エピグラムと古代ローマ LⅩⅩⅩⅦ

この詩句は、デキムス・ユニウス・ユウェナリス(Decimus Junius Juvenalis)の『風刺詩(Satirae)』第6詩篇からの一節です。彼は1世紀末〜2世紀初頭の古代ローマの風刺詩人で、堕落したローマ社会とその道徳的退廃を鋭く批判しました。この第6詩篇はとりわけ「女性批判」で悪名高く、古代ローマの女性の装い・結婚・性道徳を風刺しています。

1. 原文と文法的解釈:

vidimus et vestem rutilantem saepe solutam,

permutant pictas quae vendunt vestis emuntur

aut properant nummis urentes reddere cultus

quae tenui dote, sed plena libidine, nupsit.

一文ずつ分解しながら文法・翻訳を解説:

【1】vidimus et vestem rutilantem saepe solutam

vidimus – 《動詞》完了・直説法・1人称複数「私たちは見た」 et – 《接続詞》「そして/また」 vestem – 《名詞》対格・単数「衣服」 rutilantem – 《形容詞》分詞・対格・単数・女性「赤く光る/きらびやかな」(vestemにかかる) saepe – 《副詞》「しばしば」 solutam – 《分詞》対格・単数・女性「ほどけた/ゆるんだ/はだけた」(vestemにかかる)

【訳】

「私たちは、しばしばはだけていた、きらびやかな衣装をも見たことがある。」

【2】permutant pictas quae vendunt vestis emuntur

permutant – 《動詞》現在・直説法・三人称複数「交換する」 pictas vestis – 《形容詞+名詞》対格・複数「彩色された/模様入りの衣服」 quae vendunt – 《関係代名詞+動詞》「それら(衣服)を売る人々(=女性たち)」 emuntur – 《動詞》現在・直説法・三人称複数・受動態「買われる」

※語順が入れ替わっています。主語は「quae vendunt(それらを売る女たち)」、主節の受動態「emuntur(買われる)」が続きます。

【訳】

「彩色された衣服を売りながら、それを交換し、自分たちが買われていく女たち。」

【3】aut properant nummis urentes reddere cultus

aut – 《接続詞》「あるいは」 properant – 《動詞》現在・直説法・三人称複数「急ぐ」 nummis – 《名詞》奪格・複数「金貨で/金で」 urentes – 《分詞》主格・複数・現在能動「焼き払う/浪費する」 reddere – 《不定詞》「返す」 cultus – 《名詞》対格・複数「装い/化粧/飾り」

※「urentes」と「properant」は同格の動作主、つまり「浪費しながら急いで装いの代金を支払う」

【訳】

「あるいは、金を浪費しながら、装いの代金を急いで支払いに行く者たち。」

【4】quae tenui dote, sed plena libidine, nupsit

quae – 《関係代名詞》主格・単数・女性「…な女(が)」 tenui dote – 《形容詞+名詞》奪格「乏しい持参金で」 sed – 《接続詞》「しかし」 plena libidine – 《形容詞+名詞》奪格「情欲に満ちた」 nupsit – 《動詞》完了・直説法・三人称単数「結婚した」

【訳】

「乏しい持参金しか持たず、それでも情欲には満ちた女が結婚したのだ。」

2. 全体の自然な翻訳:

「私たちは、しばしばはだけていた赤い衣をも見た。模様入りの服を売りながら、それと引き換えに自らが買われてゆく女たち。あるいは金を浪費しつつ、装飾品の代金を返しに急ぐ女たち。持参金は乏しくとも、情欲には満ちて結婚した女たちだ。」

3. 詩の解釈と文化的背景:

● 主題:都市女性の奢侈と退廃

この詩句は、ユウェナリスによるローマ女性に対する激しい風刺の一部であり、

奢侈(きらびやかな服・化粧) 買春的な経済活動(衣装と体の交換) 経済的な浅はかさ(金を浪費して装いに費やす) 結婚の打算性(持参金なしでも情欲で結婚)

などを批判と侮蔑の語調で描いています。

● 社会的背景:

紀元1~2世紀、帝政ローマは富と退廃が混在する社会でした。特に女性の自立や贅沢に対して保守派(元老院階級や伝統主義者)は批判的でした。 この詩はそのような価値観のもとで、「かつての貞淑なローマ女性」像と対比して、現代(ユウェナリスの生きた時代)の女性の堕落を風刺しています。 同様のモチーフは、ホラティウスやペルシウスにも見られますが、ユウェナリスはより激烈かつ嘲笑的です。

4. まとめ:

項目

内容

作者

ユウェナリス(Juvenalis)

出典

『風刺詩』第6巻(Satira VI)

主題

ローマ女性の奢侈・浪費・退廃の風刺

文体

痛烈な風刺詩(hexameter)、修辞・対比が多用される

文化的背景

帝政ローマの繁栄の影で進行する道徳的批判と保守的イデオロギーの表現

この詩句(ユウェナリス『風刺詩』第6篇)は、ローマ帝政期の都市文化、女性観、道徳論争、階級社会など、さまざまな文化的背景を含んでいます。以下に整理して解説します。

◆ 詩の文化的背景

1. ローマ帝政期と女性の変化

紀元1~2世紀のローマ(特にトラヤヌス帝〜ハドリアヌス帝時代)は、経済的に繁栄し都市生活が高度に発展していました。とくに女性の社会的・経済的地位の上昇が目立ちます:

女性が遺産を相続し財産を管理することが可能に。 解放奴隷や商人階級出身の女性が持参金を得て貴族と結婚するケースも。 化粧・衣装・香水・奴隷の使用など、都市生活における女性の贅沢が問題視され始めました。

この詩句は、そうした変化に対する保守的男性知識層の反感と風刺を象徴しています。

2. モラルと階級批判

ユウェナリスは、女性個人を攻撃しているようでいて、実は社会全体の堕落、特に階級の逆転や道徳的退廃を批判しています。

「乏しい持参金(tenui dote)」=本来なら上流階級と結婚できないはずの女が… 「情欲に満ちて結婚(plena libidine nupsit)」=肉体的魅力や性的奔放さで成り上がる

これは、伝統的なローマの家父長制(mos maiorum)の理想(貞節・謙遜・節度)と、それに反する現代的価値観(快楽・贅沢・自由)の対立構造です。

3. 衣装・装飾文化と性的売買の暗示

「pictas vestis vendunt」「nummis urentes cultus」 などの語は、単なる衣装の購入だけでなく、身体と快楽を金銭や物品と交換する行為(=暗喩的な売春)も含意しています。

古代ローマでは売春は合法であり、特に化粧・香水・絹の衣・金製品などが「性の商品化」と結びつけられていました。 ユウェナリスの時代には、貴婦人でも愛人(paelex)や愛人契約的な結婚をするケースが増えており、これが風刺の対象となりました。

4. 芸術的・文学的伝統の中で

この詩句はホラティウス、ペルシウスらの伝統を引き継ぎながらも、ユウェナリス独特の特徴があります:

比較項目

ホラティウス

ペルシウス

ユウェナリス

風刺の対象

個人の滑稽さ

哲学的道徳

社会全体の腐敗

トーン

諧謔的・軽妙

皮肉・抽象的

怒り・攻撃的

文体

穏やかな語り口

寓意と学識

高圧的・修辞的

5. 社会的緊張の反映

この詩句の背景には、**社会的な「不安定さ」や「伝統喪失感」**があります:

貴族と庶民・解放奴隷との階級混淆 結婚制度の形骸化と離婚・再婚の増加 軍人皇帝時代へと続く支配階級の不安定化

こうした中で、ユウェナリスは「昔の良きローマ」へのノスタルジーと、「現代ローマ」の腐敗への嫌悪を結びつけたのです。

◆ まとめ:この詩句が象徴する世界

主題

内容

女性と社会

経済的に自立した女性の増加、それへの保守派の批判

贅沢と道徳

装飾・化粧・衣服=性的放縦の象徴とされた

階級の動揺

低持参金でも結婚できる女=社会秩序の崩壊のメタファー

詩のトーン

風刺というより「怒り」「警告」

歴史的文脈

帝政ローマ中期の繁栄と、その影の退廃文化

この詩は、単なる性と贅沢の批判ではなく、「帝政ローマにおける文化の転換点」そのものを映す鏡です。