デキムス・マグヌス・アウソニウスのエピグラムと古代ローマ Ⅱ

Lais et Myron coram duo numina fultis, haec amatatrix, hic simulator erat. cum tragicus ferveret opus, mirabile visu, illa faces simulat, simula atille deum.

「Lais et Myron」の翻訳と解説

日本語訳

「ライスとミュロンは二つの神性として君たちの前に立っている、
彼女は愛する者、彼は模倣者だった。
悲劇的な作品が熱を帯びると、見事な光景だ、
彼女は松明を模倣し、彼は神を模倣する。」

文法的解釈

1行目: 「Lais et Myron coram duo numina fultis」

  • Lais et Myron – 主格の主語、「ライスとミュロン」
  • coram – 前置詞「~の前に、~の存在の中で」
  • duo numina – 対格「二つの神性」
  • fultisfulcio(支える、保持する)から派生した形。二人称複数現在形または完了分詞の形で「支えられた、保持された」の意味

2行目: 「haec amatatrix, hic simulator erat」

  • haec – 指示代名詞(女性形)「この女性」または「彼女は」
  • amatatrix – 「女性の愛する者」を意味する女性名詞(通常は「amatrix」の形が一般的)
  • hic – 指示代名詞(男性形)「この男性」または「彼は」
  • simulator – 「模倣者」または「ふりをする者」を意味する男性名詞
  • eratsum(~である)の三人称単数過去未完了形「~だった」

3行目: 「cum tragicus ferveret opus, mirabile visu」

  • cum – 接続詞「~のとき」
  • tragicus – 形容詞「悲劇的な」
  • ferveretferveo(沸騰する、熱くなる)の三人称単数過去未完了形接続法「熱を帯びた」
  • opus – 「作品」(特に芸術作品)を意味する中性名詞
  • mirabile visu – 「見るに素晴らしい」(スピン構文)、mirabilis(驚くべき)とvisus(見ること)から

4行目: 「illa faces simulat, simula atille deum」

  • illa – 指示代名詞(女性形)「彼女」
  • facesfax(松明)の対格複数形「松明(たいまつ)」
  • simulatsimulo(模倣する、ふりをする)の三人称単数現在形「模倣する」
  • 原文「simula atille」は転写上の誤りと思われる。おそらく「simulat ille」(彼は模倣する)が正しい形
  • deumdeus(神)の対格単数形「神を」

詩の解説

内容と構造

この短い詩(エピグラム)は、ライスとミュロンという二人の人物を対比し、彼らの芸術性と模倣の本質を探っています。詩は舞台芸術の文脈で、二人の異なる「模倣」の方法を描写していると考えられます。

登場人物の文化的背景

  1. ライス(Lais)
  • 古代ギリシャで実在した有名な高級娼婦(ヘタイラ)の名前
  • 特にコリントスのライスは美しさで知られ、多くの芸術家や哲学者に愛された
  • 「amatatrix」(愛する女性)と呼ばれていることから、愛や情熱を体現する存在として描かれている
  1. ミュロン(Myron)
  • 紀元前5世紀頃の著名なギリシャの彫刻家
  • 特に「円盤投げ」の彫像で知られ、動きのある姿を写実的に表現する技術で高く評価された
  • 「simulator」(模倣者)と呼ばれ、自然界の形や動きを芸術的に再現する能力を指している

詩的テーマと解釈

  1. 二種類の模倣(ミメーシス)
  • この詩の中心テーマは「模倣」であり、二つの異なる種類の模倣が対比されています
  • ライスは「松明を模倣」し、情熱や光を表現する演技を行っていると思われます
  • ミュロンは「神を模倣」し、神々の姿を彫刻によって物質的に表現していると解釈できます
  1. 芸術と現実の関係
  • 「tragicus opus」(悲劇的作品)への言及は、この詩が演劇的文脈で書かれていることを示しています
  • 悲劇が「熱を帯びる」(ferveret)表現は、演劇の感情的な高まりや観客への影響を示唆しています
  • 詩は芸術(模倣)と現実の複雑な関係を探求しています
  1. 神的な要素
  • 二人が「duo numina」(二つの神性)として描かれていることは重要です
  • 彼らの芸術的活動は単なる模倣を超えて、神聖な次元に達していることが示唆されています
  • 芸術家を「神に触れられた者」とみなすギリシャ・ローマの伝統がここに反映されています

文学的技巧

  1. 言葉遊びと対比
  • 「simulator」と「simulat」の言葉遊びは意図的であり、模倣の行為と模倣者の存在を結びつけています
  • 「amatatrix」(愛する者)と「simulator」(模倣者)の対比は、感情と技術、情熱と理性の対比を暗示しています
  1. 視覚的イメージ
  • 「faces」(松明)と「deum」(神)の対比は、地上的なものと天上的なものの対比を作り出しています
  • 「mirabile visu」(見るに素晴らしい)という表現は、詩の視覚的側面を強調しています

この詩は、芸術における模倣の本質、芸術家の役割、そして芸術と神性の関係について深い考察を含んだ作品です。ローマの詩的伝統において、芸術的創造と模倣の哲学的問題を簡潔かつ洗練された形で提示しています。

「Lais et Myron」の詩の文化的背景

この詩は古代ローマの文学的・芸術的伝統の中に位置づけられる作品で、複数の文化的背景が織り込まれています。以下、この詩を理解するために重要な文化的文脈について論じます。

1. ヘレニズム文化の影響とローマによる継承

ギリシャ芸術のローマへの浸透

  • この詩はギリシャの彫刻家ミュロンとギリシャの高級娼婦ライスを取り上げており、ヘレニズム文化のローマへの浸透を反映しています
  • 紀元前2世紀以降、ローマはギリシャの芸術品を大量に征服地から持ち帰り、ギリシャ文化への憧れと尊敬が広がりました
  • 教養あるローマ人にとって、ギリシャの芸術や文学に関する知識は必須の教養とされていました

文化的アイデンティティの二重性

  • ローマ人はギリシャ文化を賞賛する一方で、独自の文化的アイデンティティも主張していました
  • ホラティウスの「征服されたギリシャは征服者を征服した」という言葉が示すように、文化的影響力と軍事的支配の対比はローマ人の自己認識の一部でした
  • この詩もギリシャの題材をローマ的視点から再解釈している例と考えられます

2. 芸術理論と模倣(ミメーシス)の概念

プラトンとアリストテレスの影響

  • この詩の中心概念である「模倣」(simulatio)は、プラトンとアリストテレスによって体系化されたミメーシス理論と密接に関連しています
  • プラトンは『国家』で芸術を「模倣の模倣」として批判的に論じました
  • アリストテレスは『詩学』で模倣を芸術の本質として肯定的に捉えました

キケロとローマの修辞学

  • ローマでは、キケロが『弁論家について』などの著作で模倣の概念を発展させました
  • 修辞学において、優れた先例を模倣することは学習の正当な方法とみなされていました
  • 「simulator」という言葉は、ローマ文脈では単に「模倣者」という中立的な意味だけでなく、「偽装する者」という否定的な意味も持ち得ました

3. 悲劇と演劇文化

ローマにおける演劇

  • 詩中の「tragicus opus」(悲劇的作品)は、ローマにおける演劇文化を背景としています
  • ローマの悲劇はギリシャの悲劇に強く影響を受けていましたが、より派手な舞台効果や激しい感情表現を好む傾向がありました
  • セネカの悲劇作品は特に情熱的で視覚的な表現を重視していました

演劇と宗教の関係

  • ローマの演劇は元々宗教的祭典の一部として始まりました
  • 「松明」(faces)は多くの宗教儀式や演劇の舞台装置として使用され、ディオニュソス祭などとも関連していました
  • 神々を模倣する演技は、宗教的側面と芸術的側面を併せ持っていました

4. ヘタイラ(高級娼婦)の社会的位置

社会的・文化的仲介者としてのヘタイラ

  • ライスのようなヘタイラは、単なる娼婦ではなく、芸術、音楽、会話に長けた教養ある女性でした
  • 彼女たちは男性中心のギリシャ・ローマ社会において、特異な社会的地位を持っていました
  • 哲学者や芸術家との交流があり、知的サロンの中心人物となることもありました

芸術との関わり

  • ヘタイラたちは演劇や音楽のパトロンであることも多く、芸術的活動に直接関わっていました
  • ライス自身、多くの芸術家のモデルになったと伝えられています
  • 「amatatrix」という言葉は「愛する女性」という意味ですが、芸術や美への愛を体現する存在としての側面も示唆しています

5. 彫刻芸術の文化的意義

ミュロンの芸術的革新

  • ミュロンは紀元前5世紀の革新的な彫刻家で、特に人体の動きの表現に優れていました
  • 彼の「円盤投げ」は、停止した瞬間の動きを捉えた傑作として知られています
  • ローマ人は、ギリシャの原作または模造品を通してミュロンの作品に親しんでいました

彫刻と神性の関係

  • 古代世界では、神々の彫像は単なる芸術品ではなく宗教的存在でもありました
  • 彫刻家は神々の姿を物質的に表現することで、神性を「模倣」していました
  • 「deum simulat」(神を模倣する)という表現は、芸術による神性の表現と、彫刻家自身が神的創造者の役割を担うことの二重の意味を持っています

6. エピグラムの文学的伝統

エピグラム(警句詩)の発展

  • この短い詩はエピグラムの形式を取っており、ローマにおけるエピグラム文学の伝統を背景としています
  • マルティアリスやカトゥルスによって洗練されたこの形式は、機知に富み、しばしば皮肉や社会批評を含んでいました
  • 美術作品についての詩(エクフラシス)も一般的で、この詩もその伝統に位置づけられます

二項対立の修辞法

  • この詩は「ライスとミュロン」、「愛する者と模倣者」、「松明と神」など、対比を基本的な構造としています
  • こうした二項対立による修辞は、ローマ詩の伝統的技法でした
  • 対比を通じて、詩は芸術の二つの側面(感情的/技術的、物質的/精神的)を探求しています

結論

「Lais et Myron」の詩は、ギリシャの主題をローマの視点から解釈する文化的融合の産物です。芸術における模倣の概念、演劇と宗教の関係、ヘタイラの社会的位置、そして彫刻の文化的意義といった多様な文脈が重なり合い、この短いエピグラムに深い文化的含意を与えています。

この詩は、表面的には単純な対比に見えながらも、古代ローマ社会における芸術と現実、模倣と創造、そして人間と神性の複雑な関係について洞察を提供しています。ローマのエリート文化の担い手たちは、こうした短い詩に込められた文化的参照と哲学的問いを理解し、鑑賞することができました。この詩は、ローマがギリシャ文化を吸収し再解釈する過程での、芸術的・哲学的対話の一部として理解することができるでしょう。

古代ローマにおける娼婦の社会的位置と実態

古代ローマ社会において、娼婦(prostitutae)は明確な社会的カテゴリーを形成していました。しかし、その実態は単一ではなく、社会的地位、労働条件、法的地位によって大きく異なっていました。以下、古代ローマにおける娼婦の実態について多角的に分析します。

1. 社会的階層と種類

様々な階層

  • 高級娼婦(meretrices): エリート層の顧客を持ち、教養があり、時に芸術や文学に通じていた
  • 中間層の娼婦(prostibulae): 公認の売春宿(lupanaria)で働く女性たち
  • 最下層の娼婦(scorta): 通りや墓地、橋の下などで客を取る最貧層の女性たち

ギリシャのヘタイラの影響

  • 高級娼婦の中には、ギリシャのヘタイラの伝統を引き継ぎ、音楽、詩、会話の教養を持つ者もいました
  • ライスのようなギリシャのヘタイラの評判はローマにも伝わり、一種の文化的理想型となりました
  • しかし、ローマ社会ではギリシャほど高い社会的承認は得られませんでした

2. 法的地位と規制

法的境界

  • 娼婦は法的にinfames(不名誉な者)の範疇に分類され、市民としての権利に制限がありました
  • アウグストゥス帝の道徳改革法(Lex Julia et Papia)は、娼婦と市民階級との結婚を禁止しました
  • 娼婦は特別税(vectigal)を納めることが義務づけられていました

登録と規制

  • 帝政期には娼婦は公的に登録され、「娼婦免許」(licentia stupri)を取得する必要がありました
  • 都市の行政官(aediles)が売春の監督と規制を担当していました
  • 売春は法的に認められていましたが、特定の地域や建物に限定されることが多かったです

3. 経済的側面

経済的現実

  • 売春は古代ローマの経済の中で重要な部分を占めていました
  • 売春宿(lupanaria)の所有者は通常、富裕な男性市民や時に女性事業家でした
  • 娼婦の収入は大きく異なり、高級娼婦は裕福になれる一方、多くは貧困状態でした

奴隷制との関連

  • 多くの娼婦は奴隷であり、主人の利益のために働かされていました
  • 奴隷商人が若い女性や子どもを売春目的で購入することも一般的でした
  • 自由民の女性も経済的必要から売春に従事することがありました

4. 社会的実態と日常生活

居住環境

  • 売春宿(lupanaria)は小さな部屋(cellae)が並ぶ構造で、各部屋に簡素なベッドと洗面設備がありました
  • ポンペイの発掘された売春宿からは、壁画やグラフィティから当時の実態が窺えます
  • 高級娼婦は個人の住居を持ち、より良い環境で働いていました

識別と表象

  • 娼婦は黄色や赤の衣服など、特定の服装や外見で識別されることがありました
  • 化粧や髪型で一般の女性と区別される場合もありました
  • 売春宿の入り口にはしばしばファルス(男性器)の彫刻や絵が目印として置かれていました

5. 宗教と文化における位置づけ

宗教的側面

  • 一部の神殿売春の慣行がギリシャやオリエントからローマに伝わりましたが、公式のローマ宗教ではあまり重要ではありませんでした
  • フローラ祭など特定の祭りでは、娼婦が公的に参加することもありました

文学と芸術での表象

  • 娼婦は文学や芸術の題材としてしばしば登場しました
  • プラウトゥスの喜劇、カトゥルスやオウィディウスの詩、ペトロニウスの『サテュリコン』などで描かれています
  • 壁画やモザイクなどの視覚芸術でもエロティックな場面の中に描かれることがありました

6. 社会的流動性と生活の選択肢

上昇の可能性

  • 一部の娼婦、特に高級娼婦は、裕福なパトロンを得ることで社会的地位を向上させることができました
  • 奴隷の娼婦が解放され、自由民となるケースもありました
  • 稀に裕福な顧客と非公式な関係を築き、経済的安定を得る例もありました

高齢化と引退

  • 娼婦の職業寿命は比較的短く、高齢化は深刻な問題でした
  • 引退後は売春宿の管理人(lena)になるか、極度の貧困に陥ることが多かったです
  • 一部は宗教的施設に身を寄せることもありました

7. キリスト教の台頭と変化

道徳観の変化

  • キリスト教の台頭により、売春に対する社会的態度は徐々に否定的になっていきました
  • 4世紀以降、コンスタンティヌス帝やテオドシウス帝の下で売春を制限する法律が導入されました
  • アウグスティヌスなどの教父は、売春を罪としながらも社会悪の抑制として一定の必要性を認めていました

改心と救済の物語

  • 「罪深い女性の改心」は初期キリスト教文学の重要なモチーフとなりました
  • エジプトのマリアや、テオドラ(後の皇后)など、娼婦から聖人になったとされる物語が広まりました

結論

古代ローマにおける娼婦の実態は、社会的階層、法的地位、経済状況によって大きく異なっていました。高級娼婦から最下層の売春婦まで、その生活条件と社会的立場には大きな格差がありました。

彼女たちは一方では社会的に蔑視され法的に制限されながらも、他方では文化的、経済的、時には政治的にも一定の影響力を持つという矛盾した立場にありました。「Lais et Myron」の詩に登場するライスのような高級娼婦は、芸術や文化との関わりを通じて社会に一定の貢献をしていましたが、それは娼婦全体の中では特権的少数派に過ぎませんでした。

古代ローマの売春と娼婦に関する研究は、当時の性別役割、社会的階層、経済構造、そして道徳観を理解するための重要な視点を提供してくれます。また、ローマの都市生活の複雑さと、公的規範と私的実践の間の緊張関係を明らかにする窓口ともなっています。