このラテン詩句:
At nobis, Pax alma, veni spicamque teneto,
Profluat et pleno dives ut unda sinu.
は、擬人化された**「平和(Pax)」への呼びかけです。出典は、アウグストゥス時代の詩人 ティブルス(Tibullus) の詩集、『エレギア詩集』第1巻第10詩**(Elegiae 1.10)です。
一文ずつの訳と文法解釈
1. At nobis, Pax alma, veni spicamque teneto
At = しかし(逆接的接続詞。文の前後で転調・願望を導入) nobis = 私たちに(与格) Pax alma = 「慈しみ深き平和よ」 Pax = 平和(女性名詞・呼格) alma = 養う・恵み深い(形容詞、呼格でPaxにかかる) veni = 来たれ(動詞「venire(来る)」の命令法・2人称単数) spicamque teneto = 「穂を握っていてくれ」 spicam = 穂(小麦などの穂。対格) -que = そして(接続詞) teneto = 持て(「tenere」の命令法未来形・2人称単数) ※古風・荘厳な文体で使われる。ここでは神格への祈願。
→ 訳:「しかしどうか、恵み深き平和よ、我らのもとに来て、小麦の穂を手にしていてください。」
2. Profluat et pleno dives ut unda sinu
Profluat = 流れ出でよ(動詞「profluere」の接続法・3人称単数) et = そして pleno sinu = 満ちた懐から(奪格句) pleno = 満ちた(形容詞) sinu = 懐、衣のたもと、胸元(名詞・奪格) dives = 豊かなものが(形容詞・女性主語) ut unda = 水のように(ut = ~のように) unda = 波、流れ(水を意味する女性名詞)
→ 訳:「そして、豊かさが満ちた懐から、水のようにあふれ流れ出ますように。」
全体訳(自然な日本語に意訳)
「されば、恵み深き平和よ、我らのもとに来て、小麦の穂を携えてください。豊かさが、たっぷりと満ちた懐から、水のようにあふれ出ますように。」
作者と詩の背景
作者:ティブルス(Tibullus)
紀元前1世紀のローマのエレギー詩人。 ウェルギリウスやホラティウスと同時代。 軍事的栄光よりも素朴な田園の平和と愛を理想とした詩人。
この詩(Elegiae 1.10)の主題:
「平和と農耕」の賛美。 アウグストゥスの**パクス・ロマーナ(ローマの平和)**を背景にしつつも、個人的・牧歌的な「武なき世界」を願う詩。 「Pax(平和)」を女神として呼びかけ、小麦と豊穣をもたらす存在として賛美しています。
補足:詩の文化的背景
spica(穂)を手にするPax のイメージは、後のローマ時代やキリスト教美術にも見られる。 このような象徴的な図像は、農耕神ケレス(ギリシャのデメテル)とも結びつき、平和=豊穣の源という古代的価値観を反映しています。