センチメンタル?サクラメンタル?

29日は「サクラメンタル・ジャーニー」という説教題にしました。

「センチメンタル・ジャーニー」を捩りました。同名の歌を松本伊代さんが歌ったり、同じくリンゴ・スターの曲名にも採用されて親しまれています。おおよそ旅は感傷的なものですが、元々は英国の作家

ローレンス・スターンという英国国教会の牧師が綴って、1768年に出版された紀行文の書名『センチメンタル・ジャーニー』(A Sentimental Journey)によって広く親しまれるようになりました。このローレンス・スターンを彼の代表作から影響を受けた夏目漱石が日本に最初に紹介しています。紀行文センチメンタル・ジャーニーは静養を兼ねた大陸旅行の体験から生まれた作品です。著者は結核を患っていたのです。そして、大陸旅行は人生の最後の旅となりました。その後、病状が悪化、同年3月ロンドンで没したと言われています。牧師の綴った人生最期の紀行文なので読んで見たいと思うのですが、日本語で読めるのかどうかわかりません。

さて、わたくし達には一つの旅路が始まっています。サクラメンタル・ジャーニーです。それは、神の不思議な御手に導かれる御国への旅路で、私たちの人生の導きとなっており、救いを辿って行く旅です。

 

菜の花祭り

渥美半島にはじめて行きました。浜松から車で2時間強ですね。たまたま菜の花祭りが行われていました。

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メロンやイチゴの産地らしく、季節には賑わいそうです。また、渥美半島は伊勢・志摩の対岸に位置しており伊勢湾を囲んでいるところなので、魚介類も豊富のようです。ときどき、行ってみようという気になりました。

鴨川の朝日

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ある会の規約改正委員会が合宿で行われ、鴨川グランドホテルに泊まりました。朝日が綺麗でした。久しぶりのNikon1 V2です。

駅周辺が寂しい

人口と広さにおいて県を代表するのが静岡市と浜松市です。

浜松市に住むようになって、静岡といろいろと比較するのですが、一つの顕著な違いはJRの駅周辺が閑散としているということです。地元の方によると、浜松では郊外に大型モール(ショッピングセンター)がいくつも作られたからだと言います。

郊外にショッピングセンターがあるのは便利ですが、人工的で画一的です。いまごろ言うことではありませんが、個性を競って店々が立ち並ぶ駅周辺の賑やかさは、もう戻ってこないのでしょうね。

レストラン・テラス

教区の農村伝道専門委員会に出席してきました。

会議の場所はレストラン・テラス。山梨県北杜市白州町白須というところにあります。田園風景に囲まれた静かな場所です。食事のために、誰がいったいこんな辺鄙なところまで来るのだろうかと思うような所ですが、ところがところが、そのような場所だからこそいただける食事があるということを知りました。

近くでできる厳選された食材を用いた、美味しい料理をいただけるのです。有機農法で作られたここだけで味わえる野菜とお肉とハムがお皿いっぱいに盛られます。一度は訪ねてみてください。景色も良いし、満足しますよ。

 

 

浜松城公園、ちょこっと開花停滞

一昨日は、もう明日にでもと思ったけれども、昨日から気温が少し下がったせいか、開花とまではいっていない。ただ、花見をしようと待つ人々がブルーシートを敷いたり、テーブルを公園内に持ち込んでいた。はたして、週末はどうなることか・・・・

 

 

 

動物園が悲しかった

先日、紅葉の季節を迎えた浜松市動物園に、カメラをもって行ってきました。フラワーパークに隣接し、浜名湖をのぞむことができる丘陵地にあって、立地の良さを感じました。

ところが、動物園としての魅力に乏しく、そこにいる動物たちを見ていると、何か寂しさというか、悲しみを感じた、というのが正直な感想でした。残念でした。

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漁人碼頭に

少し時間がとれたので淡水川の河口、漁人碼頭に行ってみました。台北からMRTで淡水へ、45分くらいでしょうか、そこから高速艇で10分ほどのところにあります。

情人橋(恋人橋)と呼ばれる白い綺麗な橋が印象的な漁港で、観光地として整備されています。

夕焼けの美しいところだそうですが、眺める時間はありません。残念。

 

-ism

神学の分野で ism に対する警戒を唱えたのは K.Barth だと思う。それは、ややもすると絶対化、偶像化するからです。危機神学は -ism との戦いでもあったのだと思います。

若い時、同学年のバルティアンが、盛んに -ism に対する嫌悪を言葉に出していたのを思い出します。私たちは共に、その -ism を大切にする教派に属していましたので身近な問題でもありました。彼は今、某書店の社長をしています。

-ism に対して神経質になりすぎることも、それも一種の -ism ですから気をつけなければなりませんが、-ism に対して批判的な目を養うことは大切なことだと思います。

16世紀に印刷されたドイツ語聖書

15年前にドイツのアイゼナハ郊外のヴァルトブルク城を見物に行ったおりに、土産物店で売っていた16世紀に印刷された聖書の1頁です。

そのころは、東西ドイツが統一しまだ数年、アイゼナハの町も閑散としており、お金がなかったのでしょう、もったいないことですが古い聖書を解体して一枚いくら、で売っていました。

16世紀ドイツ語聖書断片昨年、訪れたときにはもう売っていませんでした。これは教会の私の執務スペースに飾ろうかなと思っています。

白馬岩岳

先週のことです。数年ぶりに白馬に行ってみました。岩岳の花は寂しかったですが、標高1500m、やっぱり涼しいですね。遅咲きで、これから咲こうとしている蕾にトンボがとまっていました。もう、山は秋なのでしょう。

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奥山線路跡/亀山トンネルから広沢まで

かつて(1914年~1964年まで)、浜松―奥山間を軽便鉄道が走っていたそうです。奥山(浜名湖の奥)から薪や木材を運び、人々の足となっていました。単線でレール幅は76センチと狭く、小さな機関車に引かれて走っていました。機関車にはらっきょうのような形をした煙突がついており「らっきょう軽便」とも呼ばれて親しまれたようです。

ホテル・コンコルドが建っているあたり、元城からは登り坂で軽便にとって一番の難所でした。「乗客みんなで押したり、下まで戻って勢いをつけたりと、愛らしいエピソードも」(『中区魅力の100さんぽ』より)。その難所は、今、煉瓦つくりの亀山トンネルを起点に線路跡が整備されて。広沢トンネルの先まで遊歩道となっています。今日は、そこを歩こうと出かけてみました。

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オルガン坂

という名の坂が浜松にある。浜松駅から少し西に行ったところです。

その名は、明治20年、日本で最初に「山葉風琴製造所」(現在のヤマハ)によってオルガンの製造が始められたことに由来するらしい。小高い山で、かつては稲葉山(いなんばやま)と呼ばれ、東海道の松並木や遠州灘をながめることができたといいます。

今は、堂々とした坂道で、立派なホテルや高級マンション、高そうなステーキハウス、そして、昔ながらの呉服店などが、ゆったりと建っています。その周辺とは趣が異なっています。

今日は、そのオルガン坂を歩いてきました。

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飛行機の到着時間

ターミナルに着いた時ではなくて、空港に着陸した時が、到着時間だと聞いたことがある。たぶん空港の掲示板に表示される到着予定時間というのは、それだと思う。

しかし、〇〇便がただいま到着いたしました、とアナウンスされる到着とは、どうもターミナルに着いたという知らせのように思った。

たいした問題ではないが、そんな感じがしたので書いてみた。

飲み比べセット

と言ってもお酒ではない。みかんジュースだ。

責任を持っているある委員会が四国の南伊予を訪ねた。松山空港に降りて、少しだけ時間があったので伊丹十三記念館に立ち寄った。彼は私の住む、すぐそばの、しかも知人所有のビルディングで自死しているので、なんとなく足が向いた。オシャレな記念館だった。

喫茶室があり、そこで提供していたのが飲み比べセットだ。従来の地元のミカンと、そこから派生した2種類のミカン、計3種類のジュースを綺麗なグラスに入れて出してくれる。これは、いける。うん、良いアイデア。

ほんの少しの時間だったが愛媛を味わった。

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ミュンヘンのビール祭り

たまたまオクトバーフェストにぶつかってしまいました。しかたなく会場に行ってみました。K牧師の妹さんがミュンヘン大学に短期留学中で、わたしたち一行の道案内をしてくださいました。

会場といっても広い公園のようなところに、ビール会社ごとの大きな建物ができていて、遊園地もあり、屋台も多数あるといった壮大なものでした。最初は、夜、9時過ぎに行ったのですがお祭り騒ぎ。お祭りだから当たり前でしょうか。みな酔っぱらっていました。これも当たり前。どの建物も入る隙間がないほどいっぱいで、一杯のビールを飲むのも大変でした。

祭り用の民族衣装を着て、皆、楽しんでいました。旅行者も多く、酔った勢いで話しかけてきます。案内人はオランダから来たという巨人たちと親しくなって何やら話し込んでいました。

日をおいて昼に行ってみました。小さな子どもたちも楽しんでいました。家族ずれが目立ちましたね。もちろん、大人は朝からビールです。人の多い、明るい賑やかな祭りです。これがオクトバーフェストかと分かって良かったですが、次回ミュンヘンを訪れるときは、避けたいと思った次第です。

ミュンヘン

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ベルンの時計

はじめてスイスのベルンに足を踏み入れました。宗教改革直後のスイスはカトリック陣営とプロテスタント陣営との間で争いがありましたが、中立を守ったのがベルンだったと聞きます。それだからでしょうか、スイスの首都となっています。

美しい街と聞いていたので一度行ってみたかったのですが、これまでは機会にめぐまれず、取り残していました。氷河期の氷河によって生まれた地形、アーレ川の流れに沿って形造られた街は、なるほど美しかったです。旧市街が世界遺産となっているようですが、なるほどと思わされました。

大きな時計が有名ですが、旧市街のメインロードにあり、趣のあるものでした。塔の東側の時計は太陽を、西側の時計は月がイメージされています。西側のほうが障害物がなく、その美しさをそのままに鑑賞できました。アルプス・ホルンを奏でる音楽家?が商売をしていました。

近くにアインシュタインが2年間住んだという小さな家が記念館として人を招き入れていました。相対性理論の基礎となる諸理論がそこで生まれたそうです。その当時、役人をしていたのでしょうか。ただそれだけの建物ですが、入場料は15ユーロだったと思います。スイスは物価の高い国ですが、さすがにアインシュタインです。

ベルンの代表的な料理と紹介されていたソーセージと肉の取り合わせを食べました。たくさんの人が入る店でしたが、それほど美味しいとは思いませんでした。わたしの味覚がおかしいのかもしれません。あしからず。

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ヴィッテンベルク再訪

ルターシュタット・ヴィッテンベルクを訪ねる機会があたえられました。東西ドイツの統一記念日である10月3日の数日前のことです。

13年ぶりのことでした。前回は、まだ統一直後といった雰囲気を残しており、空き家も目立ち、街の様子はどことなく沈滞していましたが、久しぶりのヴィッテンベルクは明るく、古い建物は建て直されていたり、きれいに化粧直しがなされていました。

ルターを描いた祭壇画のあるシュタット教会はちょうど祭壇の工事中で残念でした。この教会はルターがヴィッテンベルク大学で神学を教えていたとき、すなわち福音の再発見にいたる時代に、説教をしていた教会です。ヴィッテンベルクというと95箇条の提題が掲げられた城教会が有名ですが、このシュッタト教会も重要な教会です。福音主義の信仰に基づく礼拝が最初に行われたのはこの教会においてであったと聞きます。工事というのは、おそらく宗教改革500年を記念する2017年にむけての準備だと思われます。城教会も工事中でした。

市庁舎まえの広場では、陶器祭?でしょうか。陶器市が開かれており賑わっていました。また、その近くでは秋の実りを喜ぶ催しもなされていて、地元の物産が売られていました。リンゴと大きなソーセージをはさんだホットドックを食べ、手作りのリンゴ・ワインやハニー・ワインを飲みました。活気が感じられて、嬉しいことでした。

もう一つ、旧ヴィッテンベルク大学跡の内庭の芝生の上で横になり、ほんのちょっと昼寝をしました。気持ちが良かった。

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