“Tantum religio potuit suadere malorum.” は古代ローマの詩人ルクレーティウスの『物の本質について(De Rerum Natura)』の、非常に有名な句です。以下、文法解釈、翻訳、詩的解説を順に述べます。
1. 文法的解釈
Tantum religio potuit suadere malorum.
- Tantum
- 副詞。「それほどまでに」「かくも」「これほど多く」(程度・分量を強調)
- religio
- 主語。女性名詞・単数・主格。「宗教」「信仰心」「宗教的畏怖」
- potuit
- 動詞、「posse」(〜できる)の直説法・完了・三人称単数。 ⇒「〜することができた」
- suadere
- 不定詞。「勧める、誘う、説得して〜させる」
- malorum
- 中性名詞「malum, i(悪、災い)」の複数・属格。 ⇒「悪(いこと)の」「災厄の」
文全体の構造
- Tantum(これほどまでの)+ malorum(悪いこと)を
- religio(宗教が)+ suadere(勧める/引き起こす)ことを
- potuit(できた)
→「宗教は、これほどの悪事を引き起こす(よう人々をそそのかす)ことができた。」
2. 日本語訳
直訳
「かくも多くの悪事を、宗教はそそのかすことができた。」
意訳
「これほどの悪事をなさしめたのは、宗教の力だった。」 「宗教はこれほどまでの悪を人々に行わせることができたのだ。」
3. 詩の解説・文化的背景
出典
- 作者:ルクレーティウス(Titus Lucretius Carus)
- 紀元前1世紀のローマの詩人・哲学者
- エピクロス哲学をラテン語で広めた
- 作品:『物の本質について(De Rerum Natura)』第1巻101行
背景と主題
ルクレーティウスは、「宗教」(religio)を迷信・盲信・非合理な畏怖心として批判します。
この句は、宗教的信念が残虐な行為や非道な事件を引き起こすことがある、と述べる文脈で使われています。
作中、象徴的な例として「アウリュス王による娘イピゲネイアの犠牲」があげられます。ギリシャ神話で、女神の怒りをなだめるために娘を犠牲にした、という話です。これは「宗教的信念の名のもとに罪なき者が殺される」という事件で、ルクレーティウスはこれを「宗教(religio)」がもたらす「悪(mala)」の一例として非難しました。
詩的解説
この言葉は、
- 「本来善なるはずの宗教が、人々の心田を侵し、時に最悪の非道を産みうる」
- 迷信や狂信、宗教的理由による迫害や残酷な儀式
- 理性の大切さと無知や盲目的な信仰の危険性
を、警世的に詠み上げています。
エピクロス主義では神や自然は必ずしも人間の善悪と関係がない、とされており、ルクレーティウスも「理性にもとづき自然の理(logos)を学べ」と繰り返し説きます。
この一句は歴史を通じ「宗教が人間社会にもたらす負の側面」を鋭く指摘する格言として、しばしば引用されてきました。
まとめ
- 文法解釈:「tantum」は程度、「malorum」は「悪事の」、主語は「religio」、不定詞「suadere」が完了動詞「potuit」に従属
- 翻訳例:「かくも多くの悪を、宗教は(人に)させることができた」
- 詩的解説:宗教的狂信が非道な行為を引き起こし得ることへのルクレーティウスの批判。理性の重要性と、宗教的盲信の危険を警告する句として有名。
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