1922年のメフメト6世の亡命について、重要な背景と経緯を説明いたします。

背景:
- 第一次世界大戦後、オスマン帝国は敗戦国として連合国による占領下にありました
- トルコ国民軍(ムスタファ・ケマル・アタテュルク率いる)が台頭し、スルタン制度に反対する動きが強まっていました
- 1922年11月1日、トルコ大国民議会がスルタン制を廃止する決議を可決
亡命の経緯:
- メフメト6世は、自身の身の安全を懸念
- 1922年11月17日、イギリス軍の支援を得て、イスタンブールから英国戦艦「マラヤ」で脱出
- マルタを経由して、イタリアのサン・レモに亡命
- カリフ(イスラム教の最高指導者)の称号は剥奪され、従弟のアブドゥルメジト2世に移譲
その後:
- 1926年5月16日、サン・レモにて死去(享年65歳)
- この亡命は、約600年続いたオスマン帝国の実質的な終焉を象徴する出来事となりました
- 新生トルコ共和国の樹立への重要な転換点となりました
メフメト6世の亡命は、オスマン帝国からトルコ共和国への移行期における重要な歴史的出来事として位置づけられています。