エピグラムと古代ローマ ⅩLⅢ

Licentium ac libidinem ut tollam petis.

日本語訳

「(君は)私が奔放さと情欲を取り除くよう求めている。」

文法的要点

  1. 主文の動詞:petis
    • peto, petere, petivi, petitum の二人称単数現在能動形。
    • 「(君は)求める/請う」の意。
  2. 目的節の導入:ut + 接続法
    • ut:目的・意図を示す接続詞。
    • tollam:tollo, tollere, sustuli, sublatum の一人称単数現在能動接続法。
    • 「…するように」の目的を表し、「私が…を取り除くように」と訳す。
  3. 目的語:licentium ac libidinem
    • licentium:
      • 本来は licentia, -ae (奔放/無制限の自由)の対格単数 licentiam の非定型変種。
      • 原形 licentiam と同義に「奔放さ」を指す。
    • ac:並列の接続詞「…と」。
    • libidinem:
      • libido, libidinis(情欲・欲望)の対格単数。
      • 「情欲」を指す。
  4. 主語の省略
    • 主節(petis)の主語は「君」(2人称単数)。
    • 目的節(tollam)は「私」(1人称単数)が主語だが、ラテン語では省略。

解説

  • 風刺的ニュアンス この一文は、相手の要求の矛盾を突くアイロニーを含んでいます。すなわち「お前自身が楽しみとしている奔放さ(licentia)や情欲(libido)を、なぜ私に(取り除くよう)求めるのか?」という批判的・皮肉的な語りかけです。
  • 語彙の対比
    • licentia は社会的・道徳的な「許容範囲を超えた自由」を示し、
    • libido は個人的・身体的な「欲望」を表します。 両者を並列させることで、「自己愛」や「享楽」を対象化し、聞き手の自制心の欠如を強調しています。
  • 社会文化的背景 デキムス・ラベリウスのミメー(寸劇)台詞の一部として伝わり、当時のローマ庶民の享楽的側面と道徳的規範の緊張関係を浮き彫りにしました。ユリウス・カエサルの祝祭で上演されたと伝えられ、観客の笑いと同時に「自分への戒め」を促す機能を果たしていたと考えられます。

作者:デキムス・ラベリウス(Decimus Laberius, c. 105 BC–43 BC)

デキムス・ラベリウスは共和政末期のローマ騎士階級(eques)に属し、ミメー(寸劇)の作者・俳優として名声を博しました。紀元前46 年、ユリウス・カエサルの命で自作のミメーに出演させられたエピソードが有名で、その際に朗誦した皮肉に満ちた長い序文はマクロビウスらによって伝えられています。彼の作品は44演目ほどありましたが、現存するのは断片約150行のみで、後世の注釈者がその中の機知に富む台詞を警句として取り出し、エピグラムとして嗜まれるようになりました。

1. licentia の社会的・文化的背景

  • 語義と用法
    • licentia, licentiae は「自由、許可された行動」(“freedom, license”)を基本義とし、そこから「(道徳的・社会的規範を超えた)無制限の奔放さ、放埒、放縦」(“unrestrained liberty, dissoluteness, licentiousness”)という否定的含意を帯びるようになりました。
  • libertas と licentia の対比
    • ローマ人は「libertas(法ある自由)」と区別して、節度のない「licentia」は社会秩序を乱すものと見なしました。たとえば、ローマの風刺詩では、規律を保つべき公的・私的立法の枠を逸脱する行為を「licentia」と非難しています。
  • 道徳的風潮との関連
    • 共和政末期以降、セネカやキケロなどの道徳論者は、無節制な欲望や放縦を批判し、licentia を「mos maiorum(先祖の習慣)」への背反として戒めました。こうした文脈で、ラベリウスが自作の舞台台詞に「licentium…ut tollam」「奔放さを取り除くように求める」といった表現を盛り込むと、聴衆には「放縦を制御すべき」という当時の倫理観が響いたものと考えられます。

2. libido の社会的・文化的背景

  • 語義と用法
    • libido, libidinis は「(心理的な)欲望、願望、興味」(“desire, longing, fancy”)を指し、さらに「性的欲望、情欲、放執」(“lust, wantonness, passion”)の意味でも用いられました。
  • 家族・国家への貢献としての欲望
    • キケロは『義務について』で、「繁殖への欲望(libido procreandi)は初の社会結合を生み、結婚、ひいては家族(domus)と国家の礎となる」と論じ、libido を肯定的・自然な動機として評価しています。
  • 道徳的制約と批判
    • 一方で、ストア派のセネカやエピクトテトスは、libido(特に性的・感覚的欲望)を「理性を乱す破壊的な力」(exitium)とみなし、節度ある婚姻内での生殖目的以外の性行為を厳しく非難しました。
  • 宗教儀礼との結びつき
    • フロラリア祭やルペルカリア祭など、性と生殖を神と結びつける祝祭が存在し、libido は国家的・宗教的にも重要視されました。豊穣や共同体の繁栄を支える力としての側面と、個人の放縦を戒める倫理の板挟みが、当時のローマ人の性観念を特徴づけています。

以上のように、デキムス・ラベリウスの作品に現れる licentia と libido という語は、単なる語彙以上に「共和政末期の価値観」「社会的・宗教的儀礼」「哲学的倫理論争」といった多層的コンテクストを内包しており、当時のローマ社会における「自由と制御」「欲望と理性」の緊張関係を映し出しています。