- Vix sustineo lassas clunes.
文法解釈
- Vix:副詞。「かろうじて、ようやく、ほとんど…ない」という否定的な限界を示す。
- sustineō(sustinēre, sustinuī, sustentum):動詞、1人称単数現在能動直説法。「支える、耐える、もたせる」
- lassās:形容詞 lassus, -a, -um の対格女性複数。「疲れたもの」(ここでは「疲れた尻」の意)
- clūnēs:名詞 clūna, -ae(または clūna, clūnae の変種) の対格女性複数。「尻、臀部」(複数形で用いられる)
――「lassās clūnēs」がsustineōの直接目的語となっている。
訳例
私は疲れ切った尻をかろうじて支えている。
あるいは意訳で、
「もうこの疲れた尻は、ほとんど支えられないよ。」
作者について
この断片
Vix sustineo lassas clunes
は、共和政末期(紀元前1世紀)に活躍したミーム作家デキムス・ラベリウス(Decimus Laberius, c. 105 BC–43 BC)の作品の一節です。ラベリウスは、ギリシャの大衆的な寸劇をローマに紹介して文学的に高めた先駆者であり、自らも演者として舞台に立つなど、当時としては異例の詩人兼俳優でした。
詩の背景とジャンル
- ミーム(mimus):マスクをつけずに演じられる口語体の寸劇。日常の風俗や人間模様をユーモラスかつ時に辛辣に描き、都市の下層民を主な観客にしていました。
- ラテン文学への貢献:ラベリウスは共和政期末にこのジャンルを本格的にラテン語文芸へ導入し、『Saturnalia(《秋の饗宴》)』や『Atticae Nox(《アッティカ夜話》)』などにその断片が伝わっています。
詩の解説
1. 日常性の強調
身体の一部(尻)を直接言及することで、ミームらしい「庶民のリアルな声」をそのまま抑揚なく伝えています。
2. ユーモアと共感
読者(観客)は、自分も長時間座った後の「尻の痛み」を想像し、思わず噴き出しつつ共感します。
3. リズムと言葉の響き
- Vix … sustineō… lassās clūnēs 「x – ti – ne – lā – su – lā – clū – nēs」という音の繰り返しが、古代ローマのコメディ特有の軽快なリズムを生んでいます。
文化的意義
- 庶民の声の記録 ミームはエリート文化では扱わない「下層社会の生」を描写し、ラベリウスの断片は当時の生活感覚を今に伝えます。
- 舞台芸術としての即興性 台本通りではなく役者のアドリブも多かったミームでは、こうした身体表現的な台詞が観客の笑いを誘う「即興ユーモア」の素材になったと考えられます。
- 文学と肉体の結びつき 古典詩では理想化された物語が重視される一方で、ミームでは日常の身体感覚(疲労、痛み)が直接的に詠まれる点がユニークです。
この一句は、ラベリウスが「詩人」としてだけでなく「演者」としても観客と真っ向から身体的に対話した証しとも言えるでしょう。
ミームと古代ローマの庶民の娯楽
以下では、まずローマのミーム(mimus)について、その起源・上演形式・社会的意義を概説し、つづいて当時の庶民が楽しんだ大衆娯楽の主要な形式を紹介します。
ミーム(mimus)の概要
- 起源と名称
- ギリシア語 mimos(「まねる人」)に由来し、共和政末期にローマへ導入された劇芸の一種。
- 上演形式
- マスクを使わず、口語的で即興性の高い寸劇。演者は男女を問わず出演し、日常生活や下層民の風俗をコミカルかつ辛辣に描写した。
- ジャンルと内容
- 音楽や踊りを交えた“emboliaria”(間奏劇)や、長編戯曲の合間に挿入される短い劇など、多様なフォーマットが存在。男女の恋愛風刺、社会風刺、スラップスティック的な身体ギャグなどが好まれた。
- 社会的意義
- エリート文化が扱わない日常の「生の声」を舞台化し、市民の笑いを誘うと同時に、庶民の不満や風俗を映し出す役割を果たした。俳優が直接観客と対話することで、即興的に時事ネタや流行を取り入れる柔軟性もあった。
古代ローマの庶民娯楽の主要形式
- 剣闘士闘技(Gladiatorial Combat)
- 剣闘士同士、あるいは野獣との死闘を見せる壮絶な見世物。コロッセウムなどを会場に、貴族から下層民まで集まった。
- 戦車競走(Chariot Races)
- 最大25万人収容のシルクス(例:シルクス・マキシムス)で開催。4つのチーム(赤・緑・青・白)に分かれ、観衆は熱狂的に応援した。
- 劇場公演(Theatre Performances)
- 喜劇(Comoedia)や悲劇(Tragoedia)、さらにはパントマイム(pantomimus)など。大劇場から路上の簡易舞台まで、多様な規模・形式があった。
- 野獣狩り・獣闘(Venationes)
- 獰猛な野獣を剣闘士や人間が狩る興行。動物輸入ルートの拡大とともに、珍獣を見る機会としても人気を博した。
- 祭祀的祝祭・競技会(Ludi)
- 国家や宗教行事に付随して行われる公的な競技会。馬車レースや舞踊、音楽演奏、詩の朗誦など、多彩な催しが数日にわたり開催された。
- 家庭内・小規模の遊戯
- ボードゲーム(ラドゥス・ルデンディ)、ダイス遊び、球技、水泳、狩猟・釣りなど。貴族・平民を問わず、日常の余暇活動として親しまれた。
以上のように、ミームは庶民の生活感覚を生き生きと舞台化した“市民の声”であり、剣闘士闘技や戦車競走と並ぶ大規模スペクタクルから、日常的な家庭内ゲームまで、多彩な形でローマ人の「楽しみ」が展開していました。