マルティアリスのエピグラムと古代ローマ ⅩLⅥ

「口うるさい法律家」への風刺(Epigrammata, VI.35)

Non de vi neque caede nec veneno, Sed lis est mihi de tribus capellis. Vicini queror has abesse furto. Hoc iudex sibi postulat probari: Tu Cannas Mithridaticumque bellum Et periuria Punici furoris Et Sullas Mariosque Muciosque Magna voce sonas manuque tota. Iam dic, Postume, de tribus capellis.

Claude3.7Sonnetによる文法解釈と翻訳


文法的解釈

1-2行目:

  • Non: 「〜ではない」(否定副詞)
  • de vi: 「暴力について」(前置詞 de + 女性名詞 vis の奪格)
  • neque: 「〜でもなく」(接続詞)
  • caede: 「殺人について」(女性名詞 caedes の奪格)
  • nec: 「〜でもなく」(接続詞)
  • veneno: 「毒について」(中性名詞 venenum の奪格)
  • Sed: 「しかし」(接続詞)
  • lis: 「訴訟、争い」(女性名詞、主格)
  • est: 「である」(sum の現在形、3人称単数)
  • mihi: 「私に」(人称代名詞、与格)
  • de tribus capellis: 「三頭のヤギについて」(de + 形容詞 tres の奪格 + 女性名詞 capella の奪格複数形)

3-4行目:

  • Vicini: 「隣人の」(男性名詞 vicinus の属格)
  • queror: 「私は訴える」(動詞 queror の現在形、1人称単数)
  • has: 「これらを」(指示代名詞 hic の女性複数対格、capellas を指す)
  • abesse: 「いなくなった」(動詞 absum の不定詞)
  • furto: 「盗みによって」(中性名詞 furtum の奪格)
  • Hoc: 「これを」(指示代名詞、対格)
  • iudex: 「裁判官」(男性名詞、主格)
  • sibi: 「自分自身に」(再帰代名詞、与格)
  • postulat: 「要求する」(動詞、現在形、3人称単数)
  • probari: 「証明されるように」(動詞 probo の受動態不定詞)

5-8行目:

  • Tu: 「あなたは」(人称代名詞、主格)
  • Cannas: 「カンナエを」(地名、対格)
  • Mithridaticumque bellum: 「ミトリダテス戦争を」(形容詞 + 中性名詞 bellum の対格、-que は「〜と」)
  • Et: 「そして」(接続詞)
  • periuria: 「偽誓を」(中性名詞 periurium の複数対格)
  • Punici furoris: 「カルタゴの狂気の」(形容詞 Punicus + 男性名詞 furor の属格)
  • Et: 「そして」(接続詞)
  • Sullas Mariosque Muciosque: 「スッラたちとマリウスたちとムキウスたちを」(人名の複数対格、-que は「〜と」)
  • Magna voce: 「大きな声で」(形容詞 magnus + 女性名詞 vox の奪格)
  • sonas: 「あなたは響かせる」(動詞 sono の現在形、2人称単数)
  • manuque tota: 「全身で身振りしながら」(女性名詞 manus の奪格 + 形容詞 totus の奪格)

9行目:

  • Iam: 「さあ、今」(副詞)
  • dic: 「話せ」(動詞 dico の命令形、2人称単数)
  • Postume: 「ポストゥムスよ」(男性名詞、呼格)
  • de tribus capellis: 「三頭のヤギについて」(最初と同じ句)

日本語訳

「暴力でも殺人でも毒殺でもなく、
問題は私の三頭のヤギについてだ。
隣人が盗んだため不在だと私は訴えている。
裁判官はこれについての証明を求めている。
ところがあなたはカンナエの戦いやミトリダテス戦争、
カルタゴ人の狂気による偽誓、
そしてスッラやマリウスやムキウスについて
大声で身振り手振りを交えて雄弁に語る。
さあ、ポストゥムス、三頭のヤギについて話せ。」

エピグラム解説


作品の概要

このエピグラムは、マルティアリスの代表的な風刺詩の一つで、『エピグラマタ』第6巻の35番目の詩として収録されています。法律家を風刺した作品であり、特に法廷での不必要な言葉の多さと本題からの脱線を批判しています。

歴史的背景

古代ローマでは、法廷弁論は重要な公的活動であり、修辞学の訓練を受けた弁論家たちが活躍していました。彼らは依頼人のために法廷で弁論を行い、その弁論技術は社会的地位や名声に直結していました。しかし、その過程で無関係な学識の誇示や過剰な修辞が実際の問題解決を妨げることも少なくありませんでした。

作品の分析

構造と技法

  • 対比: 詩は単純な「三頭のヤギの盗難」という日常的問題と、「カンナエの戦い」などの歴史的大事件を対比させています。
  • 枠構造: 詩の冒頭と結尾で「三頭のヤギ(de tribus capellis)」という同じフレーズを繰り返すことで、法律家の無駄な脱線を際立たせています。
  • 列挙: 歴史的事件や人物を次々と列挙することで、法律家の誇示的な雄弁を模倣しています。

歴史的言及の意味

詩中で言及されている歴史的事件・人物:

  1. カンナエの戦い(Cannas): 第二次ポエニ戦争中の前216年、ハンニバルがローマ軍を壊滅させた有名な戦い。
  2. ミトリダテス戦争(Mithridaticumque bellum): 紀元前1世紀、ローマとポントス王国のミトリダテス6世との間で行われた一連の戦争。
  3. ポエニ戦争の偽誓(periuria Punici furoris): カルタゴとの戦争における約束違反や裏切りを指す。
  4. スッラ(Sulla): ローマの将軍・独裁官ルキウス・コルネリウス・スッラ(前138年頃~前78年)。
  5. マリウス(Marius): ガイウス・マリウス(前157年頃~前86年)、ローマの将軍・政治家、スッラの政敵。
  6. ムキウス(Mucius): おそらくガイウス・ムキウス・スカエウォラ、ローマの伝説的英雄。

これらは全て、ローマ史における重要な出来事や人物であり、教養ある人々の間では共通の知識でした。法律家はこうした有名な歴史的事例を引き合いに出すことで自分の学識を誇示し、聴衆に感銘を与えようとしていたのです。

社会的批判

この詩が風刺しているのは以下のような法律家の特徴です:

  1. 本質からの逸脱: 単純な事件(ヤギの盗難)の本質から逸脱し、無関係な学識を誇示する傾向。
  2. 過剰な修辞: 「大声で(Magna voce)」「全身で身振りしながら(manuque tota)」という表現が示すように、内容より形式や演出を重視する態度。
  3. 実用性の欠如: 依頼人の実際の問題解決より自分の知識誇示を優先する姿勢。
  4. 階級的側面: 普通の市民の日常的問題(ヤギの盗難)より、貴族階級の関心事(歴史的戦争や有名人物)を重視する傾向。

現代的関連性

この詩の風刺は、現代の法律専門家や官僚制度にも通じる部分があります:

  • 専門用語や過去の判例の過剰な引用で一般市民を混乱させる法律実務
  • 実質的な問題解決より形式的手続きを重視する官僚主義
  • 単純な事案に対する過剰に複雑な対応
  • 専門家と一般市民の間の知識・言語のギャップ

文学的価値

マルティアリスのこの詩は、わずか9行という短さながら、鋭い観察眼と簡潔な表現で法律家の典型的な欠点を捉えています。「さあ、ポストゥムス、三頭のヤギについて話せ」という最後の一行は、本質に立ち返るよう促す力強いメッセージとなっており、今日でも十分に共感できる普遍性を持っています。

古代ローマという異なる時代と文化にありながら、マルティアリスは専門家の自己満足的な態度という人間の普遍的な弱点を見事に描き出しているのです。

古代ローマの法と法律家


ローマ法の発展

  • 十二表法(前450年頃):最初の成文法典、基本的権利を明文化
  • 市民法(ius civile):ローマ市民のみに適用される法
  • 万民法(ius gentium):外国人を含むすべての人に適用される法
  • 勅法(constitutiones principum):皇帝の発した法令
  • ユスティニアヌス法典(6世紀):ローマ法の集大成、現代西洋法の基礎

法律家の種類と役割

  • 法学者(iurisconsulti):法の解釈者、法的助言を提供
  • 弁論家(oratores):法廷で依頼人を弁護する専門家
  • 法務官(praetores):法を適用・解釈する権限を持つ公職者
  • 国家代理人(advocati fisci):国家の利益を代表する法律家

実務と教育

  • 当初は非職業的・貴族的活動(無報酬)
  • 帝政期に徐々に専門職化
  • 師弟関係による徒弟制的教育
  • 後期には法学校の設立

法律家の社会的地位

  • 共和政期:政治家としての側面が強い
  • 帝政初期:皇帝の顧問としての役割
  • 後期帝政:官僚としての性格

ローマ法の特徴は体系性と実用性であり、その法律家たちは理論と実践の両面から法を発展させました。彼らの残した法体系と法思想は現代の多くの法制度の基盤となっています。


ここまでです。お付き合いくださり有り難うございました。