ラテン語原文
Homo sum, humani nihil a me alienum puto.
文法的解釈
Homo 名詞 homo, hominis(男性)主格単数。 「人間(man)」を意味し、この節の主語。 sum 動詞 sum, esse 「~である」の一人称単数現在。 「私は~である」と断言する。 humani nihil humani:形容詞 humanus, -a, -um の中性単数属格または主格。ここでは「人間に関するもの」を指す属格的用法。 nihil:代名詞 nihil (「何も~ない」)の中性単数対格。 合わせて「人間に関わることは何一つ~ない」という主語補語的構造を成す。 a me 前置詞 a +人称代名詞 me (奪格)で、「私から」を表す。 「~からは(私にとって)」という範囲・分離の奪格。 alienum 形容詞 alienus, -a, -um の中性単数対格。 「よそよそしい/よそ者の」を意味し、nihil の補語として用いられる。 puto 動詞 puto, putare 「思う/考える」の一人称単数現在。 「私は…と考える」。
――これらをまとめると、Homo sum, humani nihil a me alienum puto.
「私は人間である。そして、人間に関わることは何一つ私にとってよそよそしいものではない、と考える」
という構造になります。
日本語訳
「私は人間である。人間に関することは何一つ、私には異質なものではないと考える。」
作者と作品背景
作者:プブリウス・テレンティウス・アフェル(Publius Terentius Afer, 約紀元前195/185年–約紀元前159年) 北アフリカ出身の解放奴隷としてローマに渡り、コメディ作家として名を馳せました。 出典:喜劇『Heautontimorumenos』(『自らを責むる者』)の序幕(Prologus)第1行。劇中、登場人物のクレメスが「他人の問題を口出しする」動機を正当化するために語る台詞として登場します。
解説
人間主義(humanitas)と共感 「人間に関わることはすべて自分ごととして受け止める」という自己宣言は、ローマ文化における humanitas(教養と共感を兼ね備えた理想的な人間性)の核心を示します。 ギリシア劇からの影響 テレンティウスはギリシアのコメディ作家メナンドロス(Menander)の翻案を得意とし、この一節も「人間普遍の共感」というヘレニズム的なモチーフを反映しています。 普遍的名言としての展開 中世からルネサンスにかけて「何も人間的なものは他人事ではない」という趣旨で広く引用され、近代以降は学術機関や文化団体のモットーとしても採用されました。 現代的意義 多様性の尊重やグローバル化した社会での共感力の重要性を語る際にしばしば引かれ、「他者理解の基盤」として今なお有効な警句です。
この一行には、テレンティウスが意図した「人間同士の連帯」と「演劇を通じた道徳的教育」の両義性が込められており、古代ローマの演劇文化と哲学的教養が融合した名句です。
古代ローマにおける演劇文化
以下、共和政末期(紀元前2–1世紀)のローマにおける演劇文化を5つの視点から詳しく解説します。
1. 起源と歴史的発展
ローマ演劇の源流は先住民エトルリアやギリシアからの影響にあります。最初の定期的な上演は紀元前240年頃のラテン語翻訳劇(リウィウス・アンドロニクスらによるギリシア悲劇・喜劇の翻訳)から始まりました。以後、劇作家ナエウィウス、プラウトゥス、テレンティウスらが活躍し、ファブラ・パッリアータ(ギリシア原作喜劇の翻作)やファブラ・トガータ(ローマ主題の喜劇)が確立しました 。
2. 上演形態と劇場施設
一時的ステージ:当初は祭事(ルディ=公的祝祭)に合わせた仮設木造ステージで演じられ、祭りが終わると撤去されました。 常設劇場:紀元前55年、ポンペイウスがローマに初の石造常設劇場「ポンペイ劇場(Theatrum Pompeii)」を建設。2万席を誇る大規模施設で、以後バルブス劇場(17 BCE頃)、マルチェッロ劇場(前13 BCE)などが続き、永久的かつ豪華な上演空間が整備されました 。
3. 文芸ジャンルの多様化
喜劇(ファブラ・パッリアータ/ファブラ・トガータ):プラウトゥス(紀元前205–184年)やテレンティウス(166–160年)の作品が代表。ギリシア新喜劇を底本としつつ、ローマ的風刺や法律・習慣を織り込む。 悲劇(ファブラ・クリペダータ/ファブラ・プレーテクスタ):エンニウス、パクイウス、アッキウスらがギリシア悲劇を翻作。ファブラ・プレーテクスタではローマ神話・歴史を題材にし、国家的プロパガンダの手段にも。 アテッラーナ(ファブラ・アテッラーナ):南イタリア起源の仮面喜劇で、粗野な下ネタや即興が特徴。 ミムス(mime):台詞、歌、舞踏を自在に混ぜた都市的大衆娯楽。女性も舞台に出られる数少ないジャンルで、庶民の性風俗や日常を大胆に描写 。
4. 演出・出演者・技術
俳優と身分:多くは解放奴隷や非市民が演者となり、社会的評価は低かったものの、人気俳優は名声と富を得る例も。 仮面と衣装:キャラクターごとに仮面(persona)を用い、声質や身振りで役柄を示す。演出には舞台機構(scaenae frons の裏)やプロンプトボックス、パルスティカリウム(回転舞台)などの仕掛けが活用されました。 音楽・舞踊:琴(cithara)や笛(tibia)、打楽器を伴い、幕間やコーラス的部分を演出。パントマイムでは全編音楽と身振りのみで物語を表現しました。 。
5. 観客構成と社会的機能
公的祝祭との結び付き:ルディ・ロマニ(9月)、メガレンセス(4月)、アポリナリア(7月)などの公的祝祭に組み込まれ、無料開放で多階層の市民が参加。 政治的レトリック:有力者が劇場建設や上演の後援(エディリティ)を通じて市民の支持を集め、演目にも政治的寓意や社会風刺が込められました。 教育的・道徳的役割:テレンティウスは劇中に「人間は互いに他人事ではない(Homo sum…)」といった人道主義的メッセージを織り込み、市民の道徳修養を促したとされます。 。
これらの要素が折り重なり、共和政末期のローマ演劇は「ギリシアの高尚な文芸」から「大衆の娯楽」「政治的・社会的装置」へと多面化し、文化的に極めて重要な位置を占めるに至りました。