Cum vocer ad cenam non iam venalis ut ante, Cur mihi non eadem, quae tibi, cena datur? Tu gallina tibi, mihi lacerta datur.
Claude3.5Sonnetによる翻訳
これもマルティアリスのエピグラムからの引用ですね。文法的解釈と日本語訳を提供します。
「Cum vocer ad cenam non iam venalis ut ante, / Cur mihi non eadem, quae tibi, cena datur? / Tu gallina tibi, mihi lacerta datur.」
文法的解釈
1行目:
- Cum: 「〜のとき」(接続詞)
- vocer: 「私が呼ばれる」(voco の受動態、接続法現在形、1人称単数)
- ad: 「〜へ」(前置詞、対格を取る)
- cenam: 「夕食」(女性名詞 cena の対格)
- non: 「〜ない」(否定副詞)
- iam: 「もはや」(副詞)
- venalis: 「売り物の、買収できる」(形容詞、男性単数主格)
- ut: 「〜のように」(比較の接続詞)
- ante: 「以前」(副詞)
2行目:
- Cur: 「なぜ」(疑問副詞)
- mihi: 「私に」(人称代名詞、与格)
- non: 「〜ない」(否定副詞)
- eadem: 「同じ」(形容詞 idem の女性単数主格、cena を修飾)
- quae: 「〜のような」(関係代名詞、女性単数主格)
- tibi: 「あなたに」(人称代名詞、与格)
- cena: 「夕食」(女性名詞、単数主格)
- datur: 「与えられる」(do の受動態、現在形、3人称単数)
3行目:
- Tu: 「あなたは」(主格)
- gallina: 「鶏」(女性名詞、単数主格)
- tibi: 「あなたに」(人称代名詞、与格)
- mihi: 「私に」(人称代名詞、与格)
- lacerta: 「トカゲ」(女性名詞、単数主格)
- datur: 「与えられる」(do の受動態、現在形、3人称単数)
日本語訳
「以前のように買収できる者としてではなく夕食に招かれるのなら、
なぜ私には、あなたと同じ食事が出されないのか?
あなたは鶏肉を食べるのに、私にはトカゲが出される。」
意味の解説
この詩は、古代ローマでの社会的地位による食事の差別を風刺しています。詩人は、もはや「買収できる」立場(おそらくクライアント/パトロンの関係)ではなく、平等な友人として招かれたはずなのに、実際には食事の質に明らかな差があることに不満を表明しています。主人は良質な鶏肉を食べる一方で、詩人には粗末なトカゲ(または低級な魚)が出されるという不平等な扱いを指摘しています。
マルティアリスは、このような社会的階層の差を示す慣習を鋭く風刺し、表面的な友情の裏に潜む実際の差別を暴いています。
「鶏」(gallina)と「トカゲ」(lacerta)
「鶏」(gallina)の価値と価格
- 食文化での位置づけ: 鶏は古代ローマで一般的な食材でした。家禽として飼育が容易で、卵や肉を提供する身近な存在です。特に富裕層の宴会では、鶏肉を使った料理(例えば詰め物をしたものやスパイスで調理されたもの)がよく振る舞われました。
- 価格: 具体的な価格は時期や地域で異なりますが、ローマ時代の経済学者や歴史家の記録(例えばコロネラの『農業論』やディオクレティアヌスの価格勅令[301年])を参考にすると、鶏1羽の価格はおよそ 2~4セステルティウス 程度と考えられます。セステルティウスは当時の通貨で、1セステルティウスは労働者の日当の数分の1程度(例えば1日の賃金が約10~25セステルティウス)でした。つまり、鶏は庶民でも手が届く食材でしたが、宴会で出されるとなるとそれなりに「見栄えのする」ものとして扱われました。
「トカゲ」(lacerta)の価値と価格
- 食文化での位置づけ: トカゲはローマ人の間で一般的な食材とは言えません。マルティアリスが「lacerta」と言及しているのは、実際のトカゲを指している可能性もありますが、比喩的あるいは誇張として「粗末なもの」「まずいもの」を意味していると解釈されることが多いです。ローマでは魚やエキゾチックな肉(例えば孔雀やウサギ)が珍重されましたが、トカゲは通常メニューには登場しません。ただし、一部の地域(特にローマ帝国の辺境)や貧しい層では、爬虫類や小動物が食された記録もあります。
- 価格: トカゲに具体的な市場価格があったとは考えにくいですが、仮に食用とされた場合、野生で捕まえるものであり、商業的な価値はほぼゼロに近かったでしょう。市場で売られていたとしても、せいぜい 1アス以下(1セステルティウス=4アスなので、0.25セステルティウス未満)と推定されます。つまり、経済的には鶏よりも圧倒的に安価で、「貧乏人の食べ物」あるいは「食べ物とも呼べないもの」として対比されている可能性が高いです。
どちらが高価だったか?
明らかに「鶏」の方が高価で、価値ある食材とされていました。マルティアリスの詩では、「君には鶏、僕にはトカゲ」という対比が、待遇の差やケチさを強調する誇張として機能しています。鶏が2~4セステルティウス程度であるのに対し、トカゲは実質的に「値打ちのないもの」として扱われ、価格差以上に社会的地位の違いを象徴しているのです。
結論
- 鶏: 約2~4セステルティウス(庶民的ながら宴会で通用する食材)
- トカゲ: ほぼ無料か1アス以下(比喩的または粗末なものとして)
- 意図: マルティアリスは、鶏を「まともなご馳走」、トカゲを「みじめな代用品」と対比させ、権力者や主催者の見せかけの寛大さを皮肉っているのです。
当時の正確な価格は文献によって変動しますし、マルティアリスの詩自体がユーモア優先なので厳密な経済分析を超えた意図がありますが、この解釈で詩の風刺がより鮮明になるはずです。さらに詳しく知りたいことがあれば教えてください!
古代ローマの友情(Amicitia)
古代ローマにおける友情(ラテン語で「amicitia」)は、現代のそれとは異なる複雑な社会的・政治的側面を持っていました。単なる個人的な親密さを超え、ローマ社会の構造と機能に深く根ざした制度でした。
友情の種類と階層
1. 対等な友情(Amicitia inter pares)
- 貴族階級内の友情: 同じ社会階層(主に元老院階級)の間での友情
- 共通の教育・価値観: 教養(humanitas)や徳(virtus)に基づく結びつき
- 相互義務: 政治的支援、法廷での弁護、助言の提供などの義務を伴う
2. パトロン・クライアント関係(Clientela)
- 不平等な友情: 社会的地位の異なる者同士の関係
- パトロン(Patronus): 保護者、政治的・経済的支援を提供
- クライアント(Cliens): 被保護者、忠誠や政治的支援、日々の挨拶(salutatio)などで恩返し
- 本質的に非対称: 贈り物や招待の質も異なる(マルティアリスの詩が風刺した状況)
友情の実践
日常的な側面
- 朝の挨拶(Salutatio): クライアントがパトロンの家を訪問して敬意を表する儀式
- 食事の共有(Convivium): 社交の重要な場、ただし席順や提供される食事の質に階層差が反映
- 贈り物の交換: 祝祭日や特別な機会における贈答の慣習
- 手紙のやりとり: 離れた友人との関係維持の重要手段(キケロの書簡が良い例)
政治的側面
- 政治同盟(Factio): 友情に基づく政治グループの形成
- 選挙支援: 友人の選挙運動を支援する義務
- 法廷弁護: 友人のために無償で法廷弁護を行う伝統
友情の理想と哲学
キケロの「友情について(De Amicitia)」
- 真の友情は徳に基づく
- 友情は利益ではなく、純粋な愛情から生まれるべき
- 「友情とは、神的かつ人間的なすべての事柄についての、好意と愛情を伴う完全な一致である」
セネカの友情観
- ストア哲学的観点から友情を論じ、友情における徳の重要性を強調
- 「賢者は友情を必要とするが、それは利益のためではなく」という考え
友情の変質
帝政期の変化
- 皇帝への忠誠が最優先され、伝統的な貴族間の友情ネットワークが弱体化
- パトロン・クライアント関係が変形し、最終的に皇帝が「最高のパトロン」に
- 「友人たち(amici)」が皇帝の公式アドバイザーを指す用語に
現代との比較
古代ローマの友情と現代の友情の最も顕著な違い:
- 制度化: ローマの友情は明確な社会制度で、現代の友情はより個人的
- 相互義務: ローマでは法的・政治的義務を伴い、現代ではより情緒的
- 階層性: ローマでは社会的地位による差異が明確で公然と認められていた
- 公私の区別: ローマでは公的・私的領域の区別が現代ほど明確でなかった
ローマの友情概念は、社会的結束と政治的機能の両方を担い、個人の感情を超えた社会制度として機能していました。マルティアリスが風刺したような不平等性も含め、この複雑な関係性はローマ社会の基盤を形成していたのです。
ここまでです。お付き合いくださり有り難うございました。