グラナダ陥落

グラナダ陥落(1492年1月2日)について説明させていただきます。

これはレコンキスタ(キリスト教徒によるイベリア半島再征服)の最後を飾る重要な出来事でした。

グラナダはイベリア半島最後のイスラム教国であるナスル朝グラナダ王国の首都でした。カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世(両者は結婚によって事実上のスペイン統一を実現)は、1491年末までに徹底的な包囲戦を展開しました。

当時のグラナダを統治していたムハンマド12世(ボアブディル)は、長期の包囲戦による食糧不足や市民の疲弊を考慮し、最終的に無血開城を決意。1492年1月2日、アルハンブラ宮殿でカスティーリャ・アラゴン両王に降伏文書を提出しました。

この出来事の重要な影響として:

  1. イベリア半島からイスラム教支配が完全に終わり、約800年続いたレコンキスタが完結
  2. スペイン統一国家形成への大きな一歩となった
  3. カトリック両王(イサベルとフェルナンド)の権威が一層高まった
  4. 同年にコロンブスのアメリカ大陸「発見」への支援を決定するなど、スペインの大航海時代の幕開けとなった

この歴史的転換点は、中世から近世へと移行する象徴的な出来事として評価されています。