文の原文:
“Lupus est homo homini, non homo, quom qualis sit non novit.”
文法的解釈
句構造の分解
- Lupus est homo homini, non homo
- homo homini lupus est(人は人に狼である)が有名な語順ですが、ここは倒置されています。
- homo = 「人間」
- homini = 「人間に」(与格)
- lupus est = 「狼である」(主語+述語+補語)
- non homo = 「人ではない」
- 直訳: 「人間は人間にとって狼である、人ではない」
- homo homini lupus est(人は人に狼である)が有名な語順ですが、ここは倒置されています。
- quom (=cum) qualis sit non novit
- quom : 綴りとしては珍しいが、これは cum(接続詞:〜であるとき、〜なので)の古い/詩的形式。
- qualis = 「どのような」
- sit = 「である」(接続法現在三人称単数。cum以下で時や理由を表す従属節で接続法がよく使われる)
- non novit = 「知らない」(novit: 動詞novi, novisseの三人称単数直説法現在。ここは「知っている」だが否定なので「知らない」)
- 直訳:「どのような者であるか知らないとき」
- 全体の構造
- 主文: Lupus est homo homini, non homo(人間は人間に狼であり、人間ではない)
- 条件・理由節: cum qualis sit non novit(その人がどんな人か知らなければ)
日本語訳
直訳
「人間が、相手がどんな人かわからないときは、人間にとって人間は狼であり、人ではない。」
意訳(自然な日本語)
「人は、相手がどんな人なのか知らないときには、人間らしくふるまわず、むしろ狼のように振る舞う。」
解説
このラテン語句は、有名な「homo homini lupus」すなわち「人は人にとって狼である」の拡張版です。この表現は、トーマス・ホッブズなどが使って有名ですが、元は古代ローマの喜劇作家プラウトゥス(Plautus)の『アスィナリア』(Asinaria)から来ています。
- 文の主語は「homo」(人間)で、与格「homini」(人間にとって)を取り、「lupus est」(狼である)と述べます。つまり、「ある人間は他の人間(にとって)狼のような存在だ」ということ。
- 「non homo」(人間ではない)という対比がされ、「狼 vs 人間」という構図になっています。
- 「cum qualis sit non novit」は「(その相手が)どんな人かわからないとき」という状況を示しています。
- つまり、「相手の素性がわからないと、人は相手に対して冷酷・非人間的にふるまう」と解釈できます。
文法ポイント
- cum(仮定や理由の副詞節)は接続法(ここでは接続法現在)を伴います。
- qualis sit は間接疑問(従属節内疑問文)で「どのような人か(であるか)」。
- novitは「知っている」という動詞だが、否定(non novit)で「知らない」。
要約
「人は、相手がどんな人か知らないときにはその人間性を発揮せず、むしろ狼のように、時に残酷になる」という意味です。
文法解釈をふまえて直訳・意訳・解説をしました。
この「Lupus est homo homini, non homo, quom qualis sit non novit.」の作者はプラウトゥス(Plautus)、ローマ共和政時代の劇作家です。作品名は**『アスィナリア(Asinaria)』**で、その第495行にこの表現が出てきます。
作者について
プラウトゥス(Plautus)について
- 本名:ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス(Titus Maccius Plautus)
- 生没年:紀元前254年頃 – 紀元前184年
- ローマ共和政時代のラテン喜劇作家
- ギリシャ喜劇(特に「新喜劇」)をラテン語で翻案・発展させたことで有名
- 現存するだけで20本以上の喜劇作品(ほぼ完全な形で現存)はローマの人気喜劇の基礎となった
- 作品は庶民的で、ウィットや風刺、機知に富み、階級や金、家庭生活、人間の本性をコミカルに描写した
『アスィナリア』について
- タイトル:「ロバの物語」、原題『Asinaria』
- ロバ(商売や財産の象徴)が重要な役割を果たす
- 主題は、金や欲望、だまし合い、弱肉強食の人間関係など
- ローマ社会の人間関係や欲望のむき出しさを風刺的に描いている
文化的背景
この表現の背景
- homo homini lupus(人は人に狼なり)は後世のトーマス・ホッブズなどが「自然状態における人間の残酷さ」を論じる際の引用フレーズとなるが、その原点はプラウトゥスのこのセリフ
- プラウトゥスは、ギリシャの社会批判的喜劇(特にメナンドロス)をラテン世界に移植し、ただ翻訳するだけでなく、ローマ人の現実主義的で容赦ない一面を皮肉とともに強調した
- 喜劇的な文脈の中で、人と人との信頼や知識が失われたときに生じる「人間不信」や「利己心」の表れとして「人間は狼である」という比喩を使っている
- この名文句は、友情や信頼を前提とせず、他人をよく知らない場合は互いに猜疑心や敵意をもって接しがち、という社会的洞察を示している
古代ローマ社会における人間観
- ローマ人は現実主義的・実用主義的な性格で知られている
- 家族・仲間・パトロヌスといった極めて閉鎖的な絆の社会だったが、それ以外には極端に冷淡な態度をとることもあった
- 経済活動や市民社会、人間関係のトラブルが多い都市型社会の側面を喜劇で風刺的に描写している
後の影響
- トーマス・ホッブズ『リヴァイアサン』(1651年)がこの表現を受け継ぎ、「自然状態」の人間の本性を論じる際のキーワードとなる
- 哲学や法学、社会学などで「人間の本性や社会の成り立ち」を考える際の比喩表現として定着
まとめ
- 作者はローマ喜劇作家プラウトゥス
- 『アスィナリア』という風刺的喜劇からの引用
- 他人の「本質・人柄」が分からないときに人は非人間的に振る舞いやすい、というずばりローマ社会・人間性観をコミカルに表現
- この表現は後に哲学や社会思想に大きな影響を与えた