以下は、ホラティウスの詩『風刺詩』2.6より「田舎鼠と都会鼠」(Serm. 2.6)の冒頭を背景に、その原文を織り込みながら創作した物語です。古代ローマの片田舎を舞台に、詩の雰囲気を生かした寓話的な語り口で展開します。

物語題:Mus in cava pace(巣穴の平穏)
【1】
夕暮れどきの丘に、やわらかな風が吹いていた。
そこにぽつんと開いた、小さな穴。
それが田舎鼠の家だった。
その日、巣穴の前に姿を現したのは、
都市の喧騒を背にしたつややかな毛並みの鼠、都会鼠である。
「よう、古き友よ。
ローマの宴に飽きて、少し静けさを求めてきたのだ。」
田舎鼠は驚いたが、すぐに懐かしさで目を細めた。
「Rusticus urbanum murem mus paupere fertur
accepisse cavo… そう言われぬようにな、」
そう言って、彼は友を貧しい巣穴へと招き入れた。
【2】
もてなしは素朴なものだった。
乾いた栗、野の草の種、そして朝採りの根菜が並ぶ。
田舎鼠は言葉少なに、しかし心をこめて差し出した。
「豪奢なものはないが、ここには静けさがある。
Asper et attentus quaesitis,
これが私のすべてだ。」
都会鼠は一口かじって、眉をしかめた。
「君は変わらないな。けれど、solveret hospitiis animum
もてなしの心だけは、変わらずに温かい。」
【3】
夜が更けて、二匹は並んで眠りについた。
都会鼠は夢にローマの大理石を見た。
田舎鼠は静かな風の音を聞いていた。
翌朝、都会鼠がふと言った。
「なあ、今度は君が来い。
私の館には、葡萄酒も蜂蜜も、女神の絵もある。」
田舎鼠は少し考えたあと、小さく微笑んだ。
「だがそこに、平穏はあるか?
ここでは、何も驚かせるものはない。
鼠一匹、自由に眠れる。」
都会鼠は黙った。そして立ち上がり、巣穴の外へと向かった。
「…では、また来るよ。
私が騒音に疲れたときには、きっと。」
【4】
Paupere cavo に残された田舎鼠は、
また小さな種を集め、夕暮れを待った。
彼の周りには何もなかったが、
その心には満ちるものがあった。
風が通り、静寂が広がる巣穴の奥深くで、
田舎鼠は静かに目を閉じた。