Portus ut antiquos, et saxa in litore sicca,
et patrias nautae puppe secante domos,
et remis laxi non lassae cornua velis,
et modici raptas fluminis instrepitus,
et vaga cum Tiberi puppis succedere lunas
possimus et septem continuare dies.
日本語訳(試訳):
古き港の景色を、乾いた岸辺の岩々を、
船尾で故郷を切り裂く船乗りの姿を、
オールの動きで弛んだ帆が疲れ知らずにふくらむ様子を、
小川の騒ぐ水音を、
ティベリス川とともに漂い、舟が満月に向かって進んでいく様を、
そして、それが七日間続く様子を——私は眺めていたい。
この詩はマルティアリス(Marcus Valerius Martialis, 40年頃-104年頃)のエピグラム(警句詩)です。
マルティアリスについて: 1世紀後半のローマの詩人で、エピグラム(短詩)の大家として知られています。スペイン出身でローマで活動し、日常生活の観察や風刺、機知に富んだ短詩を多数残しました。
この詩について: マルティアリスのエピグラムは通常、日常生活の情景を鋭い観察眼で捉え、しばしば最後に機知やオチを含むのが特徴ですが、この詩は比較的穏やかな風景描写となっています。
ティベリス川沿いの船旅や港の風景を描いたこの作品は、マルティアリスの作品の中でも叙景的な美しさを持った作品の一つと言えるでしょう。
マルティアリス『エピグラム集』4.64の文化的背景について説明いたします。
1. 「オティウム」(otium)の理想 この詩の根底にあるのは、ローマ上流階級が重視した「オティウム」(閑暇・余暇)の概念です。これは単なる怠惰ではなく、公務や商業活動から離れた教養ある余暇時間を指し、詩作や哲学的思索、友人との語らいなどに充てられる理想的な時間とされていました。
2. 別荘文化(villa rustica) 1世紀のローマでは、富裕層が郊外や海岸沿いに別荘を持つことが一般的でした。これらの別荘は都市の喧騒を逃れ、自然の中で文学的・哲学的活動を行う場として機能していました。プリニウスの別荘の描写などにも同様の理想が見られます。
3. ティベリス川の文化的意味 ティベリス川はローマの母なる川として、単なる地理的存在を超えた文化的象徴性を持っていました。川沿いでの船遊びは、都市文明と自然の調和を表現する古典的なモチーフでした。
4. 友情と招待の文学的伝統 この詩は友人への招待詩という形式をとっており、ホラティウスの『頌歌』や『書簡詩』に見られる友人との理想的な関係性を歌う伝統に連なります。「君と一緒に過ごす時間」の価値を讃える内容です。
5. 帝政期の社会的背景 ドミティアヌス帝時代(81-96年)に活動したマルティアリスにとって、政治的緊張から離れた私的領域での平穏は特別な意味を持っていました。この時代の知識人にとって、政治的な発言よりも個人的な人間関係や自然への回帰が重要なテーマとなっていました。
6. エピクロス主義的影響 「今この瞬間の快楽と平穏を大切にする」という姿勢は、当時ローマに浸透していたエピクロス主義的な思想の影響も見られます。壮大な野心よりも身近な幸福を重視する価値観です。
この詩は、こうした複層的な文化的背景の中で、ローマ人の理想とする生活様式を美しく表現した作品として位置づけられます。