもしれませんが、ここでは**典型的な「食い意地だけの客」**の象徴です。
- 彼は人間関係や感謝の心ではなく、単に料理を求めて宴に来る。
- 「君を呼んでいるのは料理そのものだ(te vocat cena)」という表現は、食欲だけに駆られた動物的存在として描いています。
【4. マルティアリスの風刺の意図】
- マルティアリスは、自身が裕福なパトロヌスの庇護を受けながら詩作をする立場にあったため、こうした宴にもたびたび関わった。
- だからこそ、**「友情を装った利害関係」「本心を偽った交際」**に対する観察と風刺はリアルで辛辣。
- 彼はこの詩で、「本物の晩餐とは何か」「友情とは何か」を問うている。
【5. 同様の文化風刺の詩】
- 同じテーマで詩を繰り返すのは、当時のローマ社会で宴席の虚構性がいかに普遍的だったかの証。
- たとえば:
- Epigrammata I.20(「君が食事を持参すれば豪華な晩餐になる」)
- Epigrammata III.12(「安物のもてなしが芸術品のように見せかけられている」)
【まとめ】
この詩は、古代ローマの晩餐が単なる食事ではなく、階級・人間関係・虚飾・欲望の交錯点であったことを前提に書かれています。
マルティアリスは、**「食卓の友情の本質」**を問うことで、ローマ人の社会観・倫理観に鋭く切り込んでいます。
ご希望であれば、同様の食文化を描いた風俗画・モザイク画・碑文や、他の詩人(ホラティウス、ユウェナリスなど)との比較もご紹介できます。どうされますか?