息子は母親似

ある私立大学に職員として奉職している息子が、経理部経理課に配属されたのは2年前のこと。なんとか勤めている。

先日、ゴールデンウィークに訪ねてきてくれたので、噂に聞いていたことを確かめようと質問したところ、すでに完了して教員・職員用のネットにアップされているらしく、それをダウンロードしてみせてくれた。2つあり、「各課会計担当・会計処理初心者用会計マニュアル」(40ページほど)と「会計・請求ハンドブック」(これも40ページほど)というものだった。

誰に指示されたのでもなく、余暇をおおいに利用して作成したとのこと。なかなか整っている。教員や職員の方々が、会計処理や請求に関して分からないことがあれば、調べらあれるというものである。これを見て、息子は母親似だとつくづく思った。

牧師はときどき転任する。その折りに、彼の母親は写真入りで引き継ぎ事項を丁寧に作文し、ファイルに整理していた。けっこうな分量になるが、息子も自分の持ち場で同じことをやっているのである。

それはそれとして、マニュアルを作るのだから、経理の仕事を少しは覚えたということなのだろう。もしかしたら、自分のために整理したのかもしれない。

貧しさを尊ぶ宗教

イスラム教は貧しき者の宗教です、とイスラム教徒のある青年が話してくれたことを思いだしています。

預言者マホメッドの教えに帰依した最初の人々は貧しさの中に生きる人々だったようです。その貧しさの中でよく生きることを教えられていった、それがイスラム教だと言うのです。罪を核としてその教えを表現するキリスト教との基本的な違いがそこにあるようです。

とうぜんキリスト教的地盤のもとでは自由が課題となり、尊重されます。貧しき者の宗教の場合は何が課題となり、尊重されることになるでしょうか。理解を深める必要があると思います。

グローバル化がもたらす問題の一つは格差です。経済的格差、その格差の固定化です。それを緩和する「場」が必要です。豊かな人と貧しい人とが交わることができる場がなければなりませんし、豊かさの中に潜む貧しさや、貧しさの中で知る豊かさへの洞察、共感が生まれてこなければならないと思います。

思い出せない危ない話

今週のはじめ、車で伊豆長岡に行きました。東名沼津から伊豆縦貫道路へという予定で走っていたのですが、「もうすぐ沼津だ」という記憶はあるのですが、いつの間にか裾野インターに近づいておりハッとしました。その間の記憶がないのです。

考えごとをしていたのか・・・確かに考えごとをしていました。翌々日に控えたある大学での礼拝説教の構想を練っていたのです。もしそうなら、集中力は「天才」並かな、と。

しかし、寝てしまっていたのかも・・・確かに寝不足ではありました。もしそうなら、寝たまま少なくとも10kmぐらいは運転したのですから、これも天才かも。

これを友人に話したら、寝てたんじゃないの、他人迷惑だな、と。そういうことですね。