ラテン語原文(マクロビウス『Saturnalia』VI.5.15より引用)
Idcirco ope nostra dilatatum est dominium togatae gentis.
日本語訳
「だからこそ、わたしたちの手助けによって、トガをまとった一族の支配が拡大されたのだ。」
文法的解釈
語句
品詞・形態
意味・機能
Idcirco
接続副詞
「それゆえに」「だからこそ」
ope nostra
「ōps, ōpis」女性3格単数+所有形容詞 noster
手段・方法の奪格(instrumentalis abl.):〈我々の助けによって〉
dilatum est
動詞 dilato, dilatare の完了受動・三人称単数
「拡大された/広められた」
dominium
中性名詞 dominium, dominii 主格単数
主語:「支配/領域」
togatae gentis
形容詞 togatus, a, um による後置修飾の属格
「トガをまとった一族の」〈属格(所有・帰属)〉
主語:dominium(支配)が完了受動形 dilatum est の主語。 手段の奪格:ope nostra により「我々の援助によって」を表現。 属格:togatae gentis は「トガをまとった一族の」という帰属・説明の属格。
解説
政治的・宣伝的ニュアンス 「トガをまとった一族(togata gens)」は、ギリシア的慣習と区別する「ローマ市民(シビリスの象徴としてのトガ)」を指します(ヴィルギリウスも『アエネーイス』で同表現を使用) 。 「わたし(筆者)たちの助け」で「ローマの支配が拡大された」と謳う点から、当時の市民的・国家的自負や、ユリウス・カエサル期の領土拡張を賛美する政治的片鱗が伺えます。 文学的技巧 倒置・分離(Hyperbaton):属格句 togatae gentis を最後に配することで、トガをまとった一族という言葉を強調。 完了受動形 dilatum est の形式で、あたかも「既成の事実」として読者・聴衆に印象付ける。 舞台上の文脈 デキムス・ラベリウスのミメー『Ephebus』(断片29)に含まれる一節で、ユリウス・カエサル主催の催しなどで朗誦された可能性が高いです。観客に「われわれローマ人の偉大さ」を即座に印象付けるエピグラム的表現と言えるでしょう。
このように、簡潔な一文の中に「理由(Idcirco)」「手段(ope nostra)」「結果(dilatum est)」「主体(dominium)」「帰属(togatae gentis)」という五要素を配置し、形式と語順の工夫で政治的・文学的効果を高めたのが、ラベリウスら共和政末期のエピグラム詩人の技法です。
当時のローマ市民
1. 社会階層と市民権
共和政末期のローマ市民は、大きく〈パトリキ(貴族)〉〈プレブス(平民)〉〈エクィテス(騎士階級)〉に分かれ、いずれも奴隷を除く者は何らかの市民権を有していました。貴族は元来参政権と高位宗教職を独占し、平民は護民官の設置以降徐々に政治的発言権を拡大しました。一方、エクィテスは経済的に富裕な市民層で、元老院議員とは異なる騎士階級として税金徴収や一部軍司令を担い、社会的影響力を持ちました。下位の解放民(liberti)は法的には市民とされつつも、上官であった元主人への敬意(敬礼)義務を残し、市民的平等は完全ではありませんでした。
2. 衣服としてのトガと市民のアイデンティティ
ローマ市民はトガを「正式な公的衣装」として着用し、その形状・縁飾りで身分や役職を示しました。成人男性が着る無縁の白トガ (toga virilis)は市民権の証であり、上位の元老院議員は生地がより明るく大きいものを選びました。magistratus(裁判官・軍司令官)は縁に紫帯を配した toga praetexta を着用し、凱旋将軍には全身紫の toga picta が許されたほか、特別儀礼や凱旋式でのみ用いられました。衣服の色や大きさは法律でも規定され、身分秩序の可視化手段として機能していました。
3. 公共生活とパトロン‐クリアント関係
市民の日課には、朝のサリュタティオーネス(顧客がパトロンを訪ねて敬礼し恩恵を願う儀礼)があり、適切なトガの着用や整った身だしなみが重視されました。上位階級のパトロンは保護と援助を与え、平民や解放民のクリアントは支持基盤として政治的・経済的影響力を支えました。娯楽面ではフォーラムでの演説や民会、劇場でのミメー(寸劇)・エピグラム上演、円形闘技場での剣闘士興行などが大衆文化の中心を占め、階級を問わず市民の社交の場となっていました。
4. 祭礼と宗教行事
ローマでは年間を通じて多くのフェリアエ(公的祭日)が定められ、国家的・宗教的行事として執り行われました。とりわけ冬至前後の**サトゥルナリア(Saturnalia)は、階級を超えた大規模な祝宴・贈答・仮装が特徴で、官民ともに仕事を休みました。また、2月15日のルペルカリア(Lupercalia)**は豊穣・繁殖を祈願する祭で、若者の婚姻を後押しする習俗も見られました。その他、穀物の神ケレスを讃えるセメンティヴァエ(Sementivae)、都市浄化のアンブルビウム(Amburbium)など、多様な国家・地域的儀礼が市民文化の柱となっていました。