原文
Tantum religio potuit suadere malorum.
文法的解釈
- Tantum : 「これほど多くの」「かくも多くの」などの意味を持つ副詞(または形容詞、ここでは副詞的用法)。
- religio : 「宗教、信仰」。主語、第一変化名詞・女性・単数・主格。
- potuit : 動詞「posse(~できる)」の完了・能動・直説法・三人称単数。「~することができた」。
- suadere : 「勧める」。不定詞(辞書形suadeo, suadere, suasi, suasum)で、「~するように仕向ける」。
- malorum : 「悪、害悪」(malum, mali, n.)の属格・複数。「悪いこと(malum)のうちのいくつか、多くを」を表す。
直訳すると、 宗教は かくも多くの 悪事を 勧めることができた
文法構造は、「tantum… malorum」(「これほど多くの悪事」)が目的語として「suadere」にかかり、「religio」が主語、「potuit」が動詞。
和訳
一般的な訳では、
「宗教はかくも多くの悪事をなさしめることができた」
あるいは、やや意訳して、
「宗教はこれほど多くの悪事を人々にさせることができた」
作者と出典
この句は**ルクレティウス(Lucretius)**というローマの詩人・哲学者の長詩『物の本質について(De rerum natura)』(第1巻 101行)に由来します。
詩と作者の解釈
作者
ルクレティウス(紀元前99年頃〜55年頃)
- ローマの詩人かつエピクロス主義の哲学者。
- 代表作は『De rerum natura(物の本質について)』。叙事詩の形で、世界の本質を自然哲学的に説明。
解釈
この詩は、「宗教がときにどれほど恐ろしい悪事を人類にさせてきたか」という批判的なメッセージを持っています。
ルクレティウスがこの言葉を書いた文脈では、神々への迷信や宗教的狂信が凶悪な行為や不条理な犠牲、戦争や殺人につながることへの懸念と批判が込められています。特に有名な例として「アガメムノンが神々に娘イピゲネイアを犠牲に捧げた神話」が直前に登場し、「盲目的な信仰が父親にまで愛する娘を殺させる」と述べています。
従って、この詩句は
- 宗教や迷信が人間の理性を曇らせ、重大な悪事をも正当化させてしまうこと
- それを避けるために理性と自然哲学による世界認識が必要であること
を訴えていると解釈されます。
一言でまとめると
「これほど多くの悪事を、人が行うことを宗教が招いた(宗教はどれほどの悪を人に行わせてきたことか)」
という、宗教批判もしくは宗教の負の側面へ注意喚起する言葉です。
ご参考となれば幸いです。
ルクレティウスの『物の本質について(De rerum natura)』における「Tantum religio potuit suadere malorum.(宗教はかくも多くの悪事をなさしめることができた)」という句をめぐる文化的背景は、古代ローマおよびギリシア世界の宗教観と哲学的潮流、特にエピクロス主義の立場との関係の中で理解すると、一層深い意味を持ちます。
1. ローマ・ギリシア古代世界の宗教観
古代ギリシア・ローマ世界では、多神教的な宗教体系が社会生活の隅々まで深く根付いていました。神殿や祭祀、国家的な宗教儀式は共同体の中心であり、個人の幸福も神々の加護・怒りに大きく左右されると考えられていました。ときに人身供犠のような血なまぐさい儀式も神を鎮める目的で行われ、また神託や迷信的行動も珍しくありませんでした。
たとえば、ルクレティウスが言及する「アガメムノンによるイピゲネイアの犠牲」は、ギリシア悲劇において繰り返し強調された有名な神話で、軍神アルテミスの怒りを鎮めるためにアガメムノンが愛娘を生贄に捧げるさまが描かれます。これは宗教的義務が時に人間性や倫理を圧倒する例として象徴的に用いられてきました。
2. 哲学的背景-エピクロス主義と宗教批判
ルクレティウス自身は、ギリシアの哲学者エピクロス(前341-前270年)の思想に強く影響を受け、いわゆる「エピクロス主義」の伝道者の一人でした。「エピクロス主義」では、宇宙は原子と虚空からなるとし、神々は存在するが人間世界には無関与とされます。人間の真の幸福(ataraxia, 精神的平静)は、死や神罰の恐怖、迷信からの解放によってのみ達成されうる、すなわち宗教はしばしば人間に不必要な恐怖や苦しみをもたらす、と主張します。
ルクレティウスは、本来人間を救うはずの宗教が、むしろ恐怖や残虐な行為(=malorum)を生む根源であり得たこと、そして迷信からの解放こそ人間の幸福には不可欠だと告げます。詩全体(『物の本質について』)は、自然哲学(philosophia naturalis)により世界の合理的な説明を行うことで、人間を宗教的奴隷状態から解放しようという啓蒙的意図を持っています。
3. 時代の精神(Zeitgeist)
宗教的慣習や伝統が個人の倫理や理性より優越されていた時代において、ルクレティウスのように宗教の負の側面を公然と批判することは相当に過激でした。ローマ時代は、伝統的な信仰と新興の哲学的合理主義がせめぎあう時代であり、エピクロス主義のみならず、ストア主義や懐疑主義といった様々な思想が登場しています。
そうした知的潮流のひとつとしてルクレティウスの詩はあり、彼の宗教批判は啓蒙思想や近代合理主義思想の先駆けとも評価されています。
4. 後世への影響
ルクレティウスのこの句は、後世のヨーロッパ思想史においてもしばしば引用されました。たとえば啓蒙時代のヴォルテールやディドロなども、迷信や組織宗教の害悪を批判する文脈でこの言葉を取り上げています。近現代の「宗教と理性」「信仰と倫理」についての論争の中で頻繁に援用される“古典的警句”となっています。
まとめ
ルクレティウスの詩の背後には:
- 古代ローマ社会の伝統的宗教への懐疑、
- エピクロス主義の合理主義・人間中心主義、
- 宗教的狂信や迷信から理性への転換を志向する時代精神 が見て取れます。
「Tantum religio potuit suadere malorum.」は、宗教が人間を理性から引き離すことで時にいかに悲劇をもたらしてしまうか、その古代世界の現実と哲学的問題提起を象徴した一句なのです。