この詩句は、ホラティウス(Quintus Horatius Flaccus)による『風刺詩(Sermones)』第2巻6篇に登場する有名な寓話「田舎鼠と都会鼠」の冒頭部分です。以下に、文法的解釈と翻訳、そして作者と詩の解釈を詳述します。
原文と逐語訳・文法解釈
Rusticus urbanum murem mus paupere fertur
accepisse cavo, veterem vetus hospes amicum,
asper et attentus quaesitis, ut tamen artum
solveret hospitiis animum.
一行目:
Rusticus urbanum murem mus paupere fertur accepisse cavo,
- rusticus mus(主語)= 「田舎の鼠」
- fertur accepisse(受動形+不定法完了)= 「〜したと言われている」
- fertur = 「(〜したと)語られる、伝えられる」
- accepisse = 「受け入れた(完了不定法)」
- urbanum murem(対格)= 「都会の鼠」
- paupere cavo(奪格)= 「貧しい巣穴で」
- paupere(形容詞「pauper」の奪格)= 「貧しい」
- cavo(名詞「cavum」の奪格)= 「穴、巣穴」
訳:「田舎の鼠が、貧しい巣穴で都会の鼠を迎え入れたと言われている。」
二行目:
veterem vetus hospes amicum,
- veterem amicum(対格)= 「古くからの友人」
- vetus hospes(主格)= 「年を経た主人(=田舎鼠)」
- vetus(形容詞、「古い」)がhospesとamicumの両方を修飾している
- 語順の入れ子構造がラテン詩らしい表現
訳:「古くからの友人を、年を経た主人として。」
→直訳すれば「古い友人を古い主人として」となりますが、意訳すると:
「古い友人である都会鼠を、田舎鼠が(客として)迎え入れた」
三行目:
asper et attentus quaesitis,
- asper = 「粗野な、不器用な」
- et attentus = 「そして(客に)気を遣う」
- quaesitis(奪格複数)= 「集めた(わずかな)食べ物において」
- quaesitis(完了分詞の名詞的用法、物品)= 「かき集めた物、食料など」
訳:「粗野ながらも、(もてなしのために)かき集めた食べ物に心を配っていた」
四行目:
ut tamen artum solveret hospitiis animum.
- ut tamen = 「〜しようとして/にもかかわらず」
- solveret(接続法未完了)= 「ほぐそうとしていた、和らげようとしていた」
- artum animum = 「こわばった心」
- artum(形容詞「artus」=「窮屈な、硬直した」)
- animum = 「心、気持ち」
- hospitiis(与格複数)= 「もてなしを通じて」
訳:「それでも、もてなしを通じて(相手の)こわばった心をほぐそうとしていた」
全体の自然な翻訳
「田舎の鼠が、貧しい巣穴で都会の鼠を迎え入れたという。
かつての友人を迎える、年老いた主人として、
粗野で不器用ながら、心を込めて集めた食べ物で精一杯もてなし、
それによって、(来客の)こわばった気持ちを和らげようとしていた。」
作者と詩の解釈
作者
- クィントゥス・ホラティウス・フラックス(Horatius)
- 紀元前65年 – 紀元前8年
- ローマの詩人。叙情詩・風刺詩・書簡詩の名手。
- 本詩は『風刺詩(Sermones)』第2巻第6歌より。
解釈と主題
この一節は、有名な「田舎鼠と都会鼠(Mus Rusticus et Mus Urbanus)」の寓話の冒頭です。この詩においてホラティウスは、都市の贅沢で危険な生活と、田舎の質素で安全な生活とを対比させ、**「質素な生活のほうが、危険を伴う贅沢よりも幸福である」**というストア派的な価値観を風刺的に表現します。
田舎鼠は、自分の乏しい食糧をかき集めて都会鼠を迎えますが、飾らない誠実なもてなしをします。このあと、都会鼠の豪奢な宴席が描かれる一方で、突如襲ってくる危険によって、田舎鼠が命からがら逃げ帰るという展開になります。
このホラティウスの詩に見られる「田舎鼠と都会鼠」の寓話には、ローマ共和政末期から帝政初期の文化的・思想的背景が色濃く反映されています。それを以下の視点から解説します。
1.
ギリシャ起源の寓話的伝統とホラティウスの詩的変奏
この物語の原型は古代ギリシャのアイソーポス(Aesop)の寓話に由来します。ホラティウスはこのアイソーポス寓話をラテン文学に取り入れ、自身の哲学的人生観を投影しました。
- アイソーポス寓話では、都会鼠の贅沢さと田舎鼠の質素な生活が対比され、最終的に質素な生活の安全性が賢明だとされます。
- ホラティウスはこれを詩として文学化し、寓話に風刺と道徳の奥行きを加えたのです。
このように、ギリシャ文化に根ざした寓話をローマ的文脈で再解釈したことは、ホラティウスの教養と詩人としての創作力の特徴でもあります。
2.
ローマ社会における田園 vs 都市の対比
当時のローマでは、都市(Urbs)生活の贅沢と堕落への批判が知識人たちの間で盛んでした。対して、田園(Rus)生活は「素朴で、静かで、自然に近く、徳を育む場」として理想視されました。
- 都会の象徴:
- 富、宴会、危険、騒音、権力闘争、虚飾
- 田舎の象徴:
- 質素、平穏、安全、自己充足、自然との調和
ホラティウス自身も晩年、メセナスから与えられた田園荘園(サビナの農園)に住み、田園生活を詩の中で理想として讃えています。
この詩は、**「質素で安全な田舎の生活こそが、本当の幸福」**であるという価値観を、寓話を通して読者に提示しています。
3.
ストア派・エピクロス派の哲学的影響
この詩の価値観は、当時流行していた**哲学的実践思想(特にエピクロス派とストア派)**の影響を受けています。
- エピクロス派(Epicureanism):
- 真の幸福は、**快楽ではなく「心の平安(ataraxia)」と「恐怖からの自由」**にあると説く。
- 都会鼠の宴は一見快楽的だが、突如の危険によって心の平安が崩れる。
- 対して田舎鼠の生活は地味でも、恐れや混乱とは無縁である。
- ストア派(Stoicism):
- 節制、自足、自然との一致を重視。
- 富や贅沢を避け、理性に従った生活を送ることが理想。
- ホラティウスはエピクロス派寄りとされますが、ストア派的な禁欲と道徳の重視もこの詩に見られます。
4.
ラテン詩の形式とホラティウスの技巧
- この詩は**ヘクサメトロス(六脚韻)**で書かれており、叙事詩や風刺詩に好まれた形式です。
- 文体には口語的な語彙と巧妙な倒置法、対句法が多用され、簡潔さと響きの妙が調和しています。
- “rusticus mus”と“urbanus mus” という対応もラテン語の語感で強く対比が意識されるように配置されています。
5.
ローマ文学における教訓性と娯楽性の融合
ローマの詩人たちはしばしば、「楽しませながら教える(docere et delectare)」という理念を重視しました。
この寓話もまた、愉快な動物のやりとりを通して読者を楽しませつつ、道徳的なメッセージを巧みに伝える点で、ホラティウスの文芸的理想を体現しています。
結語
ホラティウスの「田舎鼠と都会鼠」は、単なる動物寓話ではなく、共和政末期ローマの社会的緊張と知識人の倫理的選択、そしてギリシャ哲学の影響を反映した文化的テキストです。
この詩は現代においても、「質素と安全か、贅沢と危険か」という普遍的な問いを私たちに投げかけています。