エピグラムと古代ローマ LⅩⅤ

この詩はローマの詩人 Tibullus(ティブルス) に帰せられることがありますが、しばしば疑わしい伝承のもとにある詩篇、または無署名の文献に見られる詩句の一部として扱われることもあります。詩の内容と形式から、黄金時代ラテン文学のスタイルに属すると考えられます。

原文:

Quis fuit, horrendos primus qui protulit enses?

Quam ferus et vere ferreus ille fuit!

各語の文法的解釈:

1.

Quis fuit

  • Quis:疑問代名詞「誰が」(主格・単数・男性)
  • fuit:動詞 esse(〜である)の完了形・三人称単数「彼は〜であった」 →「誰が…であったのか?」

2.

horrendos primus qui protulit enses

  • horrendos:形容詞 horrendus, -a, -um「恐ろしい」(対格・複数・男性)
  • primus:形容詞「最初の」(主格・単数・男性)→文中の主語を修飾
  • qui:関係代名詞「…する者」=primusにかかる(主格・単数・男性)
  • protulit:動詞 profero の完了形「取り出した、差し出した」
  • enses:名詞 ensis, -is(剣)(対格・複数・男性) →「最初に恐ろしい剣を取り出した者は誰か?」

3.

Quam ferus et vere ferreus ille fuit!

  • Quam:感嘆の副詞「なんと〜なことか!」
  • ferus:形容詞「野蛮な、残酷な」
  • et:接続詞「そして」
  • vere:副詞「本当に」
  • ferreus:形容詞「鉄のような、冷酷な、鉄製の」
  • ille:指示代名詞「彼は(その者は)」
  • fuit:動詞 esse の完了形「〜であった」 →「なんと野蛮で、本当に鉄のような者であったか!」

日本語訳:

「恐ろしい剣を最初に取り出したのは誰だったのか?

なんと野蛮で、まさしく鉄のごとき人間であったことか!」

詩の解釈:

この詩は、人間が初めて武器(特に剣)を作って使ったという出来事を非難する感嘆詩です。

  • 「剣」は暴力と戦争の象徴。
  • 「最初に剣を手にした者」は、人間社会に争いや流血をもたらした元凶として描かれています。
  • *「ferus(野蛮な)」と「ferreus(鉄のような)」**は語呂的にも響きを合わせて、冷酷さと非人間性を強調しています。

背景と文化的意義:

この詩句には「黄金時代への郷愁と戦争批判」というラテン詩によく見られる主題が反映されています。特にティブルスやウェルギリウスなど、平和と農耕を称える詩人たちは「武器の発明」を堕落の象徴と見なしました。

1.

「黄金時代」思想との関係

この詩の文化的背景で最も重要なのが、「黄金時代(aurea aetas)」の神話的概念です。

出典と内容:

  • オウィディウス『変身物語(Metamorphoses)』やヘシオドス『仕事と日々』などに見られる古代の時間観では、かつて人類は争いも武器もない**平和な「黄金時代」**に生きていたとされます。
  • この時代には農耕も制度も不要で、自然と調和した無垢な生活が送られていた。

この詩は、その理想的な時代と対比して、「恐ろしい剣(horrendos enses)」を初めて取り出した人物の**罪深さと冷酷さ(ferus et ferreus)**を強調しているのです。

2.

ローマ帝国の軍事文化との緊張関係

ローマはまさに剣によって拡大し、維持されてきた国家です。剣(gladius)はローマ兵士の象徴であり、「平和は勝利によってもたらされる」という思想(Pax Romana)のもと、軍事力は正当化されていました。

しかし一方で、ラテン詩人たちはしばしばこうした現実に理想主義的批判を投げかけました:

  • ティブルスやプロペルティウスのような抒情詩人は、戦争よりも田園と恋愛を好む詩風を持ち、
  • ウェルギリウスの『農耕詩(Georgica)』や『牧歌(Eclogae)』にも、戦争による混乱や農村の荒廃が描かれています。

この詩句は、そうした詩人たちの**非軍事的な美徳(田園的理想、自然への回帰)**と連続しています。

3.

「鉄」の象徴性(ferreus)と文明批判

  • 「鉄(ferrum)」はラテン詩において戦争・冷酷さ・堕落の象徴とされます。
  • 「ferreus」=鉄のような、冷酷で情け容赦ない性質は、戦争の本質を言い表す言葉として頻出します。

詩における「鉄」の語は、単に材質ではなく倫理的・文化的頽落の象徴として機能しています。

4.

文学的・修辞的伝統

この詩は同時代の修辞的スタイルも色濃く反映しています:

  • *二行詩(distichon)**による簡潔な構成
  • alliteratio(頭韻):「ferus et ferreus」
  • 感嘆文:「Quam ferus…!」によって読者の感情を誘います。

つまりこれは、形式的にも内容的にも、文学的洗練を通じて道徳的主張を強調するラテン詩の典型です。

まとめ:文化的背景の要点要素内容思想的背景黄金時代の神話と戦争批判(人類の堕落)歴史的背景ローマの軍事国家としての自己認識と、それに対する文学的異議申し立て象徴性鉄=冷酷、戦争の象徴;剣=暴力の始まり文学的技法頭韻、対句、感嘆構文による感情的・道徳的訴求同時代の文学潮流田園詩・恋愛詩・文明批判的詩の系譜(ティブルス、ウェルギリウスなど)

この詩句は、単なる戦争嫌悪ではなく、文明批判・道徳的反省・文学的表現の結晶ともいえる詩的表現です。