マルティアリスのエピグラムと古代ローマⅩⅩⅩ

Quod nimium lives nostris et ubique libellis detrahis, ignosco: verpe poeta, sapis. Hoc quoque non curo, quod cum mea carmina carpas, compilas: et sic, verpe poeta, sapis.

Claude3.5Sonnetによる翻訳


この詩を分析し、日本語に翻訳します。まず、文法的に重要な点を挙げ、その後に翻訳を提供します。

文法的に重要な点:

  1. 関係代名詞: “Quod” で始まる節が2つあり、それぞれ理由を表しています。
  2. 呼格: “verpe poeta” は呼格で、詩の対象に直接呼びかけています。
  3. 動詞の使用: “lives”(妬む), “detrahis”(貶す), “ignosco”(許す), “carpas”(批判する), “compilas”(盗用する), “sapis”(賢明である)など、多様な動詞が使われています。
  4. 接続法: “carpas” は接続法現在形で、譲歩の意味を表しています。

日本語訳:

あなたが私の作品を過度に妬み、至る所で貶すことを、 私は許そう。割礼を受けた詩人よ、あなたは賢明だ。 私の詩を批判しながらも、それを盗用することも 気にしない。このようにして、割礼を受けた詩人よ、あなたは賢明だ。

この詩の解釈:

  1. 話者(マルティアリス)は、自分の作品を妬み、批判する他の詩人に向けて語りかけています。
  2. “verpe poeta”(割礼を受けた詩人)という表現は、おそらくユダヤ人の詩人を指しています。これは軽蔑的な表現として使われています。
  3. 話者は皮肉を込めて、相手の行動を「賢明」だと評しています。実際には、相手の行動を批判しているのです。
  4. 相手の詩人が、マルティアリスの作品を批判しながらも同時に盗用していることを指摘しています。
  5. 繰り返される “sapis”(あなたは賢明だ)という表現は、強い皮肉を含んでいます。

この詩は、マルティアリスの風刺的なスタイルを良く表しています。他の詩人との競争、文学的な盗用、そして当時のローマにおけるユダヤ人に対する偏見なども垣間見えます。マルティアリスは、相手の批判と盗用という矛盾した行動を鋭く指摘し、それを「賢明」と呼ぶことで強烈な皮肉を効かせています。

ローマのユダヤ人


古代ローマにおけるユダヤ人の境遇は、時代や政治状況によって変化しましたが、全般的に複雑で時に困難なものでした。以下に主な特徴を説明します:

  1. 移住と定着:
  • 紀元前2世紀頃からローマに移住し始め、特に紀元前63年のポンペイウスによるエルサレム征服後に増加しました。
  • ローマ市内のトラステヴェレ地区に大きなコミュニティを形成しました。
  1. 法的地位:
  • 基本的に「外国人居留民」(peregrini)として扱われました。
  • ユリウス・カエサルの時代には特別な保護を受け、宗教的自由が認められました。
  1. 宗教的自由:
  • 一神教の信仰を維持することが許されました。
  • 安息日の遵守や割礼の実施が認められていました。
  • しかし、時折ユダヤ教の習慣が批判や嘲笑の対象となることもありました。
  1. 経済活動:
  • 商業、手工業、金融業などで活躍しました。
  • ディアスポラのネットワークを活かした国際取引も行いました。
  1. 社会的差別:
  • 一般的にローマ人からは「異質」な存在として見られることが多かったです。
  • 文学作品などでしばしば偏見に基づいた描写がされました。
  1. 政治的緊張:
  • ユダヤ反乱(66-73年、115-117年、132-135年)の際には、ローマ帝国内のユダヤ人全体が疑惑の目で見られました。
  • 特にハドリアヌス帝の時代(117-138年)には厳しい弾圧を受けました。
  1. 市民権:
  • カラカラ帝の勅令(212年)以降、帝国内の自由民に市民権が付与され、多くのユダヤ人もローマ市民となりました。
  1. 文化的影響:
  • ギリシャ・ローマ文化の影響を受けつつも、独自の文化や伝統を維持しました。
  • 一部のローマ人がユダヤ教に改宗するなど、逆の文化的影響も見られました。
  1. 兵役:
  • 一般的にユダヤ人は兵役を免除されていましたが、これは特権であると同時に、完全な統合を妨げる要因でもありました。
  1. キリスト教との関係:
    • キリスト教の台頭により、ユダヤ人の立場はさらに複雑になりました。
    • 4世紀以降、キリスト教が国教化されると、ユダヤ人の地位は徐々に低下しました。

ローマのユダヤ人は、宗教的自由を一定程度享受しつつも、常に「異質」な存在として見られ、時に差別や迫害の対象となりました。しかし、その一方で経済的には重要な役割を果たし、ローマ社会の一部として存在し続けました。彼らの境遇は、古代ローマの多民族・多文化社会の複雑さを象徴するものといえます。


ここまでです。お付き合いくださり有り難うございました。