Hanc volo quae non vult, illam quae vult ego nolo. Vincere vult animos, non satiare Venus.
このラテン語の詩を日本語に翻訳し、解説いたします。
翻訳
「私は望まない女性を望み、望む女性を私は望まない。
愛の女神ウェヌスは、心を満たすのではなく、征服したいのだ。」
文法的解釈
- “Hanc volo quae non vult” – 「私は望まない(non vult)彼女を(hanc)望む(volo)」
- “illam quae vult ego nolo” – 「望む(quae vult)彼女を(illam)私は(ego)望まない(nolo)」
- “Vincere vult animos” – 「心を(animos)征服したい(vincere vult)」
- “non satiare Venus” – 「満たすのではなく(non satiare)愛の女神ウェヌス(Venus)」
詩の解説
この詩は恋愛の皮肉な性質について語っています。詩人は愛の矛盾を表現しています—自分を望まない人を追い求め、自分を望む人には興味を示さないという人間の傾向です。
二行目では、これが単なる個人的な気まぐれではなく、愛の女神ウェヌス(ローマ神話の愛と美の女神)の意図だと示唆しています。愛は人間の心を征服すること(vincere)に喜びを見出し、満足(satiare)させることには関心がないのです。
この詩は恋愛の追求における満たされない欲望と矛盾のテーマを捉えています。得られないものへの渇望と、手に入るものへの価値の低下という、愛の残酷なパラドックスを描写しています。
この詩は古代ローマの詩人オウィディウスの『恋愛術』の精神を反映しており、恋愛の駆け引きと心理学について深い洞察を提供しています。
この詩の文化的背景
この詩は古代ローマ時代の恋愛観と文学的伝統を反映しています。
古代ローマの恋愛詩の伝統
この詩は「エレギア」と呼ばれるローマの恋愛詩の伝統に属しています。紀元前1世紀から紀元後1世紀にかけて、カトゥルス、プロペルティウス、ティブルス、オウィディウスといった詩人たちが、恋愛の喜びと苦しみを詠った詩を数多く残しました。これらの詩は多くの場合、叶わぬ恋や片思い、愛の矛盾といったテーマを扱っていました。
愛の矛盾としての「追跡と逃避」のモチーフ
この詩で表現されている「望まない者を望み、望む者を望まない」という矛盾は、古代ギリシャ・ローマ文学における「追跡と逃避」(pursuit and flight)という典型的なモチーフです。オウィディウスの『変身物語』にも、ダフネを追いかけるアポロンや、ナルキッソスを追いかけるエコーなど、この概念が繰り返し登場します。
ウェヌス(ヴィーナス)の役割
詩の中でウェヌス(愛と美の女神)は単なる愛の象徴ではなく、人間の感情を操る力を持つ存在として描かれています。古代ローマ人にとって、ウェヌスは単に愛を司るだけでなく、時に残酷で気まぐれな側面も持つ神でした。彼女は人間の心を「征服」することに喜びを見出すという描写は、愛が時に理性を超えた力を持つという古代の認識を反映しています。
アモール・エレガンス(洗練された恋愛)の概念
この詩はまた、オウィディウスの『恋愛術』に代表される「アモール・エレガンス」(洗練された恋愛)の概念とも関連しています。これは恋愛を一種の社交的な「ゲーム」や「芸術」として捉える見方で、駆け引きや追求の過程自体に価値を見出す考え方です。詩の中の矛盾した欲望は、この恋愛観における駆け引きの一部と解釈できます。
社会的文脈
この詩が書かれた時代のローマでは、貴族や上流階級の間で洗練された恋愛文化が発展していました。結婚が政治的・経済的な理由で行われることが多かった時代において、恋愛詩は感情的な欲求や自由の表現の場となっていました。
この短い詩は、古代ローマの恋愛詩の伝統における主要なテーマや概念を凝縮した形で表現しており、2000年以上経った現代でも共感できる人間の感情の普遍性を示しています。
この詩句「Hanc volo quae non vult, illam quae vult ego nolo. Vincere vult animos, non satiare Venus.」は、デキムス・マグヌス・アウソニウス(Decimus Magnus Ausonius、310年頃〜395年頃)の作品であると考えられています。
アウソニウスは4世紀の後期ラテン文学を代表する詩人で、ガリア(現在のフランス南西部ボルドー近郊)出身の教師、修辞学者、政治家でした。彼はエピグラム(警句)や小品を多く残しており、この詩句は彼の『エピグラム集』(Epigrammata)の中に収録されています。
この詩句は特に恋愛の矛盾を鋭く捉えた表現として評価されており、アウソニウスが古典ラテン文学の伝統を継承しながらも、簡潔で洗練された表現で人間の心理を描き出した好例とされています。アウソニウスは古典期(紀元前1世紀〜紀元後1世紀)の黄金時代の詩人たちよりも後の時代に活躍しましたが、オウィディウスなど古典期の詩人たちの影響を強く受けていました。